1159 新国家への道(17)
単身北の丘を出たマーサ姫に代わり、ゾイアが一万の軍勢を率いて帰国すると伝えると、兵士たちから爆発するような歓声が上がった。
皆、いつ果てるとも知れぬ駐留に、内心は辛かったのであろう。
一万の規模の行軍であれば、最短距離を採っても王都バロンまで数日はかかる。
クジュケから預かった伝書コウモリたちを、ヤーマンに向けて結果報告を送るものと、バロンへ帰国予定を知らせるものを、半々に分けて飛ばした。
一方、文官であるラミアンを軍に同行させることは意味がないため、ゾイアが提案した。
「この際おぬしも見聞を広めた方がよい。少し遠回りになるが、馬でリベラ、サイカと巡り、スカンポ河から早船に乗って帰国してはどうだ?」
ラミアンは不安そうに聞き返した。
「クジュケ閣下に怒られないでしょうか?」
「どちらにせよ、軍と一緒に移動すれば同じくらい日数はかかる。心配なら、サイカで龍馬を借りればよい。それなら軍より早くバロンへ着くだろう。ライナへはわれから手紙を書くから持って行くがいい」
それでも安心はできぬようで、ラミアンは少し震えた声で尋ねた。
「途中、野盗などに襲われませんか?」
「おお、そうか。ふむ。おぬし、剣術の方はどうだ?」
ラミアンは両手を広げ、「からっきしです」と情けない声を出した。
すると、「あっしがお供しやしょうか?」という声がして、窓からスルリと誰か入って来た。
モジャモジャの灰色の髪の毛を掻きながら笑っているのは、魔道屋スルージであった。
ゾイアも笑顔になり、「おお、おぬしか。ずっと誰かの気配がすると思っていたのだ」と述べると、スルージの表情が変わった。
「残念ながら、それはあっしじゃありやせんね」
ゾイアも笑顔を消した。
「ほう。どういうことだ?」
「実は、あっしの同業者に、シャドフって悪党がいやしてね」
「うむ。ギータに聞いた。皇后オーネの愛人とか言っていたな」
「知ってらっしゃるなら話が早えや。あっしと同様、組合に所属しねえ一匹狼でやんすが、どうもギルドと揉めてるらしいんです。ギルドに依頼された仕事を横取りして、剰えその依頼者を殺っちまったらしい。まあ、詳しいことは教えちゃもらえませんでしたが、ギルドの名誉に係わることだってんで、大騒ぎになってやす」
「成程。で、あれば、マインドルフの件だろうな。アラインに斬られて死んだ際、不審な点があったとの噂を聞いた。それで、おぬしも調査しているのか?」
が、スルージは肩を竦めて見せた。
「いえいえ。あっしもギルドにゃ入ってませんし、依頼もされてやせん。ただ、偶々この近くを通った時に、虚空眼でガルマニアから来てる航跡を見つけて、誰だろうと思って調べてたんでさあ。姿までは見つけられやせんでしたが、やつが盗み聞きに使う魔道糸の痕跡がありましたから、まあ、間違えねえでしょう」
「そうか。ガルマニアから尾行して来たのだな。まあ、聞かれて困るような話はしていないつもりだが、用心しよう。おお、それでラミアンの用心棒を買って出たのか?」
ラミアンが怯えた顔をするのを、スルージが「まあまあ、落ち着いてくだせえ」と宥めた。
「やつらしい航跡は北へ向かってやした。マーサ姫を追って行ったんでしょうな。が、『重さの壁』はなくとも、結界は厳重ですから中には入れねえはずでやんす。いずれ諦めてガルマニアに戻るでしょう。ってことで、あっしがその坊ちゃんのお供をするのは、純粋な好意、と言いてえとこだが、まあ、純粋な小遣い稼ぎでやんすよ」
ゾイアはニヤリと笑って、懐から銀の小粒を取り出した。
「それなら安心だ。おぬしのことだから、リベラやサイカで別の仕事も拾うつもりだろう?」
銀を受け取りながら、スルージも笑った。
「お見通しでやんすねえ。あっしにとっちゃ、旦那は幸運の守護天使さまだからね。今回もまた、確り稼がせていただきまさあ。では、坊ちゃん、参りやしょうか?」
最初は戸惑っていたラミアンも、一人でテクテク行かなくて済みそうだとわかり、「お願いします!」と笑った。
その頃、エイサに向かって北上していたマーサは、突然馬を止めて振り返った。
「居るのはわかっておる。何の用だ?」
後方の空気がユラリと揺れ、吟遊詩人のような尖がり帽の男が姿を見せた。
「さすがはマーサ姫。お見逸れした。一応、名乗っておこう。おれはシャドフだ。魔道屋をやっている。つまらぬ頼まれ仕事で北へ向かっている途中、派手な甲冑姿を目にして興味を惹かれ、つい近寄り過ぎたようだ。失礼した」
が、マーサは剣を抜いた。
「嘘を申すな。わらわが気づくよう、態と気配をさせたであろう? 目的は何だ?」
シャドフは笑いながら「一目惚れさ」と告げたが、マーサが剣を上段に構えて「斬る!」と宣言したため、笑顔を消した。
「おっと、待ってくれ。冗談だ。実は、頼みがあるんだ。おれを雇ってくれねえか?」
マーサは油断なく剣を構えたまま聞いた。
「どういうことだ?」
「おれは色々やらかしちまって、実は、魔道屋仲間に追われる身の上なんだ。普通の客じゃ怖がって雇ってくれねえ。だが、中原にその名が轟く姫なら、雇ってくれるんじゃないかと思ったのさ。雑用でも何でもするぜ。なあ、お願いだ」
シャドフは少し帽子を上げ、それなりに整った顔に甘えるような表情をして見せた。
マーサは気づかなかったようだが、何か馥郁とした良い香りもシャドフの身体から漂っている。
マーサの頬に少し赤みが差した。
「まあ、いいだろう。従者が一人ぐらい欲しいと思うていたのだ。それでもよいのか?」
「おお、喜んで身の周りのお世話をさせていただこう、姫さま」
シャドフの微笑みが深くなった。




