1200 風が吹けば(23)
「敵の軍勢は凡そ三万。率いているのは魔女ドーラだ」
ゲルヌ皇子が喋っているのは東口近くのマーサ姫の本営天幕である。
その前に、真っ赤な鎧を着たマーサ本人と、ツァラト将軍、ジョレ将軍が並んでいる。
さすがに手傷を負ったザネンコフ将軍は、既に赤目族の手で霊癒族の隠れ里へ運ばれていた。
と、そこへ目薬の効き目が切れて赤い目の状態のまま、ゲルニアが入って来た。
明け方の光に眩しそうに目を瞬き、「すみません、失礼します」と言いながら遮光器で目を覆った。
「スルージさんが取り返してくださった簡易制御盤ですが、一部破損しており、正常に動かなくなっていました。どうやら、ドーラさまか例のマルカーノ将軍が無茶な扱いをしたようです。魔道神に修復をお願いしていますが、一両日は掛かるだろうとのこと。尚、中途半端な状態で機能停止しているため、コントローラーが直るまで、結界と『重さの壁』を解除した指令を取り消すことができません」
ゲルニアが話し終わるのを待ちかねたように、マーサが発言した。
「ならば、こちらから打って出るまでのことじゃ。残っている兵を搔き集めれば、敵と同数の三万はおる。これをわらわたち三人で率いればよい」
ジョレが山羊のような髭を震わせて尋ねた。
「三人の中に、わたしも入っていますか?」
マーサはギロリと睨んだ。
「当たり前であろう。ザネンコフどのが戦線を離脱された以上、引き続きおぬしにその軍を指揮してもらう外ない。幸い、おぬし自身の五千の兵は、大将の臆病風が感染って逃げたらしいからな」
ジョレが悔しさに唇を噛んだところで、赤髭将軍ツァラトが間に入った。
「二人ともよさぬか。経緯はどうあれ、マオロン軍を退治したジョレの功績は大きいし、兵士たちもその武威に感心している。今なら、何を言っても聞いてくれるはずだ。ジョレも、この機会に汚名を返上せよ」
ジョレが「はあ」と頷いたところで、ゲルヌが締め括った。
「わたしもそれしかないと思う。少なくとも、市民軍を巻き添えにせぬよう、戦場を市外に持って行かなければならぬ。すまないが、急ぎ出陣してくれ。具体的な戦術については、各自の判断に任せる」
「わかった」
「畏まった」
「あ、はい」
慌ただしく三人が出て行った後、ゲルヌは吐息混じりにゲルニアに告げた。
「弱音を吐く訳ではないが、野外での同数の決戦となれば、勝敗がどちらに転ぶかわからぬ。われらが勝てば向こうは逃げ帰るだけだが、負ければエイサの市民に犠牲が出かねない。こんな時、ゾイアさえ居てくれればと、つい思ってしまう。その後、追跡はどうなっている?」
ゲルニアは俯いた。
「申し訳ございません。あまりにも行動に脈絡がなく、途中で見失ってしまいました。今、スルージどのが範囲を拡げて捜してくださっています」
「そうか。それはそれで仕方がない。わたしは市民軍を労うと共に、交替で眠るよう指示して来る。おまえも少し休め」
「わたくしは大丈夫です。み使いこそ休まれませぬか?」
ゲルヌは悲しげに笑って、サラサラの赤毛を片手でかき上げた。
「とても眠れないよ」
一方、目が醒めたばかりの魔道屋シャドフは、自分を眠らせたスルージが、引っ切り無しにエイサ上空を飛び回っていることに苛立っていた。
「目障りな野郎だぜ。誰かを捜してるみてえだが、お蔭でこっちが身動きがとれねえ。浮身したらカチ会いそうだし、あいつには、跳躍の航跡を見る虚空眼もあるからな。自分で歩くのにも、もう疲れたぜ。どっかに馬はいねえのか?」
不平を溢しながら歩いていると、前方の草叢が揺れた。
「お、はぐれ馬か? ちょうどいいや。あっ!」
一瞬笑顔になったシャドフの表情が強張った。
草の間からヌッと顔を出したのは、大蜥蜴であった。
マオロン軍の戦車を牽いていたうちの一頭が、敗戦のドサクサで逃げ出したのであろう。
一部装甲が残っているが、手綱もなくなっており、餌を求めて歩き廻っていたようだ。
シャドフをひたと睨み、グルルと喉を鳴らしている。
と、半開きの口から、ダラダラと涎が流れ落ちた。
シャドフは舌打ちした。
「おれを喰い物だと思ってやがる。ざけんじゃねえ! おれだって腹が減ってるんだぞ。逆に喰ってやる!」
懐から短剣を一本取り出すと、シャドフは片手に構えた。
しかし、どう見ても分が悪い。
馬よりは背が低いとはいえ、体重は同じくらいある大蜥蜴に、短剣一本ではとても太刀打ちできそうもない。
ところが何を思ったのか、シャドフは、いきなりそのなけなしの短剣を投げた。
僅かに狙いが逸れ、短剣は大蜥蜴の分厚い皮を擦っただけで向こうに飛んで行った、かと思った時、空中でフッと消えた。
その瞬間には、もうシャドフの手に戻っていた。
お得意の物品引き寄せである。
シャドフは嘲笑った。
「おれには短剣一本ありゃ充分なのさ。さあ、覚悟しやがれ!」
シャドフがまた短剣を投じると、今度は頬の辺りに浅く刺さった。
それが地面に落ちる前に再び消え、また飛んだ。
これが繰り返されるうち、大蜥蜴の顔面が血だらけになって来た。
最初、怒って唸り声を上げていた大蜥蜴も、次第に後退りし始め、遂に短剣が鼻孔に突き刺さると、堪りかねたように「ブギュー!」と鳴いて逃げ出した。
「おい、ちょっと待てよ! おれの朝飯に鼻の頭でも齧らせろよ!」
笑いながら血の付いた短剣を引き寄せたシャドフは、「ん?」と首を捻った。
大蜥蜴が逃げて行った草叢が、再び向こう側から何か走って来るように揺れている。
「律儀に戻って来やがったぜ」
が、草叢から姿を見せたのは大蜥蜴ではなかった。
黒っぽい毛がフサフサと生えた狼であった。
「へっ。大蜥蜴の血の臭いに寄って来やがったか。じゃあ、おれの朝飯は、おめえだ!」




