251.サンティラの臣従
空を駆ける竜人の、勢い任せの斬撃は、ペガサスの直進によってなんなく回避された。
戦いの舞台が空に移ったことに、貴族たちは動揺している。ただ、陛下がペガサスの騎手に向かって、笑顔で頷いたことだけはヒルグスにも見て取れた。
全幅の信頼。『王像の王』は、あのペガサスの騎手が勝つだろうと、信じて疑わない。舐められている、と思った。先ほどの地上戦を考えれば、陛下が俺の実力を下に見ることは仕方がないように思う。
だが、それでも。この女より下に見られているという事実は、俺の心を傷つけて余りあった。
「ラァ!」
追いつく。上を取って、翼を軽くたたみ、両手で剣をもって振り下ろす。一連の流れに対して女がとった手段は、迎撃。勢いが乗る前の剣の根元に、槍の穂先を合わせて押し込む。
力で押し勝てないなど関係ない。容赦ない突き込みに、腕が後方に投げ出される。空中の身体が不安定に流れる。
その腹に向けて振るわれた突き込みは……腹を守る鎧によって、弾き飛ばされる。
「グラスウェルとかいうやつよりも弱い力で、俺の身体を突破できるとでも?」
「竜人の腹部にある鱗は、鱗ではなく鎧ね?」
「それが、どうした!」
剣を振る。ペガサスの騎手は後方からの攻撃に弱い。空中戦で小回りの利く竜人は、ペガサスの騎手の後方を取り放題だ。
しのぐ技術はさすがといえる。瞬時の加速から反転までの時間、見事に調教された軍馬だ。
だが。だからこそ。
ペガサス騎手の限界は、目に見えている。どうやったところで、竜人の空中戦闘に、ペガサス騎手がついてこられるはずがない。
「こうするわ。」
掌から、魔術。“火球”がその肉体に触れ、激しく燃える。
「竜人に火は効かない。」
「でも、鎧を繋ぐ紐は燃えるわ。」
鎧が、落ちる。直撃した炎、いや、回避しなかった炎の力で、鎧に覆われていた腹部が露になる。
「竜人族は全身が固い鱗で覆われている。でも、胸部下方から腹部にかけては、内臓の異変が起きてもわかるよう、鱗はない。だから、あなたたちはその部位を鎧で覆って、隠す。」
「知っていたところで!」
その槍は届かないだろう。強く剣を振る。馬の後方から攻め立てる戦法は、確かに女の動きを制限している。
「馬鹿ね。」
嫌な予感が、した。全身が粟立つような、体が恐怖に縮こまるような。これは死の予感だ。なぜ、今?
「ハスファール!」
放たれる、光。鎧を貫くに足る、強烈極まりない魔術の光。
さきほど、地上の男との戦いに割り込んできた光だ。殺意という言葉を形にしたような、当たってはならないと確信させる光だ。
「背面から、撃てるのか。」
「ええ、出来るわ。」
そう言われれば、正面に躍り出るしかなかった。槍の穂先からしか出ないという確信はあるものの、背面からの攻撃にここまで防御をしてのける武人の『必殺』を、予備動作すら読み取れずに使われたくはない。
少なくとも正面から相対する限りは、「ハスファール」なる攻撃は、予備動作が読み取れるし穂先の正面に出ないことが徹底できる。後方から攻め立てて守勢に回られると、どのタイミングで穂先がこちらを向くのかわかったものではない。
「助かるわ。」
女が、槍を突き出す。穂先を凝視しつつも、剣で受け、流す。
槍の穂先から放たれる光線を避けるために選ぶのは、側面からの超接近戦。槍が己の方向に向く前に、切り伏せる。が。
「何という無茶を!」
その場で天馬が回る。横回転ではなく縦回転、接近した俺の股座を槍で打ち付ける動きである。
飛んで避けた。その槍を避ける方法は、前進か上昇かの二択。後方への飛翔は、竜人であっても難しい。
前進して背をさらすのは避けたかった。あの光線を背中から放たれて、回避できる自信はない。ゆえに、上昇して、降りるために下を見て。
「ハスファール。」
上昇してくる天馬騎手の右腕が、槍が、その動きが。きわめてぼやけて見える様に、硬直した。
それでも身に着けた剣技は奔る。どうすれば死ぬか、サンティラで自分を殺しうる脅威たちと日々腕を磨いた経験が答えを導く。
ヒルグスが反射で動くのは、その脅威から逃れる方法!
