1184 風が吹けば(7)
ゾイアとスルージが直接ネオバロンへ行かず、同じバローニャ州の皇后領へ先に立ち寄ったのは、一つには本来の目的を韜晦するためだが、もう一つは、抑々ゲルニアから簡易制御盤を奪った魔道屋シャドフの動きを探るためであった。
そのため、皇后オーネに面会を申し込んだゾイアはシャドフを引き付ける役目、スルージはその間に城内を調べる役目になっているようだ。
「あの女官長ってのは古株みてえだから、ちょっと後を尾けてみやすかねえ」
スルージは独り言ちると、再び隠形して部屋を出た。
ゾイアを謁見の間に案内した女官長は、「このまま暫くお待ちください」と告げると、廊下へ出て来た。
その表情は硬く、内心どう思っているにせよ、表面上は忠実に職務を熟しているとしか見えない。
が、自分の控えの間に入るところで、スルージも隠形のまま後ろからスルリと潜り込むと、感情を露わにした。
「もうっ、反吐が出そう! 何なのあの女! 淫らがましく、白昼堂々愛人を侍らせるなんて。そのくせ威張りくさってあたしに命令してさ。ああ、どうして天罰が下らないのかしら。おお、そうだわ、ヤーマン閣下にお知らせしなくては」
女官長は窓を開け放ち、ピーッと指笛を鳴らした。
危険を察したスルージは隠形のまま奥の寝室の方に移動し、寝台の下に身を潜めた。
と、ザッ、ザッと樹の枝が撓るような音が近づいて来て、トンと誰かが軽々と床に降り立ったような音がした。
続けて、囁くような小さな声が聞こえた。
「定時連絡にゃあ、まだ早いだぎゃ」
女官長も声を低めて告げた。
「緊急なのよ。魔女ドーラが国外へ出兵したらしいわ」
「ほう。規模は如何ほどかや?」
「三千。でも、全員例のマオロンから連れて来た気味の悪い連中よ」
「成程。いざとなったら、勝手に逃げたなんぞと言い訳できる、ちゅうことだわな」
「かもしれないわね。あたしも又聞きだから、これ以上詳しいことはわからないわ」
「わかっちょる。それを調べるのがわしら杜の番の役目だで。他には?」
「そうね。前からお知らせしてることだけど、あの淫婦は魔道屋シャドフって色男を寝室にまで連れ込んでるわ」
「ヤーマンさまもコロクスさまも、それは放っとけっちゅうご指示だがや。所詮お飾りの嫁だで」
「あら、こっちはそう思ってても、向こうは違うわ。結婚が成立して、正式に皇后になったら、閣下をどうにかする相談をしてるみたいよ」
相手の男の含み笑いが聞こえた。
「心配にゃあでよ。結婚が済んだ後に始末されるのは、その色男の方だぎゃ。それまでは、オーネのご機嫌取りのために生かしてあるだけだで。わしら杜の番が何人おると思うちょる? 殺すつもりなら、もうとっくにやっちょるわ」
「そう。それならいっそ、オーネも一緒に殺っちゃえばいいのに」
「阿呆。そんなことすりゃあ、何のために苦労してあの我儘娘を嫁に迎えるかわからにゃあでよ。この国が安定して、もっとええとこの嫁が来る段取りでも付けば、そん時はおみゃあの自由にしてちょう」
「きっとだよ」
男は鼻で笑ったようだ。
トンと床を蹴る音がし、ザッ、ザッという枝が撓る音が遠ざかって行く。
ベッドの下で、スルージは息だけで呟いた。
「どっちもどっちでやんすねえ」
同じ頃、謁見の間で待たされていたゾイアの前にオーネが姿を見せた。
新調したらしい豪華なドレスを身に纏い、数人の女官たちに傅かれながら、一段高い席にゆっくり座った。
ゾイアは床に片膝を着き、少し面を伏せていたのだが、いきなりオーネの怒声が飛んで来た。
「無礼者! わらわの許しも得ずに、姿を盗み見たであろう! もっと深く頭を下げよ!」
が、ゾイアは逆に、微笑みながら顔を上げた。
「おお、すまぬ。知らぬ間につい見てしまったようだな。先日、パシントンの大統領府に伺った際には行き違って御目文字叶わず、好奇心が抑えきれなかった。しかも、噂に違わぬ美しさに、視線を戻すのが遅れたやもしれぬ。礼儀知らずの獣人故、お赦しあれ」
あからさまなお世辞だが、一瞬でオーネの機嫌は直っていた。
「ふん。致し方あるまい。勇名轟く獣人将軍も、所詮は男であった、ということじゃな。まあ、今回だけは特別に許してやろう。して、用向きの儀は如何に?」
殊更に格式張った言い方に拘泥するオーネに閉口しながらも、ゾイアはサラリと告げた。
「ご案内賜った女官長どのにも申し上げたが、此度の披露宴にわが国のウルス/ウルスラ両陛下がご臨席されるのに先立って、城内の安全を確認させていただきたいのだ。如何だろう?」
またもや激昂するかと思われたオーネは、しかし、穏やかな声で答えた。
「よかろう。但し、この者に同行させる」
オーネに手招きされて、痩せた男が入って来た。
皮肉な笑みを浮かべながら、「秘書官のジャンでございます」と名乗った。
似合わないお仕着せの制服を着ているが、事前にスルージから話を聞いていたゾイアには、すぐに相手が誰だかわかった。
魔道屋シャドフであろう。
しかし、ゾイアもまた平然と挨拶を返した。
「われはゾイアだ。ジャンどの、案内のほどよろしく頼む」




