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幼女転生  作者: デブリ
八章・渡航編
161/203

第百七話 『渡りに姉妹』

 

「……いい、俺は向こうの席に座る」


 席分けをしていると、ウェインが小さく頭を振った。

 

「どうしたのぉ、ウェイン。ローズちゃんたちと同じテーブルでいいじゃない」

「……今のサラは、男怖いんだろ」

「そうだけど……サラ姉、ウェインなら大丈夫だよ」

「……俺はこっちでいい」


 少年はこの世の終わりという暗澹とした面差しのまま呻くように呟き、まるで逃げるかのように俺たちとは別のテーブルに着いた。

 酒場というより飯屋な店内は昼過ぎという時間帯なせいか、席は半分以上が埋まっている。それでも俺たちが座る余裕くらいはあったので、三組に分かれて飯を食うことにした。

 

「ま、じゃあこの組分けでご飯にしましょうか」


 というセイディの言葉でとりあえず纏まり、席に着いたみんなは食事を注文していく。

 店内の雰囲気は……普通の酒場よりマシという程度だ。こういう食事処にしては掃除が行き届いていて、特にマナーの悪い客もいない。大声で話していたり、笑い声を響かせているくらいで、テーブルに足を乗せたり、床に痰を吐いたりする馬鹿は見られない。


「ローズ、お肉切り分けた」

「ありがとうございます、リーゼ」

「食べづらいものがあったら、ちゃんと言ってね。そのときは食べさせてあげるから」

「はい、そのときはお願いします」


 俺の左隣にはリーゼ、右隣にはクレアが座っている。

 このテーブルには他にもサラとルティがいて、まだリーゼもルティも元気とは言い難いし口数も少ないが、普通に食べている。

 一方、隣のテーブルでセイディたちと食べているウェインは全然食事が進んでいない。あいつ、ここのところずっと食欲不振だからな、心配だ。


「おじさんっ、デイルおじさん!」


 ふと出入り口の方から威勢の良い叫び声が聞こえた。

 少女の声だったからというわけでは断じてないが、俺の目は自然とそちらに向いてしまう。


「おやっさんから前金受け取ったでしょっ!? なんでアタイらに協力してくんないのさっ!」

「おじさん、自分たちの敵だったんスか」 


 十五歳程度の獣人と翼人の少女二人だ。

 獣人の方はあからさまに怒った様子で、翼人の方は静かな怒気を滾らせながら、カウンターの方へと走り寄っていく。

 二人ともサラのように肌が健康的な小麦色だ。

 

「ま、まあまあ、二人とも落ち着いて。他のお客さんたちにも迷惑だからさ……」

「おじさんの余計なお節介の方がアタイらには迷惑だよ! アタイらは大丈夫なんだっ、二人でちゃんとやっていけるって言ってるのに!」

「海で育った女を舐めてもらっちゃ困るッスよ、おじさん。姉さんと自分は父さんと母さんたちにみっちり仕込まれて、もう立派に一人前ッスよ」


 店主のオッサンが宥めようとしても、二人の少女の勢いは止まらない。

 俺たちを含めた客の全員から注目されていることに気付いたのか、オッサンは愛想笑いを浮かべて客たちにぺこぺこと頭を下げていた。


「ほら二人とも、ちょっと奥に来て。話はそっちで聞くから、ね?」

「ホントだろうね!? ホントに今日こそアタイらの話を――」

「ダメッスよ姉さん、おじさんは口が巧いから丸め込まれるッス。おじさんにとって不利な状況で話した方がいいッスよ」

「おぉっ、そうか! さすがソーニャ頭いいなっ!」


 相手がなかなかに可愛い美少女だからいいけど……。

 うるせえな、特に獣人の方。というか獣人の方だけ。

 ここってそこそこ雰囲気のいい店じゃなかったのかよ。

 

「なんなんでしょうね、アレ」

「さあ、何か揉め事かしら……? いずれにせよ、あまり関わり合いにならない方がいいわ。みんな、もう向こうは気にせず、食事を進めましょう」


 クレアは落ち着いた様子で俺たち子供にそう促してきた。

 確かに彼女の言うとおり、ここは事なかれ主義でいることが賢明だ。

 現状で他人の事に首を突っ込んでいる余裕などない。


 というわけで、少し気掛かりではあったが、俺たちは気にせず食事を続けることにした。まだ店主と少女二人が何か言い合い、そこに幾人かの客が「うるさい」だの「いったい何事だ」との文句を挟んでいるが、気にしない。

 今の俺には少々難しいが、意識から完全にシャットアウトしておこう。


「この唐揚げ、美味しいですね。何のお肉なんでしょうか、リーゼは分かります?」

「……分かんない。たぶん、食べたことないやつ」

「これは、シーマンイーターの肉」


 意外にもルティが知っていた。

 たしかシーマンイーターは魔大陸近海に棲息する四級の魔物で、俺も船旅生活中に見たことがある。全長二リーギスほどのワニっぽい奴で、人を丸呑みにできるデカい口と黄緑色の硬い鱗が特徴的だ。海中から勢いを付けて飛び出されると船上にも乗り込んできて、二足歩行も可能という結構危険な奴だったな。


「へー、そうだったんですか。私も船上で食べたことはありましたけど、唐揚げにすると食感が全然違いますね。前に食べたのより味もいいですし、この店の調理が上手なん――って、ルティ?」

「うぅ……ジークぅ……」


 幼女が泣き出しそうな顔で俯いている。

 この肉にジークとの思い出でもあったのだろうか。


「リーゼ、もういいの?」


 食べ始めて間もなく、クレアが訊ねた。

 一応、リーゼも自分の分は完食しているが、テーブル中央に置かれた唐揚げにはあまり手を付けていない。いや普通に食べてはいたけど、大好きな肉類なのに普通程度しか食べていないのだ。