槍と剣が打ち合う。決して視認できない腕、今槍のどの部位を持っているか、拳と穂先・石突までの距離はいかほどか、そもそも槍の穂先はどこを向いているのか。
右腕から先が超至近距離でなお認識できない恐怖。槍の先からいつあの光線が放たれるかわからぬ恐怖。天馬に乗っているにも関わらず、自分が落ちるのが怖くないのかと思わせるほどの槍捌きを見せてくる、目の前の女への際立った恐怖。
なぜ上下回転が出来る。なぜ空中の上で、さかさまの状態で、両手を手綱から引き離せる。どんな危険で落ちれば死ぬような動きの中でも、なぜ決して動きにためらいがなく揺らがない?
ヒルグスには理解できない。人ならず竜人たる己が、空中で剣捌きを身に着けるまで、どれほどの恐怖を克服したか覚えている。己の翼を信じられなくなるほどの、筆舌に尽くしがたい空戦の難しさを知っている。
なぜ、ペガサスにそこまで命を預けられるのか。なぜ、それの上で飛び回ることが出来るのか。
自分の肉体構造すらをも信用できなくなるのが飛翔戦闘だ。わずかな気のゆるみがそのまま死に直結するのが空戦だ。なぜ、平然とこんな戦闘が出来る?
「よく捌くわね。磨き上げた剣術であることがよくわかるわ。」
真正面から突き出される槍。反らして高度を変えて、天馬の腹を切り裂こうとして、対する天馬は急前進。ついでに蹄で肩を蹴られるというおまけつき。
「舐めるなぁ!」
馬ごときにすら馬鹿にされたのか。馬にすら、未熟だと言われたのか。
そんなことはない。天馬は、己の主とともに戦に臨んだだけだろう。主の手助けを全霊でやっているだけなのだろう。それでも、俺は俺の武芸を証明し、ペガシャールという国を支える『武術将像』になって。そして。
強くなれなかった竜人を虐げるドラゴーニャ王国の同胞たちに、一太刀浴びせたかっただけだ。お前たちが捨てた竜族の中から、お前たちを超える者が現れたぞと、突きつけて見せたいだけだ。出来なかったと嗤われ迫害された祖先の涙を、報いを、受けさせてやりたいだけだ。
「勝つ!」
勝たなければ、『武術将像』になれないのならば、この戦いは何としても勝たねばならない。
その叫びに、己より高度を取り、こちらを見下ろす天馬騎手は、ぼやけることのなくなった槍の名を唱えた。
「ハスファール。」
アメリアの頭より後ろに位置する石突が、光り輝く。もう一つの太陽かと思うほどの眩い光が、見上げる俺の目を貫いて、俺は咄嗟に目を瞑る。
「私の勝ちよ、“堅戦剣”ヒルグス。」
次の瞬間には、腹に冷たい金属の感触。槍の穂先。
「俺は、武芸では、負けていない……!」
「『武術将像』は、国の武力の象徴よ。どんな時でも負けてはならない。強い敵を討って士気を上げねばならない。存在するだけでそこに安心感を覚える者でなければならない。」
負けを認められない俺に対して吐き出される言葉に戦慄する。『武術将像』を得ることの重みを叩きつけられる。
「魔術で詰め伏せられるかもしれない。他の『像』に集団で嬲られるかもしれない。万軍がその身を攻め立てるかもしれない。そのどれを受けても、正面から受けて立ち、兵士たちを鼓舞しなければならない。武芸で私に負けていない?武器の性能で押し負けた?そんなこと言っている間は、『武術将像』にはなれないわ。」
言っていないことまで言われた。言葉になっていなかった本心を暴かれた。心に突き刺される言葉の数々が、怒りではなく納得の波紋を呼ぶ。
負けて当然だった。俺なら問答無用で『武術将像』に選ばれると思っていたが、そんなこともなかった。
「次戦ったらどっちが勝つかはわからない。でも、今回は私の勝ち、そしてグラスウェルの勝ちよ、ヒルグス殿。『武術将像』は諦めなさい。」
「……承知した。」
俺の目を見た彼女が、天馬を闘技場におろしていく。
地上では、動きが取れずに様子見しているグラスウェルと、戦いの様子を見ていた人間たち、そして陛下がいた。
「いい戦いだった。グラスウェルの捷さ、ヒルグスの器用さ、アメリアの無法さ、どれもがよく見られた試合だった。」
無法ってなによ、無法って。声ならぬ声で呟く女の言葉に、しかし無法で正解だろうと思う。あの空戦具合はどうあっても並の人間には出せない。自分の死を意識していないものしか出せない、無法と呼ぶべき代物だ。
むしろ、ほかに何と呼ぶ?
