246.アルス=ペガサス内乱の終結
長くうねった湿っぽい通路を抜けると、そこは敵の真っ只中であった。
ピーネウスの眼の前にあった現実とは、そんなものである。
「お久しぶりです、ピーネウス様。」
「オベール、貴様……!ミノス子爵家の軍勢は、ラーリッサを包囲しているのではなかったのか!!」
「あなたが私の顔を覚えていたとは、驚きでした。」
振りかぶられた斧が、ピーネウスの部下の首を絶つ。斧という重量武器が見せる機敏さではなく、武の心得があればあるほどにその腕に驚愕する。
オベール=ミノスという男の強さは知られていた。だが、アルス=ペガサスで有名だったのは、個の武以上に軍の指揮だ。時々駆り出される、他の家の盗賊討伐にて、彼は劣勢を強いられることすらなく勝利し続けてきた。流石はアルス=ペガサスの軍隊だと外では言われ続ける中で、オベールの名声は外には漏れなかったが……内側から見れば、オベールの軍指揮能力の手堅さは輝かしいものだった。そもそもそうでなければ、アファール=ユニク子爵の起こす義勇軍の内部諜報を任されたベルツの軍指揮担当として、この男が選ばれるはずもない。
このベルツの派兵には、ピーネウスの意向が大きく関与した。どうせ小さな義勇軍、多少傲慢な無能が固まっても、オベールの兵たちさえいればなんとでもなるだろう……という怠慢があった。
その程度には、彼の腕は信頼されていたと言っていい。想定外だったのは、『神定遊戯』のみである。ベルツが暴走しなければ、ヒトカク山の山賊2万程度は、オベールの500にも満たない軍勢で処理できると思われていたのだ。……実際のところ、過大評価ではあるが過剰評価ではない。オベールなら、被害を度外視すればやってのけられただろう。……無論、ドラゴーニャの介入がなければという話ではあるが。
「ラーリッサを囲むのは我が父、ペイリュートの率いる軍勢。ここにいるのは、私が率いるわずか500の精鋭だ。」
役人階級の三男四男。その多くが志願する、オベール直下の500。対してピーネウス側の人数は、ラーリッサから抜けてきた部下や保護していた貴族・護衛を含めた数は200。そして、ミケナから、ピーネウスを迎えに来ていた軍勢1000。
倍と少しの優勢。しかし、それで勝てると、ピーネウスは思っていない。
「降伏、していただきたい。」
差し出される斧の先は、ピーネウスの喉元を向いている。殺せばいいだろうに、なぜ降伏を求めるのか。
「見せしめですよ。」
慄く。おそるべき断言、人の尊厳を搾り取ろうとする姿勢に肝が冷える。
そんな無様、晒してなるか。そう言わんばかりに、鎌剣を引き抜いて斧を弾く。あっさり弾き返せたことに疑念を抱きながら、剣先をオベールに向けた。
「生きて帰るために血路を開く!突撃!!」
公爵家嫡子の宣言に、全軍が吼えた。
両軍合わせて2000に満たぬ総力戦が、ぶつかり……。
「『ペガサスの近衛兵像』よ!」
その全てを打ち消すように響き渡る、声。寡黙な男のはずだった。指揮は的確であっても、響き渡るような声など出さない男のはずだった。そもそも、響き渡った声も、大声というより、強制的に響き渡らされた……“拡声魔術”に似たそれだった。
それは、従来のものとはわずかに異なる。“拡声魔術”ではない。『像』にもれなく備わった、強制的な言葉の伝播である。
"拡声魔術"は、ただ声を拡張するだけ。音を大きく、広く伝播するだけであるが、同時に雰囲気も変わるという問題がある。
指示を伝えるには、声が大きい方がいい。だが、低すぎる声、高すぎる声は“拡声魔術”で拾い難く、オベールのように比較的言葉少なの男は魔術が拾う声を把握できていなかったりもする。
それまでは、副官がオベールの指示を広く伝えていた。少人数の兵士を率いるだけなら、“拡声魔術”を使うまでもなかった。だが、今はそうも言っていられない。
「兵の数では、不利。兵の質では、こちらが有利。戦えば、勝てても被害は出る。しかし、その被害を減らすことは出来る。」
『近衛兵像』。神の力の顕現に、突撃するピーネウス陣営の足が鈍る。止まりはせずとも一歩一歩の歩幅が縮む。
わずかな時間。それだけあれば、神の力は顕現できる。
「“精鋭強化”。」
