240.パーシウスの来歴(5)
これ以来、現状の政治状態についてパーシウスは問うことをやめた。是非はともかくとして、議論の無駄を悟ったためだ。
エビエルの主張には一定以上の筋が通っていた。これをパーシウスが全面的に否定するには、知識も覚悟も、何より経験が足りない。彼を否定するには、それだけの論拠を持たねばならず。
「それを差し引いても、授業そのものは有用だからな。」
彼が教えるのは政治だけではない。歴史に始まり、医学薬学、武術に魔術、事務能力。商業農業漁業、ありとあらゆる技術の基礎がそこにはあった。
グランシェはどうするか、少年は恐ろしく思っていたが……彼も何も言わず、むしろ以前より真剣に授業を受けるようになった、と思う。
彼を勉学に走らせるだけの動機が、どのような感情に基づくものかまではパーシウスにはわからなかったが……困ることはない、と判断した。
彼やフェティウスの面倒を見るのをいったん放り出し、少年は少年で己のやりたいことをしよう、と考えるようになる。
「アルフィルク殿!聞こえていますか、アルフィルク殿!!」
授業を終え歩き出す背に、大声を浴びせる。その足はほんの一瞬だけ宙をさまよい、しかし瞬きせぬ間に歩き出した。
「ちょ、アルフィルク殿!ティラム=シラー侯爵公子殿!」
声を上げ近づくが、背を向け歩く少年の足は止まらない。授業を受けた部屋を出、自然光のない道を突き進んだ先、周囲に誰もいない場になって、ようやく声をかけられていた少年は足を止めた。
「アルス=ペガサス公爵公子。」
「ああ、耳が聞こえないわけではなかったのですね、アルフィルク殿。」
いつまでも返事をしなかった失礼さを咎めるように公爵家の少年が呟くと、侯爵家の少年はむしろ怒りの表情を見せた。
「私は貴殿と社交の場であったことはない。言うまでもなく、貴殿との初対面はこのフェムだ。フェムにいる者はみな親の干渉がないとはいえ、順は守らねばなるまい。礼儀がなっていないのはどこの誰だ。」
「……それは、失礼した。申し訳ない。」
パーシウスが謝罪する。失礼を働いたのはお前の方だろうとはっきり断言された事実に対して、そうだと頭を垂れるしかない。
貴族とは、王位やそれに伍する位のモノでもない限り、だいたい人を介した顔合わせがなされる。仮令社交の会であったとしても、『誰それの紹介で』顔合わせをする必要がある。
他者の、正確にはその場にいる第三者の存在、その信用を担保に顔合わせはなされるのだ。
アルス=ペガサスの少年の年齢は10。彼が父に連れられて社交の場に出たのは3年前、7歳の頃だ。
しかも次男坊、彼が出席した『社交』がたいそうな代物であったはずもなく。
ティラム=シラー侯爵家、ペガシャール貴族『五候』の二番手に位置するような貴族の嫡子との対面など、あるはずもなく。アルフィルクとパーシウスの対面は、まず間違いなくフェムが初めてである。
「しかし、同じ学び舎で、同じ部屋にて学ぶ同志であるというのに。それは、エビエル殿の紹介があったということにはならないのですか?」
「ならないだろう。なっていいものか。礼節を何だと心得る?何のために社交があるのか、微塵も理解していないのだな。」
頭ごなしに否定する。アルフィルクの歳は14、実家に帰りさえすれば仕事を任されるようになる立場だ。そう言うことに煩くなるのも……意識を持つのも仕方がない、どころかしなければならない立場である。
そのあたりの状況も考慮して、ようやく少年は折れた。
「改めて、申し訳ない。しかし、ここには私に知己がおらぬ身なれば、それに則った挨拶になることは承知いただきたい。」
「順を守れば文句は言わぬ。では、私はここで。」
再び背を向けて歩き出すアルフィルクの背に、わずかに眉を寄せて少年が見る。アレは、相当硬い男だ。パーシウスが順を守らなかったから怒りを見せたが、穏当で人に好かれる魅力があるように思う。
己がアルス=ペガサスになる、その目的を考えた時、外に味方がいた方が良く。
「侯爵家であるから目を付けたが。あの男なら、味方にするに不足はない。」
どころか過剰ですらあろう。望外の喜びを得た。これに勝るものはそうあるまい。
自室と宛がわれた部屋に戻り、筆をとる。少年が持つ最上質の紙に、アルフィルクへの招待状を認める。