それはさておいて、だ。
「ヒルグス。サンティラの竜人よ。今の一戦をもって、そなたに『武術将像』を与えるには至らぬという結果に相成った。……おそらくであるが、余にとっても、貴殿にとっても良い結果だ。」
『武術将』として冠されぬことが、良い結果として扱われるなど。何を言っても負け犬の遠吠えになりかねないから何も言えないが、俺は苛立ちを隠せない。しかし、それでもだと陛下は言った。
「実物を見ればいずれわかるさ。さて。グラスウェルよ。」
「は。」
「ヒルグスの空中戦。その方に勝ち目はなかったのか?」
「は。ないとは決して申しませんが、本日中であれば難しかったかと。ですが、負けない自信だけはありました。」
「であろうな。空から飛んで襲い来るヒルグスより、そちの方が速い。」
極論いくらでも逃げ続けられたし体力勝負にもっていけばグラスウェルの勝ちだった。そう言わんばかりの言動。ムッとする。だが、否定はできない。
グラスウェル=システィニア=ザンザスという男は、こちらの、「急降下、滞空、接近戦、上昇」の間に槍での攻撃を挟み込む余地があった。
いずれは手が出ただろう。掴んで地面にたたきつけることも出来たかもしれない。
確かに、。グラスウェルが負けるならば、打つ手を間違えた時だけだ
「ヒルグス、グラスウェル相手に、空中戦なら勝てると思っていなかったか?」
「……は。そう思っておりました。」
否定の言葉がない。本当に勝てると踏んで、そして勝てなかったのだから。
「余も長く時間はとれなかったゆえな、アメリアが来てくれて助かった。礼を言う。」
「……“全将感応”まで用いて呼び出しておいて何をおっしゃられるのやら。」
呆れたようなアメリアの物言い。だが、それでも来てくれる確信はあったのだ。
「さて。ヒルグスよ。貴殿に『武術将像』を与えれば、サンティラの竜人は余らに従うと申したな。我がペガシャール帝国には、この二人よりも強い武人が少なくとも三人、同格が五人おるわけだが、戦うか?」
出来るわけない。サンティラの竜人は強いが俺より弱い。どちらかが俺を抑えている間に片方が自由に殺しまわれる。
サンティラの竜人は3万人。先だっての戦では、ペガシャール帝国は総勢で20万もの大軍を動員したと聞く。
勝てるとは、思えない。
「臣従いたします。」
「そちの独断でよいのか?」
「かまいません。」
断言する。ヒルグスなら『武術将像』になれるというのはサンティラの全員のお墨付きであったが、そのお墨付きはきれいに洗い流された。俺が「勝てない」といえばだれもが納得してくれるはずだ。
「そうか。では、貴殿はしばらくディマルスに残るよう。故郷には別なものを伝令にやれ、一人で来ていないのは知っている。」
「は。」
首を垂れる。そもそも論の話をするなら、俺が『武術将像』というのも変な話だった。
立って歩き去る後姿を呆然と眺める。どう考えても、おかしな話なのだ。
なぜ、空から不意打ちしても陛下を殺せないという確信を、俺が持っているのだろうか?
闘技場の出口に、人影が立っていた。
ゾクリ、と背筋が凍る。勝ち目がないということがわかる。女だ、そこにいるのは女のはずだ。
「皇后陛下!」
アメリア殿が声を上げる。その声に応えるように、女は壁から背を離す。
「よく来てくれた、アメリア。グラスウェルもご苦労だった。」
「ほんとですよ!空からなら地上を駆けるよりも早いだろうだなんて、陛下もたいがい無理をおっしゃる!」
「私は私の出来ることをしたまで。それが陛下のためになったのであれば、これに勝る歓びはありません。」
これが、皇后。俺では決して手の届かぬ、武の高み。しかし。
「よかったのか、アメリア?アファール=ユニク侯爵家は中立を取っていたと思うが。」
「父は陛下に逆らう気はありませんよ。言質を取られないために発言を止めているだけです。それに、順当にいけばアファール=ユニクの次期当主は兄上です。兄上が陛下に逆らうと思いますか?」
「ないな。それに、あいつがアシャトに反逆を企てた日にゃ、俺も死を覚悟しないといけない。」
なぜこの女が一騎打ちに出てこなかった?この女が死を覚悟する男とはどんな奴だ?
