94.アバンレイン荒野の決戦・転1
現オロバス公爵。フルネームを、オーガスタ=オケニア=オロバス公爵。私は自陣に戻ると、大きく一つ息を吐いた。
人には不得手なものがある。私に限って言えば、それは戦術と呼ばれるものだった。あるいは、前線に出て働くということだった。
公爵の業務とは、えてして上からものを言うことであり、全体の流れを把握して最終的なゴール地点を定めることである。言い換えてしまえば、その過程はおおよそにおいて投げてしまうことが多い。
代わりに、任せられる人間を選ぶのだ。人を見る目。それが、公爵家が生き残って来た理由であり、戦時における私のスタンスであり……ゆえにこそ、今、私は追い詰められていた。
オロバス公爵は貴族としては武功を挙げてきた方だ。特に、私の代になり、私が兵士の指揮官になってからというもの、オロバス公爵家は敗北を知らない。
当たり前である。その全ては、私の隣で、私の妹婿殿が執って来た指揮。全ての戦功は、デファールが持っているもので、私が持っているものではない。
私には、戦争の才能は、ない。
「ふぅぅ。」
正面を向く。デファールがいなくなった。つまり、オロバス公爵家は戦う力がないも同然。……指揮官の力は、少なくとも凡庸よりも一歩劣る。
「力を信じて、攻めよ!!」
今の私に言えるのは、正直、それが限界だった。だから。
ペガシャール帝国軍で一番最初に後退を始めたのは、私たちの軍だった。
指揮官として無能でも、政治の力が高い人間というのは往々にしている。
戦術家として優れていても、戦略家としては優れていないペディアがいるように。あるいは総大将として優秀でも、前線指揮官としては無能になりかねない人間が、世の中には往々にして存在する。オロバス公爵は典型的なそれだったかと、俺は軽く舌打ちした。
陛下の慧眼には驚かされる。立場上では一翼を担わせるしかないのかもしれない。だが、向かぬ男に補佐もつけず、決戦の軍隊の一翼を担わせるのは酷いだろう。
あれじゃ確かに。コーネリウスに『元帥』は任せられない。
あるいは10年後なら。そう思わざるを得なかった。
「3隊に分ける。1部隊は俺についてこい。第2部隊は迂回からの突撃、横っ腹に穴をあけてやれ。第3部隊はさらに大きく迂回。敵の後方に出ようという動きを見せ続けろ。」
本気でやらなくてもいい、と付け足しておく。たった一千の騎兵で敵の背後に回ったところで、そこまで大きな被害にはならない。せいぜい、警戒を後方に割ける程度……とはいえ、指揮官にとって警戒対象が増えることは嫌なこと。
せいぜいグリッチを苦しませる方法としては、完璧に近い方略だろう。
3つの部隊が分かれる。大きく大きく敵を迂回せんと、馬たちが走り去っていく。
そんな中、俺は自軍、オロバス公爵の、じりじりと退却している陣を見つめた。
「頑張るじゃねぇか。」
オロバス公はそこまで戦術に長けていない。凡百よりも劣る程度の才しかない。ゆえに、まだ壊滅して完全に敗走していないことは、正直なところ驚きであった。
「耐えろ!援軍が直に来る、それまで耐え忍べ!」
公爵の叫び声。その声に、あぁ、それで耐えたのかと納得する。
確かに。『遊撃軍』が存在することを理解していれば、援軍が来ると断言が出来るだろう。だからこそ、致命的な敗走をしないよう、味方を鼓舞し続けることが出来たのだろう。
士気が高いのもよかった。身体能力が向上していることは、なおよかった。
俺たちが『王像』によってえらばれた『像』たちの軍であり、その恩恵を受けているという確信。それこそが、ペガシャール帝国軍の戦意を保ち続けていた。
「『ペガサスの騎像』よ!!」
ゆえにこそ。戦意で負けず、身体能力で負けず、ただ指揮官の腕の差で押されているという状況だからこそ。この拮抗は維持されているものであり、俺が介入する余地のある戦になっており。
その権威と、援軍の存在を、精いっぱいアピールする時だった。
「『ペガサスの騎馬隊長像』クリス=ポタルゴスここにあり!死にたい奴から前に出ろ!」
棒で、いきなり数人を叩き殺す。騎馬隊長の実力。馬と配下の能力1.3倍、隊長の能力もまた同様に。
ブン、と空気が鳴く。その音が鳴るごとに、一人から三人ほどの兵士たちが斃れていく。
「蹂躙せよ!」
次々と落ちていく兵士たちに、笑った。凄絶な笑みを、狂ったような笑みを見せつける。
神々しい『像』の力の持ち主が見せる狂気に染まった恐ろしい笑み、それを正面から受け止めた兵士は、腰を抜かす。
「ヒ。」
