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243.パーシウスの来歴(終)

 警戒があまりに激しすぎた。

 ミケナに帰ろうとするも、どう足掻いても都市に入れず立ち往生するばかり。

 父はこれほど、己を警戒するか。その事実に、ただただ驚愕するばかりだ。

 決して、アルス=ペガサスの兵士がパーシウスの道を阻んでいるのではなかった。父の私兵、そして役人階級に属する次男三男が総出で、パーシウスの人相書きをもって、隈なくミケナを徘徊しているだけ。

 それがパーシウスだと彼らは知らない。必死に探しているのが己の主君筋の次男坊だなどと、知りもしない。


 だが、役人階級のように、下手に権力を持っている者が人相書きを手に指名手配犯を探すという構図が、単純に強力だった。

 パーシウスが己の身分を明かしたところで、彼らにはそれを確認する手段がなく。彼らの持つ確認手段は、己の上司に彼を見せることだけ。そしてその上司は全て、モーリッツの息がかかっているのだ。

 パーシウスに不利になる条件は全て整っていた。どれほどモーリッツが「アルス=ペガサス」を嫌がっているかというのが嫌でもわかる。

「だが、空はがら空きだわな。」

グランシェが空を飛ぶ。パーシウスの身体を抱えて、翼を大きく広げて。彼を阻むものはいないとばかりに、空へ。


 が。

「パーシウス様の知己に竜人がいるということは、フェムにて知っていた。空への警戒がないわけがないでしょう。」

ミケナの壁上から放たれる矢、矢、矢。夜闇に紛れてなお狙ってくるあたり、夜目の効く者たちが警備していたのだろう。……いや、あれは。

「魔術陣?“夜視魔術”に、“身体強化”。弓勢を見る限り、腕も相当いい。パーシウス、お前の父親は何を呼んだ?」

矢を回避しながら呟かれた言葉に唖然とする。頭を必死に回転させて考える。竜人たるグランシェに、弓勢を恐れられる……傷をつけられるほどの腕を持つ者。

「王家の介入……!」

「はあ?」

当然だった。モーリッツを当主に指名したのは、国王アグーリオである。それだけ、自分を阻む障害となるのも理解しておくべきであったのに。

「グランシェ、切り抜けられるか?」

「無茶言わんでください、よ!」

「なら、撤退だ。明日もう一度向かう。」

腕の中に抱えられた主の言葉に、グランシェは軽く頷いて。翼を広げて、撤退した。




 毎日の特攻。隠し通路を使った侵入。その悉くに失敗した。父は、己が次男を徹底的にミケナに入れないつもりであった。

「それほどまでにアルス=ペガサスを嫌うか、父上!」

パーシウスが絶叫する。侵入に協力する者たちももはや疲弊しつくしていた。グランシェも、フェティウスも。領地内を転々と旅して集めた、多種多様な家や種族の者たちも。

 アルス=ペガサスは、領地内に複数の人種の村を持つ。彼らはアルス=ペガサスを監視する役割を持ち、アルス=ペガサスには足りない者が投手になった時、彼らを引きずり降ろす役割を持つ。


 とはいえ、モーリッツ相手のときは、国が介入し、アルス=ペガサスに相応しかったプロイトスを殺したことで、引きずり降ろすことが不可能になったのだ。

 モーリッツ以外に次代を担えるアルス=ペガサスの血筋が、アバス以外にいなくなってしまったがゆえに。


 無論、引きずり降ろす役柄を持つ彼らとてプロイトスを全力で守ろうとしたが、国家権力……あるいは彼らが引っ張り出した多くの名家の精鋭たちの前では、守りきることは叶わなかったのだ。

 ゆえに、誰もかれもがパーシウスに期待している。今のところ死んでいない、純粋な、『アルス=ペガサス』を担おうとする者に。

「ほう、ほう。これほどまでに多くの者が、我が孫に期待するか。」

あまりの突破の難しさに拳を打ち付けた時だった。外から、彼がパーシウスの拠点に潜り込んできたのは。


 若い者の多くが何奴とばかりに武器を抜く。血気にはやって攻撃しなかったのも、唐突な出現に硬直しなかったのも、彼らが優秀な証だろう。

 しかし、その反射と自制心も、現れた老人の声色と威圧感の前では役に立たない。 彼らが擁立する少年の覇気を濃密にしたような、強烈な上位者としての雰囲気を醸し出して、男はその場に君臨する。

