247.ディールの憎悪
こいつだけは、殺す。そう、決めていたと、彼は言い放った。
ディールという英傑は、呆れるほどに強く、呆れるほどに快活で、憎悪という言葉が見事に合わない男である。
アシャト以外に対し、さして強い感情を向けぬ彼。そんな彼が、一度だけ憤怒の顔を見せたことがあった。その後、アシャトが国王や王太子と敵対する意思を見せたことによってその激憤自体は見せなくなったが……それでも、国王一派に対して腹に一物あった。
それは、アシャトとディアしか直接お目にかかっていないことである。それでも、この二人は、「何があったのか」知らない。追及していない。
追及する必要もない。そこにディールがいるのだから、それでいいだろう、というのがアシャトの考えだ。わかっているから、アシャトがそういう態度だから、ディールはアシャトのそばについて回っている。
彼の忠心は疑いようがない。彼は心底よりアシャトに忠誠を誓っている。
態度で示されているから、そしてその圧倒的な武威に他の追随を許さない絶対性があるから……誰もが思うところあれど、ディールがアシャトのそばにいることを許している。いや、ディールが離れるように出来ない。
ディール=アファール=ユニク=ペガサシアは、強く、闊達で、馬鹿で、笑顔の少々怖い、しかし気持ちのいい男である。
その裏に潜むどす黒い感情など、ほとんどの者が知りえず……妹たるアメリアでさえ知らない。
彼には、さしたる暗い過去があるわけではない。子爵家次期当主としてまっとうに育った男だ。
幼少よりアファール=ユニクに伝わる槍の技を磨き、鍛え上げてきた。少々、領主授業を抜け出すきらいがあり、おつむの方もよろしくはなかったが、代わりに他者との会話能力に優れていた。本人に為政の能力がなかろうとも、多くの味方を集め、家を維持する「だけ」であれば、ディールでもなんとかなるだろうと父ゲイブに思われていた。
いろいろと目を付けられがちなアファール=ユニクでも、何とかなる程度には教育も施されていたのである……腹芸は呆れるほどにできないが。
だから、まっとうに生きれば、ディールはその武威を世界に発することもそうなく、アファール=ユニク子爵の当主として埋没していくだけだっただろう。
『神定遊戯』が起きようと起きなかろうと、彼に大軍を率いるだけの能がない以上、彼が順当にいけばディマルスにほど近い果樹産業領地の領主という肩書で終わったはずの男だった。
アシャトと、『神定遊戯』が始まるよりも以前に出会わなければ。
それより以後に出会っていれば、ディールには『子爵家次期当主』という肩書がついて回った。
百歩譲って『近衛兵像』に任命できたとして、義兄義弟という蜜月関係にはなかった。アシャトいるところにディールありとすら囁かれるほど連れまわすことなど、『子爵家次期当主』相手には流石に出来ない。
そもそもアシャトがたどる道が大きく異なっただろう。アシャトとエルフィールの出会いの有無、出会いの時期によってはアシャトは『王像の王』になったところで満足し、帝国化を目指さなかった。アシャトが帝国化を目指さなければ、エルフィールは己が『王像の王』になるためにアシャトの命をつけ狙う刺客に早変わりである。
ついでに言えば、ディールなきアシャトにエルフィールの暗殺を防げたかと言われれば……可能である。むしろ、味方の数次第ではアシャトが圧倒できる。
話が逸れた。ディールが今の立場に立つには、アシャトと『神定遊戯』が始まる前に会わなければならなかった。
そして、彼がアシャトに会うために必要なことは何だったのかと問われれば……それこそが、彼がアダットを憎むようになった事件に他ならない。
それは、ディールが14歳の頃のことだ。
父ゲイブが、アファール=ユニク子爵領に再び巣食い始めた盗賊の討伐のため、軍を動かす許可をもらいに行ったとき。ディールは父について、ディマルスに向かった。そこに同行したのだ。
