89.エンフィーロ
歓迎してきた彼らの元へと、歩を進める。
ディール、フレイ。この二人を連れて前に出る。二人がいれば、万が一襲撃されたとしても、俺が逃げる時間は稼げるし、彼らが死ぬこともないだろう。
「……あぁ。彼らか。」
ディアが、ポツリと呟いた。たまに思うのだが、馬の口でどうやって人間の言葉を話しているのだろうか。……神の使徒に対して考えるのは無駄だろうとも思う。あまり釈然とはしないが。
とはいえ。今注視するべきは、そんなことじゃない。ディアが、俺たちを歓迎する人影に対して、『彼らか』とまるで知って居るそぶりを見せている方が問題だ。
「誰だ?」
「話を聞いた方が早いよ。大丈夫、彼らは絶対にアシャトを攻撃することはない。」
ディアがそこまで断言する。……彼は200年前の記憶が最後とは言え、基本的に嘘は言わない。……過去の神定遊戯に関わっていた何かなのだろう。こと歴史に関しては、彼はまぎれもなく生き証人だ。『生き』ていたかは怪しいとはいえ。
そうこうしているうちに、俺は一団の者へとたどり着いた。少しだけ振り返ると、有シャルロットやバゼルが軍を止めたまま。準戦闘態勢でこちらを伺っているのが見て取れる。よし。
「名乗ることを許す。」
目を向けた。集団の戦闘にいる男。年はペテロより少し上……35歳くらいだろうか。それならデファと同い年なわけだが。
「『ペガサスの王』アシャト陛下にご挨拶申し上げます。我らの名は、エンフィーロ。ペガシャール王直属密偵集団『エンフィーロ』と申します。」
個人名ではなく、団体名。しかし、それは何よりも雄弁に。彼らの素性を、物語っていた。
国王に必要なものが何か。内乱中のペガシャールでは、それが三つの派閥となって表れている。
血統第一主義、アダット派。才能第一主義、レッド派。
そして、神意第一主義、アシャト派。
この争いは戦争ですべての決着がつく話であるが。国づくりとは、国政とはその範疇で収まる話ではない。
国として最低限、政治家があって当たり前の者として受け入れないといけないのは何か。
ゲイブ……アファール=ユニク現侯爵ならこう言うだろう。「傲慢と信頼」。
ノルド。現エドラ=ケンタウロス公爵ならこう言うだろう。「利害と恐怖」。
ペテロ。『ペガサスの宰相像』ならこう言う。「賄賂と宗教」。
どれも当然のものだ。これらすべてをうまく使いこなせないと、国というものは運営できない。
まぁ一人でやるのは無理があるから、国には運営者が大勢いて、派閥争いというものがあるわけだが。
王に傲慢なくして貴族は王を崇めない。
王に信頼なくして貴族は王に従わない。
貴族に利なくして貴族は王についてこない。
貴族に恐怖なくして貴族は叛心を捨てられない。
政治に賄賂なくして政権は現状すら維持できない。
政治に宗教なくして政権は前にすら進めない。
その当たり前を無視する政治家なら……まあ無能のレッテルを貼るべきであるが。アシャトはありがたいことに、そのレッテルは貼られない。
何が言いたいかというと。
政治に必要なもの。その要素はまだまだあって。
そのうち、『暗殺』及び『情報統制』、そして『情報収集』。それらを回収・管理しているペガシャールの闇の組織。それが、目の前にいる『エンフィーロ』だった。
「歴代王像も苦労していたんだな……。」
「今は君の番なんだってば、アシャト。大丈夫、彼らの正当性については僕が保証するよ。」
教えてほしい。暗殺や情報統制を管理する集団の『正当性』ってなんだ?