ずり、と、地面に尻の跡がついた。一つではない。いくつもだ。
「走れ。」
大きな声で。しかし静かに、俺は兵士たちに命令する。
騎馬隊が全力で駆け始める。その道を、まるで花道でも開いていくかのように、敵兵たちが開いていく。
騎馬隊は足を止めない。足を止めれば、待っているのは死だ。だから、敵陣の中を貫通するように突破していく。
それで。オロバス公爵と向き合っている兵士たちの士気が、戦意が落ちた。陣形が崩れ、戦いに恐怖を覚えている。
「次!突き抜けたら反転する!!」
これは一時的な対処療法に過ぎない。騎馬隊が過ぎ去ってしばらくすれば、ゼブラ公国の軍隊は息を吹き返すだろう。
オロバス公の指揮能力では、一時的に優勢になったこの状況を保ち続けるのは難しいだろう。急がなければ。
敵の戦意が落ちてくれたことに、私は心底安堵する。
クリス=ポタルゴスという、『ペガサスの騎馬隊長像』はよくやってくれたと思う。
さっきまでは、私には手に余る戦争の状態だった。今は、どちらかと言えば、まだ何とかなる部類の戦場だ。
「敵は腰が引けているぞ!このまま押し込め!!」
その叫び声に、クリスの援軍で固まっていた味方兵士たちが、ハッとしたように動き出した。
彼は強烈すぎる。敵の戦意をくじくその手腕は非常に素晴らしいし、その攻撃力も伊達ではなかったが……いかんせん、味方がその力に目を奪われてしまったのが非常に困る。
息を取りもどし、見惚れていたその強さに、その強者が味方なことに兵士たちが狂喜する。逆に、敵はたじろいだ。あれほどの化け物が、敵にいるのかと言わんばかりに。
「奴らは既にここにいない!今目の前にいる敵だけを相手しろ!」
敵の指揮官の指示が飛ぶ。その言葉は、敵だけではなく味方にも突き刺さった。
騎兵の宿命だ。あれは速度が命である分、同じ戦場に留まっていられる時間が極端に短い。その代わりが、一度に与える圧倒的な攻撃力。包囲戦から突破するとき、いの一番に投入される圧倒的な破壊力は、多くの代償を伴って行使される……この、味方は既に去っているという、恐ろしいまでの寂寥感と不安感。
それを覆い隠すかのように、オロバス公爵は号令を出した。
「あの武勇に応えるぞ!かかれ!」
彼らだけを戦わせていいものか。そういう想い。それを、オロバス公爵は抱いていた、が……。
それは、責任あるもの、年長者、あるいは、何かしら強みがあるもの。信念を抱くものだけが得られるような感覚であると、オロバス公爵は知らなかった。知っていたら、もう少し言葉を選び、丁寧に指揮していたはずだ。
彼はもっぱら俯瞰して戦う戦略家であり政略家だった。戦術家なら、最初からそんな命令を出していなかっただろう。
あの武勇は、クリス=ポタルゴスであるがゆえに出せるものだ。あの武勇は、最初から天賦の才を持ち、それを十全にのばしてこれたから魅せつけられるものだ。
凡人では。あるいは、自分たちが強くないことを知っている者たちの前では、天才との比較は嫌味にしかならない。ましてや、その実力を、その破壊力を、目の前で見せつけられてしまえば、なおさら。
「あいつらだけでも、勝てるんじゃねぇの?」
それは誰もが持つ弱さであり、あるいは普遍的に持つ逃げの姿勢。戦術家、前線指揮官とは元来、こういった思想に兵士たちがならないよう、鼓舞し、言葉を選び、戦わせるのが仕事である。
これは、まずい。それをオロバス公爵が気づいた時には、もう遅かった。前線指揮官の経験がほとんどない彼では、絶無に等しい彼では、ここから士気を持ち直す術を知らなかった。……当たり前だ、そういう思考へ陥る前に、兵士たちの思考を誘導しなければ、一度逃げに入った気持ちを持ち直せるはずがない。
オロバス公爵は、こうなる前に戦闘へ意識を集中させるだけの手腕が必要とされる場で、それを持っていなかった。
「……甘えるな、兵士ども!!」
一喝する声が、後方から聞こえた。それは、オロバス公爵に兵士を率いさせることに懸念を抱いていた、一人の農夫の声。あるいは、貴族全てに恨みを抱いているといっても過言ではない、そんな男。
『ペガサスの砦将像』エリアス=スレブ。彼が、持ち場を離れ、自軍を副官に預けて、オロバス公爵の軍後まで歩いてきていて。
「そんな姿勢で勝てると思っているのか!そんな姿勢で、一度開いた戦端が終わりを迎えると思っているのか!」
戦争は、終わるまで、続くのだ。クリスに任せていたら、クリスだけに任せていたら、もし勝てるとしても勝利は先になる。
