1166 白魔が来りて(1)
(作者註)
少しグロい表現があります。
中原東南部を更に細かく分けると、三つの地帯となる。
南側半分を占める広大なゾーンは、言わずと知れたアルアリ大湿原である。
大部分が底なし沼であり、黄金城による浄化以前は泥に毒素も含んでいたので、毒蛙などの特殊な生物以外は棲んでおらず、当然住民もいない。
その北側に大湿原よりは若干堅い地面がある遷移ゾーンがあり、ここには、ガイ族やガーコ族などの里が点在している。
一番北側のゾーンは地面が乾燥し、比較的生活に適した環境であるが、その範囲は極めて狭く、幾つかの自由都市が東西に首飾りのように並んでいる。
その中で最大の都市は、東端にある暗黒都市マオロンであり、犯罪者の巣窟となっていた。
泥棒市場と称されるギャモンは、その近郊にある。
一説には、マオロンの賭場で無一文になった者たちが、手っ取り早く博奕の元手を稼ぐために盗みを働き、その品物をギャモンで換金したのがこの都市の始まりであったという。
市内には怪しげな店が軒を連ね、そこへ人目を憚るようにして客が入るのである。
そうした店の一軒を、魔道屋シャドフが訪れようとしていた。
「しょうがねえ。ここで金に換えるか」
不機嫌そうに足を踏み入れたのは、廃屋と見間違うような荒れ果てた店であった。
ギシギシと軋む扉を勝手に開け、一応奥に向かって「爺さんいるか? おれだ、シャドフだ」と呼び掛けると、薄暗い店内に入った。
しかし、一向に返事はない。
シャドフは舌打ちし、「また寝てやがるな」と文句を言いながら、尖がり帽を脱いで、入口の横にある帽子掛けに載せ、ついでにボロボロの魔道師のマントも肩から外して横に引っ掛けた。
店の奥に進みつつ、「居るのはわかってんだ! 返事ぐらいしやがれ!」と叫んだが、依然として何の応答もない。
と、シャドフが顔を顰め、手で鼻を覆った。
「うっぷ、臭え」
そのまま店の突き当りに行くと、安楽椅子に誰かが座っているのが見えた。
いや、それが誰であるにせよ、生きていないことは確かであった。
頭部は完全に髑髏になっており、襤褸布のようになった服の隙間から、何本も肋骨が覗いている。
シャドフは吐き気を堪えるように、口を押えた。
「……爺さん、くたばりやがったのか。それにしても、妙だな。最後に会ってから、確かまだ十日ぐれえのはずだが」
遺体は完全に白骨化しており、死んでから何箇月も経っているように見える。
その時。
ガタンと大きな音がして、骸骨が椅子から立ち上がった。
反射的に後退ったシャドフは、波動を打つ構えのまま、相手を凝視した。
「まさか、腐死者か?」
辺境を占拠したンザビは、ゾイアらの活躍でスカンポ河以西に喰い止められているということは、シャドフも噂で聞いていた。
それに、ンザビは死後次第に活動が鈍くなり、完全に白骨化すれば自力では動けなくなって、最終的には消滅する。
見たところ老人の遺体は殆ど骨しか残っておらず、ンザビであれば、こんなに素早く動けないはずであった。
そのシャドフの疑問に答えるように、髑髏の顔面がノッペリと白くなり、そこに切れ目のような口が現れた。
「……えあうるなむふぐん。ぎゃ、ぐお。さる。ああ。うむ。久しぶりに喋ると、上手くいかぬな」
シャドフは「化け物め!」と言いざま波動を打った。
骸骨の身体がバラバラに砕け、骨が飛び散ったが、空中に白い顔面だけが残り、平然と話を続けた。
「アルゴドラスの子孫やケルビムの目を避けるため、乾眠状態で態と渡り鳥に喰われて北方を脱出し、何度も宿主を乗り換えた。最終的に兎に入っている時、漸くこの老人に焼いて食べられ、やれやれと思ったら、食中りで死なれて困っていたのだ。孤独な男で、家族も親戚もいないらしい。おまえが来てくれて助かったよ。しかも、良い土産も持って来てくれているようだしな」
シャドフは、ハッとして懐を押さえた。
「こ、これが欲しいなら、くれてやる。だから、おれを殺すな」
白い顔面の切れ目のような口が、笑うような形になった。
「おお、殺しはせぬさ。先に行かせたはずの代理人と連絡がつかず、どうしようかと考えていたのだ。能力的には不満だが、おまえをわれらの現地エージェントに任命しよう。謹んで受けよ」
シャドフは顔を歪め、「やなこった!」と叫ぶと、その場から跳躍しようとした。
が、白い顔面は幾重にもズレた白い影となって、シャドフを囲んだ。
シャドフは、苦悶の表情で呻いた。
「ド、白魔!」
空中に吊り上げられたような状態のシャドフの懐から、手帳ぐらいの板が滑り出て来て、白い影の手に握られた。
切れ目のような口の両端がキュッと上がった。
「いざ、報復の時は来りぬ」
その異変は、逸早く赤目族たちも気づいた。
「第一発言者、簡易制御盤からの信号が途絶えたようです」
大人の赤目族から教えられ、薄い板のようなものを見ていたゲルニアも頷いた。
「うん、それは気づいたよ。けれど、その一瞬前に、変な雑音が入ったんだ。型は、見たことのないものだけど。もしかして……」
ゲルニアは、薄い板のようなものの表面を、頻りに指で擦っていたが、「あっ」と声を上げた。
「いけない! このパタンはドゥルブみたいだ。どうしよう……」
大人の赤目族は、動揺するゲルニアの肩に手を置いた。
「魔道神にご相談なさっては?」
「あ、ああ、そうだね。そうしよう」




