115 奇貨居くべし
そこにウルスがいると信じて、タロスが沿海諸国に向かって旅立った頃、そのウルスはガルマニア帝国を出ようとしていた。
行き先は、かつての魔道師の都、エイサである。
ツイムと一緒に出発の準備をしながらも、ウルスは、数日前にゲール皇帝に初めて会った時の恐怖を思い出しては、身震いしていた。
マオール帝国製の黒船に乗ったウルスたちの一行が、東廻り航路でガルム大森林に一番近い湊に着くと、すでにガルマニア帝国の迎えの部隊が待っていた。
そこから、魔道師のカノンだけブロシウスの龍馬に乗って別行動をとり、ウルスたちは普通の馬で大森林の中を突っ切って行った。
どこまでも永遠に続くのではないかと思われた森が突如として途切れると、目の前に巨大な城郭都市が出現した。
帝都ゲオグストである。
その先、ツイムの同行は許されず、ウルスはブロシウス一人に案内されて皇帝の居館に向かった。
階段を上って行くと、両側に儀仗兵がずらりと並んだ回廊がある。
更に、三つある門を潜ると、漸く居館が見えた。
頑丈な造りの扉が両側に開き、謁見の間に通された。
そこで、ブロシウスと共に平伏して待っていると、すぐ近くから、ヒュン、ヒュンという剣が空気を切り裂くような音が聞こえてきた。
体格のいい衛士が現れて、皇帝は居館に付設された稽古場の方で待っているからと、そちらに案内された。
ウルスたちが中に入ると、徒っ広い板の間の奥に、半裸の男がいた。
自分の背丈ほどもある大剣二本を両手に持ち、殆ど重さを感じていないかのように、自在に振り回している。
その男こそ、ガルマニア帝国の皇帝、ゲールであった。
稽古中のためか、緩い胴衣しか身につけておらず、はだけた胸元から隆々とした筋骨が見えていた。
真っ赤な髪を振り乱しているが、その顔はハッとするほど秀麗である。
「儀礼不要!」
一声叫んだだけで、そのまま稽古を続けている。
ウルスは、怖ろしさに身が竦むのと同時に、無礼な扱いにウルスラが怒り出すのではないかと冷や冷やした。
驚いたことに、普段あれ程傲岸不遜なブロシウスでさえ、ゲールの前では平身低頭であった。
「はっ! 軍師ブロシウス、沿海諸国より只今帰参仕りました」
急にブロシウスが横に跳んだため、何事かと見ていると、ゲールが振るっていた大剣の一本が、ビュッと空気を切り裂いて飛んで来て、たった今までブロシウスのいた床にグサリと突き刺さった。
更に、大剣を追いかけるように、ゲールの言葉も飛んで来た。
「見ればわかる!」
「御意。では、早速ご説明を。これなるは……」
ブロシウスは、掌でウルスを示した。
「新バロード王国カルス王の遺児、ウルス王子殿下にございます」
「人質か!」
「あ、いえ、然に非ず。チャドス宰相は、そうお考えかもしれませぬが、わたくしは、ウルス王子のご即位をお手伝いしたいと思っております。できますれば、所縁の地、エイサにて戴冠式を実施させていただきたいと存じますが、如何でありましょうや?」
二本目の大剣を投げようと構えていたゲールは、「ほう」と感嘆した。
「王家の遺領だな。面白い。そこで即位か。うーむ。ブロシウス、進めよ!」
言った瞬間には、二本目の大剣が飛んで来た。それも、ウルスのところに。
直前にブロシウスが掌を突き出し、そこから出る見えない力でウルスを突き飛ばしてくれたから良かったものの、それでも紙一重であった。
床に倒れて震えているウルスを一瞥すると、ゲールは唇だけで笑った。
その日以来、ウルスは毎晩悪夢に魘された。
どういう形にせよ、今は一刻も早く、ゲールの許を離れたい。
エイサへ行く日が待ち遠しかった。
そして、ついに出発の日となり、一人でブロシウスの執務室を訪ねた。
「ブロシウスさま、ぼくの方は、出発の準備が全て整いました。宜しくお願いします」
そう告げると、「おお、ウルス王子、これは好いところへ参られた。ささ、中へ入られよ」と呼ばれた。
ウルスが入ると、ブロシウスは今まで見たこともない程に上機嫌であった。
が、その腕には黒い鳥が乗っている。
いや、よく見ると鳥ではなく、通信用のコウモリのようであった。
「出発の前に、わしとゆっくり話そうではないか。のう、ウルスラ王女?」




