119 変身
「馬鹿なことを言わないで」というのが、ウルスラの返事であった。
珍しくブロシウスは気色ばんだ。
「冗談で言っておるのではないぞ!」
「わかっているわ。こんな話、冗談で言われても困るわ。そうじゃなくて、実質的には人質に過ぎないわたしに、そんなことを言われても、どうしようもないじゃない、ってこと。わたしには何の自由もないわ。それどころか、公式には、わたしはこの世に存在していないのよ。バロード王家の跡継ぎはウルス。わたしは日蔭の存在。そういう話なら、ウルスとしてちょうだい」
ウルスラが俯き、再び顔を上げた時には、瞳の色がコバルトブルーに戻っていた。
同時に、その瞳は、怯えたように泳いでいた。
「ごめんなさい。ぼくにはとても決められません」
ブロシウスは天井を向いて、フーッと長い息を吐いた。
吐き終わってウルスの方を見た時には、いつもの穏やかな表情に戻っていた。
「わしとしたことが、ちと、事を急ぎ過ぎたようだ。まだ先は長い。ゆっくりと考えてくれ。ああ、それから言わずもがなだが、この場で話したことは、全て内密だ。勿論、わしも、おまえたち姉弟のことは誰にも言わぬ。では、おまえの昼餉が済み次第出発しよう。戻って従者にそう伝えるがよい」
「あ、はい」
緊張から解放され、ウルスは微笑みながら部屋を出て行った。
見送るブロシウスも、表面上は笑顔を見せていたが、スッと伸ばした指先から見えない力が迸り、薬草茶を飲み終わった茶碗が、パリンと音を立てて割れた。
結局最後まで、ブロシウスは、ニノフがウルスたちの異母兄であることも、記憶を取り戻したタロスが沿海諸国に向かったことも、一切口にしなかった。
一方のウルスラも、自分が知っている人物のことを言わなかった。
その人物がいるはずの『暁の軍団』の砦では、団長のバポロが苛立っていた。
相変わらず小姓を侍らせて葡萄酒を呷っていたが、いくら飲んでも酔えないようであった。
そこへ、開け放たれている窓から、ヒラヒラと真っ白なコウモリが飛んで来た。
室内に入るとクルリと宙返りして、白い服を身に纏った妖艶な美女に変身した。
見事な銀色の長い髪に、神秘的な灰色の瞳をしている。
「どうしたの? 心配事?」
艶っぽい声で尋ねる美女を、バポロはジロリと睨んだ。
「惚けるな! 『荒野の兄弟』とバロード共和国が同盟を結んだというのに、こちらは未だに足踏み状態だ。いったい、どうなってるんだ!」
美女は、手の甲で口元を隠しながら、ホホホと笑った。
「言ったでしょう? 山越えの経路で火災があったって。橋の修復に、思ったより時間が掛かっているの。これをちゃんと直さないと、最大部族のクビラ族が渡れないのよ。もう少し、待ってちょうだい」
「だからと言って、手を拱いていて、いいのか? 待っている間に、どんどんこっちが不利になってるんじゃないのか?」
「あらあら、随分心配性なのね。わたしが、ちゃんと諜報活動はしているわ。確かに、バロードは『荒野の兄弟』と手を結んだけど、国内は決していい状態じゃないわ。カルボン卿に対する不平不満が膨らんでるし。救国の英雄ニノフを担ぎ上げようという動きも、あちこちで起こってるわ。まあ、外部から、この両者の対立を煽る勢力も入り込んでいるみたいね。いずれ、何らかの事件が起きるでしょうし、その時が狙い目よ。それまで、あんたは英気を養ってればいいのよ」
しかし、バポロは猶も言い募った。
「だいたい、カーンはどこへ行ったんだ? ここ何日か、全く姿を見せんじゃないか。どうして一緒に来ない? まさか、臆病風に吹かれて、逃げ出したんじゃ」
バポロの言葉が止まったのは、いきなり近づいて来た美女の手が伸びて、喉を絞めているからであった。
「カーンさまの悪口は許さない。死にたくなかったら、二度と言わないことね」
バポロは、苦しそうに顔を真っ赤にして、ガクガクと頷いた。
美女が手を離すと、ゼイゼイと苦しそうに息を吸う。
美女は態とらしく驚いて見せ、「あらあら、風邪でもひいたの? お大事にね」と告げると、クルリと空中でトンボ返りして白いノスフェルに変身し、ヒラヒラと窓から出た。
室内からは、「お、覚えてろ!」と悪態を吐くバポロの声がした。
白いノスフェルは砦の中を飛んで、蛮族の帝王カーンに与えられている部屋の窓から中に入った。
クルリと回って、再び美女の姿になる。
が、室内にカーンはおらず、例の派手な仮面が寝台の横に置いてあるだけだ。
美女は、立ったまま半眼となって俯き、ゆっくり呼吸を続けた。
と、銀色だった髪が、徐々に金色に変わって短くなり、それと伴に身体つきが変化し始めた。
柔らかな曲線で縁取られた体型がごつくなり、筋骨隆々とした男の体に変わっていく。
パッと顔を上げて目を見開くと、灰色だった瞳は見事なコバルトブルーになっていた。
すっかり男の姿に変わると、ニヤリと笑った。
「ふん。カンナとわたしは、一度に両方の姿では出られぬからな。さて、バポロを宥めて来るか」
そう言うと、カーンは派手な仮面を被った。




