1192 風が吹けば(15)
西口を護るジョレ軍が崩れたことは、即刻ゲルニアからゲルヌ皇子に知らされた。
額の第三の目を赤く光らせながら、ゲルヌは切迫した声で話している。
「……いや、駄目だ。この闇夜に全軍を一箇所に集結させては、徒に同士討ちさせるだけだ。前線に動かすのはザネンコフ軍一万のみとし、ツァラト軍一万で市民を護らせる。マーサ姫の軍勢には、追って連絡するまでその場に留まるように伝えてくれ。……ああ、姫が怒るのは承知の上だ。わたしはこれから現場に飛ぶから、くれぐれも頼む。……そうだな。動きが止まったというゾイアのことはわたしも気になるが、かれなら自力でなんとかするだろう。上空を巡回しているはずのスルージもいるしな……うむ。また連絡する」
スーッと第三の目が消え、吐息して部屋の入口を振り返った。
「聞いたとおりだ。すまないが、ツァラトが来るまでここを頼むぞ、ギータ」
小人族のギータは、皺深い顔を自分でツルリと撫でた。
「わしの読みも甘かった。住民を逃がすなら、当然西からと思っておったからのう。が、凡そ四万人の市民のうち、地下の神殿に入れたのは子供や病人など僅か二千人じゃ。中央広場付近で野宿しておる残る三万八千人のうち、一応武器をとって戦えそうな壮年の男は一万五千人。かれらには交替で立哨させておるが、恐らく戦力にはなるまい。怯えさせぬよう、まだ詳しい説明はしておらんが、敵の姿を見れば大恐慌になるぞ」
ゲルヌも苦渋の表情で頷いた。
「わかっている。その前になんとかするつもりだ」
その頃、隠形して上空を飛びながら警戒に当たっていた魔道屋スルージは、漸く敵の侵入に気づいて西へ移動中であった。
「あっしとしたことが出遅れちまった。まさか大廻りして西から来るとはねえ。ん? あれは……」
まだかなり距離はあるが、同じくらいの高さを飛んで来る白く光る点が見えた。
「ゾイアの旦那にしちゃ変だ。隠形は得意じゃねえとしても、態々目立つ必要なんかねえ。いや、あの頭んとこの尖がりは……あっ、いけねえ!」
スルージは喋るのを止め、その場から一気に跳躍して相手の進路を塞ぐように出現した。
「ちょっと待ったあ! こっから先には行かせねえぜ、シャドフ! ってか、え?」
吟遊詩人のような帽子を被っている相手は、空中浮遊してこちらを見ているようだが、その顔が真っ白な平面であることに、やっとスルージも気づいた。
その白い平面に、口のような切れ目が入った。
「……ほう。そのモジャモジャした頭は、スルージとかいう男だったな。心配せずとも、このシャドフという男の自由意志は奪ってある。よって、おまえたちに害を為すことはない」
「おお、例の牢獄島に居たお方でやんすね。ん? ってことは、ゾイアの旦那はどうしたんですかい?」
「……不具合が起きて機能停止したので、森の中に隠した。よかったら見に行ってくれ」
「合点、と言いてえところだが、どうも変だねえ。ゾイアの旦那から離れてシャドフに移って、あんたらは何をするつもりでやんす?」
切れ目の口が、笑うような形になった。
「……非位相者が生み出した改造人間たちと戦うのさ。最初は殲滅するようケルビムに提案したが、こうして抜け出してみて考えが変わった。きゃつらを打ち負かし、できればわれらの支配下に置きたいと思っている」
スルージは、間違って苦いものを口に入れたように顔を顰めた。
「よくわかんねえが、あんたのその笑い方、シャドフみてえだぜ。乗っ取ったつもりが、乗っ取られちまったんじゃねえのか?」
相手は否定せず、その笑顔のままで答えた。
「……心配せずとも支配しているのはわれらの方だ。が、ケルビムの精神より、この男の方がわれらには馴染み易いのも事実だ。どうもケルビムは、窮屈な倫理観に縛られているようだな。初期設定がそうなのか、或いはこの世界に転生する際に模範にしたタロスとかいう男の影響なのか。まあ、原因はわからぬが、そのせいで本来持っている戦闘力の半分も出せていない。惜しいことだ」
スルージは鼻を鳴らした。
「あんたを見損なったぜ。言ってることは、魔女ドーラや白魔と変わんねえや」
ドーラはともかく、ドゥルブ、即ち、かれらの云うストレンジャーと同類と言われたことが、かれらの逆鱗に触れたようだ。
「……黙れ、下等生物め!」
シャドフの掌が突き出され、雷鳴のような強烈な波動が発射された。
一方、東口を護るマーサの許へは、ゲルヌの命令を伝えるために第一発言者ゲルニアが訪れていた。
部下の赤目族に任せず、族長であるゲルニア自ら出向いたのは、拗れるのを予想してのことであろうが、その反応は意外にも穏やかであった。
「そうか。ならば仕方あるまい。わらわたちの軍はこの場に待機しよう」
拍子抜けしたゲルニアは、思わず聞いてしまった。
「よろしいのですか?」
マーサはジロリと睨んだが、その答えは意外なものであった。
「わらわがどれだけ戦の場数を踏んでいると思っておるのじゃ。この状況下で、一番用心すべき場所は東口だぞ。全ての注意が西に集中している今、国外の敵が狙うとすればここじゃ。『重さの壁』や結界は西から徐々に消え続けていると聞いておるしな。夜明けにはここも消えるであろう。その時、わらわがここにおらねば、誰がエイサを護る?」




