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頼まれて、否とは言わぬ、男なら

「でも俺、ああいうデカい飲食店と繋がってる宿屋って好きじゃないんだよな。客室に虫が出まくるし」

「そりゃ確かに食堂やってれば虫の数も多いけどさー。いい歳した男が虫が怖いとか言ってるのって、なんか幻滅する」

「なんだその男差別は。男だって虫嫌いでもいいだろうがよ」


 いい歳した男こと俺は、憤慨しながらテイトナに反論する。

 実際のところ、異界森林に一度でも入れば誰でも虫が怖くなるだろう。

 あそこにはひと噛みされたら即死するような昆虫が生息しているので、嫌でも虫の気配に過敏になってしまうのだ。


 そんな雑談で時間を潰しているうちに、注文の品がテーブルに届いた。

 俺とテイトナはコップを右手で持ちながら左手を握り合う。乾杯のようなものだ。


「じゃあ、俺の雇い主が残りの仕事を上手くやってくれるのを祈って」

「祈って」

「よっしゃ、食うか」

「やったー。これ前から食べてみたかったんだよね」


 サロンを倒し、無事に事後処理を終えた俺は、ルンドに成功の合図を出してから早めの祝勝会と洒落込んでいた。

 場所は、何かあった時にルンドが俺の姿を確認できるオープンカフェ的な甘味店。テイトナ一押しの店である。


 テーブルには蜂蜜を塗った果物入りパンケーキや、発酵乳食品を使用した焼き菓子、果実ジュース、ハーブティーなどが並んでいる。

 チーズタルト的なものを一つ摘まんで食べてみると、これがかなりうまい。

 そのほどよい甘みと酸味を暖かいハーブティーで流し込む。値段が高いだけのことはあった。俺的に四つ指だな。


「いやー、これで私も小金持ちかー。当分は働かずに済みそうで超うれしい」

「そんな使い方もったいないだろ。どうせなら店でも開いたらどうだ? ただ浪費するより増やした方が楽しいぞ」

「私にあきないなんてできるわけないじゃん。どうせ接客もろくにできない女だし」

「まだ根に持ってんのか……」


 その場しのぎの嘘はよくないな。誰だよ、女は適当に褒めとけとか俺に教えたやつ。


「そう拗ねるなよ。俺も接客は苦手だ」

「うっそだー。あんなにペラペラと出まかせ並べられるのに」

「いや、接客は出まかせ並べる仕事じゃないだろ」


 そういう偏見を持ってるからあんな酷いことになってしまうんじゃないだろうか。

 まあ俺も、あまり人に偉そうに言える立場ではないのだけど。


「俺の場合、ムカつく奴がいると無意識に殴り倒してるからな。自制心を鍛えないことには客商売は無理だ」

「ああ、なるほど。納得した。でもそれムカついてなくてもやりそうだよね。早引けするために上司を気絶させたりとか」

「……」


 なんでそんなこと知ってるんだこの子。エスパーかよ。

 過去を的中させられた俺は動揺を誤魔化すため、ハーブティーに口を付けて無言になった。


 しかしこうして人とどうでもいい会話をするのは、やはり楽しいものだと思った。俺は孤独のあまりに荒んでいた気がする。

 ルマイダはこの一件が終わったら旅に出るそうだが、もし目的のない旅なら俺も連れて行ってもらおうかな。


「そういえばさ、お兄さんの今の雇い主ってどんな人なの?」


 ぼんやりとルマイダのことを考えているところに、ドンピシャでその話を振られて驚く。

 どう答えようかと悩むが、あまり時間をかけても不自然なので、とりあえず口を動かすことにした。


「馬より速く走る巨大で屈強な男と、見たもの全てを記憶する色鮮やかで優雅な女を従者にしてる戦いの鬼みたいな人物だよ」

「なにそれすごい」


 嘘は言っていない。


「やっぱりタダモノじゃないんだね。お兄さんみたいな危ない人が従ってるくらいだし」

「そうだな」


 いろいろと言い返したいことはあったが、墓穴を掘るだけなのが予想できたので生返事を返しておいた。


 感心しているテイトナと適当に話しつつ、細身のへら状食器でパンケーキを切り取って食べる。

 そして体格のいいウェイトレスのお姉さんにハーブティーのおかわりを貰い、香りを楽しみながら飲む。


