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244.アルフェラッツ=ティラム=シラー

 ミノス子爵家は、アルス=ペガサスの私属貴族である。

 アバス=アルス=ペガサスの治政下にあって、三軍団長の一人とされた、軍指揮官の一家である。

 つまり、アバスの代からの要職にあった者であり、モーリッツに代わってからはその要職からは外れ、あくまで軍の、武芸教官としての役割に押し込められた一族であった。


 モーリッツが厭ったのはペイリュートのみであり、ミノス子爵家ではない。ゆえに機を見て、ミノス子爵家自体は軍団長の家に返り咲かせる予定ではあった。

 家の内から、『神官』を排除してしまえば、そこにあるのは一介の公爵家。長く軍を率いていた実績とノウハウのある家を軍職から遠ざけるだけの理由は、本当に『神官』に近いこと以外は存在しなかったのだ。

 それに関しては、フラングロス=ビリョーディア子爵家についても同様である。この家はアルス=ペガサスの税金処理担当であり、要職から離すことは出来なかったが、だからこそその役割を長男から次男に替えさせている。家の当主が無職であり、元来役人階級まで落とされるはずの者が公属貴族の領地経営に携わるというあんまりな矛盾は、反発を招きつつも15年近くの内で種火程度まで緩和させられている。


 しかも、アバスの死後、両家共にがアルス=ペガサスの方針転換を受け入れたはずだった。『神官』を断とうとするモーリッツの方針に是非を言わず、迎合してきた者たちのはずだった。

 アバスがパーシウスに『神官』を譲ったことを、良く思っていない者たちばかりだったはずなのだ。あまりにパーシウスが色ボケし、アルフェラッツへの溺愛が周囲の目に余るほどになればなるほどに、彼らはモーリッツを当主と仰いでいたはずなのである。

「勝てはするまい。私は死ぬだろう。ピーネウスには私の意図をしかと汲ませた、彼が次の『公爵』になる。」

直臣1000の兵たちに告げる。2000は既に、ラーリッサ四方の門を開け放ち、敵を内に入れている。


 もはやモーリッツに生き残るつもりはなく、ピーネウスを外に放り出した時点で彼にとっての延命措置は終えている。

「あとはもう、私がどう死ぬかという問題のみ。ここで一人でも多くのパーシウス陣営を殺し、ピーネウスに後を繋ぐ。全霊で敵を阻んでほしい。」

齢40を超えた男が頭を下げる。彼直下の1000は、それに従うように頭を垂れた。

 そのいずれもが、主モーリッツと同じくらいの年の頃。もはや家にいる愛する妻子は一人で生きていける、それくらいの家族を持つ者たちばかり。


 四方の開け放った門にいる兵士たちもまた、似たようなものだった。

 モーリッツに付き従って、もう20年を超えていた。祖父に反するところから、ずっと付き従っていた者たちだった。

 どう転ぼうとも、彼らにはもう、困る理由が何もない。

 兵士たちが飛び出す。直にラーリッサは落ちる。しかし、火は焚かれないだろう確信がモーリッツにはあった。己が息子は、アルフェラッツを見捨てられない。

「人質はまだか!」

叫ぶ。手段が汚くとも構わないと思う。彼にとっての最後の足掻きだった。己の死は確定しているように見えるこの戦。勝機はただ一つ、パーシウスの首だった。

「報告します!アルフェラッツ様、脱走!今はケートス様が後を追ってらっしゃいます!」

「はあ?」

何を言っているのかわからない、とばかりにモーリッツが叫ぶ。本当に何を言っているかわからなかった。婦女子に、兵士が負けたというのだろうか?





 ラーリッサが慌ただしく動き始め、屋敷では甲冑の音が鳴り響いていた。

 その上、パーシウスのあの宣言。聞けば、アルフェラッツにはもう、何も説明は必要なかった。

「何を、されたのですか?」

「少し、痺れ薬を焚きました。それだけですわ。」

追いかけてくる竜国の鎧を着た大男からの問いかけに、淑女はただそう答えた。

「どうやって?」

「ティラム=シラーを舐めないことです。」

走りながら答える。逃げる少女の走る速度は非常に遅い。そもそも体型維持程度の運動しかしていない、監禁されて外出時間もあまりなかった女である。本職の軍人相手に、走力で敵うはずがない。

 それでも、革製とは言えそれなりに重たい鎧甲冑を来た、全身に痺れが回り思うように身体を動かせない男相手であれば、それなりに逃げることくらいは出来た。体力上、時間の問題かもしれないが。