背筋が凍る。身動きがとりにくい。アメリアやグラスウェル相手には決して感じなかった悪寒が全身を駆け巡っている。
「そこで怯えず奮い立って戦えて、はじめて『武術将』だ、ヒルグス。そこで剣を振るって味方を鼓舞出来て初めて『将校』なんだよ、ヒルグス。自分より強者と会ったことも、存在を仮定したこともないお前では、アシャトは信用が出来ない。ここでしっかり、これから戦うものを理解してから帰れ。」
言葉が出ずに硬直する。そんな俺を皇后陛下はチラリとみると目を離す。すっと、圧が消えた。先ほどまで震えていた身体が自由を取り戻す。俺を威圧する時間は終わったと言わんばかりに、それにほっとしている自分に嫌気がさす。
「……アメリア嬢の兄上は、それほどにお強いのですか?」
グラスウェルの問い。それに対して、圧を大きく減らした美女が口元を綻ばす。
「俺と、『像』を使わずに殺し合いをすれば、8割がたあいつが勝つ。『像』を使って殺しあえば、8割がた俺が勝つ。どっちにしろ、どっちかは絶対に死ぬな。生かす余裕なんてどっちにもない。」
グラスウェルがぞっとした顔をする。俺はその程度がどれくらいかわからずに困惑し、アメリアはどことなく嬉しそう。
「わかるか、グラスウェル。俺やディールを殺そうと思えば、お前が7人は必要だ。結構前にディールがクリス、コーネリウス、ニーナ、ミルノー、オベールと5対1で戦って、ディールが辛勝していたからな。」
「化け物でしょうそれ。」
ミルノー殿には訓練をつけていただいたが、あの『超重装』は反則過ぎますとグラスウェルは言う。なんだ、『超重装』とは。その言葉は出さずに、飲み込んだ。
なまじ一緒に出たせいで、彼らが足を止めている以上先に行けない。皇后陛下に背を向けることも、正直恐ろしくてできない。
「ヒルグス殿、行きましょう。エルフィール様、失礼します。」
グラスウェルが気づいたように口に出し、一礼。皇后陛下が大仰に頷いて許可を出す。
「アメリア殿。」
「なんですか?」
「貴女に縁談の申し込みは?」
「ありますが、まずは兄をと繰り返しております。あなたも申し込む口ですか?」
「……。」
グラスウェルが口を噤んだ。どうするべきかという逡巡を目が語る
しかし、ほんの5秒くらいで打ち切って、グラスウェルは歩き出した。
「今回のこと、礼は言わない。」
「かまいません。私も陛下の命に従っただけですから。」
アメリアの即答に、グラスウェルが笑う。
「面白い。」
背中越しに、思わずこぼれたらしき声が聞こえる。人間の恋愛事情は知ったことではない。
いつか必ず、二人にも、皇后陛下にも、一矢報いてやる。
改めて、決意した。
エルフィールは顔色が悪かった。
ディールたちが出て行ってはや4か月。エルフィールの妊活が始まって、4ヵ月である。
「……エルフィール様?出てきてよかったのですか?」
「後宮の中に引っ込んでいっるだけじゃ、息が詰まる。幸い悪阻も落ち着きはじめたからな。面白いイベントがあれば、そりゃ出るさ。」
とはいえ表舞台には今立つと後々面倒だから、ディールが帰ってくるまではこっそり楽しむくらいだけどな。そう言いつつも、通路の端に腰を下ろす。
「あの二人に、俺が身重なの、気づかれたと思うか?」
「見たところ気づいていなさそうですよ。ヒルグスは重圧の方に気を取られていましたし、グラスウェルはエルフィール様の体調に気付けるほど視野が広くはありません。それより、大丈夫なのですか?」
「軽く威圧しただけだ。そこまで負荷はかかっていないさ。それより、鍛錬がほとんどできていない方が問題だな。槍は握れるが技の切れを取り戻すのに時間がかかりそうだ。二人目も産むの拒絶しようか。」
「だめですよ、エルフィール様は皇后陛下なのですから、次代はあなたの子でなくては。それに、アシャト様も困るでしょう?」
あの人の仕事量は膨大だ。やることは多い。責任は国全体の分。
酒や女くらいの娯楽なくして、「王」という肩書をやっていられるように、アメリアには思えない。
「お前、アシャトに言い寄ったらどうだ?あいつもお前の願いなら無視しないだろう。」
「繰り返しますが兄が身を固めてからですよ。それに、陛下に武人は一人でいい。」
「恋愛脳が何を言う?」
「乙女思考はエルフィール様もでしょう?」
男二人が去った後の通路で、『皇后』と“姫”が笑いあう。その視線は互いの身体に向けられ、互いを慮るやさしさに満ちている。
身ごもって身動きが取れないエルフィールを気遣うアメリア。
魔力をごっそり減らして不調のアメリアを気遣うエルフィール。
最初期からアシャトの味方であった二人は、互いのよき理解者だった。




