242.パーシウスの来歴
モーリッツが父、アバスはアルス=ペガサスの前主である。
彼はアルス=ペガサスに相応しくないモーリッツを当主の座に据えることを否定し、モーリッツが弟プログラスを当主の座に据えようとしていたが……王命により挫折した男だ。
『神定遊戯』が始まれば必ず『王像の王』に選ばれるとすら謳われたアグーリオ=エドラ=アゲーラ=ペガサシアの発言力は、最盛期よりは著しく落ちたとはいえそれなりに強かったし、どれだけ王家権力が衰えようとも当主任命の権限は王家にあった。無論、家の内の勢力争いなど、だいたいが死者が出て終わる上、順当に当主交代劇が行われない例などそうそうない。王家が口を挟む事例など多くなく、王家の任命権など形骸化していたが……。
そこは、アルス=ペガサスである。仮にも公爵家の名を持つ家である。他のどこよりも、優れたる栄誉と歴史を持つ、格式高き家であり、『神官』を担う以上王命はある種絶対であった。
ゆえにアバスはモーリッツに当主を譲り、自らは蟄居し……。
しかし、生きている。発言力が失われたわけでは決してない。
モーリッツが執務の場所をミケナからラーリッサに移したのは、伝統を壊す意図だけではなくまず間違いなく彼の父から逃げるためであったのは明白だ。
つまり、アバスの一声があれば、アルス=ペガサスは大きく動く可能性があるのだ。
そんな大御所の健診に向かうのは、ティラム=シラーの当主筋だった。
アバスは老齢であり、いつ死んでもおかしくない。
ペガシャール貴族において父殺しは罪ではないが、しかし人として間違っていると忌み嫌われる風潮がある。蟄居した父を殺せと王命でもあればモーリッツは表面上は涙ぐみながら嬉々として殺したろうが、逆に言えば王命でもなければ親殺しは出来ない。
ゆえに、父が死なぬよう、定期的に医者に健康診断を受けさせる必要も……少なくとも親子間の中の検索差が周知の事実である間はあった。
そして、その健診を受けさせるにあたって、ティラム=シラーほどモーリッツに都合のいい家もなかった。
医術の名家である。侯爵家という、立派な爵位を持ちあわせている。
神を崇拝する家であり、しかしそれは神からの脱却を望まぬ家……戦争を望まぬ家である。
戦争を望めと主張する、元来のアルス=ペガサスの理念と真っ向から対抗する理念を持つ家であり、だからこそアルス=ペガサスから王家をなどと願う失格のアルス=ペガサスが手を組むに値した。
「今回は、次代が儂の下に来るか、ティラム=シラー。いつもの男はどうした?」
「叔父エラキスは今、私の弟ルクバーと健診の準備をしています、アバス様。用意が終わるまで、私が話し相手を務めます。私の名はアルフィルク。アルフィルク=ティラム=シラーと申します。お見知りおきくださいませ。」
老齢の男だった。往年の力強さはすでになく、年を追うごとに置いていくのがわかると叔父が言っていた通りの人物に写る。
部屋は絢爛では決してなかった。
公爵家の威厳を保つためには、アルス=ペガサスの名を保つためには、相当豪華な生活をしなければならなかったはずだ。しかし、蟄居中のアバスの部屋は、そんな絢爛さとは無縁の、質素極まりない部屋であった。
「儂を殺しに来たか?」
唐突な、質問。肩を震わせつつ、なぜそうなるのかと疑念を抱く。無論、アルフィルクにそんなつもりはない。
「目の覚悟が決まっておる。何か恐ろしいことを為そうとしていて、それの結果も承知していて、しかし突き進もうとする狂気者の目だ。」
百戦錬磨の貴族の目を欺くことは、出来なかったらしい。ふ、と、思わず気が緩む。
「あなたを殺すのでは、ない。私が今やろうとしていることは、私たちティラム=シラーにとっての大きな転機となることであり、その先が狙い通りに進まない場合、私と未来の義弟のみが破滅することです。」
すっと懐に手を入れる。アバスは、身構えもしなかった。健康診断という名目で侍従やモーリッツの監視人たち全てを追い出し、自分の給金を流して雇った傭兵に叔父と弟の馬車を襲撃させることで作りあげた2時間程度のわずかな猶予。その時間で、何としても成立させなければならないことがある。
「こちらを。」
懐に手を入れて、机の上に置いた。押された印籠を見て、アバスは顔を歪ませる。
巨大な蓮と、ペガサス。ペガシャール王国にあって、アルス=ペガサスの当主しか使えぬ印。
つまり、モーリッツからの手紙を示すもの……だが、よく見れば異なるものだ。
「あり得ぬ。」
「いいえ。偶然の産物とは、聞いていましたが。」
「この紙は竜人たちの里にしかないもの。印籠も、蓮の花弁の形が異なる、この形状は竜の里のものだ!あの、役職放棄のモーリッツめが、これを手に出来るはずがない!」
「中身を見てから言葉を発していただきたい!」
言葉を連ねようとするアバスの言葉を遮って、アルフィルクは吼える。猛る若人を前に、アバスは折れた。
その手紙の封を切る。紙を割り開いて、中にある書に目を通す。
「これは……これは。」
老人の、みっともなくも神官の誇りに縋って、しかし昏い先しか見えていなかった力のない瞳に光が宿る。行く先にあるは1500年の歴史の途絶だと考えていた。しかし、否定するかのような光明が見える。
「それで、パーシウスはどこに?」
「フェムにいます。丁度二年ほど前に……アルス=ペガサスを、ラーリッサを出たと本人が言っていました。」
「お前は、フェムにいたのか。パーシウスは、どのような男だった?」
