1167 白魔が来りて(2)
中原の暗黒都市として怖れられたマオロンは、一頃のような賑わいがなくなり、名物であった円形闘技場の擬闘試合も滅多に行われなくなっていた。
グラップルの主催者であったチャナール太守は、一族の長であるガルマニア帝国宰相チャドスの失脚によってマオロンから逃亡せざるを得なくなり、返り咲きを狙って陰謀を廻らせていたが、結果的に、巻き添えで白魔の代理人に殺されてしまった。
チャナールがいなくなった後、チャ族以外のマオール人の太守が何人か立ったものの次々と暗殺され、一時は無政府状態となっていた。
その間にマオール帝国と繋がる東廻り航路が封鎖され、力を失ったマオール人たちがマオロンを離れると、中原の反社会的勢力が幾つも入り込み、激しい抗争を繰り返すうちに一般人の客が寄り付かなくなって、急速に街が寂れたのである。
そのマオロンの旧繁華街を、痩せた男が歩いていた。
吟遊詩人のような尖がり帽を被り、ボロボロの魔道師のマントをだらしなく羽織っている。
魔道屋シャドフであった。
シャドフは歩きながら、ずっとブツブツと喋っている。
「……これだけ接触がないところをみると、あの極微機械系エージェントは機能停止したのだろうな。まあ、われらの人格の一部を転写した粗悪品だから、惜しくもないが。しかし、そうなると、何らかの強力な武器か軍隊を手に入れねば、あの連中に対抗できぬな……」
突然、シャドフの脚が止まった。
その前方を態と塞ぐように、数人の柄の悪そうな男たちが立っていたのだ。
擬闘士上がりなのか、皆ゴツい身体つきで、見えている顔や腕に無数の傷跡がある。
その一番手前にいる髪の毛を逆立てた若い男が、下卑た笑顔で近づいて来た。
「おうおう、お兄さん。この道はおれたちマルカーノ一家が仕切ってんだ。通りてえなら通行税を出しな」
シャドフが無造作に懐に手を突っ込むと、若い男の方が慌てた。
「ゆっくりだ! 手が見えるように、ゆっくり出せ!」
「いいだろう」
シャドフがゆっくり手を出して、掌を開いて見せると、銀の小粒が載っていた。
「これで足りるか?」
平然と告げるシャドフの顔を見上げた若い男の口が、半開きになっている。
すると、その後ろに控えていた男たちのうち、一番年嵩の髭面が、「足りねえな」と答えた。
「全然足りねえよ。有り金全部出しな、兄ちゃん」
「ほう。そうか」
シャドフは銀の小粒を再び握り、懐に手を入れると、そのまま「実はな」と話し出した。
「こっちも一本足りないんだよ」
その刹那。
シャドフの手が目にも留まらぬ速さで動き、髭面以外の男たちが仰け反るように倒れた。
皆喉に刀子より太い、鉄の楔のようなものが刺さっている。
呆然とする髭面の前に立ち、シャドフは妙なことを言った。
「この男の記憶が確かなら、マルカーノという男が今マオロンを支配しているらしい。おまえがそうか?」
髭面はブルブルと震えながら首を振った。
「ち、違う。おれは、若頭のサンテだ。マルカーノ親分には随分と目をかけられてるんだ。おれの身に何かあったら、おめえも徒じゃすまねえぞ」
「おお、そうか。ならばちょうど良い。マルカーノのところへ連れて行ってくれ」
髭面のサンテという男は、一瞬迷ったようだが、すぐにニンマリと笑った。
「ああ、いいとも。案内してやるぜ」
かつてチャナール太守が住んでいた建物は、太守宮と呼ばれ、マオールの王宮風の豪華な造りであったのだが、今は見る影もなく荒れ果てている。
サンテはそこにシャドフを連れて来た。
錆び付いた門を潜り、表面の輝きがなくなった大理石の導入路を進むと、巨人でも通れそうな両開きの扉があった。
サンテは向き直ってシャドフに説明した。
「親分は奥の居間を改装して事務所にしてる。今の時間なら、まだ中にいるはずだ」
「わかった。ならば、先触れしてくれ」
「おお、お易い御用だ。待ってな」
愛想よく応えて振り向き、扉を左右に開きながら、サンテは中に向かって大声で怒鳴った。
「おい、野郎ども! こいつは縄張り荒しだ! 容赦は要らねえぞ! みんなで殺っちま」
不意に言葉を途切らせたサンテの口から、異様なものが生え出ていた。
血が絡んだ鉄の楔である。
その後ろでシャドフが、笑いながら肩を竦めていた。
「すまんな。一本足りないと思っていたが、勘違いだったよ」
一瞬にして中は騒然となった。
「ああっ、サンテの兄貴が!」
「この野郎、ブチ殺してやる!」
「いや、すぐに殺すな! 早く殺してくれと泣いて頼むほど、ギタギタに痛めつけてやる!」
口々に喚きながら、凡そ三十人ほどがシャドフのいる入口の方に殺到して来た。
と、その後ろから、低いが良く響く声がした。
「てめえら、すっこんでろ!」
騒いでいた男たちがシンと静まり、サッと左右に分かれた。
その空間を、初老の男がゆったりと歩いて出て来た。
普通に歩いているだけなのに、空気がピリピリとするような殺気がある。
その顔は、刃物で刻んだように創だらけで、中でも眉間の刀創は太く、肉が盛り上がっていた。
年齢を感じさせない猛禽類のような鋭い目つきをしている。
「久しぶりだな、魔道屋シャドフ。どうした、随分と様子が変わったじゃねえか。女誑し専門の小悪党だったのによ。おめえが洟垂れ小僧だった頃から裏稼業を牛耳ってるこのマルカーノに、今更何の用だ?」




