1206 風が吹けば(29)
「わたくしが、軍を率いて戦いましょうか?」
そう申し出たサンテの死んだ魚のような目を見て、ドーラは肩を竦めた。
「わたしの役に立ちたいというおまえの気持ちは有難いが、枯れ枝は剣の代わりにはならぬ、という譬えもあるぞえ。マルカーノ以下の者たちと違い、おまえは執事に特化されておるからの。無理をするな。なあに、プシュケー教団の義勇軍など懼るるに足りぬわ。それよりも、怖いのは、敵か味方かわからぬ男じゃ」
枯れ枝と呼ばれたことをどう受け止めたのか、サンテは鉄格子のような口から小さな声で「出すぎたことを申しました」と言いながら頭を下げた。
ドーラも気持ちを切り替えるように大きく息を吐くと、北の方を睨んだ。
「ともかく今は目の前の敵に集中するしかないぞえ。さあ、来るがよい。蹴散らしてくれるわ!」
一方、エイサの中央の塔に居るゲルヌ皇子のところには、ドーラ軍の一部が北へ廻り込んだとの報告と、ジョレ軍が反転して戻って来ているとの報告が、ほぼ同時に入って来た。
因みに、まだプシュケー教団の援軍のことは伝わっていない。
考え込むゲルヌの横には小人族のギータがいる。
「これをどう見る?」
思い倦ねたように尋ねるゲルヌに、ギータも自分の皺深い顔を小さな手で擦りながら答えた。
「うーむ。常識的には、敵の別動隊の動きを察知したジョレが、ここを護るために戻って来ておる、ということじゃろうが……」
「わたしもそう信じたい。が、そうでなかった場合の危険が大きすぎる。急拵えの市民軍を戦わせる訳にもいかぬしな。と、なれば、わたしが直接行って、ジョレの真意を確かめるしかない」
「いや、それは止めた方がよい。もし、ジョレに悪意が芽生えておれば、その場で殺されるやもしれぬぞ」
「それでも行かねばならんのだ。何かあれば、反覆常ならぬ男とわかっていながら父の遺臣だという理由で再度将軍に取り立てた、わたしの責任だ。思い過ごしならばよいが、本当に裏切るつもりなら、今度こそ赦さぬ」
と、入口の方から「わたくしが参ります!」との声がした。
第一発言者ゲルニアであった。
既に目薬を点したらしく、瞳の色が濃くなっている。
「わたくしを通じてジョレさまとお話しください! 最悪の事態となっても、み使いが残ってくだされば、エイサを救う手立てはあるはずです!」
必死の形相で訴えるゲルニアに、しかし、ゲルヌは首を振った。
「駄目だ。それこそ話が逆だ。たとえわたしに万一のことがあっても、おまえがいれば危機に対処できる。自分の生命を軽んじるな」
「いえ、わたくしは、謂わばみ使いの影。影だけが生き残って何になりましょう……」
ゲルニアの目からは涙が溢れ、最後は嗚咽となった。
ゲルヌはグッと奥歯を噛んで「わたしが行く」と宣言し、何か言いたそうなギータにも「止めても無駄だ」と釘を刺した。
が、ギータではない声が「行ってはなりませぬ」と告げた。
ゲルヌはハッとしたように、部屋の奥を見た。
朧に空気が揺れ、魔道師のマントを羽織った地味な顔の男が姿を現した。
「おお、カールか!」
皇帝家付き魔道師のカールは、静かに頭を下げた。
「遅くなり、申し訳ございません。殿下にご報告せねばならぬことがございます。わたくしの一存にてプシュケー教団と交渉し、援軍の要請をいたしました。ファーンさま率いる七千の義勇軍が、間もなくエイサの北でドーラさまの別動隊と交戦するはずです。そのご報告に向かう途中、ジョレ将軍に東方魔道師が近づくところを目撃し、様子を窺っておりましたら、魔香によって幻術を掛けられたようでございます」
「そうであったか」
ゲルヌは目を瞑り、暫し考えた。
目を開いた時には、迷いが吹っ切れたような爽やかな表情になっていた。
「幻術に掛かっている人間と話し合うのは無意味だな。カールとゲルニアで協力し、ジョレの身柄を拘束してくれ。わたしはそのままジョレ軍の指揮権を掌握して北へ向かい、ドーラ軍の別動隊を挟み撃ちにする。すまないが、ギータは引き続き市民軍に警戒を呼び掛けてくれ」
そのまま飛び立とうとする三人に、ギータは少しお道化たように告げた。
「わし一人で留守番は淋しいぞ。なるべく早く戻ってくれよ」
すると、カールが「おお、そうでした」と何か思い出したように声を上げた。
「魔道屋スルージさんがゾイアさまを捜し回っておられましたので、一旦ここへ戻るようにお伝えしました。直前でまたゾイアさまを見失ったそうです」
全員がフッと一瞬不安な顔になったが、代表するようにギータが呟いた。
「大丈夫じゃ。ゾイアは必ず戻る。それまで皆で頑張るんじゃ。さあ、ここはわしに任せ、早う行け」
カールから戻るように言われたというスルージは、まだ諦めきれずにエイサ上空を飛び回っていた。
「ゾイアの旦那はどうしちまったのかねえ。まるで本物の狼になっちまったみてえでやんす。いくらこっちが呼び掛けても、逃げて隠れちまう。あっしはどうすりゃ、あっ、あれは!」
何かを見つけたスルージは、急降下して行った。




