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80.赤甲将の慟哭

 走った。走った、走った、走り続けた。

 いつの間にか靴は脱げ、足の皮膚が剝け、体は疲れで悲鳴を上げ、それでも俺たちは走り続けた。

 俺よりも体力のあるポールとジェイスですら疲労をにじませていた。でも、俺たちは誰一人として泣き言をいうでもなく、走り続け……山裾で、腰を下ろした。

「もう、動けない。」

何時間にもわたって零すことのなかった弱音を吐きだす。先ほどまでは弱音を吐いたら立ち直れなくなるという感覚があったが、今は違った。弱音を吐かないと、再び膝に力を籠めることは出来ないだろうという確信。身体に襲い来る倦怠感をわずかでも吐き出そうとしていた。

「本当に……馬を引っ張ってくるべきでしたか?」

棍棒に両手を押し付けるようにしてジェイスが聞いてくる。が、俺は頭を振った。

「三人分の軍馬は、ディーノスの家には置いていない。あるのは農耕馬だけ……逃亡の道ではむしろ食糧にしかならない。」

荒い息を整える傍らで、ほんの少しの話。だが、それでも、三人の口はすぐにふさがった。この先どうなるか不安なのは、三人とも同じだからだ。


 考える余裕もないほど息が荒く、体力がない……そんな時間は、長くは続かない。俺たちはそれなりに兵士としての訓練を受けている。ずっとへたり込めるほど、軟な鍛え方はしていない。

「ペディア様……。」

ジェイスが、こっちを見る。三人だけの時はもうタメで話すような間柄なのに敬語が崩れていない事実。それが、さらに現実を冗長するようで、心に来る。

「これから、俺たちは、どうすればいいですか……?」

心が、弱っていた。俺もだが、こいつらも。おそらく、状況こそ理解していないものの、先にある不安が取り払いようのないものなのは、理解しているらしい。


 ……父さんがいない現状、俺が彼らの心を支えるしかないらしい。グッと奥歯をかみしめる。

「大丈夫。俺がなんとかするさ。」

「だけど、フレイル様でも……。」

「父さんたちに頼らない方法を見つけるしかない。大丈夫、大丈夫。」

言い聞かせながら、本当に何とかなるのかと自問する。……何とかするしかない。俺が、二人の主だ。従者に道を示すのは、主の役目だと言い聞かせる。

「さ、行こう。」

どこに行くかは決めていない。でも……うん。生き延びたいなら、あの場所しかないだろうと、思った。




 周囲への警戒を密にしつつ、歩を進める。後方から馬蹄の音が響いてきた。俺たちが逃げてすぐに馬を出した、というわけではなさそうだ。もしそうなら、14歳児の全力逃走で何時間も駆けて追いつかれない、などありえないだろうし。

 父は、精いっぱい戦ったらしい。その上で……やはり、力及ばなかったらしかった。

「ペディア様!」

「ヒツガー?……そうか。」

振り向く。そこには、やはり馬から降りて手綱を引きながら歩いてくる男が一人。


 ヒツガー。アレイア男爵様の兵隊の一人。まともに考えたら、彼がここに来た意味など一つしかないだろうと思う。

「ジェイス、ポール。」

「……うん。」

右手に盾を、左手に剣を。右利きである俺が、本気で戦う時のスタイル。合わせるように、ポールが弓を、ジェイスが棒を構えた。

「……。」

言葉は要らない、踏み込む。瞬間、ヒツガーは驚いたように飛び退った。

「何をなさるのですか!」

「敵は斬る!」

「我々は敵ではありません、ペディア様!アレイア男爵様を見限り、あなたを追ってここに来ました!」

「……父さんは?」

「俺はいいから、ペディアを逃がせ、と。」

本当だろうか。信じていいのだろうか?……いや、長年共に生きてきたはずのアレイア男爵に裏切られたところだ。信じられるはずがない。


 俺の葛藤に気づいたのだろう。少しばかり顔に苦みを滲ませた男は、1つ大きく頷いて見せる。

「分かりました。」

ヒツガーは、おもむろに腰に提げた剣を、鞘のまま放り投げた。その場に落とすのではなく、俺たちに当たらないよう制御しながらも、俺たちの方へ。同じように、槍も、穂先が俺たちの方を向かないようにしながら放り投げる。そして、懐から取り出した、短剣すらも。

