258.『護国の槍』の苦しみ
完全にしてやられた。
アシャト=エドラ=スレイプニル=ペガサシアという国王の、無理難題を突破しようとする精神力を、コーネリウスは完全に舐めてかかっていた。
ディールがいないことは知っていた。なにか裏で動いていることはわかっていた。
だが、まさかアルス=ペガサス公爵家の騒動に行っているとは思っていなかったし、何よりアルス=ペガサスが、ディールとオベールの助力のみであっさりパーシウスに掌握されると思っていなかった。
コーネリウスは完全に読み違えた。
ディールの武力を、ではない。オベールの万能性を、でもない。ニーナの献身を、でもまたない。
わたしが完全に読み違えたのは、パーシウスという人間の将器である。
かつてデファール=ネプナスがパーシウスをこう評した。『昼寝中の猛虎』と。それが事実であると、まったくもって思っていなかった。ディールがいなかった期間はわずか四ヵ月かそこら。その間に、まさかアルス=ペガサス公爵家を掌握し、『神権主義』を総入れ替えし、コーネリウスがいなくとも一軍を担えるほどになるとは思っていなかったのだ。
実際のところは違う。パーシウスはもっと昔から準備していた。『神権主義』の次期当主の面々だって、全員が全員、いつ『神定遊戯』が始まってもいいようにしてきていた。
狙いは『帝国化』。主が誰であろうと、その要求を突き上げようと考えていたのだ。たまたた、君主が『帝国化』を選んでくれていただけである。
だが、そんなもの、コーネリウスにはわからない。パーシウスの継いだ『神官』の役柄自体は理解していたがモーリッツと戦えるほどの一大勢力になっているとは思いもしなかったし、 バイク=ミデウス侯爵家よりもともすれば強大な、小国家とすら呼べる規模であるかの領地を一瞬で支配下における治世能力も理解できない。
なにより、一面を完全に任せられる将器だと、自分で言い張るその自信。その能力を。コーネリウスはパーシウスから見て取れない。
当然である。パーシウス本人の将才は、コーネリウスに劣る。ペディアやグリッチを凌ぐだろうが、将校としての才覚は圧倒的とは言い難い。
だが、それを補ってあまりある『王器』があった。アルス=ペガサスでなければ。彼の名に『エドラ』が冠されていないことが惜しまれるような。それほどの『王器』が、彼の内には輝いていた。
神の保証という名の絶対的な優位があるから、アシャトの立場が脅かされることはない。だが、その保証がなければ、パーシウスの方が輝いて見える程度には。
コーネリウスが見て取れないのも無理はない。彼はあくまで『護国の槍』。自らが導く次代を見る目と、自らが率いる配下を見る目は伸ばしているが、王器を将器に転換させて将才を作り出す人間など理解できようがないのだから。
「完全に陛下の掌の上でしたね。」
「……そうだな。」
屋敷に帰って出させた食事を口に運ぶ。出汁の利いたスープに餅を浸し、口に運ぶ。箸に切り分けた肉をつかんで咀嚼する。
当然の教養として丁寧な所作で行われるそれは、しかし端々の力具合や噛む音の強さで、怒りを滲ませている。
対面する鋼色の髪の女はあまりにも淡々と食事を勧める。そこから感情を読み解くことは難しく、読み解けるのは圧倒的なまでの冷静さ、自制心の強さ。だが、身内であるコーネリウスの目から見れば、まったく異なるモノが読み解ける。
「シャルロット、読んでいたのか?」
「ええ、兄上。ここまで徹底するとは思っていませんでしたし、アルス=ペガサスに関してまでは想定していませんでしたが。陛下が『王国』への道を断つためには、エルフィール様を妊娠させるのが最速かつ対策の用意が出来ない手法だということくらいは読めておりました。」
とはいえ、博打ですし、当たるかどうかは大きな博打だ。半年間毎日致したとしてもあたる可能性は低いのではないかとシャルロットは見ていたが……アシャトは随分運がいいらしい、というのが素直な感想である。
しかし、と続けた。