「…………」


 リーゼは無言で頷くと席を立ち、ルティのところへ行った。

 嗚咽を漏らし始めたルティは先ほどイヴが連れて行き、今は代わりに姐御がルティの席に座っている。

 まだ喪失の悲哀に囚われている幼女たちにとって、同じ境遇の新しい友達は良き理解者同士なんだろう。既にそこそこ仲良さげだしね。


「ふぅ、ごちそうさまでした」

「ったく、いい加減さっきからうるせえな、あいつら」


 俺が食べ終えるのと同時、対面の姐御が唐揚げをつまみながら愚痴った。

 オルガの視線を追ってみると、たしかにまだ少女二人がカウンターの方で店主と何やら話している。もう俺にとっては完全に店内のBGMと化していたから、すっかり意識してなかったな。


「何をそんなに揉めてるんでしょうね?」

「適当に聞いてる限りじゃあ、海だの形見だの貸付金は分割でどうたらこうたら……とか言ってるな。どうにもあの二人の親が最近死んだっぽいから、遺産やら身の振り方って話だろ」

「それはまた……なんといいますか、大変そうですね」

「そうだな、だが今のオレらも大変だ。だから気にせずあいつらは無視しとけ」


 姐御の言うことは冷たいが、俺はそれに同意する。

 世間からしたら、俺たちの身に起こったことなど、日々世界で無数に起きている不幸のうちの一つでしかない。

 何も特別なことではなく、誰にだって降りかかり得る不幸。

 それはあの少女二人も同じことで、世間は幸福と同じかそれ以上の不幸で溢れている。魔物と暴力が当たり前に存在する世界では、誰が死んだだの誰が殺されただのといった話はさして珍しくもないはずだ。

 みんな自分たちのことに手一杯で、赤の他人を助けてやれる余裕のある奴なんてそうそういない。


 とはいえ、不幸に陥った当人からすれば、紛れもない一大事だ。

 今はそれを痛いほど実感できている。


「……ちょっとお花摘みに行ってきます」


 俺はなんだか複雑な心境になりながらも、席を立った。

 この店のスープ旨すぎて、お代わりまでしちまったからな。

 ちょっと膀胱がやばい。


「おじさんのバカーっ! なんで分かってくれないんだ!」

「あ、姉さん、待つッス!?」


 という声が聞こえたが、やはり俺は気にせずトイレへと直進していく。

 今もまた、どこからか不意に微かな魔力波動を感じたりして、俺の警戒心は否応なく反応してしまう。

 いかんな……町にいると精神的な疲労が溜まる一方だ。


「ぅきゃっ!?」

「――っ!?」


 突然、背後から右肩に衝撃を受けた。

 間近で上がった珍妙な声を気にする余裕もなく、俺は反射的に振り返りながら〈霊斥ルゥ・ルペリ〉を行使する。

 そして我に返ったときには既に遅かった。


「姉さん!?」

「ローズッ、何してるの!?」


 翼人少女とクレアの声が同時に響いた。

 どちらも驚愕を秘めた悲鳴で、クレアは俺の、翼人少女は壁際の獣人少女のもとへと駆け寄る。

 獣人少女は「う、むぐぅ……」と呻きながらも立ち上がろうとしているが、ふらついてその場に膝を落としている。


「おいなんだ、今の魔法か?」

「ありゃ闇属性の中級魔法だな。位置からして行使者はあのガキみたいだが……」

「ローズとか呼ばれてるし、魔女なんだろ」

「だが詠唱してなかったよな、今」


 魔法に詳しい客でもいたのか、やにわに店内がざわつき始める。

 テーブルが一つ倒れているが、幸か不幸か、そこに他の客はいなかった。


「急にどうしたの。こんなところで、それに人に魔法を使うなんて」

「す、すみません……つい」


 純粋に驚いている様子のクレアに思わず謝ってしまうが、相手が違う。

 俺はすぐに獣人少女のもとへ向かい、翼人少女と共にその傍らに膝を突いた。


「な、なに!? 何が起こったんスか!? 姉さんだいじょ――ってなんか腕が変な方向に曲がってるッスよ!?」

「うぅ、ぇ、なにソーニャ、腕がなんだってぁぁぁあああああああアタイの腕がああぁぁぁぁぁ!?」

「すみませんすぐ治しますから!」

 

 喧しい少女二人の叫声に紛れて言いながら、俺は特級の治癒魔法を行使した。

 すると瞬く間に折れて歪んでいた少女の右腕は綺麗な形に戻り、たぶん背中などに生じたはずの打撲も治ったことだろう。


「え、あれ? 治った!? なにキミ!? これ治癒魔法でしょなんで!?」

「この年頃で、詠唱もせず……骨折を一発完治ッスか……?」

「おぉー、とにかくありがとっ、キミのおかげで治ったよ!」


 獣人少女の方は無駄に元気な様子で笑いながら、骨折した腕で俺の肩をバシバシと叩いてくる。どうやらきちんと完治しているらしい。

 が、一方の翼人少女は訝しげな顔で俺を見て、店内を見回した後、ハッと息を呑んだ。


「あー、もー、ビックリしたー、いきなり何だったんだろ今の」

「姉さん待つッス、この子魔女なんスよ? この子が姉さんを魔法で吹き飛ばしたんスよ!」

「ん? え……なんだってぇぇぇ!?」

「驚くのは後ッス姉さん、ちょっと耳を貸すッスよ」


 日焼け少女二人は何やら内緒話をし始めた。

 どうにも獣人少女の様子を見る限り、痛みもなく元気そうだが……。

 というか、もう尿意引っ込んじまったな。


「お姉ちゃん」


 呼びかけと共に服の袖を小さく引かれた。

 またしても警戒心が反応してしまいそうになるも、今度は努めて冷静に振り返った。すると背後にはクレアや姐御、リーゼやルティがいて、なぜかルティは悲しげな顔で俺を見つめてくる。