名目は勉強会。内容は、エビエル=ルフィエムの今日まで教えてきた内容について。
後進が先達に教えを乞う、という内容であれば、少なくとも名目上は成り立つ。
後は、知己がいない、第三者の存在しない状況でアルフィルクが対話を認めるか否かだが。
手紙を出した翌日、小型の刃物とすり鉢、そして鍼と人参が描かれた紋の付かれた返事が届き。
その中身を一読すれば、アルフィルク側に護衛兵、パーシウスに護衛無しの状況であれば、会っても構わないと……そういう内容であった。
ろくな手土産などない状態であった。必死に悩んで考え抜いた結果、竜人の里でもらい受けた薬草を三本ほど持っていくしか出来ないと判断したが、あるいはそれで十分だったのだろう。
目の前でそれを受け取って震えている男の姿は、パーシウスにそう確信を抱かせるほど、あまりに歓びが見えていた。
「なぜ、そう驚いていらっしゃる?」
「アルス=ペガサス公爵公子はこれがどれほど貴重なものか、知らないと存ずる。これは竜牙草といい、竜の乳歯が埋められた土地でしか生えぬ、貴重な薬草だ。その効能は鎮痛、解熱、回復能力の増加と万能薬に近いものでありながら、正しい処方をしなければ強力な毒になる、未だ全容が解明されていない薬草。医術と薬学に優れるティラム=シラーにとって、これほど貰うことに躊躇いと感動はない。」
机の上に丁寧に乗せられた薬草を紙で包み込む。
「申し訳ない、パーシウス殿。一度席を外しても?」
「ええ、かまいません。」
先日礼儀がなんだと言っていた男の、あまりの豹変ぶりに度肝を抜かれつつ少年は頷きを返した。失態があった以上、彼の心象を悪くするわけにもいかない。
そっと薬草を胸の位置まで抱え上げた彼が、やたら慎重な足取りで後ろの扉に向かっていく。侯爵家に属する彼の侍従たちも、その動きを遮ることのないように道を開けた。
奇怪な光景だった。招き入れた客を放置して、たかだか薬草3本を丁寧にしまい込む状況が。しかし、黙ってその状況を受け入れただけの成果はあったらしい。
アルフィルクは部屋に戻ってくると、控えていた侍従の8割方を部屋から出した。対談の場にいるのは、パーシウスとアルフィルク、そして彼の侍従が2人のみである。
「昂奮した姿を見せてしまいました。申し訳ない。はしたないとわかってはいても、あれほど保存状況のいい竜牙草の前では自制などなにの価値もなかった。あれほどの逸品を戴けたこと、感謝する。」
よく見れば頬が紅潮している。それほどの反応をもらえるなら、竜人の村からここまで捨てずに、きちんと持ってきたことを誇れる気がした。無論、こうなることを見越していたわけではなく、ただ万能薬として使いどころがあるかもしれないという思いからだったが。
「旅立ちの時に戴いたものです。アルフィルク殿は、どうも、扱いが難しいようなことを仰られたように思いますが、それほど危険な物だとは知りませんでした。」
「竜人にとっては、さして毒になり得ぬものですから。グランシェの故郷から持ってこられたのなら、扱いが軽いのも仕方ないでしょう。彼らにはアレは毒にも薬にもなりません。アレが有用なのは、竜人以外の人族ですから。」
なるほど。もしかしたら、人間にとって薬になるということだけを知ってアレを渡してきたのだろうか。随分不用心だが、親切心で行われたであろう行為を咎めるのもまた違う気がする。
戻ったとき、彼らに感謝を伝えるべきか否か、迷ってしまう。そんな懊悩など知らぬとばかりに、アルフィルクは言葉を重ねた。
「先日の貴殿の失礼は、竜牙草にて差し引きで正だ。貴殿がそこまで予想していなかった事実を鑑みても、あの薬草の価値は全てを押し流して余りある。ゆえに、貴殿の本題を聞きたい。何を望み、私の元まで来られた?」
公爵家の少年の顔が微かに歪む。想定をはるかに上回る態度の変化に、情報が足りていないことが読み取れた。
本題に入る前の情報戦、そのつもりで今日は望んでいたのだ。それが、瞬時に流れを切り替えられた。好ましくないと、態度に出ないようにするのが精いっぱいである。
それを、侯爵家の少年はわかっていた。承知の上で、公爵家の少年が躊躇し、動揺し、何もできずに帰る男なのか、試しにかかる。