ディールだけではない。アメリアも同行した。未だ年端もいかぬ弟が連れ出されることはなかったが……王都を見るのも勉強だと、父ゲイブが譲らなかった。
そのうち、三度目の謁見の場であった。
毎度毎度大量の木簡を抱え、そのすべてが食糧にまつわるものであることを確認しながらも、その意味合いを理解せぬままにディールは同行していた。
待合室でディールが待つ中、父が呼び出され去っていく。しばらくして、待合室に白と赤を基調にした、派手な服を纏った男が入ってくる。
周囲にいる取り巻きたちの服装もまた、華美だった。少なくとも使われている金銭がどれほどかけられているかという点には、疑う余地がないほどに。
当時の彼は、それがどういう因果の下でなされるのか、理解できる程度には世情を知っていた。馬車の中から外を流し見るだけでも、世の中がどれほど荒廃しているのか、理解できないわけではない。
目の端で彼らを追い、気に食わねぇなと内心悪態をつきながらも無視するという高度な技術が出来ていた。
「ほんとうですか、でんかぁ。あのアファール=ユニクの御令嬢を愛妾にしていただけるというのはぁ?」
逆に、彼らも待合室で腕を組み、目をつむって待っている男の姿を視認した。そのうえで、取り巻きの男が言ったのだ。
「ブロガスよ、もちろんだ。出来るとも。それを条件に、父上が出兵要請を受けてやると話していた。俺にも味見させてくれるんだよな?」
気持ち悪くすり寄りながら、主を崇め奉るかのように見上げる細身の男に、主らしき男は大仰に頷く。ディールはその声に顔を上げそうになり、強引に抑え込んだ。面倒くさい奴らだということはわかる。絡まれたら実家に面倒が来かねないことは、よぉく理解した。
だから、無視しようと思ったのに。
「もちろんですよぉ。殿下だけとは言わず、ほら。公爵家や伯爵家の皆様もいかがですか?」
「それは、愛妾ではなく奴隷というのではないか?」
「家に移されてしまえば問題はありません。正妻ではなく、そもそも妻ですらなく、愛妾として迎えることを出兵の条件とするのですから。」
妹を、回す話を、していた。それを、父に突きつけると。
さすがに王が直最適な物言いで発言することはないだろうが、娘を出す相手が同格の子爵家、かつ妻ではないという条件だ。裏があることくらいは読み解けるし、それがアメリアにとって好ましくないものだということも予想できるだろう。
「……それは、うちのアメリアの話を言っているのか。」
立ち上がり、問う。肩を怒らせ拳に力を込めて、にらみつけた。
「ああ、もちろんだとも。田舎子爵の小娘が、次期国王たるアダット様の臣下たるこのブロガスの愛妾になれるのだ。これほどの名誉は……。」
「領地に盗賊が蔓延り税収はほとんどなく、国に納めなければならぬ金を奴隷売買でごまかしている家に名誉もくそもあるかよ。しかもその奴隷、捕まえるのはすべて元帥の仕事らしいじゃねぇか?」
「き、さま!アダット様の御前で、言葉遣いがなっていないぞ?」
「へぇ。王太子殿下。今の話を聞くに、あなたが俺の妹を半性奴隷化しようという計画の後ろ盾みたいでしたが、事実ですかね?」
複数いる華美な服を着た者たちの中から、赤と白の服の者に詰め寄る。国の色だ、王太子の衣装くらいはわかる。
ディールに凄まれて、アダットは腰を抜かしかけた。なけなしのプライドが、膝を折ることを許さなかった。
それでも、はっきりとわかることがある。こいつはやろうと思えば、素手でここにいる全員を殺すことが出来る。それほどに男が噴き出すさっきは凄まじかった。
「ギュ、ギュシアール……!」
ペガシャール最強にして己の師の名を呟く。それほどに、かかってくる圧力は強大で。
「ちげぇな。ディールだ。ディール=アファール=ユニク=ペガサシア。……俺はここを去る。が、もし万が一アメリアが嫁に行ったという噂の一つでも流れてみろ。貴様らは、確実に殺してやる。」