「痺れ薬を、渡すほど、アルス=ペガサスは愚鈍ではなかったはずですが。」

「ええ。ですから、屋敷に生えている草と、湿布等に使う草、風邪薬等々……私に許された少ない種類の薬草を使って調合いたしました。」

ティラム=シラーの、医術の家の娘である。パーシウス用の人質とはいえ、ただ監禁するには持っている薬草の知識と技術が凄まじく、彼女に診察してもらった侍女たちが渡していた薬草があった。


 それらを調合したのだが、そこまでアルフェラッツが話す気はない。ただ、医者として最低限持ちあわせていたものを使ったと言い張った。

「それほど、パーシウス殿の援けになりたいのか!」

しかし、痺れ薬は十全の効果を発揮したわけではなかった。手に入った薬草では、十全の効果を発揮できるだけのものを作れなかったのである。

 終いには追い詰められた。もう逃げ道がない、そんな状況で立ち往生する。

「ええ、無論です。私はティラム=シラーの娘。我儘を言ってパーシウス様に嫁いだ、薬学の権威。」

痺れ薬には慣れたようで、目の前でケートスが立ち止まる。が、そこで彼は気が付いた。

「医務室へようこそ、竜国の戦士。まずはこんな薬はいかがですか?」

強力な酒精が、ケートスの鼻に突き刺さる。




 私とパーシウス様は政略結婚である。

 愛がないわけではない。私は彼が大好きだし、愛している。

 婚約を願い出たのは私たちだし、社交界でもあまりの仲の睦まじさから理想の恋愛結婚などと謳われた私たちだが、実態は違う。決して、恋愛結婚などではない。

 私、アルフェラッツ=ティラム=シラーと彼、パーシウス=アルス=ペガサスとの結婚は政略結婚だ。


 私が、そうした。



 パーシウス様と初めて出会ったのは、王都ディアエドラで開催された、ティラム=シラー主催の宴会だった。

 目的は、『神権主義』と距離を明確に取り始めた、アルス=ペガサスの真意を探ることだというのは、秘されていた。

 元より、仲が良いとは言えなかった両家である。神の意に沿い『神定遊戯』の目的の根幹足る六国統一を成し遂げようと考えているアルス=ペガサスと、神に従いつつ神を利用し、神がいる世を留めおいて国を富ませたい『神権主義』は仲がいいとは言えなかった。

 しかし、神を敬うという一点において、この両家の在り方は相反することはなかった。


 神を道具として利用するだけの考えと比べれば。そりゃあ、神を崇め敬う方がマシだったのだろう。

 また、遷都に反対したという点でも、アルス=ペガサスと『神権主義』は方向性が同じで、『神定遊戯』のない120年……遷都後で考えれば70年ほどの間、かなり仲のいい一族だったのだ。

 だからこそ、遷都した王家に阿るようになったアルス=ペガサスの方向性を確認するために一席設けられ……。


 わずか7歳にして、父を探るような目で見るパーシウスを見た。




 彼と再び出会ったのは、13歳の頃。フェムでだった。兄に礼節を解かれ、改めて挨拶に来た彼を、部屋の影から見ていた。

「竜牙草をもらったぞ、アルフェ。お前なら、これを上手く使えるな?」

「はい。出来ます。」

使える。これは、これは、使えると思った。


 フェムに来てから学んだことがある。

 もう、『神定遊戯』に頼った国政は危険だということ。それ以上に、『神定遊戯』が始まれば、ティラム=シラーは役職の維持が難しいことをだ。

 侯爵家であろうと思うのであれば、功績が必要だった。医術の必要性は確かに絶対だが、それで侯爵家……五候が維持できるかと問われれば、それは無理があったから。そして、侯爵家という収入と大領土なくして、医療技術の独占は不可能だったから。

 そんな時に、パーシウスと再びまみえたのだ。8歳のころから、己の父を値踏みするほどに賢く、またエビエルとの討議、アルフィルクとの会談内容からして、積極的な戦争を……『帝国化』を志すべきと主張する彼に。ティラム=シラーに足りない何かを、もたらしてくれる気がしたから。


