1204 風が吹けば(27)
話は少しだけ遡る。
ドーラが密かに出兵させたマオロン軍三千については、その非人間的な行軍速度も相俟って、周辺地域には殆ど知られることなくエイサに向かった。
が、やはりそれだけでは足りないだろうと気が変わり、『逃亡した捕虜の捜索』という名目で、ドーラ自らが出陣した三万の大軍については、その通り道に当たる地域の住民には隠しようもなかった。
噂はすぐに広まり、伝書コウモリが飛び交い、気の早い者は住んでいる自由都市を捨てて逃げ出した。
その中にはプシュケー教団の信者もおり、更にその一部は龍馬を駆って一気に聖地シンガリアに避難した。
そのため、報告はすぐに新教主ヨルムの耳にも入ったが、その反応は冷たいものであった。
「情報を総合すれば、遠征軍の目的地はエイサ、即ち『神聖ガルマニア帝国』でしょう。ゲルヌ皇子なら、ご自分で何とかするはずです。周辺地域のわが教団の兄弟姉妹には、関わらず、速やかに避難するよう伝えてください」
偶々近くでこれを聞いていたファーンが気色ばんだ。
「兄弟子! エイサには、例の『兵農交換』によって入植した兄弟姉妹も大勢おるのだぞ! ゲルヌ殿下を嫌いなら嫌いでもいいが、そのために兄弟姉妹を見捨てるのか!」
ヨルムは、妖蛇族特有の鋭い目でファーンを睨んだ。
「わたくしは別に、殿下を嫌ってなどいない。確かに、先代のサンサルス猊下がご自身の後継者に殿下を望まれた際には反発した。如何に同じ妖精族の血を引くとはいえ、帝国内に禁教令を発したゲール帝の子息を選ばれるなど、考えられないと思ったからだ。しかし、その後ご本人の為人を知って、認識を改めたつもりだ」
ファーンは猶も喰い下がった。
「ならば、何故?」
ヨルムは妹弟子が簡単に引き下がりそうにないと知って、「まあ、座れ」と椅子を勧め、自分も近くの椅子を引き寄せて腰掛けた。
「猊下が望まれたにも拘らず、殿下はそのご厚情を無にし、エイサに『神聖ガルマニア帝国』を建国した。神聖と謳っていても、その神はプシュケーではなく、魔道神だ。いや、わたくしはバルルを神と呼ぶのは間違いだと思う」
そのまま宗教論を始めそうなヨルムを、ファーンは苛立って遮った。
「そのようなことはどうでもよい! 今は目の前にある危機の話をしておるのじゃ! 遠征軍は三万、対するエイサには三万五千、しかし、これでは市民を護る余裕がない! 少なくとも一万程度の援軍がなければ、エイサは負けるぞ!」
ヨルムはファーンの剣幕に鼻白み、「しかし、エイサには『重さの壁』が」と言いかけたところで、ハッとして横を向いた。
朧に空気が揺れ、魔道師のマントを羽織った地味な顔の男が、片膝を着いた姿勢で姿を現した。
「火急の場合故、ご無礼の段、お許しあれ。ガルマニア皇帝家付き魔道師のカールでございます。経緯は省きますが、その『重さの壁』を無効にできる装置をドーラさまが手に入れ、先日ご自分の配下に加えたマオロン軍三千に持たせて先制攻撃を仕掛けようとされております。よって、三万の本隊がエイサに到着する頃には、剥き身の牡蠣の状態となりましょう。何卒援軍の程、ご検討くださいませ」
そのまま頭を下げたカールは、一切の防御を捨てたかのように警戒を解いた。
殺されても構わない、ということであろう。
武芸に長けたファーンには、それが見せかけではないことは痛いほどわかり、自分もヨルムに頭を下げた。
「頼む、兄弟子!」
ヨルムは、フッと表情を和ませた。
「二人とも顔を上げてください。これではまるで、わたくしが血も涙もない暴君のようではありませんか。わかりました。援軍を出しましょう。しかし、そうとなれば急がねばなりませんね。今すぐ出せるとしたら、まあ、五千ぐらいでしょうが、それでいいですか?」
真っ先にファーンが顔を上げ、「構わん!」と答えた。
「わたしが率いて行く! よいな、兄弟子?」
ヨルムは苦笑した。
「駄目と言っても、おまえは行くだろう? ああ、それから、カールどの」
カールはゆっくり顔を上げた。
「はっ」
「ご足労ですが、わたくしが回状を認めますので、近くの自由都市に住まう兄弟姉妹にも義勇軍への参加を呼び掛けていただけますか?」
「喜んで」
カールは珍しく微苦笑していた。
そして、今。
想定外の敵の援軍が来ているとの報告を受けたドーラは顔色を変え、矢継ぎ早に質問を浴びせた。
「どこの国じゃ? 軍の規模は? 向かって来る方向は? 到着予定の時間は?」
知らせを齎した東方魔道師は、大きく息を吸ってから答えた。
「国ではなく、プシュケー教団でございます! 軍勢は凡そ七千! 真北から南下して来ております! 到着は、間もなくであります!」
ドーラは薄く目を閉じ、「読みが甘かったぞえ」と呟いたが、すぐに頭を振って目を見開いた。
「いや、勝機はまだある! 鍵を握るのは、あの男じゃ!」
ドーラは、不安げに傍に浮かんでいる東方魔道師に向き直った。
「わたしはこの場でプシュケー教団の援軍を迎え撃つ。なあに、所詮は義勇軍じゃ。蹴散らしてくれる。が、それで時間を取られ、結界と『重さの壁』が回復しては、何のための遠征かわからなくなる。よって、おまえは今すぐにジョレの許へ飛び、裏切ってエイサを攻撃するよう説得するのじゃ!」