私怨だけで、人は殺せない。大義名分が必要である。その一点を、ディールは重々承知していた。
だから、殺せない理由を無視してでも殺す圧力だけ、かけて。
父がディールを呼びに来る前に、ディアエドラを去った。
王太子を脅迫したという罪状で、単身、千人が集う盗賊の山への討伐に向かわされたが、アシャトも別件で同じ盗賊討伐命令を受けており、鉢合わせ。二人でともに、辛うじて生き残った。
その後アメリアに手が伸びなかったのは知っての通り。ゆえに、アダットやブロガスを殺すこともまた、ディールには出来なくなった。
男に二言はない。どれほど妹を玩具にされかけて怒ろうと、実家を侮辱されて憎もうと、「噂が流れれば殺す」と言った以上は「流れなければ、事実がなければ殺せない」という意味でもあるのだから。
それでも怒りと憎しみは消えることなく……。
「よぅ、クズ。」
槍を、持って行った。殺すという重圧を向けるためだった。
何があってもアダットは殺せない。もし噂が流れたとしても、アダットは殺しに行ったところで成功しないと思っていた。
それは、王太子という身分の影響だ。取り巻きが大勢いた。武術が出来る者もいるだろう。影で護衛しているような者が、いるかもしれない。そのすべてを打ち払い、アダットを殺す自信はディールにはなかった。
それでも機を伺って、伺って、伺って。捕虜になるだろうと思っていたアダットは、なぜかパーシウスに首を取られて送られてきた。
アシャトが直接軍を率いない以上、その結末は予想して然るべきであった。どちらにせよ死んだのだ、もう妹が理不尽に愛妾化される恐れもない。そう考えれば、多少の怒りは飲み込めた。
そもそも、その権力を頼られ後ろ盾になったとはいえ、主犯ではないのだから。
だが、こいつだけは許す気がなかった。こいつだけは自分でケリをつけるつもりだった。
アシャトは、ディールのその想いを汲んだのだろう。ディールが「その」過去を話すことはなかったが、パーシウスの手紙に何かあったに違いないと予想している。
ディールは愚かではない。バカだが、愚者ではない。
アシャトが、今一番危険なディマルスという土地からディールとオベールを離した理由が、あくまで両者の心情に配慮したものだということを知っている。
もう一人の『近衛兵像』フレイはグラントン=ニネートの家の者だ。信用できるかと問われると、怪しい。アシャトが自分の意向……『帝国化』に付き従ってくれるだろうと信頼できるのは、ディール・オベールの両者を除けば……実はペテロとマリア、ニーナくらいしかいないのだ。……『エンフィーロ』もか。
ペディアとエリアス、ミルノーはその辺に関してはよく理解していないだろうから護衛としては信用できるが、エリアスはすでにエドラ=ゼブラ侯爵の家へ向かった。ペディアは軍指揮官としてならともかく個人の武は些か弱い。ミルノーは、その強さを発揮するためには『超重装』がなければならず、あの武装は室内で効果を発揮しづらい。
引き離せるはずがないのだ。ディールとオベールを、アシャトの、いや、エルフィールの傍から。
アシャトは『王像の王』だ。殺せない。彼を殺すということは、神の決定に逆らうということ。どんな罰が起きるかわかったものではなく、その覚悟があるものは『帝国化』に反対しない。
一番殺される危険があるのがエルフィールだ。だが、エルフィールは強い。
その強さを信じることを、アシャトは選んだ。ディールとオベールを、アルス=ペガサスに送り出した。
であれば、義兄が望むよう。己が目的を、果たす。
ヒ、という小声。ブロガスという小物が身体を震わす。
「お前の家は、アブルストルク=ネリーティア子爵家は、男爵家への降格が決まっている。殺しはしない。『宰相像』の“国内管理”を用いた、一切の不正が許されない環境下で、領地経営を行うだけの男として封じられる。現国王派に所属する、すべての貴族がその扱いになるだろう。」