 文明的で文化的なアフタヌーンがここにあった。野花を噛み、雑草の絞り汁を飲んで喜んでいた俺はもういない。

 穏やかな時間の中で、人の社会とは素晴らしいと感動していた、その時だった。


 遠い頭上から轟音が聞こえてきた。


 ティータイムを楽しんでいた客も、通りを歩く通行人も、誰もが音の出どころを探して首を回す。

 そして誰かが叫んだ。城が崩れているぞ、と。

 声に釣られて街の頂上を見れば、市街を睥睨へいげいしていた城館主塔の姿が消え、代わりに粉煙が巻き上がっていた。

 それを見て、俺はかなり焦る。


「おいおい、大丈夫なのかよ」


 あそこにはルマイダがいるはずだ。間違いなく戦闘になっている。対拠点用の秘術を使われたのか、あるいは強力な魔獣でもいるのか。

 まさか彼女がやられることはないと思うが、城館ごと崩されたならカルデニオを守り切れなかった可能性が高い。

 久しぶりに働きまくったのに作戦失敗かよ。ありえん。


 正直言って、この展開は予想していなかった。暗殺でもなんでもないだろこれ。

 ここまでやってしまえば、もはや権力闘争なんてものでは収まらない。中央城塞が直接的に手を伸ばしてくる。

 北の領将になんら利益がないどころか、疑いを向けられる可能性を考えれば間違いなくマイナスだ。部下の暴走なのだろうか。


 なんとか頭を回転させる俺の隣では、テイトナが驚きのあまり果実ジュースをこぼしていた。それを気にすることもなく城館の方を見つめている。

 

「嘘でしょ……」


 そうつぶやくテイトナのショックは大きいらしい。当然といえば当然だ。

 コイラで生まれ育った人間は、少なからず不落城塞の肩書きに誇りと自負心を持っている。

 その象徴である領将城館が落ちたのだ。平静ではいられまい。


 周囲の人々もテイトナと同じように、茫然自失の様子で街の頂上を見つめるばかりだった。

 パニックを起こして人の津波を作られるよりはマシだが、すすり泣く声が聞こえてきたりすると気が滅入る。


 重苦しい空気の中で、俺はそっと動きだす。立ち尽くす人々を避けて歩き、硬直しているウェイトレスに一声かけてからトイレを借りる。

 このあと運動をすることになるしれないので、膀胱は空にしておく必要があった。ハーブティーを二杯も飲んだことだし。


 用を足して店外の飲食コーナーに戻ると、悲壮感は一層に悪化していた。膝をついて祈りを捧げている者さえいる。

 この国では建前上、宗教との関係断絶を政策として掲げているが、民衆の間には導国を総本山とする導教会の教えが根強い。

 こういう時、やはり宗教は有用なのだと思う。祈ることで精神を守れるというのは優れた技術だ。


 それを横目に見ながら、銀柱貨を数本、テーブルに置く。その音でようやく我を取り戻したのか、テイトナが話しかけてきた。


「ど、どこ行ってたの?」

「便所だよ。草茶を飲みすぎた」

「この状況でよく出るね……」


 なんて悠長な、とでも言いたげに呆れた表情を浮かべるテイトナ。だが俺から見れば、悠長なのは呆然としている周囲の人々の方だ。


 このあと厄介なことが起こるのは勘に頼らずともわかる。一領地の最高責任者の居館を破壊するような奴が、高所に陣取っているのだから。

 さすがに毒ガスを使ってくることはないと思いたいが、ここまでクレイジーだと可能性は否定できない。

 俺は緊急時の選択肢を増やすために、ある場所へ向かって歩き出した。


「えっ、ちょ、どこ行くの?」


 テイトナが慌てて付いてくる。早足でトテトテと横に並ぶ彼女に行き先を告げる。


「獣舎だ。馬を一頭預けてある」

「なんで馬?」

「乗るため」

「そんなことわかってるっつーの。馬でどこに行くのかって話」


 そう聞かれても、まだ決まっていないので答えようがない。今のところは状況が動くのを待つだけだ。

 不安を押し殺すように喋り続けるテイトナの声を聞き流しながら、俺は歩を進めていく。


 獣舎のすぐ近くまで歩いたところで、上空からバッサバッサという羽ばたきの音が聞こえてきた。やっとか。

 視線を上げて音の方を見てみると、案の定ルンドだ。情報不足で身の振り方に悩んでいた俺には女神のように見える。

 

