1186 風が吹けば(9)
オーネに愛人がいることは公然の秘密として黙認されているものの、勿論、結婚相手のヤーマンにあからさまにできることではない。
扉の外までヤーマンが来ていることを知った魔道屋シャドフは、肩を竦めて苦笑すると、窓を開けて飛んで行った。
その窓を閉めてから、オーネは机の上に書類の束を乱雑に載せ、「散らかってるけど、それで構わなければ、どうぞ入ってちょうだい!」と返事をした。
扉が開き、長身の女官長と並ぶと子供のように小柄なヤーマンが、皺ばんだ顔に愛想笑いを浮かべて入って来た。
「忙しいのに、申し訳にゃあのう」
オーネは腰に手を当て、不機嫌そのものの声で応えた。
「披露宴出席予定者の配席を考えていたのよ。後々文句を言われないようにするのは、結構気を遣うわ。それにしても、随分急ね。前もって知らせてくれたら、食事の用意でもさせたのに」
暗に突然の来訪を責めるオーネに、ヤーマンは笑顔のままズケリと聞いた。
「突然来られると、まずいことでもあるだかや?」
オーネは惚けた顔で、「別に」とだけ答えた。
ヤーマンもそれ以上深追いはせず、表情を改めて本来の用件を切り出した。
「バロードのゾイアが来ちょるらしいのう。今はどこにおる?」
話題が変わり、オーネもややホッとしたように普通に返答した。
「頭が痛いとか言って、部屋で休んでるわ。場所は女官長に聞いてちょうだい」
もう少し修羅場が見れると期待していたらしい女官長は残念そうに口を歪め、「ご案内いたします」とヤーマンに告げると先に歩き出した。
ヤーマンも気が急くのか、「後でゆっくり話そうかの」と言い捨てると、女官長を追った。
二人の姿が消えると、オーネは大きな音を立てて足を踏み鳴らした。
「あんたと話す用事なんか、もうないわよ!」
ゾイアが休んでいる部屋の前から、女官長が声を掛けた。
「ゾイアさま、お加減は如何でございましょうか? もし、差し支えなければ、ヤーマン閣下がお見舞いさせていただきたいと仰っておられますが?」
すると中から、「おお、われは構わぬ。お入りくださるよう、お伝え願う」というゾイアの声がした。
女官長が「失礼いたします」と言いながら扉を開くと、ゾイアは既に起き上がって寝台に腰掛けていた。
更に立ち上がろうとしたところへ、「そのまま、そのまま」と手をヒラヒラさせてヤーマンが入って来た。
「横になっとってちょうよ。わしに遠慮は要らにゃあで」
ゾイアは弱々しく微笑んだ。
「痛み入る。そうさせていただこう」
ゾイアが横たわったところで、女官長はその傍らにヤーマン用の椅子を置き、静かに部屋から出て行った。
椅子に座ったヤーマンは、同情するように「大丈夫かや?」と尋ねながらも、その目は油断なくゾイアの様子を観察しているようだ。
ゾイアはフッと苦笑した。
「仮病を使って何か陰謀を企んでいるとお疑いなら、ハッキリ違うと申し上げておこう。われも、困っているのだ」
ヤーマンもニヤリと笑った。
「そのようじゃのう。言い方は悪いが、安心した。おお、誤解せんでちょう。おみゃあもわしら同様に体調不良になるんじゃ、ちゅう意味の安心だで。まあ、無理せんと、今晩は泊まったらええ」
「いや。それがそうもしておれぬ。緊急に対処すべきことができたのでな」
ヤーマンは左右を確認し、声を低めて聞いた。
「もしかして、ドーラのことかの?」
ゾイアは隠さずに答えた。
「そうだ。閣下がどこまでご存知かわからぬが、ドーラは例のマオロンで捕虜にした三千名の異形の戦士たちを、密かに国外に出したようだ。行先は、恐らくエイサだろう」
ヤーマンは渋い顔で頷いた。
「わしもそう思う。たかが三千で、現在三万五千を擁するエイサに攻め入るとは、正気の沙汰とも思えにゃあが、それなりの勝算はあるんじゃろう。まあ、完全に勝利はでけんでも、向こうから何らかの妥協を引き出せれば、中原制覇への足掛かりにはなるでよ。が、問題は、それを一切わしに相談もにゃあでやっとることだぎゃ!」
興奮して思わず声が大きくなり、ヤーマンは慌てて自分で口を押えた。
「病人の前で大声出してもうて、すまんのう。じゃが、この一報を聞いたのと同時に、今おみゃあがオーネんとこにおると知って、わしゃあホッとしたんじゃ。当然、おみゃあの耳にも入っとるじゃろうし、エイサとの繋がりが深いおみゃあが放っておく訳がにゃあでよ。この件に関する限り、わしゃあ、おみゃあたちの味方じゃ。と、思っちょったんじゃが、その身体で、大丈夫かや?」
ゾイアは笑顔を見せた。
「まだ万全とは言えぬが、先程よりは大分回復した。もう少し待って、体力を微調整しつつ通常飛行でエイサへ行くことにする」
「ならば、頼んだでよ。わしはこの足でネオバロンへ行き、ドーラに直接会って真意を探ってみるつもりだぎゃ」
横たわったままゾイアが手を差し出すと、ヤーマンは「おお、あれかや」と笑ってその手を握った。
「おみゃあとは色々あったが、ドーラの暴走を止めるまでの間は仲間だで。よろしく頼むでよ」
「こちらこそ、よろしくお願いする」
室内にいる二人は気づかなかったが、窓の外に結びつけられていた細い糸のようなものがピンと外れ、近くの木立の上にスルスルと巻き取られて行った。
姿は見えないものの、そこから小さな声がした。
「エイサか。もう一度行ってみるしかねえな」