爵位は落とす。だが、殺しはしない。私腹を肥やすことに慣れきった彼らが、『神の力』をもとにした不正禁止の環境下で長く耐えられるはずもない。が、同時に人が足りない。
私腹を肥やした。賄賂を贈り贈られた。裏で盗賊と結託した。
その程度で領主から引きずり下ろし、大臣職から引きずり下ろせるほど、為政者は代わりの利く生き物ではない。
政治家に必要なのは能力であって、倫理ではないのだ。その程度、ディールでも、わかる。
「だから、お前は。私怨で、裏で、俺が殺す。」
「ふざけるな、そんなこと、父上が……アブルストルク=ネリーティア子爵家が許すと思っているのか!事実が知れたら追及されるぞ!アファール=ユニク子爵家の嫡男は、私怨で貴族の次期当主を殺したと!」
「問題ねぇな。俺とお前は『帝国派』と『王国派』。戦時中だと言い訳が効く。ついでにアファール=ユニクは現在侯爵家だ。男爵家の追及ごときで揺らぐ家じゃねぇ。その上、俺は『近衛兵像』、アメリアは『騎馬隊長像』。陛下のお気に入り、ってやつだ。そもそもこれはアルス=ペガサスの内乱。責任はすべて、パーシウスのやつにおっかぶせられる。」
繰り返すがディールはバカだが愚者ではない。己の権力がどれほど高いか、だからこそやっかまれているのだあという事実とともに認識している。
「だから、貴様を殺したところで、俺には支障がない。」
「アブルストルク=ネリーティア子爵家は俺以外に子供がいない!滅びるぞ!」
「問題ないだろ。貴族の家なんざ、もういくつ滅びた?次領地経営が出来る奴が出揃うまで、持てばいい。お前がいる理由はない。」
そもそもそのアブルストルク=ネリーティア子爵家に子供がいないも嘘である。男子は確かにブロガスしかいないが、女子はそれこそたくさんいる。どこかの貴族家から婿入りさせればいいだけである。
その場合、実質的なアブルストルク=ネリーティア子爵家の血統は絶える。お家交代劇と何も変わらない。だが、敗者の家をそこまで気に掛ける必要も、ない。
「……謝罪もないか。」
これだけ殺すという圧をかけ、言葉を重ねても。ブロガスは己を殺せない理由を並べたてる。先日オベールに急襲され、目の前で何人もの貴族が殺されたことなど覚えていない様子だ。
これが、国を腐らせるのだと思う。せめて命乞いの一つでもすれば、まだマシだったものを。ディールとて、立場をわきまえられる能力さえあれば、農夫として生かすかどこかの貴族に兵士として売り渡すくらいのことは考えてやったのに。
憎悪そのものはある。こんな奴に、妹が凌辱されかかっていたのだ。未だ怒りは収まらない。
だが、その私怨は、多少の勉学と武術の心得を前には、流してもいい己のわがままだった。少なくともディールは、義兄が国王になるという条件下で、そう思っている。
何も言わず、槍を突き出した。ブロガスが反応し、避けようと動き……それを見越したディールによって、綺麗に喉笛が突き破られる。
「反応できる程度には強いんじゃねぇか、てめぇもよ。」
相手にはならなかったが。何かしらの武術を、六段階格近くまで磨いていなければ出来ない芸当のはずだった。近いだけで五段階格ではあったろうが、しかし研鑽は積んでいたろうに。
後ろを向く。槍についた血糊を振り払う。
「片づけは頼む。」
傍にいた牢主に頼み、牢から出た。
「結婚、か。」
己が結婚できなければ、アメリアもできないと言っていた。妹の幸福を願うならば、ディールも結婚せねばならない。
とはいえ相手はどうするか。
「今考えることでもねぇか。」
義兄は無事だろうか。いや、怖いのはエルフィール様の方か。早く帰らなければとディールは呟く。
4ヵ月の遠征だった。パーシウスの戦後処理が終わり、ディマルスに戻るころには5ヵ月になる。
『審問像』を得たアグーリオへの、『帝国』称放棄要求への回答期限は、2週間を切るはずだった。