「これで、どうですか?ここまですれば、信じていただけるでしょうか?」

わずかな時すら得ぬ間に、ヒツガーは全ての武装を剥がしきった。無防備にもほどがある。


「……わかった。」

武器を、俺たちに預ける。それはつまり本当に俺たちと敵対する意思はないということだろう。今この瞬間に追手が来ても、盗賊に襲われてもおかしくないような状況でそこまでのことが出来る。怖いくらいの覚悟だった。

「私と意見を同じくしたアレイア男爵からの脱走兵が、そろそろ集まってくるでしょう。彼らを纏めてもいいですか?」

「任せる。……何人くらいだ?」

「ざっと、一千。」

「待て、それだけいたら父さんも救い出せたのではないのか?」

「私たちは、フレイル様にご恩を感じて、こうして脱走したのですよ。……フレイル様の意見は、決して無視できませんでした。」

それに、敵も1500以上いたらしい。……多分、父さんは覚悟を決めていたのだろうと思う。


「そうですね。フレイルは、あなたを生かすことを選びました。なんとしても、あなたを生かせと。私に死を禁止して。」

「……そうか。父さんは、逝ったのか。」

「はい。」

いつの間にか話の輪に入って来たアデイルの話に、頷きを……

「アデイル!?」

「ペディア様、ただ今参上いたしました。」

「いつの間に……父さんは?」

「あなたを生かすために、お亡くなりになられました。」

グッ、と奥歯をかみしめる。

「「父さん!!」」

ジェイスとポールが、アデイルに抱き着く。アデイルがその様子を見て、叱ろうとする雰囲気を出した。

「許してやれ、アデイル。……親と死に別れる恐怖を感じる子供の気持ちを、察してやってくれ。頼む。」

少し強めに命令する。その言葉に、アデイルが少し呆けたように口を空けた後……息子二人を抱きしめた。


 一歩離れて、その光景を見る。俺は、ポールが、ジェイスが、羨ましい。

 父が生きていた。親が生きていた。それを、ああして全身で感じることが出来るのだ。羨ましい以上になんていえばいいのだろう。

「ペディア様……あなたは、泣くべきだと俺は思います。」

その視線に気が付いたのだろうか。ヒツガーが、叱るように、言った。

「さ、流石に、それは。」

「そうだ、ヒツガー。ペディア様はこれからこの集団のトップに立つ身。涙など、見せるわけには。」

「アデイル殿は黙っていなされ!これは、ディーノスがどうのという問題ではなく!一人の子供が、健全に過ごすために必要な!感情の発露でありましょう!」


「その感情の発露を抑えられずして、いかにこれから私たちを引っ張る男になれるというのか!」


「あなたは!社会の悪意に晒され!人の悪意の対象にされ!帰る家を失い!果てに頼る親すら亡くした!14歳の子供の苦悩と怒りと悲しみを!発露するなと、抑え込めとおっしゃるか!」


とんでもない怒号だった。最も近くの木が震え、大気が震え、まるで地震が起きたと錯覚するほどの。とんでもない、怒号だった。

「……。」

「ペディア様。あなたは、今、泣くべきです。泣かないのが男である、とか、極力感情を抑えろ、などとは申しません。申させません。あなたは、その感情を、しっかりと吐き出すべきだと考えます。」

ヒツガーは膝を屈して、俺の目線に合わせて、そういった。

「あなたが今日得た感情は、そういうもののはずですよ。」

そう言われて、何かが、決壊した気がした。


 強く生きなければ。託されたのだ。生きろ。リーダーとして。あぁ、何が何だかわからない責務が、いきなり誰かに……ヒツガーに、持ち上げられた感覚。その中で渦巻く、何か濁ったもの、濁っているけど澄んでいる、黒くて透明な何かが、心の奥から次々と湧いては消える。