 だから、退路を断ったのだ、兄の。

 ティラム=シラーを、侯爵家の地位を維持するだけの政治的才能を有しているのは弟ではなく兄である。

 である以上、医術の保存という意味合いで、兄が当主になるのは目に見えていた。父も、そこまで愚者ではない。弟に至っては、最初から医術にしか興味がない。

 わかっていないのは兄だけだった。当主争いなど『発生しようがない』事を知らないのは、兄だけだった。他でもない父が、兄の政治能力を伸ばしたいがためにそうした。


 だから。その兄を、『神権主義』から切り離すために。『神定遊戯』を真に終わらせる方向で、軍を持ってもらうために。

 パーシウスと、同盟を組ませた。彼に近づいて、彼と心を通わせて。

 その過程で、確かにアルフェラッツはパーシウスを好きになった。恋をした。愛している。


 だが、政略結婚なのだ。

 アルフィルク=ティラム=シラーが、何が何でも『神定遊戯』においてパーシウスの味方をするための。他国を侵略し、『帝国化』を目指させるための。恋愛結婚ならアルフェラッツとパーシウスの意思で離婚出来なくはないが、政略結婚ならティラム=シラーとアルス=ペガサスの利害調整まで込みでの離婚をしなければならなくなる。


 そうだ。己の退路と、兄の退路を断った。もう、ティラム=シラーは『神権主義』を捨てなければならないところにある。

 ただし。私が、死ねば、それは話が変わるだろう。

 だから、何としても、生き残らなければならない。



 酒精に反応して臭気を発生する水薬を放り投げる。竜国の戦士は容器を槍で弾いたが、意味がない。蓋は、最初から開いている。

 鼻を衝くような匂いに、耐えきれずに彼が手を鼻に当てる。動きが止まる一瞬の間に、蓋の空いた酒精の樽を三つ投げる。自分の周りには難燃性の薬草の粉末を高く投げ上げ、医務室に置いてあった魔術陣を起動。

 魔術陣の面から、概算3メートルの距離で火が起こる魔術陣。酒精に反応して爆発を起こし、竜国の戦士を巻き込んで……しかし、アルフェラッツの周りには、事前に巻いた粉末が功を奏し、火はつくものの大きくはならない。

 床で燃える火の中に次の薬草を投げる。窓を大きく広げて窓の縁に描かれた魔術陣を起動させる。……窓を開けて風を取り込み、魔術陣にて風の流れを制御する。薬の調合時、外に薬物が逃げて行かないようにするための処置である。これを、そのまま、薬草が燃えた煙の進行方向を操作するために利用する。

「お、ん、なぁぁぁ!」

咆哮。竜国の戦士が、女の心臓を目掛けて槍を一突き。左の胸を狙ったそれは、大きく逸れて、左脇の袖を穿ちながら、後方の壁へと女を運ぶ。

「う、」

美女の顔が、背中を奔る激痛に歪む。槍が逸れたおかげで彼女の肉体に怪我はないが、壁がミシリと音を鳴らし……それだけの勢いで、壁に叩きつけられたのだ。

「なぜ、逸れた……?」

足を踏み出し、思ったように前に進めずよろめきながら、ケートスは問う。彼女を壁に縫い付けられたのは、偶然だった。侯爵家の娘である彼女が着る服は、人質でありながらも高位女性の衣でなければならず……重ね着、四枚。内に入っている、衣が崩れないように入れられた骨もたいそう硬い。


 槍で貫くのは難しくなくとも、2メートル以上もの全てを貫通せしめるはずもなく。ましてや破れるほど衣の繊維は弱くなく。

「あなたの視力を奪いました。距離感がおかしくなっているはずです。」

「随分な、博打だな。お前にも、効きかねないだろうに。」

「これくらいの薬であれば、ティラム=シラーには耐性があります。」

拳を握る。女の手の内には、毒薬。致死性の毒は、流石に使えなかった。己が死ぬことはないだろうが、後遺症は確実で、それはアルス=ペガサスの第一夫人となる以上避けねばならないことだった。


 だから、直接飲ませるしかなく。距離感の狂った戦士に近づいて、咥内に放り込もうとしていたのに。

 槍は抜けない。アルフェラッツは戦士ではない。戦士が投げた、壁に突き刺さった槍を抜き取れるほどの能力はない。

「ここが、頬だな?」

戦士は手で直接、美女の肌に触れた。距離感が狂っている以上、そうしなければ狙いをつけられなかった。

「死、ね。」

腰から引き出される短剣。首元を狙って下ろされる刃。


 流石に、左手に添えた手との距離感は間違えなかった。左腕から拘束され、身動きが取れないままに死の瞬間を待ち……

「待たせた、アルフェ。」

「パース……!」

鎌状の剣が、短剣の刃を阻んでいた。


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