1201 風が吹けば(24)
「へっ。大蜥蜴の血の臭いに寄って来やがったか。じゃあ、おれの朝飯は、おめえだ!」
魔道屋シャドフは、大蜥蜴と入れ替わるように草叢から出て来た狼に短剣を投げつけた。
大蜥蜴の時には多少遊びのようなところもあったのだが、相手が動きの素早いルプスとあって、裂帛の気合いを込めて眉間を狙った。
短剣は過たずルプスの顔面に突き刺さった、かと思いきや、頭部がパカッと二つに割れてやり過ごし、すぐに左右の頭が合体して何事もなかったかのようにシャドフを見ている。
シャドフは、投げた短剣を物品引き寄せで戻すことも忘れ、唖然として呟いた。
「お、おめえ、まさか……」
が、ルプスは既に興味を失くしたようで、軽く欠伸をすると、元の草叢に帰って行った。
「どうなってやがる?」
追いかけようか迷っていたシャドフは、ハッとしたように上を見て、舌打ちした。
ルプスを見つけたらしいスルージが急降下して来ているのだ。
「しょうがねえ。怪しさ満点だが、一旦引き上げよう」
シャドフは歩き出しながら、隠形して姿を晦ました。
一方、迫り来るドーラ軍三万を迎え撃つべく出陣したマーサ姫たちは、郊外で隊列を整えつつあった。
中央にマーサ軍一万、左翼ツァラト軍一万、右翼ジョレ軍一万という布陣である。
これは、事前にツァラト将軍から次のような申し入れがあったからである。
「東口は元々姫御前の受け持ち。よって、総大将を務めてもらおう。わがはいとジョレがそれを左右から支える。ジョレもそれでよいな?」
聞かれたジョレは不承不承という体で頷いたものの、自分の山羊のような髭を摘まみながらマーサに尋ねた。
「で、策戦は?」
マーサはエメラルドグリーンの目で冷たく睨むと、ズケリと答えた。
「黙ってついて参れ」
口を尖らせて反論しようとするジョレを、大柄なツァラトがその肩に手を置き、「まあ、落ち着け」と抑えた。
「総大将のお下知だぞ。謹んで承るべきではないのか?」
ジョレは鼻を鳴らしただけで返事をしなかった。
そのような経緯があったため、行軍中もジョレは不貞腐れており、ジョレ軍全体がマーサの本軍から遅れがちになっていた。
今もジョレは馬上で俯き、ずっと愚痴を溢している。
「なんだよ、あのじゃじゃ馬姫。威張りくさって。元々辺境の田舎者のくせに。ツァラトもツァラトだよ。あんな小娘にへいこらしてさ。赤髭将軍と畏れられた男も、寄る年波かな。だって、マオロン軍をやっつけたのはわたしだぞ。まあ、正直覚えちゃいないが、事実は事実さ。だから総大将は、当然……」
「おぬしよのう」
ジョレは落馬しそうなほど驚き、左右を見回した。
誰もいない。
「……空耳か? いや、まさかまた」
「そのまさかじゃ」
姿は見えないが、その声は間違いなくドーラであった。
ジョレはゴクリと唾を飲んだ。
「わ、わたしを、殺しに来たのか?」
「なんのなんの。殆ど一人でマオロン軍を倒した英雄を、こんなお婆が殺せるものではありませぬぞえ」
「あ、いや。あれはわたしの力ではなく」
「ふん。わかっておるわさ。マルカーノに戦況を聞こうとこっそりエイサに忍びこんだのじゃが、確かに結界も『重さの壁』も消えておるのに、肝心のマオロン軍が一人もおらん。おかしいと思って兵士たちの噂話に聞き耳を立てて驚いた。おぬし、余程取り憑かれ易い体質なのじゃな」
このような際であったが、ジョレは頬を膨らませた。
「放っといてくれ。体質はともかく、わたし自身にそれだけの能力があった、ということさ」
「おお、正にそのとおりじゃ。気弱な性格が災いしておるが、本来おぬしは大した武将ぞえ。あんな小生意気な女将軍に顎で使われるのは気の毒じゃ」
さすがにジョレも警戒して身を引いた。
「よしてくれ。あんたとは色々あったが、今は敵味方だ。わたしを誑かそうとしても、そうはいかぬ。さあ、もう行ってくれ」
見えないドーラの含み笑いが聞こえた。
「まあ、そうつれないことを言わず、聞くだけ聞いてくりゃれ。わたしは今、あの猿の下についておるが、いずれ独立したいと思うておる。そのためには、勢力の均衡を崩す必要があるのじゃ。しかし、ガルマニア合州国内では、それは難しい。ヤーマンは無論じゃが、ハリスもゲーリッヒも一筋縄ではいかぬでのう。そこでエイサに目を付けたのじゃ」
「でも、随分遠いじゃないか」
思わず引き込まれ、ジョレは疑問を口にしていた。
ドーラも自然にそれに応えた。
「いや、そうでもないぞえ。少なくともバロードよりはずっと近い。国内の体制もまだ固まっておらぬしな。それに、完全勝利せずとも、ここにわたしの言うことを聞いてくれる政権ができれば、それでよいのじゃ。まあ、あの三男坊が宜うとは思えぬから、誰か適切な人物を支配者として立てなければならんが。どこかに良い人材はおらぬかの?」
あからさまな誘いであるが、ジョレは気づかず、自分が解くべき問題のように真面目に考えた。
「いや、それは無理だろう。誰かが支配者になろうとしても、地下の魔道神がゲルヌ殿下以外は受け入れぬ。そうなれば結界も『重さの壁』も利用できず、エイサは無防備な状態に逆戻りだ」
「違うぞえ。基本的にバルルは人間の世界に余計な干渉はしない。結界も『重さの壁』も、実際に運用しているのは赤目族で、しかも、操作盤とかいうものを使うておる。あれの操作はわたしも覚えた。なんなら、おぬしにも教えよう。どうじゃ、エイサの王になってみぬか?」
ジョレは、今更のようにハッとして、激しく首を振った。
「と、とんでもない! わたしは、そんな器ではない! あ、いや、そんな野心などない!」
ドーラは笑いを含んだ声で告げた。
「これこれ、あんまり大きな声を出すと、周りに聞こえるぞえ。まあ、提案はした故、後はじっくり考えてくりゃれ」
ドーラの気配が消えても、ジョレは自分の考えにのめり込み、ブツブツと独り言をいい続けていた。




