⑲共有し得ない気持ち
「ヨランダさん、ごめんなさいね」
この件での純然たる被害者──それは間違いなく、ヨランダである。それ以外は全員、グローリアですら加害者として、なにかしらの責任があった。
他全員はグローリアからのお説教があったが、本人ばかりはヨランダに謝罪するよりない。
加えて言うならエヴァンにとってはご褒美になっている感も否めないので、そこはもう少し考慮すべきだろう。(どうしろと)
「いえ……」
だが巻き込まれたヨランダとしては、謝られてどうの、ということでもなかった。
無論、怒ってはいない。
蓋を開けてみれば、大体の問題に自分は関係がなく、関係しているものは自分の中で既に終わっていたことばかり。
ただでさえ自分より目上の方々だ。(※バイオレットはそうでもないが、ヨランダ的には彼女も)
怒ってはいないので謝られても困る、というのが本音のヨランダは「こちらこそご挨拶が遅くなり、申し訳ございません」などという、それこそ自分のせいではないような謝罪を口にすることでお茶を濁すしかない。
それにグローリアも、思わず苦笑する。
グローリアの計らいで、エルフィンとヨランダは別邸近くの高級ホテルに泊まることになった。
ここもグローリアがオーナーだ。
別邸は以前語った通り、部屋がない。
一応要人の(くせに護衛が一人で馬車ナシという、馬鹿みたいな状態でエヴァンが連れてきた)アーネストと、それに近いバイオレットを放り出すわけにはいかない。
それにこのふたりにはグローリアからのお説教の続きと、これからのことへの話し合いが待っているのだ。
そしてこれは、本来新婚旅行にこっちにきていた筈のヨランダへ、グローリアなりの贖罪でもある。
今からでもせめてそれっぽくしてあげたい。
ちなみに、エルフィンに対しての気持ちは『今夜きちんと謝罪してから、ちゃんと挨拶に来い!』──そもそも最初から息子に怒っていた母グローリア。勿論、挨拶遅すぎな件に。
エルフィンの声掛け次第だったヨランダには全く怒っていないが、ヨランダが代わりに謝ったことで息子への怒りは静かに再燃していた……それはまた別の話。
「ごめんね、ヨランダ!!」
別邸を出る際、バイオレットはヨランダをハグした。
ハグする文化は特に両国にはない。感情が昂ったときにすることもないわけではないが、少なくとも礼節からは逸脱している。
「バ、バイオレット様……」
結構奔放な振る舞いを見せていたまだ13のバイオレットだ……そこまでおかしくは見えないが、それでも動揺はした。
「私、本当に貴女とお友達になりたかったのよ?」
「バイオレット様」
「ヴィオでいいわ」
上目遣いの美少女にそう言われ、動揺はしても悪い気はしない。
だが──
「……でも、私はまだ疑ってるのよ」
バイオレットはそう、耳打ちした。
その為のハグだったのだ。
「──」
「本当なら祝福するわ、ただ貴女には選択肢がある。 必要なら私を頼って来て」
再び疑いを向けられ胸がドキリとしたヨランダだったが、考えていたモノとは違っていた。
そして、その声は真剣そのもの。
「……バイオレ」
身体を離すとバイオレットは、今度こそ誤解のないよう自分の真意を伝えるべく、両手でヨランダの手を包むと強く握る。
「ヴィオ、よ。 ヨランダ」
『賢い子供』であるバイオレットは、幼く未熟な彼女なりの義憤で動いていた。それは勿論、ヴィオラに対してでもあるが……ヨランダに対しても。
18まで放置され、汚名を着せられ、そのまま知らない男と結婚が決まり、無理矢理辺境まで連れていかれる──それはバイオレットにとっては理解し難い貴族子女故の因習であり、許し難い事実だ。
「……ありがとうございます」
バイオレットの気持ちはなんとなく伝わったものの、ヨランダには無理矢理作った笑顔でそう答えるしかできなかった。
「──ひゃあ?!」
馬車でふたりきりになると、エルフィンはまず土下座した。
「すまなかった!」
「あわわわ……や、やめてくださいッ!!」
『妻を怒らせたら全力で土下座謝罪』とエヴァンは語っていたが、エルフィンの前では如何にも辺境伯然としていた父である。
そんなこと彼は勿論教わってはいない……血の為せる技だろうか。
余談だが、グローリアは初めてエヴァンに土下座謝罪をされた際、一瞬瞠目したもののそれまでの彼の言動に納得いった感じで、暫くそのまま説教をした。