「ダメ、だよ……無闇に誰かを傷付けちゃ、ダメ」

「……ルティ」


 思いがけない言葉に呆然と幼女の顔を見つめていると、


「ライム、大丈夫かい!?」


 店主のオッサンが駆けつけてきた。

 だがライムと呼ばれた獣人少女の方は翼人少女の耳打ちに、感嘆の声を漏らしている。


「おぉっ、さすがソーニャ頭いいなっ!」

「姉さん声が大きいッス。とにかく姉さんは自分が言った通りにお願いするッスよ」

「任しとけぃ!」


 俺はミドルティーンの少女二人に視線を戻し、何はともあれきちんと謝罪しようとした。すると、獣人少女が急にその場に背中を丸めて蹲ると、中二病患者のように右腕を押さえて呻き始めた。


「ゥ、グ、アアァァァァ、アタイノウデガァァァアッ! ツイデニセナカトカアシモイタイィィィィ!」

「ね、姉さんしっかりするッスっ! そこの魔女っ子、なんてことしてくれたんスか!?」

「……え?」


 翼人少女から悲壮かつ憤怒の形相で睨み付けられた。

 その側では獣人少女が明らかな棒読み口調の苦鳴を漏らし続けている。


「大事な姉さんを突然傷付けるなんてっ。自分にとっては唯一の家族なんスよっ、なんてことしてくれたんスか!?」

「それは……すみません。でも、さっき治癒魔法掛けましたし、治ったって言ってましたよね……?」

「ゥワァァァァ、イタイヨォォォォ!」

「まだこんなに痛がってるじゃないッスかっ!」


 翼人少女の方は真に迫っていて、こちらだけ見れば俺も多大な罪悪感に囚われていたかもしれない。

 しかし如何せん、獣人少女の素振りが明らかな大根役者っぷりで、俺は反応に窮した。


「おいおいガキ共、嘘臭え演技かましてんじゃねえぞ。今ならまだ許してやる、さっさと止めろ」

「そ、それはこっちの台詞ッス、そっちがきちんと誠意をもって謝罪するなら許してやるッスよ!」


 姐御の威迫に少々たぎろぎつつも、翼人少女は負けじと言い返している。

 とりあえず、今この状況で俺がすべきことは明白だ。


「う、うぅ、痛い……肩が痛いよぉ……」

「え……?」


 俺が右肩を押さえて蹲ると、翼人少女が間の抜けた声を上げた。

 しかし俺は構わず痛がる。


「も、もぅ……ダメ、痛すぎて……うぇっ、死にそうだよぉ」

「ローズ大丈夫!? 死なないでぇっ!」

「ローズちゃんしっかりっ、集中するのよっ、早く治癒魔法を自分に!」

「おいガキ、先にそっちがローズにぶつかったんだろうが。どーすんだよこれ、もう肩とか粉砕骨折してんじゃねえのか?」


 リーゼもベルも切羽詰まった声を上げている。幼狐は未だしもオネエまで完全に勘違いしているようだが、さすがに姐御は即応してくれた。

 というか、今のリーゼたちの前で死にそうだは言い過ぎだったな。

 何はともあれ、棒読みの呻き声を上げていた獣人少女は戸惑ったように俺とオルガと翼人少女を見回している。


「テメェこら、どう責任とってくれんだよ?」

「ぇ、あ、そそそそんなっ、ソーニャどうしよう!? アタイこんな小さな女の子の肩を粉砕骨折させちゃったよ!?」

「なに言ってんスか姉さんっ、アレどう見ても演技じゃないッスか!」

「えぇっ、そうなの!?」


 舌打ち混じりの溜息が聞こえた。

 姐御のだ。

 その気持ちは分かるから、さっさと終わらせてくれ。


「そっちも怪我してるようだからな、特別に相子ってことで手打ちにしてやる」

「な、なに言ってんスかっ、そっちは明らかに演技じゃないッスか!」

「その言葉、そっくりそのまま返してやる」

「う……と、とにかくっ、こっちは誠意ある謝罪を要求するッス!」


 蹲る獣人少女の側で膝を突いていた翼人少女はぎこちなく立ち上がった。

 オルガの醸し出す威圧感に気圧されてはいるようだが、頭一つ分ほど大きい姐御を見上げて、勇敢にも目を合わせている。


「ソーニャ、もう止めるんだ、結局は何事もなく済んだんだろう? テーブルや椅子だってただ倒れているだけだし、店の被害もない。どちらも無事ならそれで――」

「おじさんは黙っててくださいッス!」


 翼人少女は快活そうな日焼け肌をしている割に、顔立ちは意外と大人しそうな感じの子だが、一喝してオッサンを黙らせている。

 彼女はその隙に俺を見下ろし、オルガを見上げると、毅然と言い切った。


「姉さんがこんなに吹っ飛ばされて負傷したんスから、治療費はもちろん迷惑料も払ってもらうッス! 合わせて八億ジェラ、耳を揃えて払ってもらうッスよ!」




 ♀   ♀   ♀




 少女二人との面倒事が勃発したため、みんなには先に帰ってもらった。

 俺としては殊更に賠償請求されずとも、元から改めてしっかりと謝罪をした後、数万ジェラ程度の迷惑料なら払う気でいた。

 もう完治したとはいえ、実際に少女を骨折させちゃったわけだしね。

 しかし、ソーニャと呼ばれていた翼人少女がそれを許さなかった。


「みなさーんっ、この魔女っ子が自分の姉を不当に傷付けて逃げようとしてるッス!」


 などと店内で叫ぶものだから、これ以上の被害拡大は避けるべきだと判断した。無詠唱で骨折すら治す治癒魔法を使った如何にもな魔幼女など、すぐに噂になっちまうからね。

 というわけで、カウンター奥の休憩室っぽい部屋で少し話し合うことになった。


「おいガキ……ソーニャとか言ったか? 何が八億ジェラだ、ふっかけんのにも程があんだろテメェ」

「気安くソーニャと呼ばないでもらいたいッス。自分はソニア、こっちは姉のライム、それに自分らガキでもないッス」


 面倒臭そうな呆れ顔のオルガに、翼人少女は臆面もなく言い返している。

 やや大きめの四角いテーブルには七人が着席している。

 こちらは俺とオルガ、クレアとベルの四人だ。対面には獣人少女ライムと翼人少女ソニア、それにデイルという名のオッサン店主(人間)の三人。

 

