1203 風が吹けば(26)
「どうした、ゲルニア? ……何っ! それは確かか?」
第三の目でゲルニアと会話しているらしいゲルヌ皇子の横で、ギータは気遣わしげに聞いている。
「……わかった。こちらでも対応を考える。ああ、よろしく頼む」
スーッと第三の目が消え、黙り込んでいるゲルヌに、痺れを切らしたギータが聞いた。
「どうしたんじゃ? まさか、狼になったゾイアが市民を襲った訳ではあるまいのう?」
自分の思いに沈んでいたゲルヌは、ハッとしたように顔を上げた。
「いや、そんなことはないと思う。依然として行動は追い切れていないが、被害報告は来ていない。ゲルニアが知らせて来たのは、確率だ」
「確率?」
「ああ。姫御前らが出陣した際、こちらの勝つ確率は七割以上八割以下であった。それが何故か急速に低下し、現在は五割を切り、更に下がり続けている。赤目族が原因を分析中だが、魔道神の方は簡易制御盤の修復に集中していて、まだ手が離せないらしい。が、わたしには何となく原因の想像がつくよ」
ギータも下唇を曲げて頷いた。
「成程のう。『裏切り者は何度でも裏切る』ということじゃな」
ゲルヌは人差し指を自分の口に当てた。
「まだ迂闊なことは言わないでくれ。噂にでもなれば、それが確定してしまう。それに、あの魔女のことだから、それだけではないと思う」
「そうじゃな。ともかく、早急に『重さの壁』だけでも回復してくれぬと、市民たちを護りきれんぞ」
「わかっている。だからこそバルルはそれを最優先にやってくれているのだ。が、とても間に合うまい。最悪の事態も考慮しなければならないだろう」
「どうするつもりじゃ?」
ゲルヌは苦渋の表情で告げた。
「市民に犠牲者を出すことだけは絶対に避けたい。そうなる前にドーラに降伏することも、選択肢の一つだ」
同じ頃、マーサ軍は敵と激突していた。
その先頭には、真っ赤な甲冑姿のマーサ姫本人がいる。
「押せ、押せーっ! この勢いのまま、わが軍で戦意の無い敵を押し戻してしまうのじゃ!」
実際、この近くの敵軍に大将らしい人物はおらず、前線の兵士たちは後ろから押されるので仕方なく戦っているという風にも見える。
が、数は多い。
マーサ軍が突出しすぎたため、まだツァラト軍もジョレ軍も追いついておらず、ほぼ倍の敵と戦っているのだ。
互いに軍を横に展開できないため、敵味方入り乱れての密集状態になっており、ふと気づくと、マーサの周りには敵兵しかいなかった。
「くそっ!」
下から突き上げらた槍の柄を、反射的に長剣で斬り払ったものの、その切り口の部分が更に伸びて来て、マーサの脇腹を浅く刺した。
大した創ではなかったが、それが周囲の敵兵に見られたのはマズかった。
「じゃじゃ馬姫は剣しか持っておらぬぞ! みんな槍で突け!」
周辺から爆発するような雄叫びが上がり、槍兵たちが駆け寄って来た。
「下郎どもめ!」
顔を歪めてマーサは罵ったが、既に敵にビッシリと囲まれており、突破して逃げることもできず、仲間に援けを求めてもとても間に合いそうにない。
当然のことながら、剣と槍ではまるで間合いが違う。
しかも、如何に武芸に秀でたマーサと雖も多勢に無勢である。
そこかしこから一斉に繰り出される槍によって、哀れにも串刺しに、ならなかった。
敵兵たちの僅かな隙間を縫って、何か黒い旋風のようなものが走って来たかと思うと、バキバキという連続音がして、マーサに向けられた槍が全て途中で折れていたのである。
半ば死を覚悟して薄く目を閉じていたマーサが、それに気づいて刮目すると、自分を護るように馬前で唸っている狼の背中が見えた。
「……ゾイア?」
次の瞬間、天地に轟くような咆哮が響き、敵兵は悲鳴のような叫びを上げて逃げ散った。
マーサが呆然とするうちに、味方の騎兵が集まって来て、口々に「ご無事ですか?」「姫御前、怪我の手当てを」「何はともあれ、少しお下がりくだされ」などと声を掛けた。
しかし、マーサはかれらに目もくれず、「ゾイアはどこにおる?」と譫言のようにいいながら周囲を見回したが、黒いルプスの姿はもうどこにもなかった。
一方、大きく北へ迂回したドーラ軍一万は、徐々に速度を落とし、愈々南下してエイサに攻め込む準備段階にあった。
先頭を行く魔女ドーラは、最早勝利を確信したかのように北叟笑んでいる。
「まあ、これぐらい大廻りすれば、エイサには気づかれぬであろう。が、ここからは急がねばな。相手に準備する暇を与えず、一気呵成に中心部まで攻め入らねばならん。一旦小休止した後、全速で南下するぞえ。さてさて、愉しみじゃのう」
ドーラは上機嫌で全軍に停止を命じようと、自分の馬を止めた。
その時。
「ドーラさま、大変でございます!」
慌てふためいて飛んで来たのは、斥候の役目を担っている東方魔道師の一人であった。
ドーラは、せっかくの気分を壊された腹立ちも露わに、相手以上の大声で怒鳴り返した。
「静かにせぬか! どうせ、じゃじゃ馬姫に苦戦しておるとか言うのであろう? そのようなことは想定内じゃ。それに、おまえも間諜を生業とする者なら、大きな声で報告して良いことかどうか、とくと考えよ!」
が、東方魔道師は、寧ろ一層声を張って続けた。
「そのような暢気なことを仰られている場合ではござりませぬ! 敵の援軍がこちらに迫って来ておりますぞ!」