「……あなたが、お爺様か。」

「そうだ、パーシウス。我が孫よ、お前と会うのは実に10年ぶりだ。最後に会ったのは2歳のころゆえな。」

全員が武器を下ろす。パーシウスだけは剣の柄に手をあてたまま、逸らさず。

「証明は?」

「これでどうだ?」

懐から抜いた印籠。その文様を“遠視魔術”を用いてまじまじと確認し、パーシウスはようやく柄から手を放す。

「『神官』にしか使えぬ印籠。間違いなく、あなたは現役の『アルス=ペガサス』だ。」

アルス=ペガサスには二つの印がある。一つは、王家から公爵家当主として認められた証となる、『公爵家』の印。そして、もう一つが、代々アルス=ペガサスに受け継がれる『神官』の印。


 このうち、モーリッツは『公爵家』の印を持ってはいるが、『神官』の印をもってはいない。未だ、アバスの手の内にある。

「どうやって抜け出されたのです?」

「ミケナには山ほど隠し通路や抜け道があるが、そのほとんどは、図面や構造を冷静に見、町の構造を考えれば読み解けるものばかりだ。そして、アルス=ペガサスに協力する種族たちに一つずつ教えている隠し通路は、その読み解けるものを教えている。」

アバスが、モーリッツにミケナの隠し通路を教えたことは一度もない。しかし、実際は隠し通路の全てを阻むように、彼の手勢が用意されていた。


 そのからくりは、読み解けばわかるからだという祖父の言葉に、パーシウスは戦慄する。

「モーリッツは優秀だ。非常に、優秀だ。ミケナの屋敷、街。地図を片手に歩き回り、ずれている箇所がないかを確認した。その全てを虱潰しに調査して、奴は隠し通路を片端から見つけ出した。」

よく見れば、わかる。読み解けば、わかる。そんな通路が20やそこらでは効かない数がある中で、その全てを網羅してのけた。優秀、とアバスは言ったが、そんな言葉では済まされないような執念を見せている。

「では、どうして?」

「簡単よ。見て、考えればわかる抜け道を全て控えていたとしても、奴はそれ以上は不可能だ。アルス=ペガサス1500年の歴史の前に、わずか一名の反逆者ではどうしようもあるまいよ。」

見てわからない抜け道を使ったという。アルス=ペガサスならあって当然だろう。そして、それは『神官』たるアルス=ペガサスにしか伝えられない。当主のみが知る道。

「モーリッツは見つけることを急がなかった。わしが死ねば手に入るものを、焦って手に入れる必要はなかったからだ。」

「ですが、父上はそれを理解していない方ではない。知らない抜け道があることくらいは把握して、お爺様を監視するくらいの事はしたはずです。」

返す少年に頷く老人。薄らと笑みを張り付けて、アバスは言った。


「じゃが、モーリッツにとっては、わしはもう死を待つばかり、動くだけの体力のない老人だ。そう見えるように儂が動き、若きティラム=シラーが迎合した。」

アルフィルクが。なるほど、それなら理解できる。ティラム=シラーの報告であれば父上も、まさかパーシウスやアバスに協力するとは思うまい。

「あの者は優秀だが、若いな。貴様がどうやって奴を巻き込んだのか、見てとれるようだ。想定外の不意打ちから話題を二転三転し、大筋をぼかしながらも芯を外さず、薄らと要求を匂わせながら言葉によっては別のことを要求する。うまく行くのはせいぜい経験が足りぬ10年のうち、権力の足らぬうちのみだ。経験を積めば、権力を持てば、同じ手は通じなくなるぞ。」