「なんか大きい鳥がこっちに向かってきてるんだけど」

「ああ、あれが色鮮やかで優雅な女従者だ」

「……」


 反応に困るという感じで黙り込んだテイトナをよそに、俺はルンドへと近寄って話しかけた。


「どうした? 随分と焦ってるけど、まさかルマイダに何かあったのか?」

 

 地面に降り立ったルンドは俺の質問をジェスチャーで否定し、体を反転させて腰のミニバッグを突きつけてきた。

 秘術用の筒らしきものが装填された、ルンドの攻撃武装だ。バッグの隙間に植物紙が挟まっている。

 植物紙を手に取って広げてみると、それは手紙だった。速記の西南端語で書かれた文章は、ルマイダから俺宛のもの。


 『カルデニオの暗殺はなんとか阻止し、下手人も捕らえた』

 『しかし下手人は中層区のどこかに山貫犀を待機させており、それがいつ暴れるかわからない』

 『今の自分では戦えない。市民を守るために力を貸してほしい』というようなことが書いてある。つまりは救援要請だ。

 それを読み進めているうちに、思わず笑みが漏れてしまった。


「本当に律儀だな」


 手紙の最後には丁寧な字で『お願い』と書いてあった。その短い一文に込められた感情がありありと伝わってくる。

 彼女の性格からして、これを書くには相当の決意が必要だったことだろう。それでも無辜の人間を救うために、俺を使う決断をした。


 やはりルマイダは男心をよく理解していると思う。こうもストレートに頼まれてしまえば断れない。

 せっかくなので、俺はもう一仕事してやることにする。


「なにがどうなってるの? その鳥って魔獣?」


 まさか自分の同行者が魔獣の目的地だとは思っていなかっただろうテイトナが、恐る恐ると聞いてくる。


「魔獣だけど、こいつは頭いいから安全だよ。なあルンド」


 そんなことはどうでもいいと言うように急かしてくるルンドを手でなだめ、協力を申し出ることで空に戻らせた。

 そしてテイトナにざっくりと事情を話す。ヤバい魔獣が中層区に隠れててヤバいから狩ってくるわ、というような説明だ。


 そうして危険性を伝え、外周区へと避難するように言っておく。

 彼女とは一旦ここで別れることになりそうだ。報酬を支払うための連絡方法も決めておかねばならない。


「……その魔獣って、どんな見た目?」


 しかし意外なことに、テイトナは話に食いついてきた。時間がないのでさっさと避難してほしいのだが……

 もしかしたら魔獣の外見を聞いて仲間に危険を呼びかけたいのかもしれない。俺はそう考え、記憶にある山貫犀の姿を伝える。


「二モルドくらいの全長で、全身が鉱石みたいにゴツゴツしてて目がない。一番の特徴は鼻先から飛び出したつのだ」

「……そいつってさ、まったく動かずに何週間も過ごしたりする?」

「よく知ってるな。山貫犀は長期間の休眠ができる」


 山を穿孔して巣穴に使う山貫犀は、必要に応じて休眠を行う。場合によっては一ヶ月も出てこないので、以前に戦った時は苦労したものだ。


 俺の言葉を聞いたテイトナは一気に青ざめ、震える声を出す。


「それ、知ってるかも。数週間前に裏地区に運び込まれた石像が、まんまそれだった」

「マジかよ」


 なんでそんなあっさり魔獣を運び込まれてんだよ。一度も落とされたことのない無敵城塞の名が泣くぞ。


「や、ヤバいよ! あの辺りには結構な数の子供が住んでる。さっき会ったボヌとか、その石像に乗って遊んだりもしてた!」

「……最悪だな」


 たまたまなのか、狙って子供の多い場所に置いたのかはわからないが、民間人を盾にしてる時点で同じことか。

 これをやった奴はルマイダに負けて寝ているそうなので、ツケはきっちり払うことになるだろう。