 とりあえず、こちらも軽く名乗りを上げておいた。

 俺はもう本名知られちゃったけど、オルガはまだなので偽名のミランダだ。


「アタシはヒルベルタよぉ、よろしくねライムちゃん」

「あ、こりゃどうもご丁寧……にぃ!?」


 オカマフェイスのオッサンが差し出した右手を、何ら気後れすることなくライムは握ろうとする。負傷したらしい右手でだ。

 しかし、そこでソニアのチョップがショートヘアの頭に直撃した。


「いきなり何すんのさソーニャ!?」

「姉さん、ここは自分に任せて大人しくしててくださいッス」

「……もう付き合ってらんねえな、おい」

 

 激しく姐御に同意である。

 ソニアの方はまともそうだが、まんまとベルの誘導にかかったライムは明らかにバカっぽい。いや、被害者の方にこんなこと思うのもなんなんだけどさ。


「今回はうちの子が申し訳のないことをしてしまって……八億ジェラはさすがに無理ですが、八万ジェラでお怒りを鎮めてはいただけませんか」

「クレアさんって言ったッスか? 八万ジェラって、お姉さんたち自分の姉に謝る気ないッスよね?」

「まあな、テメェらが下手な芝居打って金巻き上げようとした時点で謝意なんざ吹っ飛んだわ」

「ミランダちゃん、それは言い過ぎよ。ぶつかってきたライムちゃんが原因だし、もう治癒魔法で治したとはいえ、ローズちゃんは確かに怪我させちゃったんだから」


 ちなみにベルがこの場にいるのはロリコン故だ。

 俺を激しく心配していたし、交渉事ならこのオネエの得意分野なので同席してもらっている。


「そうッスよ、そっちのおじさんは話が分かるッスね」

「アタシはおじさんじゃないわよぉ――ってそうじゃなくてソニアちゃん、さすがに八億は無理がありすぎよ。元々の原因はそちらにあって、もう完治しているのだから、せいぜい十万ジェラが限度でしょうね」

「十万? 年頃の娘の利き腕を折っておいて十万ッスか?」


 いやでも十万って結構な額だぞ。

 十万ジェラあれば六節は働かずとも並の生活が送れるだろう。


「いきなり魔法を放ってきた賠償、やはり最低でも億単位が妥当ッスね。それが無理なら衛兵に突き出して裁判ッス」


 ソニアはテーブルに両肘を突いて手を組み、どこぞのヤクザのように凄んでくる。が、当然ながら迫力は全然ない。

 背丈はだいたい百六十レンテもないくらいで、パッと見はインドア派っぽいのに日焼け肌なものだから、外見だけでは妙に計りがたい少女だ。海原のように青々とした翼は綺麗だが綺麗なだけで、オルガのダークレッドウィングのような凄味は感じられない。


 ライムの方はソニアより幾分か上背があり、丸っこい獣耳が可愛らしい反面、少女にしては体格が良さげだ。さっき後ろ姿を見た限りでは尻尾がなかったし、ソニアと顔立ちはそこそこ似ているし、姉さんとも呼ばれている。

 たぶん父親か母親が違うだけで、本当に姉妹なのだろう。


「……ねえ、ソーニャ、もういいよ」

「姉さん……?」


 妹の肩に右手を置くと、ライムは俺に目を向けてきた。


「あのローズって子、凄い優秀そうな魔女だから金持ちだろうって言ってたけどさ、でも片腕ないじゃん。きっとアタイらみたいに何かあったんだよ。そんな子から騙すみたいにもらったお金で買っても、天国の父ちゃんたちは喜んでくれないよ」

「なに言ってんスか姉さんっ、そんなこと言ってる場合じゃないんスよ!? もうおやっさん普通に売り始めちゃってるし、早くなんとかしないと誰かに買われちゃうんスよ!」

「でも……やっぱりダメだよ、ソーニャ。いくら魔女だからって、相手はまだ子供だし、アタイがろくに前も見ないで走ってたのが悪かったんだしさ。ここは十万ジェラだけ受け取っておいて、もうそれで終わりでいいじゃん」


 なんかよく分からんが、姉が妹を説得している。

 ちょっと残念なオツムの少女だと思ってたけど、意外とまともなのかもしれん。


「…………や、やだ……嫌だっ、自分は嫌ッスよ!」


 肩に置かれたライムの手を振り払いながら、ソニアは椅子を蹴って立ち上がった。なぜかその目尻に涙を溜めて、俺たちのことなど眼中にないかのように声を荒げる。


「アレは父さんの形見なんスよッ、父さんが母さんたちと一緒に考えて造ってもらったんスよ!? アレは自分たちの家ッス! 他の誰にも渡さないっ、これから一生自分と姉さんが住んでいく家なんスよッ!」

「ソーニャぁ……そりゃアタイだってそう思うけどさぁ」


 妹に感化されたのか、姉の方も涙ぐみ始めた。

 俺たちはそれを困惑しながら見つめていたが、ふとオルガが口を開いた。


「そっちの事情は知らねえし、知りたくもねえが、こっちにも事情があんだよ。こんなとこで時間食ってる暇はねえんだ、十万ジェラやるからそれで仕舞いでいいな」

「まあまあ、ミランダちゃん、そう言わずに。ねえ二人とも、良かったら事情を聞かせてくれないかしらぁ?」

「おいベルッ」


 オルガが鋭い叱声と眼差しをオカマのマッチョに突き刺すが、オンナは強かった。動じることなく、むしろ穏やかで優しく……本人はしているつもりの独特なオカマフェイスで言った。