「承知の上ですよ、お爺様。お気になさらず、その頃には言うまでもなく、我らは仲の良い義兄弟になっております。」

「……なるほど。」

アバスがパーシウスに近づいた。近くで見たアバスの背丈に、青年は目を見開く。


 もっと大きいと感じていた、それだけの威圧感を与えていた祖父の背丈は、己より低かった。せいぜいが指の一本分くらいの差だろう。

 しかし、己よりも大きいと思っていた人が己より小さかった、その衝撃はパーシウスの心に大きな、槌で打たれるほどの衝撃をもたらす。

「ふむ。なるほど。確かに期待するな、これであれば。パーシウス、貴様には確かに、アルス=ペガサスになれるほどの才と魅力がある。」

「視て、わかるのですか?」

「『ペガサスの王像』は適材適所。ペガシャールの王の適性として最も重視されるそれを、『神官』が有しておらぬのはまずかろう?」

さも当然のように言う祖父に呆れつつも同意する。王を選ぶ神に仕える神官の役柄が、神の世話だけなはずもなし。

「貴様に譲る。決してなくすな、パーシウス。」

先ほど、身分証明のために見せつけられた『神官』の印籠が差し出される。行われるのが継承だと気付いた、その場にいた全ての者たちが背筋を伸ばし、直立不動になる。

「今この瞬間より、貴様が『神官』アルス=ペガサスだ。この印籠はお前が持て。」

「はい。」

「時期が来れば、『公爵家』を取り戻せ。お前の代で出来なければ、次代の『神官』はお前が選べ。」

「……は。」

まるで末期に遺言を告げるようだった。実際のところ、アバスの歳ならいつ死んでもおかしくはない。


 スッとアバスが手を挙げる。後ろに控える、40近い歳の男が前に出る。

「アルゴスの所有権が約束される書類。ミケナとセリポスにある儂の屋敷の所有権。そして儂が20年以上かけて育て上げた秘書エイブル。これをお前に譲ろう。お前の父が、儂が死んでから手に入れるつもりだったものだ。儂が死ねば『神官』は消えるゆえな。」

『神官』が消えれば、自然、その全てがモーリッツの手に渡る。焼却してしまえば、ペガシャール王国から『神官』は消える。

 気の長い話だが、『神官』足りえたモーリッツの弟は死んだ。その子供たちは私属貴族に落ち、そもそも『神官』としての教育すら受けていない。

 そして、モーリッツ自身の子供たちはアバスから遠ざけ、『神官』としての地ミケナから政治を切り離そうとし、実際半ば成功している。

「モーリッツは優秀だ、パーシウス。奴は目的の為、最高効率で物事を進めている。お前は、お前が『神官』を志す限り、『神官』を阻もうとする父と相対し続けることとなるだろう。出来るな?」

少年は押し黙った。モーリッツが優秀だ優秀だという祖父の言に、思うところがあった。

「『神官』足ることを拒んだアルス=ペガサスを、お爺様は優秀だとおっしゃるのですか?」

父に対する侮蔑が籠められた、直球の問い。アバスはそれを聞いて、遠く、そして悲しい顔をした。


 それが言うまでもなく肯定の意味を示しているのだと気づけぬほど、少年は人の心を解さぬ男ではない。同時に、その想いに納得できるほど、大人でも、父を知るわけでもない。

「モーリッツは優秀だよ、パーシウス。目的をきちんと定め、それに沿った最適な行動を起こし続けている。奴の『目的』が、『神官』としては落第だっただけだ。為政者として、人間として、何より一人の夢に向けて歩く男としては、儂の息子は極めて優秀だ。……だが、繰り返すようだが、その『目的』は、『夢』は、アルス=ペガサスとしては最悪だっただけだ。」

少年は、首を横に振った。認めたくないという思いと、しかして祖父が認める事実。それを天秤にかけ……

「ではなぜ、私とお爺様が会うのを阻むことが出来ていないのですか?」

「出来ていた。儂が動かなければ、そなたはモーリッツに阻まれ『神官』を継げず、アルス=ペガサスから二度と『神官』は輩出されなかったろう。」

否定は出来なかった。どうやったところで、パーシウスはミケナに入ることが出来なかったのだから。もう手詰まりであったことは、彼とて重々承知している。


 しかし、積極的な被害がない。自分も祖父も死んでいない、なのに『神官』を本気で阻むつもりがあったのかと、パーシウスはそう思うのだ。

「儂が死ぬまでお前をミケナに入れなければよい。万一侵入されたとして、儂に会わせなければよい。それだけであれば、実質成功している。奴の想定外は儂がこうして、お前の元まで来られるほどには動けたことだ。」

少年の目には、本当に父が優秀であればそれを見抜けぬはずがない、いくらティラム=シラーの言があったとはいえそれを絶対視する時点で優秀ではないだろうという弁が瞳にありありと映し出され。

「パーシウス。お前は祖父の顔だけしか見ていない。手を、見ろ。」

答えは、アバス自身から発される。言われるがままに視線を下げた、手が見えるように視線を下ろした。

「お爺様⁉」

驚愕に目を見開く。顔には、上半身には全く見えないのに、手は大きく震えている。膝はわずかに曲がり腰が落ち、必死に立つ姿勢を作っているように見える。


 だが、言われなければ気づかなかった。近くで見ているからこそ、辛うじて見てとれる。腰や膝の撓みが、辛うじて読み取れる。

 パーシウスの後ろで見ている者たちは、誰一人としてパーシウスが何に驚いたのかわからぬだろう。それほどに極小の震えであった。

「これが、モーリッツが儂を警戒しなかった理由だ、パーシウス。」

本当は、動けている方がおかしいのだろう。ここまで来るのにどれほどの無茶をしたのか、なんとなくわかる。アルフィルクの報告、祖父はもう動けない、死期を待つだけの老人であるという報告には、信用するだけの下地があったのだ。