 とにかく今は裏地区に向かうしかない。テイトナのおかげでルンドの伝令に頼るより早く到達できる。


 目的地まではテイトナに案内してもらうことにした。

 この街には何度か来ているが、中層区の南東に位置する裏地区には入ったことがない。


 土地勘のないよそ者が一人で行っても辿り着くことはできないだろうから、ここはテイトナに頼るしかなかった。

 彼女を危険に晒すのはかなり抵抗があったが、状況的にそうも言っていられない。何より本人が手伝いたいと言っている。


 方針が決まったところで、俺たちは獣舎に入った。

 なにやら客と口論していた従業員に無理やり引き取り料金を渡し、先ほど預けておいた早馬の手綱を取って獣舎から出る。


 この街は広い。今いる場所から裏地区まではかなりの距離がある。自力で移動すればかなり時間がかかってしまうだろう。

 だがこいつなら、それを半分は短縮できる。俺は早馬とコミュニケーションを図ってみた。


「急で悪いが、また乗せてくれるか?」


 名も知らない駿馬しゅんめは豪快にいなないてから首を下げる。歓迎してくれているらしい。俺は早馬にまたがり、首筋を軽く掻いてやった。


「テイトナ、二人乗りはキツいから俺の背中におぶさってくれ」


 馬の顎下を撫でているテイトナに馬上から声をかける。

 乗馬は重心がキモだ。遊びならともかく、本格的な移動に使う時に人間を前に抱えての二人乗りは厳しい。

 軽いテイトナなら、俺が背負ってバランスを取れば邪魔にはならない。


あぶみくらも一人用だもんね。合わせるの大変そうだし、背負ってもらうことにするよ」


 そう言って、テイトナは俺の背中までよじ登った。しっかりとしがみついてきた彼女には意外なほど胸がある。

 脊髄反射的に胴布越しの感触を楽しんでいると、頭頂部に肘を落とされた。よこしまな考えを読み取られてしまったらしい。

 ギャグで済ませるには辛い痛さだったが、今のは俺が悪いので泣きごとは言わないでおく。


「行くぞ」


 声を出し、手綱を引いて早馬の頭を上げさせた。

 ふくらはぎでリズムよく馬腹を圧迫してタメを作り、重心と脚の位置で駈歩キャンターの要求を伝える。

 そして頭を前に出そうとするタイミングに合わせて手綱を譲ると、早馬は軽快に走り出した。


――――


 ブンブンと鳴り続ける羽音の鬱陶しさに、彼は苦痛を感じながら目を覚ます。

 それは単なる羽音ではなく、休止状態にあった彼を解凍するための信号だったのだが、そんなことは彼にはわからない。


 長く眠っていた体は平時の代謝を取り戻そうとし、全身に熱を巡らせていく。膨大な体重を動かすための複合筋肉が、唸りを上げて起動する。

 

 彼は自分がどこにいるのかわからなかったが、そんなことは大した問題とも思えなかった。

 ただただ蟲の羽音がやかましい。まるで頭の中を掻き毟られているようなそれはとても辛く、耐え難い。

 視力を持たず、音で世界を認識する彼にとって、鳴り止まない怪音は地獄の業火にも等しかった。


 しばらくすると、彼の脳裏に何かの映像がよぎった。それは二本の後脚で直立し、前脚を自在に操る生物。つまり人間だ。

 その人間の姿と羽音を同一視した彼は、まるで誰かに教えられたかのように解決方法を思いつく。この生物を皆殺しにすればいいのだと。


 緩慢にも思える所作で立ち上がった彼は、おのが四足の調子を確かめたあと歩き出す。

 既に蟲はこの場を去っており、羽音など存在していない。にもかかわらず、彼の頭の中では異音が響き続けている。


 彼は目の前にて立ちはだかる障害物に、八つ当たりのごとく突撃した。



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