とはいえ……アルフィルクは、パーシウスを身くびり過ぎだった。
「私は父を廃し、兄を排し、当主の座に就きます。正当なるアルス=ペガサスを取り戻す。そのために、外部の助力はあればあるほどよい。力をお貸し願えますか、ティラム=シラー次期侯爵?」
先だっての時点で、アルフィルクを引き込むことはパーシウスの中で決定事項に等しかった。情報戦は、引き込むための手順を定めるために過ぎず。アルフィルクの「試し」は、パーシウスにとって良くも悪くも手段が選べなくなるという結果が起きるに過ぎない。
あまりにも直球の返答に動揺が隠せない。年下の少年を出し抜こうとしたら、開き直られたのだ。次に打てる言葉はそう多くなく。
「ティラム=シラー侯爵家としては是とは言えん。そも、なぜ私が廃棄されたはずのフェムにいると思う?」
出たのは相手の知識力を問うもの。最初からパーシウスの望みに乗っかっていたら発生しなかった立場の変化が起きる。
パーシウスが本題を平然と出したことで、試す立場だったアルフィルクは、試し試される……この交渉の場に限ってはほとんど対等に近い関係性を強いられる。
「他の家の者の紋を見ればおおよそは。要は遷都に反対し、今もディアエドラを王都と認めていない……いわゆる神を、神の使徒を、王像の王をこそ主と認める、徹底的な神権主義の貴族たちがここにいるのでしょう?」
否定は、しなかった。する余地もなく、そもそも聞いた以上正しい答えに否定を返す必要はない。代わりに、言葉を叩きかえす。
「そこまでわかっていて、なぜ協力を要請する?神権主義である以上、神がこの世から離れかねない『神の意志』の承諾はなされない可能性が高い……とは考えないのか?」
「全く。神の御意思に従うという在り方は、『神権主義』……神に選ばれた王に従うことこそ是とする考え方に添うはずだ。あなたたちが他国への侵略を進言しないのは、ただ『王像の王』が積極的な侵攻の主張をしなかったからに他ならない。」
「違う。神がいなければ国は成り立たず、人々の生活は成り立たないゆえに、神の恩恵を最大限受け取るため。我らは、『まだ他国に侵攻するには国力が足りぬ』と言い続け、戦だけは避け続けた。」
パーシウスの主張を退けるアルフィルクは、しかし彼の言葉の意味を推し量れないわけではなかった。何を言おうとしているのか、次の彼の主張が何なのかわかった上で……反論が思いつかずに言葉に詰まる。
その逡巡、わずかに表情に出た強張りを勝利への確信に変えて、強気の姿勢でパーシウスは言い放つ。
「帝国化が果たされれば、それが可能なものが『王像の王』になれば、私の今の言葉をあなた方の共通見解とすればいい。『王像の王』を支持する理由として、これ以上ない大義名分になろう?」
息を呑む。その主張がなされることを承知のうえでも浴びせられる衝撃に、アルフィルクの脳は頷きかけ。
辛うじて発生した理性が、次の言葉を探し出す。
「『王像の王』が発生せねば、その者が『帝国』を目指す王でなければ、如何にする気だ!」
「最初のそれは、神に対する疑念と捉えてよろしいか、ティラム=シラー次期侯爵。」
もう二度と神が降らぬのではないか……そういう疑念を、誰もが心の内に持っている。まだはっきりと口にしないだけで、もう50年もすれば神のいない日々を受け入れ始めるだろう、そんね疑念が。
抱いているのは当然だ、もう十数年もすれば、神が降らなくなって200年になるのだから。だが、それを、他でもない『神権主義』を掲げているティラム=シラーの次期侯爵が言ってしまうことだけはまずかった。
「……!」
「神は降る。当代でなくとも、確実に。その時までに来たるべき日に向けた準備をしておく、それが貴族というものではないか、アルフィルク殿。」
はっきりと、自信を帯びた瞳で見つめられ、アルフィルクは思い悩む。パーシウスは己の助力なくともアルス=ペガサスになるだろう。今日この会話のうちだけで、彼の魅力と弁の強さ、何より信念を垣間見た。
とはいえ、彼への助力を断言すると、アルフィルク自身の将来にも関わってくる。頷くわけにもいかず、結局のところ。
「フェムにいる、全ての者への顔合わせをさせよう。」
いずれ『神権脱退派』と称される一大派閥形成への協力を、彼は申し出た。