「ミランダちゃんやクレアちゃんはさっきの食事中、この子たちと店主さんの話、あまり聞いていなかったのよね? ローズちゃんはどう?」

「い、いえ、私は全然……」

「そう……アタシはね、失礼だと思ったけれど、よく聞いていたわ。だから分かるの、きっとアタシたちは手を取り合えるって」


 そしてベルは真摯な眼差しを対面の少女たちに向けると、慈母の笑みを浮かべた。


「あまり話したくはないかもしれないけれど、話してくれない?」

「……私がお話しましょう」


 今にも泣き出しそうな姉妹ではなく、これまで黙していたデイルがそう応じた。


「おじさん……」

「二人とも、お客さんにここまで迷惑を掛けたんだ。それに二人の口から話させたくはないしね」


 店主のオッサンは痛ましい顔で隣の二人を見つめた後、そっと目を伏せた。


「この子たちの父親と私は、旧知の仲でしてね……」


 という語り口から始まったオッサンの長話を纏めると、以下の通りになる。



 ライムとソニアの父ドラゼンは船乗りだったそうだ。

 チュアリーとボアを行き来する輸送船の船長で、獣人と翼人の二人の妻がいた。

 船が家代わりだったので、妻たちも船乗りとして夫を支え、彼女らの娘二人ともが船上で誕生したという。獣人ハーフの姉ライム、翼人ハーフの妹ソニアは幼少期から自宅代わりの船に乗り続け、家事という名の航海に必要な諸々を手伝いながら成長した。おかより海で過した時間の方が圧倒的に長く、ライムが十五歳、ソニアが十四歳の頃まで、変わらぬ日常が続いた。

 それが終わったのは今から三節ほど前のことだという。

 チュアリーから魔大陸への航海の最中、魔物の大群に襲われた。辛うじて積荷と客員への被害は阻止できたが、その代償として家族や部下の水夫たちは悉く死傷してしまったらしい。客員であった猟兵たちとも協力して魔物共と戦い、それでなんとか撃退できたくらいに強く、数が多かったのだ。

 一応、戦闘後はソニアの母親と船員が数名生き残ってはいたが、治癒魔法の使える魔法士は戦死していたため、間もなく亡くなったという。

 客員たちの力も借りて、ライムとソニアはなんとか目的地のボアに到着するも、自宅でもあった船はもはや修復すら不可能なほど大破していた。

 しかし、最後の航海だったので、問題はなかったとか。

 それまで乗っていた船は曾祖父の代から使い続けてきたもので、幾度も修繕を繰り返して代々乗り継いできたが、それももう限界だったので新しく船を造ってもらっていたらしい。ドラゼンはそこそこ名のある船乗りだったため信用もあり、造船料は分割払いで新造してもらっていたが、その父は死んでしまった。

 最後の航海中に新造船は完成し、代金の二割は前払いしていたが……多少名の通った船乗りの娘とはいっても、ライムとソニアは歳若い娘だ。ローンは信用第一であり、今回のように魔物に襲われて突然死ぬことだってある。

 造船所の親方は「このままでは売れない」「前払い分は返してあげるから、これで身の振り方を考えなさい」などと親切にも言ってくれたらしい。

 だが、ライムとソニアは頑として拒否した。

 船上で生まれ、船上で育った二人には船こそが家であり、航海こそが人生だった。分割払いの保証人となっていた父ドラゼンの親友――目の前の男デイルは二人を説得した。

『新造船は諦めて、どこか他の船で働かせてもらいながら金と信用を積み上げていき、いつか自分たちの船を買えばいいだろう』『あるいはうちの酒場で女給として面倒を見てもいい』

 しかし、ライムとソニアは両親の夢と希望が詰まった形見だからと、新造船を買うと言い張っている。そして二人が船主兼船長として部下の水夫や護衛の猟兵を雇い、また輸送船としてチュアリーとの航路を行き来すると言って聞かないという。

 二人のせいではないとはいえ、先の魔物襲撃の件で二人の評判=輸送の信頼は既にガタ落ちだ。そもそも船乗りとは男の仕事で、女が海に出ることは論外だという風潮が一般的なので、客からすれば少女二人の船乗りなど相手にもされないだろう。

 どう考えても無茶な話だが、それは二人の感情が許容できず、ここ最近はどうにかしようと奔走していたらしい。



「……………………」


 話を聞き終えた俺たちはリアクションに窮した。

 クレアは少女二人に同情の眼差しを向け、オルガは殊更に腕を組んで粛然として見せ、ベルは号泣している。


「うっ、うぅ……可哀想に……船も家族も仲間も全てを失って……」

「こ、こっちは安い同情なんていらないんスよ! 同情するくらいなら金を払えッス!」

 

 デイルの話に色々と思い出したのか、ソニアは目元を拭いながら叫んでいる。

 ライムはそんな妹の肩を抱き寄せ、俺に潤んだ瞳を向けてきた。


「ごめんよぉ、魔女っ子ちゃん……肩痛くない?」

「い、いえ、それは大丈夫ですけど……あの、そちらも大丈夫ですか?」

「うん……腕どころか全身ばっちりいい感じだよ。騙そうとしてごめんね、でも……アタイらも必死だったんだ」


 なんだか身につまされるな。

 俺たちは《黄昏の調べ》という理不尽に家族を奪われ、貶められ、最悪の不幸を被った。

 彼女らは魔物というこの世界特有の、しかし在って当然の天災めいたものに遭遇したことで、不幸に陥っている。

 とはいえ、ライムもソニアも五体満足に生きていて、船さえ諦めれば当分は暮らしに困らないはずだ。

 