「陛下はこれより、バイク=ミデウス侯爵家の軍権を大きく削ぎにかかるでしょう。権力の大半を王家の下に入れ、軍の国有化を図ります。」
「今までと同じだろう?」
「いいえ。今までは、軍を動かす命令権は国王にありましたが、軍の所有権は各家にありました。家の格に合わせた私兵の数こそ決められておりましたが、しかし賃金を払うのは家でした。家が任じた指揮官の命令を、軍は、兵は聞いておりました。……ですが、陛下が求めるのは『帝国化』。神の力あってこその王ではなく、神の力なくとも王であること。家の力を削ぎ、王家の力を強めるためには、指揮官は王が任じたものである方が好ましいでしょう。」
バイク=ミデウスの特徴である、堅い声。しかし、彼女のそれは元が高い色な分、緊張が滲み出ているように感じられた。
その緊張は、何に対するものか。正面に座るコーネリウスが、口に運びかけていた餅を握りつぶしたことで伺える。
「どうやって。バイク=ミデウスの……『護国の槍』の名と武の名門である発言力は、決して無碍に出来ないだろう?」
実際、ただ『帝国化』を目指しエルフィールを隠居させることはないという宣伝を行うためだけに、エルフィールを妊娠させるという手を打ったのだ。いかに帝国反対派を警戒しているかが伺える、とコーネリウスは謳う。
だが、シャルロットは、その主張を受け止めたうえで首を振った。
「陛下が警戒したのは『帝国反対派』です。重ねるならば、アグーリオ国王からの追及に対して退路を断つことが主目的です。『戦う』以外の選択肢を取れなくするための妊娠です。バイク=ミデウスのみを警戒し、黙らせるための行いではありません。」
その言葉には納得しかねるというのがコーネリウスの本音だった。『帝国反対派』を警戒されているならば、当然バイク=ミデウスも警戒されているだろうという考えからだ。
コーネリウスの思想を重々承知の上で、シャルロットは匙を鶏がらで出汁を取った汁に差し込み、喉に運ぶ。
「ガネール=テッド子爵、グラントン=ニネート子爵、ラムポーン=コリント伯爵の離脱はなかなか大きかったですね。」
「そうだ、あいつらもだ。なぜ何も言わない。」
旗頭にわざわざ告げられる言葉などないだろうというのはわかるが、友達甲斐のない奴らだと憤慨している。派閥から離反したくらいで憤慨する友達甲斐とは?という言葉を妹が飲み込んだのを、兄は察した。
たがいに黙る。が、空気の重苦しさに妹は苦しみを帯びていた。
未来の予想について、話しておきたいのだ。避けられない未来予想図がシャルロットの奥にあり、それを告げておかねば兄はその時に卒倒しかねない。
なにせ思いついた時にはシャルロットも気絶しかけた。流れを作るのが兄であることも、そのうえでその未来すら変えられないことも認めて、膝を屈しかけた。
回復に一日要するほどに、心を折られたのである。兄がそうでないとは決して言えない。
「兄上。会議が終わったら、時間をください。今後の展開について、話しておくことがございますので。」
今すぐ陛下が何かをしてくることはない。そうシャルロットは踏んだ。これ以上、アシャトが『帝国反対派』に対して何かをする必要がない。死体蹴りになることはもちろん、今わざわざ波風を立てて国を傾ける方が危うい。
すぐすぐに決戦である。王都に戦力を残すだろうが、『帝国反対派』が反乱を起こす動機を新たに作る恐れは作りたくないだろう。
コーネリウスを決戦に連れていく命令を下したのも、その一環だと承知している。『帝国反対派』が反乱を起こすには旗頭が必要だが、その旗頭足りうるコーネリウスが従軍すれば、優れた指揮官など残っていない。
エドラ=ケンタウロス公爵は次期王太子の外戚として権力を握る可能性が残り、ゆえに心が揺れるだろう。何より、『帝国賛成派』筆頭が娘である。旗頭としてこれほど頼りないものもそういない。
イーディス=フィリネス侯爵が旗頭になることはない。人格はさておき、能力に致命的な問題を抱えている。実働部隊としては動けまい。
