250.武芸段階
場を移した。さすがに謁見の間で武を競うわけにはいくまい。
王宮に併設されている闘技場は、あくまで王に武術を見せるための余興の場でしかなく、そこまで広くはない。しかし、グラスウェルと竜人の使者、その一騎打ちを眺めるにはうってつけである。
「はじめろ。」
「はじめてください。」
エルヴィンが審判として声を上げる。そこそこの腕があり、王の御前という場で審判をしても問題がないものとして、彼がちょうどよかった。何より、親殺しの汚名があるのがよい。事実と認めていなくとも、だ。審判のような下働きじみた仕事をやる気がない、などとほざく者どももいるが、だからこそ積極的にその役につくエルヴィンを俺は重宝できる。
竜人が剣を抜いた。グラスウェルが槍を構える。互いに、一呼吸。
「システィニア=ザンザス男爵家当主、グラスウェル。」
「サンティラの竜人、“堅戦剣”ヒルグス。」
あいつ、ヒルグスという名前だったのか。最初から最後までサンティラの使者と呼ばれていたから、名前にまで意識が回っていなかった。気にしていなかった、というべきか。どうせそう何度も顔を合わせることもあるまいと思っていた。後悔したのは、彼と会ってからである。
ヒルグスが踏み込む。黒鉄を思わせる鱗鎧を纏った竜人の踏み込みは、重く、しかし速い。
だが、グラスウェルは、それに見てから反応し、右斜め上から振り下ろされる斬撃を、横合いから同角に槍を添えて押し出しつつ、後退。剣の間合いから遠ざかりながら目を狙った槍の突き込み。
目を狙うのは正直いかがなものかと思う。うちには医者がいない、目を貫いてしまえば、治せない可能性が高い。……いや、医者がいたところで同じか。せめて後遺症が残らないようにやってほしい。
しかし、グラスウェルが初手で目を狙うのも納得だった。ヒルグスは体をずらして槍の突き込みを回避すると、さらに踏み込む。槍の間合いの内にはいった、つまりは柄でわき腹を叩けるということだ。
わかっていて飛び込んだということは、グラスウェルにはそれをできる速さがないと踏んだか……
「舐めるな!」
最短で一撃を入れる方を、グラスウェルは選択する。鎧をまとった兵士が相手だと、わき腹への叩きつけはあまり効果を為さないことが多い。が、膂力の優れたディールやオベールのような将であれば、鎧の上からでも痛撃が与えられる。
グラスウェルも、力には自信があるのだろう。その鱗の煌めきを見れば、彼がどれほど固い肉体を誇るか読み取れるためだ。
それでも攻撃する方をグラスウェルは選んだし……その力自慢を受けてさえ、己の肉体に衝撃が来ないという自信を、ヒルグスは持っていた。
「シィ!!」
勝利宣言など一切ない、慢心一つない片刃の剣による斬撃。槍がぶつかってもなお揺るがなかった体幹と、わずかな停止すらかかった圧倒的な鱗の硬さ。痛みという概念すらおいてきたかのような肉体の躍動を得て、竜人はその刃をきれいに振り下ろす。
槍がわき腹に叩きつけられる姿勢を、彼は意図して飲み込んだ。グラスウェルが遅いと思ったのではない。グラスウェルが弱いと思ったわけでもないだろう。
彼の速さと力強さでは、彼の肉体に痛打を与えることはない。彼は、己の肉体をただ信じたのみである。
だが、それでも。七段階格上位に位置する極めて優れた武人は、八段階格に位置するさらに際立って優れた武人の技量を、見誤った。
「槍を受ければ、動きが止まると信じたか?」
刃が空振られる。グラスウェルの肩口をきれいに断つはずだった刃は、見事に地面すれすれで止められている。
竜人の大きな瞳孔が小さくなった。いや、そう感じられるほどに瞼が大きく引き上げられた。
槍が竜人の鱗に触れ、その感触を伝えてから刃が振り下ろされるまでに、グラスウェルはその場から退いている。
「何をした?」
「何も?」
ただ飛び退っただけだ、わかるだろうと言わんばかりのグラスウェルの弁。しかし、ヒルグスはわからない。
辛うじて、俺には理解できた。遠目で見ていたから、理解できたものである。
確かに、グラスウェルは飛び退っただけである。種や仕掛けがあるものではない。
しいて言うのであれば。グラスウェルが今日まで磨き上げてきた、その武の賜物、であろうか。
システィニア=ザンザス男爵の一族は、決して武に優れた一族ではない。
国軍としては圧倒的に軍武に寄った一族ではあるものの、武芸には拠らない。
そもそも武芸段階とは、一対多でどれほど多くの敵を倒せるかという基準である。