「ローズちゃん……クレアちゃん……今の話を聞いて、分かったでしょう?」


 涙で目元の化粧がぐちゃぐちゃになったオカマが俺たちに問うてきた。

 ベルにとって、目の前の少女二人は痛いほど同情できる相手だろう。俺と姐御のせいで水竜に船も仲間も奪われた末に、このオッサンは今この場にいるのだ。


「そうですね、たしかに話を聞いておいて良かったです。あの、少々伺いたいのですが、よろしいでしょうか」

「なんでしょう」


 クレアが対面の三人に話しかけると、オッサンが反応した。


「その新造船というのは、この町で売っているのですか?」

「そうなりますね、残念ながら」

「残念とか言うんなら、なんでおじさん親方たちから前金受け取ったんスか!? そのせいでもう普通に売られてるんスよ!?」

「仕方がなかったんだよ、親方さんに言われたんだ。いい加減受け取ってくれないのなら、私に代金の残り八割を請求するって言ってきて」

「その八割は自分らがおじさんに返していくッスよ!」


 とソニアは言うが、どんな事情があろうと彼女は十四歳の小娘だ。

 このオッサンは保証人なので、万が一の事態は避けたかったのだろう。件の新造船が幾らかは知らんが、輸送船一隻分の金など、一介の飯屋を営む店主が払いきれる額ではないはずだ。


「デイルさん、その新造船の大きさや販売価格はどの程度なのでしょうか?」

「……あの、なぜそのようなことを?」

「少々興味がありまして」


 クレアの言葉にやや訝る様子を見せつつも、デイルは答えてくれた。

 曰く、全長はおおよそ四十リーギス、全幅はおおよそ八リーギス、通常の販売価格までは知らないらしい。だがライムとソニアの父親は10億5000千万ジェラで造ってもらっていたそうだ。


「10.5億……中規模の輸送船で新造とはいえ、思ったより高いわね」

「見に行ってみるか?」


 思案げに呟くクレアに、オルガが訊ねた。


「そうしましょう。ですがその前に……ライムさん、ソニアさん。お二人は件の新造船で生活していきたいのですよね?」

「そうだよ……だってあの船は父ちゃんが造ってもらってた船だもん。みんなで住んで、乗り回していくはずの家だったんだ」


 悄然と、しかし当然の態で頷くライムに「そうですか」と相槌を打ち、クレアは次いで店主のオッサンを見た。


「デイルさん、お二人は船乗りとして優秀ですか?」

「え、まあ、そうですね、私は実際には知りませんが……彼女らの両親がどちらも親馬鹿でなければ、優秀だと聞いています」

「なに言ってるんスかおじさんっ、自分らはそこらの船乗りよりよっぽど優秀ッスよ! 自分と姉さんも物心付く前から航海術と操船技術をそれぞれ叩き込まれたんス! だから大丈夫なんスよっ、どちらか一人だけじゃ無理ッスけど、二人でなら立派に父さんの仕事を引き継げるんス!」


 ソニアは全く諦めていないのだろう。

 もう俺たちには目もくれず、デイルに掴みかかっている。

 まあ、でなければ詐欺紛いの要求なんてしてこなかったか。


「ライムさん、ソニアさん」


 クレアが改まったように獣人翼人姉妹の名を呼んだ。

 姉の方は椅子に座ったまま項垂れていた顔をのっそりと上げ、妹の方は獲物を見るハイエナの目を向けた。

 しかし二人が何事かを言い出す前に、黒髪美女が微笑んだ。


「私たちは今、北ポンデーロ大陸まで乗っていく船を探しているんです。もし貴女たちの言う船が、私たちの求める条件に合っていた場合……その船、私たちが購入してもよろしいでしょうか?」

「え……?」

「クレアちゃん、お願いよっ、買ってちょうだい! 買ってこの子たちも乗せてあげて! 北ポンデーロ大陸に着いたら船はアタシが買い取るからっ!」


 流し続ける涙も拭わぬまま、ベルが立ち上がって懇願し始めた。

 しかし、クレアは同情の念に呑まれてはいないのか、落ち着いた様子で応じていく。


「ヒルベルタさん、お気持ちは察しますが、まずはどんな船か確認しないことには――」

「聞いた限りだとちょうどいい大きさの船じゃないっ、これはきっと聖神様のお導きなのよ! ねえライムちゃんソニアちゃん、二人とも北ポンデーロ大陸まで航海してもいいわよね!?」

「え、ぁ、まあ……父さんの船で暮らしていけるなら、もう何でもいいッスけど……」

「クレアちゃんアタシに言ってたわよね!? もし船を買ったらそのときはアタシに船長として取り回して欲しいって! そして北ポンデーロ大陸に着いたらアタシにその船譲ってくれるって!」


 俺の知らないところで、そんなやり取りがあったのか。

 まあ確かに、ベルは元船長だったわけだし、航海の諸々は熟知しているはずだ。それに俺と姐御のせいで――アルセリアを助けるために起こした行動の過程で、ベルには多大な迷惑を掛けてしまったのだから、クレアなら船を弁償するくらいのことはするだろう。


「この子たちは逸材よっ、この子たちと安全な航海のためにもその船を買いましょう!」

「おいベル、落ち着け、まずは現物見てみねえことには始まらねえだろ……つっても、クレア、可能な限りオッサンの意見は聞いてやってくれ」


 オルガは興奮するオカマを見て、複雑そうな面持ちでそう言った。

 

「クレア、私からもお願いします。多少割高だったり、条件に合ってなくても、その船買ってください。私のせいでベルさんは船と仲間たちを失ってしまったので……」

「ローズちゃんのせいじゃないわっ、アレは事故なのよ!」

「……いずれにせよ、船を見に行きましょうか」

 

 クレアは俺とベルとオルガ、そしてライムとソニアの顔を見回した後、仕方なさげに微笑んだ。

 誰よりもみんなの安全を考えているクレアにとって、即答はできない話なのだろうが……この分なら余程のことがない限り、誰も不幸にならないだろう。


「あの、その前にお花摘みに行ってきてもいいですか?」


 もういい加減、我慢の限界だったので、まずはトイレを借りて当初の目的を果たした。それから俺たちはライムとソニアの二人と一緒に店を出て、波止場付近にある造船所へと向かって歩いて行った。


「あらぁ、いい船じゃないの!」

「そうですね。頑丈そうですし、立派な船です」


 こうして、俺たちは船をゲットさせられ……たのか?




