第72話 高波 三五 8月30日 兆候
ラブパでデートしたのを最後にオレとこよいは遠出をしなくなった。
出掛けるとしてもいつもの公園くらいだ。
その理由は、ラブパの帰りにラブラブボックスカーとやらで送ってもらった時にメイお姉さんにジト目で見られたから……ではない。
二人で過ごす時間を大切にしたかったからだ。
Q極TSカプセルの効果が続くのは約一ヶ月。
こよいが女の子の姿でいられるのはもう後何日もない。
限られた時間の一秒一秒を惜しむ様にして、オレ達は日々を過ごした。
手を繋いで散歩をしたり。
夏の思い出を語り合ったり。
それは静かで濃密な時間だった。
その穏やかさとは裏腹に、こよいからの甘えっぷりは激しさを増していった。
切なそうな表情でオレの腕を力一杯に抱き締めるその姿に逃れられない現実を少しでも遠ざけようとするような無言の訴えを感じる。
オレはその度にオレが居るから大丈夫、何があっても離れない、そんな想いを込めてハグやキスをしたりして慰めるのだった。
平凡で特別な日々で唯一起こった特別な出来事といえば、繊月家にアンお姉さんが遊びに来たことだ。
オレとはケータイなどで何度かやり取りをしているが、こよいとはこれが初顔合わせとなる。
同じQ極TS女子同士仲良くやってくれるといいな。
「は、初めまして、こよいさん。メイの従姉妹の彩戸 アンです」
「キ……キ……キ……」
ペコリッとお辞儀をするアンお姉さんに対して、こよいちゃんの方はプルプル震えておられる。
一体どうしたし!? 何かの発作!?
「キレイ過ぎるぅっ! お顔はお姉ちゃんそっくりだけど、お姉ちゃんと違ってオシャレなお洋服だしメイクもナチュラルでバッチリ! お姉ちゃんと違ってぇ~!」
アンお姉さんのファッションやメイクに絶叫するこよい。
なるほど。女の子ならではの着眼点だね。
大人の女性の魅力に打ち震えていたワケか。
「ちょっとお嬢ちゃま~? それって私が女らしくないみたいじゃないのよ~。お仕置きよ~」
「ふにぃぃ~! やめひぇ~!」
音もなくこよいの背後に這い寄って、ほっぺたを引っ張るメイお姉さん。
「ホ~ラ♪ 三五ちゃんの前でぶちゃいくなお顔にしてあげる~♪」
「いにゃあ~! みにゃいでぇ~!」
相変わらずメイお姉さんの刑罰はエゲツないな。
このままではまたこよいが泣かされてしまう。
「大丈夫だよ~! ホラ、見てないよ~!」
オレは目を両手で覆い隠し、後ろへと下がる。
メイお姉さんのご機嫌が直るまでこのままジッとしていよう。
「うう~。こんなキレイな人が三五にメロメロだなんて困るぅ~」
「大丈夫ですよ。私はお二人の仲を心から応援していますから」
「そ、そうなの? あ、ありがとうございますっ」
「私はただ三五さんのファンで、ファンクラブ会長なだけです」
「ファンクラブぅ!? いつの間に出来たのぉ!?」
「友達のQ極TS女子達に三五さんの事を話したら、皆ファンになっちゃいました♪」
「ズルい~! わたしも入れてぇ! わたしが三五のファン第一号なんだから!」
オレが席を外している間にこよいとアンお姉さんは随分仲が良くなったらしく、和気あいあいと何やらお話をしていた。良かった良かった。
その後連絡先も交換して頻繁に連絡を取り合っているみたいだ。
アンお姉さんによると、こよいからの相談に色々と乗ってもらっているとのこと。
アンお姉さんにはオレからも感謝だ。
こよいの不安が一つでも多く解消して、健やかな日々を送れますように。
こよいとアンお姉さんが出会ったその翌日。
つまり、8月30日の今日。
とある異変が起こった。
夜寝る前の時間、こよいと電話していた時だ。
楽しく会話してたら、突然電話の向こうのこよいがうめき声を上げたのだ。
『うぐぅっ!?』
「こよい!? どうしたの!?」
『“兆候” が……始まった……みたい……! 心配しないで……! ゴメン……! 切るね……!』
慌ただしくこよいから電話を打ち切られた。
こよいの言った兆候とは何か? それは即ちQ極TSカプセルの効果が切れる兆候に他ならない。
兆候が始まるとそれから一時間の間は身体から女性としての特徴が失われるらしい。
胸の膨らみが無くなったり、身体から丸みが取れたり、声が若干低くなったりするのだとか。
こよいはその状態でオレと話すのが嫌だったから、電話を切ったのだ。
そして一時間が経過して女性の姿に戻った後。
それから二十四時間後に完全にQ極TSカプセルの効果が切れて、こよいは再び男の子の姿になる……という事らしい。
部屋の時計を見ると時刻はもうすぐ二十四時を回ろうとしている。
こよいとの電話からもうすぐ一時間経つ頃だ。
二十四時間後、こよいに掛けられた魔法は解ける。
夏休みが終わってこよいは夏休み前の男の子の姿に変わってしまう。
戻りたくない男の子の姿に。
楽しかったデートの後でそのことをふと考えてしまい、思わず塞ぎ込んでしまう。
そんな気持ちはオレにもわかる。
オレだって卒業までこよいとデートしたりキスしたり、恋人同士の特別なコミュニケーションが取れないのは辛い。
更にいざ高校を卒業しても未だに世間のQ極TS女子 ・ 男子達への理解は充分だとは言えない。
そんな冷たい社会にいずれ出て行かなければいけないと考えれば不安になって当然だ。
だからこそオレが居る。
ずっとずっとこよいの隣に居る。
魔法が解けたからといってオレ達が恋人同士であることには何ら変わりはない。
愛し合い、絆を深め合った夏休みの思い出。
それがある限りきっと大丈夫。
オレは自分に出来る限りの精一杯でこよいを愛し続ける。
姿が男の子に変わろうがずっと寄り添い続ける。
この想いはこよいに伝わっている。
絶対の絶対に。
明日、いやもう今日が夏休み最終日。
最後の最後までこよいと変わらぬ愛を確かめ合おう。