決して、一対一がどれほど強いかという基準ではない。
例えば、俺は五段階格の剣士だ。五段階格という基準は、『四段階格の武術家を4人相手取って、制圧あるいは30分以上生き残ることができること』というものである。
その四段階格の基準というのは、『武器を取り、基本的な扱いを15~30分程度行うことが出来ること』。すなわち、基礎を覚えた程度である。
つまるところ武術段階といえば、『基礎を覚えた兵士を単身で何人殺すことが出来るのか』といった次元である。戦場で武具を扱うことが前提であるため、昇格条件に『生存』が与えられているのは五段階格のみ。
各段階にも下位・中位・上位とあるが、例えば五段階格の中位というのは『五段階格上がりたて、つまり下位に該当する武術家を2人同時に相手取って勝てる程度』。五段階格下位のことを四段階格下位4人分と換算するのであれば、『四段階格下位の武術家を8人相手取って勝てる程度』。五段階格の上位になれば『五段階格下位の武術家3人、四段階格下位の武術家12人』。
六段階格の武術家は『五段階格下位が4人、四段階格下位が16人』。
何が言いたいのかというと、だ。
戦車を用いて戦場を駆け回り、敵を轢き殺すことを家の誇りとし、その戦術を受け継ぎ磨き続けるシスティニア=ザンザス男爵家にとって、武術とは戦車から逃れた兵士を討ち漏らさないために行われるものである。そこに、一対多でどれだけ兵士を殺せるかという技術は必要ない。
システィニア=ザンザスに伝わる槍術は、いかに車上で体制を保つか。体幹を鍛えること、そのうえで槍を的確に逃げる兵士に突き刺すことに特化したものだ。グラスウェルのように『八段階格』……『四段階格の武術家を1024人相手取って勝てる程度』と概算されうる武術など、必要ないのだ。
ゆえに、この一族は軍武に拠った一族ではあるが、武芸に拠った一族ではない。
システィニア=ザンザス槍術の理論に、一対多を想定した論理など、存在しない。
「それでもグラスウェル=システィニア=ザンザスという男は、戦車上ではなく地上にあって、八段階格の槍術師だ。そこに至るまでに身に着けた論理と肉体を、軽く見ていいはずがないだろう、ヒルグスよ。」
聞こえないのを重々承知で呟く。後方で控えるセキトが目を細める。一人ひとりの力の丈など把握しきれるものではないが、それでも目を引く努力の結晶くらいは俺にもわかる。
ヒルグスは、それを読み取れる男ではなかったらしい。だが。
「まあいい、速いなら合わせるまで!」
その力量差に折れるでもなく。読み取れなかった己を恥じるでもなく。ただ愚直に、剣を振るった。
これもまた、貴重な精神性だ。己の目測を見誤り、己の確信した勝利が揺らいでなお、すぐに切り替えて戦いを続けられるということが、簡単に出来ることではない。
グラスウェルは捷い。グラスウェルの槍による攻撃は、竜人の肉体に何度も何度も届くだろう。だが、それを竜人が意に介する必要がないことは、先ほどの一打で理解したのだ。
グラスウェルがいくら槍を振るいヒルグスに当てようと、それがヒルグスの疲労になることもない。ゆえに彼は、何の躊躇一つなく、グラスウェルに攻撃を続けられる。
動き続ける敏捷連撃なる武人と、追う堅牢剛健たる武人。しかし、3分ほどの打ち合いののち、敏捷連撃なる武人の側が動きを変えた。
「きさ」
「お前の堅牢たるはその鱗だ。剥せば攻撃は通るだろう?」
「させるか!」
下から打ちあげるような突き込みが増える。一撃一撃が、鱗と鱗の隙間に差し込まれんとする。
それを、ヒルグスは回避。あるいは、身じろぎし、迎撃して鱗に槍が届くのを防ぐ。
ヒルグスという竜人の弱点が露呈する。その鋼鉄にも匹敵する肉体は、鱗に依存するものだと判明する。
グラスウェルはその弱点を、執拗に狙い続ける。
「一対多の戦いで勝ち続けるには、肉体の動作を把握していなければならない。己ができること、出来ないこと。人間の肉体の構造、連携のやりかた。基本的な武器の扱い方に、その威力・特徴。一対多で優れた成績を出せる武人が、一対一で弱いことはない。」
相手のみを見つめればいい。全体を見て、多人数を相手取る動きをする必要がない。考えることは、一対一と一対多では、一対一の方が少ない。ましてや、戦場における一騎打ちではなく、競技じみた一騎打ち。
ヒルグスの武術の理論をグラスウェルが把握し、弱点を導き出すのに、3分あれば十分だ。
舞踊が激化する。肉体で受ける槍の攻撃を、その部位を、ヒルグス側が選別して受ける。受けられないものは回避し、剣ではじく。