「どうして、俺たちが狙われなきゃいけない?」

「強すぎたのです、ディーノスは。」

「どうして、狙われるのが俺なんだ。」

「……あなたに、才があったからです。」

「どうして、ディーノスが滅びなければならなかったんだ!」

「相手が、人であったからです。」

「……う、うぇ、あ、うわぁぁぁぁぁ!!」

溢れた。零れた。


 涙がほほを伝う。慟哭が、止めようと思えないほどに喉からずっと流れ出続けている。

「どうして!父さんが!し、死んでしまった!父さ、ぁ、うわぁぁ!」

「……あなたに、生きてほしかったからですよ、ペディア様。」

しがみつく。ヒツガーの服に。鼻水が垂れていただろう。涙で服が、鎧が濡れることになっていただろう。それでも彼は、正面からその涙を受け止めて、俺の背を叩いていた。

「ペディア様、思う存分にお泣きになられてください。あなたは誰よりもその権利をお持ちですから。」

その言葉を聞いて。正面から受け止めて。


 日が暮れ始めた夕日の中。日が沈む瞬間まで、俺の慟哭が響き渡っていた。




 俺が泣きすぎた影響で、一歩も動けなかったディーノス家残党は、とりあえずそこで夜を過ごすことにした。

「ペディア様。大丈夫ですか?」

「以前、野営はやったじゃないか。大丈夫。」

ぱちぱちと跳ねる火の粉を眺めながら、泣きはらした目を拭う。赤くなった目の周りは、後一時間は取れない気がする……それくらい泣いた。

「いえ、体力が……。」

「まだ。まだ、何かある気がする。今は寝れない。」

眠い。少しだけ、泣いたことを後悔した。かなりすっきりしたし、気持ち的には切り替えられたものの、疲れがにじむ体に反して『寝るな』と告げる勘が、傷ついた精神をさらに疲弊させていく。


 そうして、さらに十分ほど経ったころだろうか。俺の勘が正しいことが、証明された。

「これ以上近づくな!!」

「ほう。雇い主に対して命令とは、随分頭の高い犬だな?」

「犬の手綱を握れない飼い主に飼い主の資格はない!」

「ふむ。確かに他の飼い犬たちが飼い主お気に入りの犬を集団リンチするとは思っていなかった。申し訳ない。ペディア殿はいらっしゃるか?」

おかしい、と思った。どう考えてもこれはおかしい。たった一言、ヒツガーのたった一言で態度を改める相手……アレイア男爵。


 前へ出た。彼と二人で話す気にはなれなかったが、周りには味方が大勢いる。……負けてはならない。

「なんですか、アレイア男爵様。」

「常識はありましたか。……殺気を出さないでいただきたい。」

一言目がバカにするセリフだった。わかっている、いくら既に雇用関係が解消されたに等しいとはいえ、相手は私属貴族。敬意を持った話し方は意識しなければ……身内には許されていたレベルの不作法でも、罪に問われる可能性がある。

「……罪を問う気も、あなた方に手出しをするつもりもありません。ただ、謝罪を。」

「謝罪だ?」

アレイア男爵様が発した言葉に、反射的に言葉で殴りかける。グッとこらえて、しかし意味が分からず先を促す。


「此度は私の息子がとんでもないことをしでかし大変申し訳ございませんでした。……今回ばかりは、この件ばかりは、私直々に謝罪しなければなりませんから。」

「なぜだ?……なぜ、お前が、わざわざ。」

「ディーノス以外の全ての手綱を、私が握り切れておりませんでした。そして、次代の飼い主の教育を怠った。まず、私の罪だからです。」

「それだけで、お前がここに来る理由にはならないだろう?」

「はい。なので、一つ、願いを。」

「願い?」

息子が手を下したことへの謝罪。それを行うのはまあ、わからなくはない。アレイア男爵様はこと軍事において、ディーノスの家に多分に頼っていた。なのに、それを己の息子の失態で完全に失ったのだ。