彼自身の能力が発現する。神の能力が、彼の率いる精鋭たちに降り注ぐ。
それは、あまりも理外にある能力だった。
『像』の能力がもたらす配下の能力強化倍率は、種によってまばらである。
『隊長像』は、最大人数が4千人の能力強化倍率が1.2倍。『連隊長像』は、4万人に1.4倍。『将軍像』は自軍全体に1.5倍、自身に1.6倍。『元帥像』が自軍全体に1.6倍だが、固有能力が多い。
比較して、彼の“精鋭強化”とはいかなる能力か。
それは、最大人数はわずか千人である。されど、その能力強化倍率は、その『像』が自身にかける能力強化倍率に依存する。
『近衛兵像』の、初期の身体・魔力量強化倍率は、1.8倍。
即ち。彼が率いる、最大約千人の軍勢が、一人で二人分近い身体能力を保有する、怪物集団になる。
「な、にが。」
目の前で起きている事態に、ピーネウスは自身の目を疑った。
一人一人の攻撃速度が、一撃一撃に籠められる威力が、変わる。
わずか3秒前まで10歩先にいたはずの兵が、すでに2歩先の兵の首を落とし終えている、そんな異常に脳が理解を拒んでいる。
「練習する時間はない、5秒で合わせろとは命じましたが。」
実際にやってのけられるとは。最初に選んだのは10人のみだったが、彼らはすぐに合わせてのけた。ならばとばかりに、一人、また一人と強化を与えていく。
オベール=ミノスの“精鋭強化”は、任意発動だ。ゆえに、一人ずつ、強化人数を増やしていくことも、逆に減らしていくことも、彼にとっては容易である。
この間、オベールは何人もの敵を斬り殺し、部隊に指示も出している。目の前のピーネウスと、対峙したまま。
それでも不意打ちは叶わない。視線を外したところで、隙を見せるような戦士ではない。
「では、来ていただこう、ピーネウス様。そして……アブルストルク=ネリーティア子爵家の……フロガス?」
出された名に、二人が慄く。その二人だけはなんとしても連れ帰るという気概を感じる一言だった。
怯えたように、猫背痩身の男が声をあげる。
「なぜ……私だ?」
「アファール=ユニク元子爵令嬢……アメリア様に、身売りを命じたことがあるらしいですね?」
「ヒッ……!ち、ちがう!命じたのは皇太子殿下だ、私ではない!!」
「懇願したのは貴様だと聞いているが?」
「ち……」
がうとは、言えなかった。彼とて人である。目の前で見せられる神の力を前に、嘘をつく不敬くらいは悟れる。目の前の男が放つ神の威光に、否定の言葉は飲み込まれる。
とはいえ、そのまま肯定するわけにもいかなかった。見せしめにされるピーネウスとともに名指しで連行される、その事実が何を指し示すのか、察せぬほど男の頭脳も悪くはない。
「『王像の王』どのが、彼女の身体を望まれたのか。ずいぶん、見る目のある……。」
愛妾にでもしようとしていたのだろうとでも言わんばかりに、まるで親近感を覚えたとでも言わんばかりに言葉が紡がれる。アシャトへの理解があれば、ペガシャール帝国派の内情を理解していれば出なかったはずのその言葉が、オベールの心に火をつける。
ピーネウスが彼の口をふさぐよりも早く、オベールは男を蹴り飛ばした。肩口を砕くつもりで、1.8倍化された身体能力を存分に使って。
こと力だけであれば、ディールをしのぐ傑物の蹴りである。瘦身の男に、耐えられるはずがなく。
「ディール様より、貴様だけは生きて連れて帰るよう命じられている。安心しろ、殺しはしない。」
言葉も出ないほどに悶絶し転げまわる男を一瞥し、背中を踏みつけて動きを止めたあと、オベールはピーネウスを一瞥する。
もはや立ち上がれぬほどに膝を笑わせ、鎌剣を取りこぼさんばかりに肘を震えさせる男。それでも剣は決して零さず、膝を屈せず。勝てない恐怖に身体を震わせ、という話ではない。ただ、恐怖を抑え込むだけの誇りを見せただけ。その結果が震え続けるという醜態だとしても、崩れ落ちないだけ上等ともいえた。
「では。」
オベールの踏み込み。地面を揺るがしたとすら錯覚するほどの力強い一歩。対するピーネウスは、ふるえながらも。しかし、踏み込んで見せた。
「……お見事でした、ピーネウス様。生まれる家が違えば、弟君がパーシウス様でなければ。あなたは立派な貴族として、その責務を果たされたことでしょう。」
