1191 風が吹けば(14)
軍の強さの何割かは、それを率いる将の器の大きさに依る。
所謂、将器があるかないか、ということである。
その意味では、ジョレには将器がなかった。
月もない闇夜に夜襲を受け、しかも相手が凶暴な大蜥蜴と死を怖れぬ兵士たちという状況で、自軍を叱咤激励すべきジョレが真っ先に震え上がり、戦意を喪失した。
ゾイアの助言で反撃を命じた直後、黙って戦線を離脱して逃げてしまったのである。
それに気づいた前線は崩れ、まだ僅か百台の戦車が侵攻しただけで、五千のジョレ軍は潰走し始めた。
その上空を舞うゾイアは、必死で兵士たちに呼び掛けた。
「われはゾイアだ! 敵は寡兵だ! じきに味方の援軍も来る! どうか怯まず、立ち向かってくれ! われも援護する!」
が、一度逃げ出した兵士たちを反転させることはできず、辛うじて戦っている者もジリジリと後退しつつあり、総崩れになるのは時間の問題であった。
焦りを滲ませたゾイアは、空中浮遊しながら自分の中の見えない相手に問い掛けていた。
「どうだ、やはりおぬしらの命令は届かぬか? そうか。暗号が変更されているのだな。ドーラのやりそうなことだ。難しいとは思うが、解読してみてくれ。何? どういう意味だ、味方が退却した方がいいとは? いや、それは駄目だ! 敵といえども人間だぞ。多少改造されてはいるが、それでも人間だ。ここで上空から火炎を放射すれば、皆殺しになってしまう。それは、で、き、ぬ……」
ゾイアに異変が起きていた。
顔が一瞬白い平面になったかと思うと元に戻り、またすぐに白い平面に変わり、またゾイアの顔に戻り、ということを頻繁に繰り返している。
謎の漂着者がゾイアの表面に出ようとしているのを、ゾイア自身は止めようとしているようだ。
マオロンではかれらの力で簡単に改造人間たちを操作し、一気に逆転できたのだが、その時と同じ方法が使えず、かれらも動揺したのであろう。
漸くゾイア自身の顔で止まったものの、目は閉じられたままだ。
そのまま失速し、ゾイアは敵味方入り乱れて戦っている地上に落下して行った。
ここで闇夜であることがゾイアに幸いした。
ドサリと地面に叩きつけられた音に気づいた者は僅かで、かれらも敵味方の激闘に気をとられて、敢えてゾイアに近づく者はいなかった。
チャリオットが通過した後、続々と侵入して来たマオロン軍の歩兵たちも、皆その横を素通りして行った。
それでも、流れ矢は容赦なく降り注いで来る。
が、倒れ込んだゾイアに突き刺さる寸前、突然矢が消えた。
次の矢も、その次の矢も。
やがて前線が押し込まれて奥に移動し、ゾイアの位置に矢が落ちて来なくなると、その傍の空気がユラリと揺れた。
星明りに浮かぶ影法師は、尖った帽子を被った痩せた人物である。
その手に握っていた矢の束を、バラバラと地面に落としながら、含み笑いをした。
「なんとまあ、おれが物品引き寄せで獣人将軍を援けるとはな。マオロン軍の後ろからついて行ったら面白いだろうと思ったとおりだ。しかし、どうするかな。このまま置いとく訳にもいかねえし、一緒に跳躍したら誰かに気づかれそうだし。しょうがねえ。柄じゃねえが、このシャドフさま自らが担いで行くか」
それは魔道屋シャドフであった。
皇后領を出た後、寄り道したゾイアより先廻りして、密かにエイサ近くに隠れていたらしい。
マオロン軍が西に移動した後を尾け、まんまとエイサ領内に入り込んだようだ。
シャドフは、俯せに倒れているゾイアの身体の下に腕を差し込み、起こそうとしたが、とても持ち上がりそうにない。
「くそっ! 空を飛ぶんなら、おれみたいにもう少し痩せやがれ!」
苛立ったシャドフがゾイアの胴体を蹴ると、ゴロリと仰向けになった。
ニヤリと笑って覗き込んだシャドフは、「あ!」と声を上げた。
「この顔は……」
ゾイアの顔は真っ白な平面になっており、記憶のないはずのシャドフもそれに本能的な恐怖を感じた。
「こりゃ、いけねえ。なんだか知らねえが、関わらない方がいい気がする。逃げよ、うっ!」
倒れたままのゾイアの手が伸び、シャドフの足首を掴んでいた。
「は、離せ、化け物!」
と、白い平面に口のような切れ目ができた。
「……やはりおまえか。非位相者に乗っ取られ、謂わば中間宿主のような役目を果たしたのだな。では、今度はわれらの役に立ってもらおう」
ゾイアの手を振り解こうと藻掻きながら、シャドフは拒絶した。
「やめろ! おめえらの自由になんか、なって、たまる、か、よ……」
シャドフの顔が真っ白な平面に変わり、切れ目のような口が開いた。
「……情報移転終了。ケルビムよ、後はわれらに任せよ」
横たわったままのゾイアはかれ自身の顔に戻っていたが、依然として意識はないようであった。
謎の漂着者に憑依されたシャドフは、ゾイアの身体を軽々と持ち上げた。
その状態で浮身すると、少し離れた森の中にゾイアの身体を隠し、マオロン軍を追って闇の中へ飛んで行った。
その白い顔の切れ目のような口は、両端がキュッと上がり、不気味な笑みの形になっていた。