だが。彼らが、俺に忠誠を誓うべく現れたことだけは、わかった。
「なぜ今来た?ディマルスに来てもよかったじゃないか。」
「いいえ。そういうわけにもいきません。私たちはあくまで王に仕える影の組織。他の貴族たちに知られるわけにはいかないのです。」
わかったような、わからないように気がする。だが、ここも大概、兵士たちに見られる場所じゃないだろうか。
「勘づく人たちはいるでしょう。が、貴族たちに堂々と『こんなやつがいる』と知られるほどではありません。」
決して若くはない声。だが、その言葉は事実だろうと納得できる。ここにいる貴族の軍はそもそもエドラ=ケンタウロス公爵の軍だけだ。他の貴族は、極論、『像』の軍なので、口封じが効く。
『像』を与えられた人物は、『王像の王』からの強権発動には逆らえない。最悪、隠しきってしまえばいい。
「……そうか。エンフィーロとは、いかなる組織だ?」
「『ペガサスの王像』に選ばれた王にのみ従う組織です。普段はアニマスとベルスの間から見える小山『ヒックス』を拠点としています。」
即答。まるでそういう手順でもあるかのように、彼はさらさらと諳んじていく。
「『神定遊戯』が起きると共に授けられる像は『跳躍兵像』。主に暗殺と密偵を任されておりました。また、ペガシャール植物園の管理権の一部も与えられておりました。我らが行う行動には、多くの薬が用いられております。例えば毒・解毒。姿をくらますための催眠薬の類。それらを作るためには、植物園で得る多くの薬草が必要不可欠なためです。」
長い長い多い。せめて文字にしてほしい。これを全て声として耳で捉え続けるのは至難の業だ。文字の方が入ってきやすい。
「その総員は300人。密偵を主とするだけに、これ以上増えては姿をくらますことが難しいため、それ以上増やすことはきつく戒められております。」
それはまあ、妥当な判断だろう。一つの山を拠点にする集団なのに、山に人が住んでいることが知られたら目も当てられない。
「当代の代表は私、ヌント=アニマス=エンフィーロ。……今後とも、我らをお使いいただければ幸いです。」
「……なぜ引っ越さなかったのだ?」
それは、遷都時にどうしてこの近隣に留まったのか、という問いだ。それに対して、エンフィーロの答えは単純だった。
「『ペガサスの王像』なき王にエンフィーロの力は過分。」
「……。」
「あと、『ペガシャール植物園』がない時のエンフィーロは暗殺と密偵の能力が一段落ちますため……。」
絶対そっちが本命だ、と思う。とはいえ、否定はしない。アダットみたいなやつがエンフィーロの力を得てみろ、俺の家は多分三代前くらいで滅んでいたに違いない。
「……まあ、いい。能力的にも確かに、聞く限りでは『跳躍兵像』のそれだな……。」
『跳躍兵像』。それは、空間跳躍を可能とする『像』だ。その役割は大きく三つ。
一つ。各軍の間を繋ぐ伝令。
一つ。敵と自軍間の間を往復する使者兼交渉役。
一つ。敵の寝首を掻く暗殺者。
基本的に伝令が人力か魔術を使った簡易的な報告しか出来ない中、何度も跳躍して時差なく伝令を伝えられる『跳躍兵像』は伝令に優れ、危地になればすぐさま能力で敵から逃れられる『像』は交渉役にうってつけで、そして同様の理由から暗殺にも持ってこい。
エンフィーロはそのうち『暗殺』を主に司っていた、ということだ。
「受け入れてくださいますか?」
「ヌントと言ったな。貴様に渡せばいいのか?」
「まさか。」
ディアから降りる。彼を元のサイズに戻しながら問いかけると、ヌントは首を振って否定を示した。
「違うのか?」
「はい。私の息子に。」
そう言ってヌントが手で招いた先にいたのは、俺より幼い少年だった。年のころは、15歳ほどだろうか。
「子供じゃないか!」
「……なぜ驚かれているのです?」
ヌントが首を傾げる。その反応に首を傾げたいのは、どちらかというと俺だった。
どう考えても幼い少年に、『像』という重い役職を与える。しかも今は乱世である。子供だから使わない、なんて悠長なことを言っている余裕があるわけでもない。
だが、ヌントは驚きもしなかった。ディールは……いや、ディールもフレイも平然としていた。