技量ではグラスウェルが上。主導権もグラスウェルが握っている。そのうえで、多少鱗をはがされたところで敗北にならないヒルグスは、まだ俺から見れば圧倒的に有利なのだが。
「俺は、勝ぁつ!」
それでも彼視点では有利ではなかったらしい。その剛腕をもって槍を弾き飛ばし強制的に距離を取ったヒルグスは、翼を広げて宙に舞う。
「サンティラ竜剣が真骨頂。空から陸を攻める剣劇の妙を味わえ!」
降下しつつ、一閃。勢いのついた攻撃は、グラスウェルに防御以外の択を取らせない。
剣を振り上げざまに上昇。回避して取られた距離が、降下しつつの蹴りによって埋められる。槍で弾いたグラスウェルの一突きは、見事に首を狙い……鱗で正面から防御。
サンティラ竜剣という言葉に嘘はなかった。先ほどまでの肉体による防御と力に任せた剣撃は、彼の技術の一端であれどすべてではなかったらしい。剣はグラスウェルに一撃を与えんと振り回され、足や左手の爪は槍を封じ込める様に動き回る。
先ほどの地に足をつけた戦いとは、動きが別物だった。
肉体の堅牢さは変わらず、剣撃そのものに籠められた力強さはわずかに減じ。しかし、それを凌駕しうるほどの、圧倒的な小回りを手に入れている。
「強いな。」
『武術将』を求める気持ちが理解できる。自分の力にどれほど自信があるか、わかる。
グラスウェルも隙をついて槍を打ち放っているが、そのたびに空中に逃げられて手も足も出ない。
グラスウェルが握っていた主導権が完全に移っている。空中と地上での戦いならば、グラスウェルの誇る捷さもあまり役には立っていない。
だが、気づいているのだろうか。いや、気づいていないだろう。
その強さは、軍勢を率いて戦うのには不向きである。飛行部隊を率いて戦場に立つには向いた強さだが、人間ばかりが戦場に立つ環境で、軍勢全体をその武で鼓舞し、勝利へ導く『武術将像』の役目に向いた強さではない。
「地上で勝てなければ意味がないというのに。」
有利な状況で敗北の恐怖にかられ、自分の絶対有利な局面を作り出した。確かに時間をかければヒルグスが敗北する可能性は高かった。自分有利に慢心しなかったといえば聞こえはいいが、『武術将像』を得るために『武術将像』が行ってはならぬ動きをした時点で、ヒルグスの負けである。
納得できるとも、思えないのが困りどころだが。
「どうなさるのです、陛下?」
空も使うのであればヒルグスが勝つぞという言外の指摘をセキトがする。新たな侍従として、小間使いのように俺の傍についたこいつは、俺の陣営をあまりよく理解していない。
「見ていればいい。」
言い切った直後、頭上を通過する、影。
「人目惹く蝶!」
上空から光が奔る。竜人の戦士は、死を感じて反射で避けた。……魔術で創られたその光線は、竜人の鱗を貫通しうる。
「誰だ!」
「ペガシャール帝国『騎馬隊長像』、“光翼姫”アメリア=アファール=ユニク=ペガサシア。」
拡げられるは天馬の翼。頭上に掲げるは金の装飾があしらわれた白い槍。
「戦争は地上で行うもの。ゆえに空中で地上に攻め入ることには意義がありますが、それは『武術将像』の役割ではない。」
黒い髪をたなびかせ、宙の一点に留まる、齢19を終えようとしている美女が言葉を紡ぐ。お前の目的は『武術将像』なのだろう?と言外に問いかける。竜人が言葉に詰まるが、しかし今更下がれない。
ここで、空からグラスウェルを攻めることまでしておいて、追及されれば謝罪することは、彼の武にかけた自信と、何より敗北しそうだった事実が許さない。あのまま地上戦では負けていたから、翼を、空を使った戦いに変えたのだ。勝負を投げるわけにも、謝って地に足をつけた戦闘に戻るわけにもいかない。
地上戦ではほぼ負けだった。空を使えば勝てたのだと言い張れる状況になった。だからこそ、空を封じられたから負けたのだと、そんな言い訳が言えてしまう環境を、ヒルグスは生み出したくはない。
「それでもなお『武術将像』を望むのなら。地上戦でグラスウェル殿に勝たれるか……空中戦にて、このアメリアに、ペガシャール帝国最強の男"個連隊”ディールが妹に勝って見せよ。」
槍の穂先を見せる。グラスウェルが、奥歯を強く噛みしめる。そしてヒルグスは、叫んだ。
「舐めるな、女!ペガサスに乗らねば空に行けぬ種が、空の王たる竜人族にかなうと思うか!」
「ええ、勝つわ。」
ただの事実を指摘するように、アメリアがペガサスを駆った。