 ♀   ♀   ♀




 船乗りの少女二人と出会って、六日後の早朝。

 水平線から顔を出して間もない朝日が、ひんやりとした夜気の名残を払っていく。そんな中、俺たちは桟橋でオルガと向き合っていた。


「お前等、全員無事にシティールまで辿り着けよ」


 姐御は相変らず闊達な雰囲気を漂わせているが、不安を隠しきれていない。


「オルガぁ……」


 リーゼが涙声で呟きながら抱きつくと、オルガは優しく受け止めた。

 そして背中と頭を撫でながら、力強く告げる。


「今すぐは無理でも、せめて半年以内にはまたちゃんと笑えるように、みんなと一緒に頑張れよ。クレアたちはお前の笑顔が大好きなんだ」

「…………うん」

「おいウェイン、お前もだぞ。まだ辛いだろうが、男ならそれ以上うじうじすんなよ、分かったか?」


 オルガはリーゼとの抱擁を終えると、ウェインの頭をぐりぐりと撫でていた。

 だが少年は鬱顔のまま、無言で微かに顎を引いただけだ。


「サラ」

「な、なに……?」

「記憶が戻ろうが戻るまいが、お前はこいつらの家族だ。みんなサラのことを大切に想ってる。他の何を疑ってもいいが、それだけは疑うな」

「……ええ、分かったわ」


 サラはぎこちなく、でも確かに頷いた。

 

「クレア、セイディ、お前等はとにかくしっかりやれ。何かヤバいことが起きたときはバアさんとアリアに教えられたこと思い出せ」

「はい、私たちはしっかりやっていくので、心配しないでください。色々とありがとうございました、オルガさん」

「大丈夫ですよ姐さんっ、お姉様もみんなもアタシが支えていきますからね!」


 クレアは折り目正しく腰を折り、セイディは殊更に明るく笑ってみせている。

 姐御は二人の肩を同時に叩いてから、眼帯のオッサンとトレイシーに顔を向けた。


「ユーハ、トレイシー、頼んだぞ」

「うむ、無論である」

「クレアもみんなも、命に代えて守っていくよぉ……二度も力及ばなかったからね、今度こそは」


 中年剣士は決然と頷く一方、ダウナー系お姉さんはいつも通りに、しかし計り知れない激情を秘めた呟きも零していた。

 オルガはそんなトレイシーの頭に手を伸ばすと、後頭部できっちりと結われていた団子状の髪を解いて、「あんま気張るな」と苦笑しながら肩を小突いた。


「ルティカ、もう何度も言ってきたが、最後にもう一度言っておく。お前はとにかく本を読んで、色んな人と話をして、見識を広めていけ」

「……うん」

「こんな世の中だ、何があっても殺すなとは言わんが、人ってもんがどういう存在なのか、よく考えろ。そしていつだって、自分の道は自分の意志で決めろ。オレでもできたことだ、お前ならできる」


 未だ哀しみの晴れないルティに、オルガは真摯に、でも笑いながら言い聞かせていた。

 これまでオルガとルティはときどき二人きりで何やら話をしていたっぽいが、詳細は知らない。だがどういう話かは容易に想像がつく。


「お前等はこいつらに迷惑掛けるなよ、特にそこの鬼人。テメェ、ローズを少しでも危険に晒してみろ、発狂するまで灼き続けてやる」

「フフ、案ずるでないわ小娘。むしろこやつが窮地に陥った際は妾が助けてやろう」


 ミリアとイヴは無言で頭を下げ、ゼフィラは楽しげに笑っている。

 その様を胡散臭げに睨んでから、オルガは俺に向き直ってきた。


「ローズ、お前はあんま一人で抱え込むなよ。この前オレが教えたこと、言ってみろ」

「虚勢でも良いから余裕を見せろ。どっしり構えて視野は広く、常に信じられる自分でいるよう努力しろ」


 あの飯屋に端を発する一件の後、俺は姐御に相談していた。

 本当は心配掛けたくはなかったが、ライムのようなことが再発すれば、次は殺してしまうかもしれない。だから悩んだ末、もうこの町でお別れということもあって、強く頼もしい聖天騎士様に頼った。人を殺したことの反動が辛く、どうすればいいのか分からないと素直に打ち明けたのだ。

 一人で頑張るのも結構だが、ときには素直に人を頼ることも強さの一つだ。

 

「そうだ、余裕を持て。最初は嘘でも、そのうち実が伴ってくる。余裕があれば冷静になれるし、誰かを気に掛けてもやれる。……ま、船の件ではオレもベルに改めて気付かされた口だし、あんま偉そうなこと言えねえが」

「ありがとうございました、オルガさん」


 俺は頭を下げる代わりに、自嘲的な微苦笑を見せるオルガの逞しくも柔らかな身体に抱きついた。姐御はリーゼのときと同様に、俺の頭と背中を撫でてくれる。

 

