1205 風が吹けば(28)
マーサ軍一万の突進に引き摺られようにツァラト軍一万も追随し、ジョレ軍一万との間隔が大分開いてしまった。
そのジョレ本人は、周囲の者が心配になるほど覇気がない。
馬上で俯いたまま、ブツブツと独り言を呟いている。
「何だって、わたしはこういう巡り合わせなんだろう? 別に裏切りたくて裏切る訳じゃないんだ。でも、周囲の状況がそうなったり、知らぬ間に何かに取り憑かれたりするだけだ。だから、わたしは悪くないんだ……」
「そうですとも。あなたさまは決して悪くありませんよ」
ギョッとして大きな声を出しそうになったジョレは、慌てて自分の口を押えた。
その指の隙間から囁くように、見えない相手に尋ねた。
「その声は、ドーラじゃないな?」
「はい。ドーラさま配下の東方魔道師にござりまする」
東方魔道師が何も言わぬうちに、ジョレは普通の将軍なら口が裂けても言わないであろうことを言った。
「裏切りの催促に来たのなら、もう少し待ってくれ。どちらが得か、まだ考え中だ」
「おお、どうぞじっくりとお考え下さい、と申し上げたきところなれど、事は急を要しまする。畏れ入りますが、これより反転してエイサを攻めていただきたいのです」
「ええっ、無理だよ、そんなの! あ、声が」
ジョレは、山羊のような髭を振って左右を見回した。
「……ふむ。誰も気づいてないな。あれ、何だっけ? そうそう。わたしにできるとすれば、精々行軍を遅らせ、実際の戦闘にはなるべく積極的に関わらない、という程度だぞ。如何にこの軍の傭兵の割合が高いとはいえ、急に味方を攻めろなどと命じたら、わたしの立場がなくなるじゃないか。下手をすりゃ殺される。そんなのは嫌だ! あ、また声が」
微かに東方魔道師の舌打ちが聞こえたが、一層物柔らかな言い方で話しかけて来た。
「あからさまに言わずともよいのです。敵の別動隊がエイサの中心部に攻め込もうとしている、との情報が入ったと仰って、一先ず軍を反転させてください。これは事実ですから、誰も怪しみません。で、愈々市内に入ったところで、ゲルヌ殿下の非を鳴らし、正義のためにエイサを制圧するとかなんとか、上手く言い包めてください。科白はこちらで考えて差し上げます」
「うーん、そんなに簡単に行くかなあ。あれ、なんかいい匂いがする……」
その独特の芳香は、魔香のようであった。
ジョレの目がトロンとなっている。
「さあ。元気を出してください、ジョレ将軍。あなたの未来は輝いていますよ」
「お、おお、勿論だとも! わたしはマオロン軍を一人で倒した、大将軍ジョレだからな!」
同じ頃、漸くマーサ軍の最後尾に追いついたツァラト将軍にも、驚くべき知らせが齎された。
「もう一遍申せ!」
自慢の赤髭と同じくらい顔を真っ赤ににして怒鳴るツァラトに、負けないくらいの大声で伝令が答えた。
「はっ! 先行して斥候に出た者が、偶々通りかかった周辺住民より重大な情報を聞き込みました! 敵軍の一部凡そ一万が既に北へ迂回したとの由! わが軍がここで戦っている間に、市の中心部を狙うものと思われます!」
ツァラトの顔色が、一転して蒼褪めた。
「殿下のお生命が危ない。うーむ。かと言って、わが軍が引き返せば、マーサ軍が総崩れとなる。と、なれば、あの男に頼むしかあるまい」
ツァラトは大きく息を吐き、改めて伝令に告げた。
「ご苦労だが、今すぐ駆け戻ってジョレ将軍に今の情報を伝え、反転してエイサを護るように伝えてくれ! わがはいは姫御前と共に、目前の敵を叩き潰す!」
「ははーっ!」
最前線のためその知らせはまだ廻って来なかったものの、マーサも異変に気づいていた。
「おかしい。どこにもドーラの姿が見えぬ。陣頭指揮を執らぬまでも、様子すら見に来ないのは何故じゃ? それに、心なしか敵が少ないように見える。これは、若しや?」
マーサは馬上で後方を振り返った。
接近して来るツァラト軍らしい土煙は見えたが、無論、エイサの様子まではわからない。
「ううむ。仕方ない。頼むとすればあの男しかおらん。まあ、どうせ、来ても大して役に立たんしな。伝令を出して、あの男の軍だけ戻ってもらおう。おい、誰か手が空いている者はおらぬか! ジョレ将軍への伝令を頼みたいのじゃ!」
こうして、敵味方の思惑が一致し、ジョレ軍一万は誰憚ることもなく、反転してエイサに向かったのである。
一方、エイサの北へ廻り込んだドーラ軍一万は、急遽全軍停止し、南下して来るプシュケー教団の義勇軍への備えを固めつつあった。
馬上で戦略を練るドーラの傍に、いつの間に追いついたのか、執事のサンテが乗った馬が並んでいる。
ドーラも話し相手がいた方が考えが纏まるらしく、ずっと話し続けている。
「一応七千との報告じゃから、真面にぶつかれば勝てるとは思う。しかも、以前と違い、新しい教主は己の生命も大事にせよと教えているらしい。まあ、それだけ宗教として成熟したということじゃろうが、軍としては弱くなったはず。但し、問題は、あまり時間をかけられぬ、ということじゃ。一応、ジョレはエイサに向かったとの報告があったが、簡単に裏切る者は、また簡単に寝返るもの。できればここでの戦闘は誰かに任せ、様子を見に行きたいくらいぞえ」
最後は愚痴であったろうが、サンテは意外な反応を示した。
「わたくしが、軍を率いて戦いましょうか?」