「兄貴。俺たちがあの盗賊どもを殺しに行ったのは何歳だっけか。」
「14歳だ。」
「こいつはあの時の俺たちより1つも上だぜ?」
そう言われると納得しそうになる。違う、そうじゃないだろう。
「俺たちみたいな境遇をまだ増やすのか!」
「今はそうするしかないんじゃねぇのか、兄貴?」
いいや。大人がいるなら、大人が対処するべきだ。そう思って、ヌントを見る。
「申し訳ないですが……いえ、五進言申し上げて構わないですか?」
「……許す。」
どんな言い訳が飛び出て来るかと思った。……だが、出てきた言葉は、思った以上に俺に衝撃を与えた。
「『像』は、人に移すことが出来ません。陛下もご存じのことだと思います。……死んだら、その『像』はなくなるのです。」
敵の手に落ちた場合を除いて。
敵の手に落ち、『像』の手で斬られた『像』は、斬った陣営の『像』として利用が可能になる。『神定遊戯』ごとに一度リセットされるが、その『神定遊戯』開催期間の不利は拭えない。
だが、老衰や病死の場合は違う。その『像』が『像』として機能しなくなる。『神定遊戯』開催期間中、病死した『像』は王の元に舞い降りることはない。
「陛下が死ぬまでは『神定遊戯』は続きます。が、私が死ねば私の持つ『像』は永遠に失われます。」
ペテロとデファールには既に渡してしまったんだが。しかも『宰相』と『元帥』を。……いや国の要職を超若手に任せたくもないが……。
まあ、そう言う意味なら、納得する。自分でこれ以上首を絞める必要はないだろう。
「分かった。じゃあ、息子に渡すことにする。ディア。」
「アシャトたまに思ってたけど即決過ぎない?……いいけどさ。」
呆れたようにディアが吐く。そのあと、俺の手のひらサイズまで小さくなってから、言った。
「名前は?エンフィーロの次期頭領。」
「え……あ。ムルクスと申します。ムルクス=アニマス=エンフィーロです。」
声変わりは……始まりかけだろうか。隣に声変わりしているのかよくわからない男がいるだけに、どこまで二次性徴を信じていいのかがわからないが。
そんな感想を抱いている間でも、ディアの儀式は続いて行く。それを細めでじっと見ていた。
「ムルクス=アニマス=エンフィーロ。汝、『ペガサスの王』アシャト=エドラ=スレイプニル=ペガサシアの下で忠誠を誓い、天下泰平の援けを成すか?」
ディアの厳かな問い。それに、ムルクスは凄腕の暗殺者のような静かな声音で答えた。
「誓う。アシャト王のもと、彼の王の治める地に幸福と平和を齎す、その一助となることを。」
それを見ていたフレイが、隣でポツリと呟いた。
「私ってばあれやったのよね。なんか体がむず痒くなってきたわ。」
「やめてくれ、雰囲気が壊れる。」
一気に気が抜けたようだった。こいつを連れて来るんじゃなかったかな、と思う。
「ムルクス=アニマス=エンフィーロ。お前は命尽きるまで、アシャト王の命に従うと誓うか。」
ディールやオベール、フレイの時は『命を守る』だった文章が、『命に従う』になっている。『跳躍兵像』は他よりも王の命令を受け入れることが主な役職だ。あっちへこっちへ、まるで雑用係のように。だからこその、この問いなのだろう。
「誓う。我が行くところは王の瞳。我が聞く言葉は王の耳。我が動く全てはただ王のために。」
こう聞くと重いな、と思う。王の重責が軽いわけではない。だが、王の重責以上に重い、臣下から買う忠誠。答えられるようにしなければ、と思う。
それが、他の二国を滅ぼして、『皇帝』になることだとしても。戦火を広げ、平和とは程遠い世の中を作ることだとしても。
俺は、それが叶うよう。筋道を立てる必要性。王としてあり続ける必要性と重責を、強く感じる。
「『ペガサスの王』アシャト=エドラ=スレイプニル=ペガサシアが、汝を『ペガサスの跳像』に任ず。期待しているぞ、ムルクス。」
「期待に応えられるよう、精いっぱい務めさせていただきます!」
その言葉を締めに、ディアの羽が一枚抜けてムルクスの肩の上に乗り……そのまま、体にしみるように溶けていく。
エンフィーロ。非常に力強い、俺の密偵。
ペガシャール帝国は、強力な味方を手に入れた。