「死期を早めてでもお前を見極める覚悟が儂にはあった。それだけの無茶をしようとも、儂が貴様と合流できぬ予測がモーリッツにはあった。儂の勝率は一分にも満たず……しかし、一分未満の勝利を得なければならない状況であれば、それを達成しなければならぬのが『神官』の継承であっただけの話だ。」

恐ろしい話だ、と少年は思った。動けば死ぬと知りながら、99%以上の確率で失敗すると理解しながら、『神官』の継承のために1%未満の勝率を必ず引き当てなければならなかった。そして、それをやるのが『アルス=ペガサス』であり……次代は齢12になったばかりの己だというのだから。


 少年は笑む。その覚悟は二年の間にとうに固まっている。それだけの無茶を重ね続ける理由は、すでにフェムで、通じる先のクカスで、嫌というほど調べつくした。

「繰り返すがモーリッツは優秀だ。目的の為に『神官』は邪魔だと納得し、排除するだけの筋道を正しくつけた。そしてその目的そのものも、時勢に照らし合わせれば過ちではない。パーシウスよ、おそらく、間違っているのは『神官』だ。それでも我らは、『神官』を継がなければならない。」

「……え?」

少年が唖然とする、周囲の味方たちが騒然とする、泰然と立つのはアバスとエイヴルのみであり。

 しかし、少年はすぐに気を取り直した。

「自分で調べます。」

「そうしろ。もう一つ、外回りにはお前は愚者で通せ。」

その言葉には、一も二もなく頷いた。時期が来るまで『神官』を保持する以上、『神官』を殺す理由を作らせてはならない。『公爵家』を兄ピーネウスが継ぐ状況に、誰もが納得している状況でなければならない。

「でなければ、お前が暗殺されかねない。お前が死ぬことが納得される状況であれば、モーリッツは躊躇なくお前を殺すぞ。」

少年は頷きを返した。今ようやく、彼は父が己と祖父を殺さなかった理由を理解した。


 殺さなかったのではない。殺せなかったのだ。

 父殺しは倫理的な重罪だ。家の勢力争いと言い張れば、親殺しだけで刑罰が与えられることはないものの……他の貴族にどういう目で見られるか。家としての信用をどれほど失うか。結果、経済的にどれだけの影響が及ぶか。

 そして、まだ12の子供がパーシウスである。

 教育と称して監禁することは出来る。将来を絶つことは出来る。だが、殺すことは出来ない。わずか12の、次男を、親直々に手をかけることが悪印象にならぬはずがない。ましてや、公的には何もしていない少年が、である。


 ゆえに、殺せない。どちらも殺せないから、パーシウスをミケナに入れないことに終始したのだ。知りうるすべての隠し通路を塞ぎ、空路陸路をすべて封鎖し、警備を増やした。

 感情に任せて排除をせず、飼い殺しを選んだ。時間が全てを解決する予定だったのだろう。


「『神官』の印籠。アルゴスの領主。ミケナの屋敷。セリポスの屋敷。そして、エイヴル。この五つがあれば、お前がどれほど所業が悪くとも、要職にある私属どもは道を違えん。お前は色ボケした男を演じろ。ティラム=シラーの娘に恋焦がれ、それに盲目になった愚者をだ。」

「治世は?」

「お前が指示を出せ、しかしエイヴルがやっているように見せかけろ。気にせずとも、わかる者にはわかるだろう。」

言うまでもなく、アルフェラッツと己との婚姻を認めるということだ。それがどれほどパーシウスにとって、将来的な心の支えになるか。


「あと、パーシウス。アルフィルクはティラム=シラーにしては政治が出来る。魔術戦争の基礎も覚えた。だが、奴は生涯かかっても、基礎以上のことは出来ない。徹底した基礎と経験を基にした反復……一流にはなれる。超一流にはなれん。わかっているな?」

「国体の維持に、超一流が何人も要りますか?国を支えるのは一流の連携ですよ。」

あまりに急ぎ足で話を進める祖父に、もう限界が近いことを少年は悟る。わかっているとばかりに大きく頷くと、老人は安堵したようにパーシウスの手を取った。

「最後にこの老人を寝所まで連れ帰れ。もう、警備を気にする必要はない。お前は今日から、『神官』だ。」

それを最後に、祖父はゆっくりと眼を瞑り。


 ミケナに正面から入ったパーシウスは、祖父との邂逅を宣言しているようなものである。

 それ以降、アルス=ペガサス領内ではパーシウスを主とする勢力が存在するようになった。パーシウスが表舞台に立たないようにしていることから、裏でだけではあったが。


 それから、12年後。神遊歴997年、パーシウス24歳。

 『神定遊戯』が始まるまで、パーシウスは遊び人にしてアルフェラッツを溺愛する男として、社交界中に名を馳せることになる。

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