振るわれるは斧の一撃。鎌剣より重い武器でして、振るわれる速度も鎌剣より早い。ピーネウスが負けるのは当然だった。アルス=ペガサスの象徴たる鎌剣が半ばから 折られる。
逃げも隠れもできない、森の中だった。敵に囲まれていた、味方はほとんど駆逐されていた。
ピーネウスは……『神官』から逃れようとするアルス=ペガサスの希望は、今断たれた。
ディールとオベールは、何を言えばよいかわからない面持ちで眼前の光景を見ていた。
今回のことで使った金や死んだ兵士の遺族への報奨金等々の処理の報告をパーシウスに対して行っている者への、疑義の瞳だった。
「生きていたのか?」
「死んだと思っておりましたが。」
二人から放たれる強烈な言葉に、痩せた男の頬が引き攣る。とはいえ、そいつ本人も言われることくらいは予想していたのだろう。平然を装って、「おかげさまでな」と口を開く。
「あの乱戦の中生きて帰られるとは、思いもよりませんでした。どのようなことをされたのですか、ベルツ様?」
かつてアシャトが無能の烙印を押し、ヒトカク山の盗賊討伐にて死んだはずの男……アルス=ペガサス公爵家八男、ベルツ=アルス=ペガサスが、パーシウスの下で仕事をしていた。
「偶然生きていた、わけではない。あの日、こいつを救うために出ていた男がいたのだ。オベールがいたところで、こいつがうまく使えるはずがないからな。負けるのはわかりきっていた。問題はどういった負け方をするか。ドラゴーニャの連中が出張っていたのは完全に予想外だったわけだが……。」
とはいえ、予想通りオベールは職を解かれ、見事に壊滅した。ドラゴーニャの連中が出張る前に壊滅した。先頭を切って見事に逃げ出したベルツは、その身に纏った華美な装飾の鎧を脱ぎ捨てて身軽になり、馬でヒトカク山から見事に逃げた。
そのあと、生死をだれも確認しなかったが……パーシウスが連れ帰っていたというわけらしい。
「なぜです?」
「使えるからだ。」
オベールの問いに、即答する。ディールは首を傾げた。戦えるようには思えない。賢くもない。貴族の矜持とやらもないだろう。
豪華絢爛を誇るために生きているような男の、何が使えるというのか。
「こいつは算術が出来るからな。各地で集めた税収に、大きな狂いがないか……確認し続ける仕事であれば、出来る。そして、この国にも、うちの領地にも、今足りていないのはそういう人手だろう?」
それは、そうだが。ディールの苦い面持ちには、今絶賛書類仕事に苦心しているアシャトの生活がありありと浮かぶようである。が……同時に認めがたいという思いまで見て取れた。
「言うまでもないが、陛下が見抜かねばならぬ人の才は、その武威でなく、国への貢献が出来るものか否かだ。こいつは気を抜けば横領もするし賄賂も受け取る。出来ないように監視をつけているが、絶対に機能しているわけではない。人材が充足すれば、閑職に追いやるか殺すか、どちらかをするさ。」
聞いて、ベルツがプルプルと身を震わせる。目の前で殺すと決定事項のように言われたのだ、その恐怖は察して余りある、が……。
「いやならちゃんと仕事をしろ。お前の仕事ぶりで、どちらにするかを決めるのだ。」
パーシウスはその震えをあっさりと無視し、ベルツをいないものとして話をし始める。
ベルツは再び身を震わせると……その場から離れた。
「そういえば、ディール殿。貴殿の望まれたあの男は、地下牢に閉じ込めている。私をディマルスに連れて行ってもらうまでは2週間ほどかかる予想だが……それまでに、すべて、済まされるとよかろう。」
そう告げられると、大柄な男はそのただでさえ怖い顔に、だれもが身を竦ませるような、憎しみを滲ませた笑みを浮かべた。
「あいよ。感謝するぜ。」
パーシウスの顔から血の気が消える。オベールの腰が抜けそうになり、ニーナが咄嗟に後ずさる。
その部屋にいたパーシウスの護衛たち、各家のすぐれた武人たちが、立っていることすら悍ましく思えるほどの震えと戦う中で、彼は悠々と場を離れる。
ディール=アファール=ユニク=ペガサシアが見せるその表情は憤怒。強い者ほど、その感情に込められる殺意の高さに震え上がる……真正の、怪物の憤怒だった。