声に力が籠る。モーリッツと、他でもないアグーリオ今上陛下の手によって途絶させられそうだった神官の歴史が存続する未来が残ることに、アバスは微塵も興奮を隠せはしない。
「覇気に満ちた少年ですよ。少々礼節に欠ける部分がありましたが、それも時と共に、エビエル殿の下で矯正されるでしょう。」
「ふむ。エビエル=ルフィエムか。あ奴も難儀な男よな。」
じっと紙に写る文を目が追っている。それで、人柄を読み解こうとするような、そんな真剣な表情で。
待つこと、数分。ふと、アバスが思い出したかのように顔を上げる。
「それで?貴様の覚悟は、何だ?」
「『アルス=ペガサス』の、『神官』の味方になると。その証明として、我が妹アルフェラッツ=ティラム=シラーとパーシウスの恋愛を全面的に支え、婚約までこぎつけると。」
その言葉を聞いて、アバスが硬直する。神を敬いながら、神の力を利用する、不届き極まりない家だった。少なくとも、国全体はそうあるべきだと考えている、『神官』から見て不敬極まりない家だった。
それが、意見を翻す。それがどれほど美味い話か、アルフィルクには判断がつかない。
だが。アルフェラッツとパーシウスの婚約をアルス=ペガサスが認めるには、こうするのが一番だとパーシウスが告げたのだ。
「その先を言え。婚約話はパーシウスの望みだろう。お前が、私に望むものだ。」
見透かされている、とアルフィルクは脂汗を流すが。よく見れば、当たり前だろう。
アルフェラッツとパーシウスの婚約が成ったところで、その後援にアルフィルクがなったところで。アルフィルクが得るのは、継承権順位の低いティラム=シラーの娘が一人いなくなるだけ。アルフィルクの、家督を継ぐためや、それ以外の彼自身の目的に近づくわけでは決してないのだ。
つまり……アルフィルクは、パーシウスとアバスという『神官』を繋げ、その証左に妹を差し出す代わりに、二人の『神官』に何を求めるのかを問われている。
「戦争の記録を戴きたい。1500年に渡る、魔術を用いた戦争。その論理について書かれた記録を。」
「それがラムポーン=コリント伯爵家の許された絶対の権限であると知ってもか?」
「ええ。アルス=ペガサスなら、持っているだろうと、パーシウスが。」
その言葉を聞いて、アバスの瞳が輝いた。
他でもない、ティラム=シラーが変わるという宣言をされたに等しい。医術の継承に身を預け神に依存する生活を是とするティラム=シラーが、戦争への関与を、戦争部隊の作成をする。それは、他国へ侵略しようと声高に叫ぶアルス=ペガサスの味方になるという先の主張の説得力を大きく増すのだ。
ゆえに、アバスは大きく頷いた。
「もしも私が、婚約には口を出さないがお前には記録を与えてやろうと言えば、飲むか?」
「飲まないでしょう。私がアルス=ペガサスの力を借りる理由がなくなる。縁故のない者からの無償の善意ほど、恐ろしいものはありません。」
「縁故があれば、無償の善意でも信用できると?」
「私が当主になるのであれば、『侯爵家』を残すとパーシウスが告げました。あなたの命は長くない。早くから準備して学ぶ大切さもわからぬ愚鈍な男が元アルス=ペガサスだっただけの話。パーシウスは、『神官』になるために茨の道を歩くでしょう。」
アバスという内なる味方がおらず、ティラム=シラー侯爵家の長子という外側の味方もいない。そんな状態でパーシウスが歩む『神官』としての道筋の難しさなど、想像に難くない。何せ、家全体どころか、まず間違いなく国を敵に回す。そういう道筋であることを、アグーリオ今上が行動で示し続けている。
そしてそれは、アルス=ペガサスから『神官』の道を完全に断つということに他ならなず。アバスにとっては、最悪の未来である。
「口約束でいいのか?」
「たかだか13に満たない男に、私と2つ違いの妹を嫁に出しても、いい。それが全ての答えです。」
「年上ではないか。」
「選んだのはパーシウスですよ。」
その言葉に、アルフェラッツに対する言及を控えて、アバスは壁の棚に手をかける。
「『神官』だけが継承する書庫がある。」
その先は、言わずともわかった。それを求めたのは、他でもないアルフィルク自身なのだから。
「婚約について協力するかは、まだ答えん。パーシウスをこの目で見てから決める。」
「出来ますか?」
蟄居中の男が、まず間違いなく監視付きで帰ってくるパーシウスと会うことが。そう問いかける青年に、老人は答えなかった。
ただ、奥から、齢千年以上の大木の三期ほどはあろうかという書物を、どんと置いただけだ。
「コリント伯爵家が魔術戦争の教本とするものだ。あの家に生まれ落ちた子供は、魔術そのものの理論と、並行してこの魔術戦争の理論を叩き込まれる。」
思わず、アルフィルクの腰が引ける。医術と薬草学、そして薬草を煎じて薬にする技術と効能。それらを学ぶときに与えられた教本の半分ほどの厚みもあるそれを前に、戦慄する。
「一年後、パーシウスが帰ってくるのだろう?奴が本当に『神官』を継ぐと知れた時、ここにある基礎理論以上のものを授けてやる。」
背に脂汗が浮かぶのがわかった。この男は暗に、一年で、大木の幹ほどもあるこの魔術戦争の基礎を、全て頭に叩き込めと告げているのだ。
「期待しているぞ、若きティラム=シラー。」
機嫌よく笑うアバスに退路を断たれる。
ここに導いたパーシウスの意図に、ようやくアルフィルクは気付いた。
徹底的にやる男に、完全に捕まったのだと。受け入れるまでは、それなりの時を要した。