「みんなー、もういつでも出発できるわよー!」


 船上からベルが手を振りながら叫んできた。

 オルガは俺の身体を離すと、大きく手を上げて呼び掛ける。


「ベルッ、お前には色々世話になったが、今度はシティールまでまたよろしく頼む!」

「任せておいてオルガちゃんっ!」


 相変らずオカマは元気だった。

 だがそれ以上に元気な少女が二人いる。


「ドラゼン号の処女航海だっ、みんな早く乗ってくれぃ!」

「忘れ物は完璧なしッスっ、今日は天候風向き良好ッスよ!」


 獣人ハーフ少女と翼人ハーフ少女の姉妹がベルの両隣で生き生きと声を上げている。

 オルガは三人と立派な船体を誇る新造船を軽く見遣った後、俺たちをぐるりと見回してきた。


「さて……じゃあ、そろそろ出発しとけ。全員元気でやれよ、余裕ができたらシティールまで会いに行くからよ」

「はい、また会いましょう、オルガさん」


 俺もみんなも、お世話になった彼女に別れを告げて、十億ジャストで購入した船に乗り込んでいく。そして最後に桟橋と船を渡す歩み板を回収し、オルガが桟橋の杭に繋がれた係留索を解いて、ユーハが錨を引き上げる。

 三つのマストに張られた帆たちは既に満帆状態だったので、ゆっくりと船が動き出していく。


 尚、船上には顔見知りばかりで、雇った水夫連中は一人もいない。

 下手に部外者を雇い入れるリスクを考慮した結果、船の運用は全員で協力してやっていくことになったのだ。幸いにも船長ベルがいるので指示には困らないし、その船長曰く、十代半ばにして既にベテランのライムとソニアもいる。

 力仕事はユーハとトレイシー(とついでにゼフィラ)、魔物戦は魔女ばかりなので問題はなく、幼女を含めて十六人+二頭で全長41.5リーギスの大きな船を回していく。

 とはいえ、さすがに魚人の護衛は雇ったけどね。とりあえずチュアリーまで八人。


「やった、やったッスよ姉さん……この船で、また海に出られたッスよ……」

「泣いてる場合じゃないぞソーニャ! これからこの船で新しい生活を始めていくんだっ、出港は笑っていかなくちゃな!」


 海原を進み出して間もなく、ソニアは感極まったのか泣き出した。

 そんな妹の背中をバシバシと叩きながら、ライムも瞳を潤ませつつ笑顔を見せている。


「うぅ……そうッスね、海で泣くと時化るッス、もう荒波は十分ッス。とりあえず……姐御ーっ、本当にありがとうございまーすっ!」

「アタシよりローズちゃんとクレアちゃんにお礼を言いなさいなっ!」

「分かってますぜぃ姐御っ! ローズーっ、アタイの腕折ってくれてありがとー! お姉様ーっ、船買ってくれて乗せてくれてホントにありがとー!」

「ちょちょちょっ、だからアンタお姉様をお姉様って呼んでいいのはアタシだけなんだっての!」


 まだリーゼたちは哀しみを引き摺っているが、船上には明るく楽しげな雰囲気が漂っている。

 ライムの言うとおり、俺たちはこれからこの船で、そしておそらくシティールという目的地で、新しい生活を始めていくことになる。

 これはそのためのスタートだ。

 きちんと哀しんで心に整理をつけるのも結構だが、できるだけ笑っていこう。

 笑顔が明るい未来を引き寄せてくれるはずだ。


「まったく、あの子たちはしゃいじゃって……でも、本当に良かったわ」


 マッチョなオカマがライムとソニアを温かな眼差しで見守りながら、目尻に雫を溜めて微笑んでいる。

 俺はその姿を横目に見上げ、内心でベルの言葉に同意した。

 本当に、良かった。


 今回の一件で、俺はまた一つ学んだ。

 世間からしたら、俺たちや船乗り姉妹の身に起こったことなど、日々世界で無数に起きている不幸のうちの一つでしかない。何も特別なことではなく、誰にだって降りかかり得る不幸であり、世間は幸福と同じかそれ以上の不幸で溢れている。みんな自分たちのことに手一杯で、赤の他人を助けてやれる余裕のある奴なんてそうそういない。

 だが、だからこそ、余裕を持たねばならないのだ。


 自分たちのことを第一に優先するのは結構だ。

 しかし、自分たちの事に拘泥して、周囲を蔑ろにするのは半人前のすることだ。

 視野を広く保って、自分たちだけでなく、周囲の人々や出来事にも目を向ける余裕と度量を持ててこそ、一人前だろう。

 困っている人がいて、自分たちも困っているとき、余裕と度量があれば手を取り合える糸口が見つかるかもしれない。

 誰かを助ける代わりに、助けてもらえる。

 世界は残酷だし、容赦がないし、冷たいが、だからといって悲観することもない。悪人がいれば善人もいて、ときには手を取り合える場合だってあるのだ。


「余裕を持って、希望を忘れず、楽しくいこう」


 俺は海原の上で悠々と呟き、大きく深呼吸をした。

 警戒に凝り固まっていた心を綺麗さっぱり入れ替えて、それほど気は引き締めず、リラックスしていく。幸いにも海上では俺の知らない魔力波動を感じる機会は皆無といってもいいくらいだ。

 チュアリーに到着する頃には、もう無駄に警戒しないだけの余裕を持てているように、今のうちに慣らしておこう。

 

 ただ、気掛かりなのはアインさんやそれに類する輩のことだ。

 てっきり接触してくるかと思って身構えていたのに、結局なにもなかった。

 問い質したいことが山ほどあるんだが……まあ、いつかまた会うにしても、俺はもう彼女らの言いなりになるつもりなどない。

 俺やみんなに害を為そうとすれば、神だろうがなんだろうが容赦はしない。


「ベルさん、そろそろ風魔法で加速しましょうか」


 そうして、色々ありながらも、俺たちは新たな日々へ向けて旅立っていった。

 

 

 八章からは間話を減らして、なるべくローズ視点で物語を動かしていこうと思い、姉妹視点を省きました。省かない方が良かったような気がしないでもないですが……。

 あと新造船の価格がいまいち分からなかったので、その辺はあまり真に受けないでください。

 

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