そしてバイク=ミデウスはもっと動けない。頭が戦場に連れていかれる。反乱を起こせば殺されかねない。何も出来ない。出来るはずがない。
ここから先、形骸化してゆく『護国の槍』の実力を如何に残すことが出来るか。
もはや軍権だけでは生き残れない、動き出すだろう『神定遊戯』が目の前にあり。
「コーネリウス様、シャルロット様。出仕のお時間でございます。」
声がかかり、二人が餅を皿に置く。普段より少ない食事量。二人の精神の疲弊が伺える。
それでも、アグーリオ今上への返答に出席しないわけにもいかず。二人は、王宮に向けて馬車を出した。
念を押しておかなければならない、とバゼルは思った。
むろん、相手はコーネリウスである。
彼は彼とて、シャルロットと似たような答えを得ている。そして、コーネリウスがその未来を避けられなかったこともまた、同様に。
そして、未来の予想まである程度、優れたる妹と同じものを見ていた。バイク=ミデウスから……いや、貴族から軍権は剝奪される、と。
その手始めに、権力をそぎ落とす導として選ばれたのが、バイク=ミデウスだ。何をするかもわかっている。どうやるかもわかっている。止めようがないことも理解している。
そして、バゼルはその流れを止める必要がないと思っている。それを認めた方がよいとすら思っている。
だから、念を押しておきたいのは……己が決して、コーネリウスを裏切ったわけではないということ。己の信条が互いに交わるものではないとしても、決して敵ではないということ。
これからコーネリウスは軍権を手にする。今は王と王妃と元帥が握る軍権を、コーネリウス、パーシウスとマリアの三人が握る。
その時に、彼らの不興を買っておかないよう、せめて険悪ではないように手を尽くしておくのが、どうしても戦場にでることになる『砦将』には必要だった。
「コーネリウス。」
「……バゼル。」
彼らの家を象徴する鋼色の髪。高貴を示す橙の衣に双角の馬が刺繍された裾。
二人並んだ時の姿は、兄妹というより雌雄一対を思わせる、二つの槍。
これは尋常ではなく不機嫌だ。こちらに返事したことが奇跡的なほどに。
「謝罪はしない。私は私の意思を話したのみ、旗幟を鮮明にする時期がお前の勘違いを加速させたことだけは認める。だが、断じて、私はお前を裏切っていない。」
最初から帝国肯定派だ、と言い切る。ここであいまいに言葉を濁すより、コーネリウスにはここではっきりと白黒つけるような言葉をたたきつける方がいい。
今この瞬間は悪意に満ちたやり方だと言われかねないが。こいつは、はぐらかされるよりもはっきりと言われることに誠実さを感じる男だと、バゼルは知っている。
「私は国の未来を考えている。お前の考える、現状が維持されることを大前提とした思考停止の国の未来ではなく、常に情勢が変動し、何が起きるかわからぬのが世の常だという事情を大前提とした未来をだ。ゆえに、私は『帝国肯定派』に回っているし、最初からそうであった。」
はっきりと告げる。彼にとっては裏切られたような心地だろうとバゼルは予想し。
「……承知した。」
コーネリウスは不承不承ながらも頷きを返す。わざわざこんな宣言を、コーネリウスに対して行う必要はないと知りながら、それでも出向いて声をかけた理由を彼は理解した。だから頷いたのだ。
コーネリウスが直進する。謁見の間に入る前、その控室の扉を開く。
複数ある控室の内、コーネリウスに当てられたものにはシャルロットやメンケントといった、『帝国反対派』の場所だ。そこからバゼルは場を離れ。
「戦が終わったら、宴に呼ぼう。」
背中越しの声。その声に籠められた、抑え込まれた葛藤に気付かぬほど、私は情に疎くはない。
「歓んで参加する。」
背中越しに、答えた。
すっごい今更ですが。餅=小麦をひいて粉にし、水と混ぜて捏ね、竈に入れて焼いたものです。
日本における餅ではなく中国における餅。すなわちパンです。