「死にたくないのだろう!生きていたいのだろう!早く帰りたいのだろう!ならば戦え、その得物は何のために握っている!」
怒りの声。それは、強いエリアスが言っても響かないもの……ではない。
誰もが知っていた。エリアス=スレブという人物が、農民出身であることを。
誰もが知っていた。エリアス=スレブという人物が、農民たちの未来のために戦おうと、覚悟していることを。
兵士たちは、よほどの精鋭部隊ではない限り、元をたどれば農民である。ゆえに、同じ農民の言葉は強く響く。
「敵はクリスの攻撃によって腰が引けた!今全力を尽くせ!一日でも、一秒でも早く国に、故郷に帰るために!全力で敵と戦え!!」
エリアスの怒号に、兵士たちの士気が盛り返す。勝てる戦だった。勝てる戦だからこそ、彼らは少し甘えていた。
神の権威。あるいは、優れた武勇。
だが、自分たちが耕してきた広大な農地を自分一人では到底耕しきれなくなっていったように、戦争も同じだということを、今になって思いだした。
兵士たちは、雄たけびを上げながらも、敵陣の中に斬り込んでいく。
「オロバス公。」
「……ありがとう、エリアス君。」
「いえ、もしコーネリウス殿に咎められそうなら、庇っていただけますね?」
「それくらいならお安い御用だとも。……任せる。」
「承知いたしました。」
私は数歩後ろに下がる。彼は己の限界を痛感した。
やはり自分は、前線指揮官に向いていない、と。
「ふぅぅ。」
エリアスが、鎌を手に握る。馬には乗っていない。エリアスは、馬術の心得はあまりない。乗れる程度である。
「かかれ。」
静かに。戦いの火ぶたが切って落とされて。
「クリス=ポタルゴス、再び来たれり!命の惜しいものはいるか!」
敵の後方から、クリスがその陣を割るように、突撃してきていて。
オロバス公爵の指揮により一時危地に陥った右翼は、再び息を盛り返した。
帰ってきたら、指揮者がオロバス公爵からエリアスに代わっていた。だが、少々安心したと言える。オロバス公爵は正直、あまり戦場で当てにしてはいけなかった。
兵士たち、とはいえ力なき農夫。特に優れた武術があるわけではなく、優れた学があるわけではなく、しかし国にとって何より重要な食糧を作り出す、かけがえのない存在。
そんな彼らが抱いてしまっている諦観を、オロバス公爵は理解して声をかけることは出来ない……それは、わかっていた。
それは、努力を当然のものとして受け止め、日々勉学に励めることを普通のことだと感じ、周囲より勝っていることを鼻にかけるわけでもない。
貴族として『当たり前』をなしてきた人間に、弱者の心持がわかろうものか。人の数だけ当たり前があり、その数だけ響く言葉に差がある。オロバス公爵のその貴族としての在り方は、どこまでも平民たちとは相反するもの。
どこまでも、貴族として正しいもの。どこまでも、為政者として正しいもの。もし彼の在り方が間違っているとい負うのなら、それは強者への理解がない人間であり……彼の言葉を受けて戦意を喪失した兵士たちを責めることもまた出来ない。
自分がやらなくても、勝てるじゃないか。そう思ってしまった彼らを否定できるのは、弱者になったことがないもの。あるいは、努力し力を身に着けることを『当たり前』だと思ったことがないもの。『努力』を『努力』と思わずにいられるものだけ。
だからこそ、エリアスが指揮に戻ってくれて助かったと言えるだろう。少なくとも、戦わない兵が大量に出るという状態は防げるだろう。
再び棒を振り回す。エリアスが、叫んだ。
「やれ、クリス!」
「……おう!」
頼もしくなったな、と思う。彼が『像』に任命されたとき、いや、されるだろうなと予想したとき、俺は怖かった。
農民の思想では、政治についてこられない。全てを助けようとする姿勢、不正を許すまいとする姿勢は、反政府にとってはいい旗印でも、実際政治を行おうとするものが一番やってはならない姿勢だ。
その中心に、『像』がいるかもしれない。それは、国の力をおとしこそすれ、決して上向きにすることは出来ないだろうと思っていた。
それが、おそらくは緩和されるだろう。緩和されただろうと思う。
だって、そうでもなければ。
エリアス=スレブが、天下のペガシャール大公爵たるオロバス公を生かし助ける理由がないのだから。
「クリス隊に告げる!このまま敵の攪乱に移れ!右翼はもう、大丈夫だ!!」
棒を、振った。
一度に吹き飛んだ兵士の数は、三人。
それを見ても、右翼の部隊は決して見惚れることも、腐ることもなく。
ただ、目の前の敵を斬り捨てていた。