尚、エヴァンは最初の頃からグローリアを溺愛していたが、彼は忙しく故意と偶然からなにかと擦れ違いが起こっていたせいで、色々伝わっていなかった。
家人がグローリアに冷たかったのは既出の通り、当時の侍女長が主な原因。加えてエヴァンが家人であろうとも男には近付けさせなかった為だ。
初めてグローリアがそれらを知ったのは、この説教の時である。
「おお怒ってませんからァ!」
グローリアとは違い、土下座に焦ったヨランダは自らも床に膝をつけた。
やたらと馬車で床に座る夫婦だ。
「……怒っていないのか?」
「え? ……あの、う~ん……はい、多分……」
「多分? ああ、きちんと説明を」
「エルフィン様、そうではなく!」
ヨランダの答えを『説明不足から』と思ったエルフィンは順を追って説明しようとしたが、彼女はそれを遮って俯いた。
「……」
「ヨランダ?」
「……その、少しお時間を頂けないでしょうか」
俯いた彼女の表情は見えず、不安がせり上がる。
床に膝をついたヨランダに手を貸すフリをして、強く抱き締めて気持ちを伝えたい衝動に駆られた。
「──ああ、わかった」
だが、エルフィンはそう返した。できるだけ穏やかに。
(ここで気持ちを押し付けたくはない)
立ち上がると彼は紳士的な仕草で手を妻へと差し出し、座席に座らせる。
エルフィンも今回、グローリアの話を知って衝撃的だった。
フレデリカから言われたことも、バイオレットから言われたことも気になる。
特にバイオレットの疑い──ヨランダに好かれていると思って浮かれていたが、確かにヨランダには置かれている立場上の問題があるのだ、と強く認識せざるを得なかった。
(できれば、心から自分を好きだと思って欲しい……というのは我儘だろうか)
それまでだって、好意は抱いていた。だが穏やかに家族となることを求めていた時と今では違う。
──それではもう足らない。
(私は、怒っているのかしら……)
ヨランダは自問したが、自身にもよくわからなかった。
ただ、モヤモヤしたものは残っている。
これまでの人生の中で『怒ったことがない』とは言えないが、諦めばかりで怒りの数は非常に少ない。
選択の幅が常に狭かったヨランダにとっては、自分で切り開ける幅も狭かっただけのこと……諦めは切替でもあったりした。
立場上の引け目は勿論あれど、自己肯定感や自信のなさとは少し違う。
故に、本人が『似ている』と感じているアーネストとは全く違っている。
育った環境も性別も違うのだから、培ってきたものが違うのは当然のことだろう。
愛され奔放に育ったバイオレットとも、気位が高く、それに見合う能力と美貌を備えたグローリアとも違う。
『貴女には選択肢がある』──そうバイオレットに言われても、グローリアとエルフィンから謝罪をされても、ヨランダはいまひとつピンとこなかった。
色々邪魔が入ったのは確かだが、今のモヤモヤにそれは、やはり重要なことではないように感じている。
グローリアの説明は充分であり、足らないのは今回の一連の出来事に関してではない。婚姻の、エルフィン側の事情である。そもそもそこが抜けていること自体、結構な問題なのだけれど。
諸々の出来事で曖昧になったそれは、エルフィンと結ばれたことやバイオレットの申し出によって、モヤモヤとして残ってしまった。
何もなければきっと、そのままいい方に流されていた筈で。よかれと思って出された選択肢と決定権は、ヨランダにとっては分不相応な重荷だ。
(……でも、本当にこれでいいの?)
その反面、今までの人生では有り得なかった『岐路に立たされる』ことには衝撃があり、なにかをきちんと決めなければならないという使命感にも似た強い逼迫感があった。
だが自分が本当にしたいことや欲しいものなんて、ここまで重く自ら考えたことなどなく、『欲するままに』なんてまず無理──少なくとも、知らなければ決められない。
しかしエルフィンに諸々を聞くのには躊躇いと不安しかない。ヨランダは他の皆とは、生きてきた範囲が決定的に違うのだ。
そんな彼女の気持ちは、誰にもわかって貰えないだろう。
別邸にいる皆にも、隣にいるエルフィンにも、きっと。
ヨランダの思考は胸のモヤモヤと同様に不明瞭なまま、立ち行かなくなっていた。