 だが、わざわざこうして、己を強く恨んでいる相手に直接謝罪しに来るような案件ではない。命の危機を飲んでまで、こうして出てくる必要まではないのである。

「アレイア男爵家。我が一族に報復に来る、その可能性があると考えた。それを、止めてもらいたい。」

「……。」

考えていなかった。だが、可能性としては、大いにありえた。


 ……さっき泣いて、すっきりとしていなければ。誰かが「俺に気を使って」それを言ってくる可能性はあった気がした。その時、俺はその意見を承けていた気がする。

「ペディア殿。あなたにはその権利は十分にある。その実力もまた、十分に。ここにいる1000人で、私たちを討つべくあなたが立ち上がられたら、アレイア男爵家はよくて半壊、悪くて滅亡する。」

そうだろう、と思う。ディーノスはこのアレイア男爵領内で、男爵に次ぐ知名度を持つ。その善政、盗賊が出ない生活を保護しているのはディーノスのおかげであると、ほとんどの領民が知っている。


 万が一、ペディアがアレイア男爵に攻撃すれば。領民たちの一部は、間違いなく立ちあがる。政治はわからなくとも、恩がどこにあるのか、人は良く知っている。

「……俺たちを再び雇おうとは思わないので?」

「ペディア=ディーノスよ。それが最善であるとわかっていても、最善を取ってはならない時がある。政治では、そういうものは日常茶飯事だ。この場合は、最もわかりやすい、『最善を取ってはならない時』だとも。」

結果として、アレイア男爵家が失墜を始める原因になろうとも。そうだとわかっていても、男爵はもう、ペディアを、ここにいる面々を雇いなおすことが出来ない。

「ゆえに、こうして直接顔を出して謝罪とお願いに来ている。……すまなかった、ペディア。」

頭を、下げられた。瞬間、彼がこの事態を、そして俺がアレイア男爵に攻撃することをどれだけ重く取っているか理解して、呆然とし。


 しかし、頭を振った。彼がどれだけこちらの意思を汲んでいようと、誠意を向けて来ようとも、されたことには変わりない。

「千人を三ヵ月食いつながせるだけの食糧もしくは金品。それで、要請を受け入れましょう。」

暗に従わなければ攻め入るぞという言葉をかける。

「それならば、承知いたしましょう。こちら、契約書です。」

おそらく、俺が冷静であれば落としどころはそこだと踏んでいたのだろう。既に用意された契約書が、俺の手元に回ってきた。

「……問題はなさそうだが……アデイル、どう思う?」

「問題ありませんね。……しかし、用意周到が過ぎる。何を見落としている?」

じっと、アデイルが契約書を読み込んでいく。状況が状況だ、読むだけ読んでもやりすぎるということはない。


「男爵。期限の明示を、忘れておられます。」

「……アデイル=ヴェドス。生きていたのか、貴様。」

「えぇ。先代によって役人階級から転落した我が家ですが、しかし、フレイルとともにあった私だけは、難を逃れましたから。」

「そうではない。そんなもの知っておる。まさか貴様がフレイルとともに死を選ばぬとは……友情が腐ったか?」

瞬間、隣から走った身震いするほど強烈な殺気。俺が身をすくませた瞬間に、彼は激怒するように叫んだ。


「ふざけるな!俺とフレイルの友情は不滅だ!貴様ごときに笑われてなるものか!!」


シン、と周囲が静まり返る。なんだろう、何かが、救われる気がして、でも重苦しい気もして。

「……すまない。期限だな。来月の今日でどうだろう?」

「三日後だ。」

アデイルが即答する。その返事に、男爵の頬が引き攣った。

「一ヵ月。その間、ディーノス残党が生き残れないと考えたな?そして盗賊に落ちるだろうと予想し、契約相手はディーノスであって盗賊ではないという論法を用いるつもりだったのだろう?そうはさせない。」

汚い。……貴族ともなれば必要な汚さなのだろうが、それでも少しあきれ果てるような汚さだ。

「……三日後。わかった、承知した。」

見透かされて、一瞬話を続けようとしたアレイア男爵だが、話がこじれれば攻め込まれることを察したのだろう。……というか、現状なら、彼を直接斬ってもいいのだ。


「では、三日後に。ここに持ってこい。」

アデイルが締める。なぜ彼が、と思わなくもないが……今回は彼がいて助かったので、何も言わない。


 そうして。アレイア男爵との最後の邂逅は、終わった。


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