23.豪斧牛
強い恨み、強い憎悪は時に人の目をくらませ、人から冷静さを奪う。
だが同時に、レッドには本来ありえないほどの実力が出ていることに気付いていた。強い悪感情は別段悪いことではない。人のやる気を向上させることはよくあるし、何より瞬間的に能力が向上することもある。
(ハハハ、八段階格くらいの実力は出ているんじゃないか、俺!アシャト君、君はここで終わりだ!!)
レッドは内心でそう叫んだ。彼を打ち倒せば、能力的に自分が王となれる。レッドはこの瞬間、その事実を確信していた。
エルフィを後継者指名しようとしたアシャトの目論見は、事実上エルフィ自身によって阻まれている。レッドの確信は、間違いではない。
「させない!!」
アシャトとレッドの間に、兵士たちが次々と割り込む。彼らはアシャトが王だと聞いて、この国の未来を彼に賭けたのだ。こんなところでアシャトに死んで欲しくないと、次から次へと間に割って入る。
二度はなさそうな好機を逃しそうなレッドは、より苛烈に兵たちを攻め、斬り捨てる。今日ここで仕留めることが、必須である。
ギリ、音が鳴りそうなほどに、レッドは歯を食いしばった。
俺は必死にこの状況を打開しようと頭を巡らせていた。ただ、どうしても今この瞬間の対応が優先され続けてしまう。敵が、敵軍が四方八方から攻めたててくる。
残り数百メートルを移動するために犠牲になる兵士の数は、ここままだと500人近くに上りそうであった。
ペディアが反転して、背後から敵を突いている。しかし、敵にも優秀な将が何人かいるのだろう。包囲網ののなかに囲まれそうになるたびに、忌々しそうに撤退している様子が見て取れた。
「アシャト、まずいよこれ。全滅する。」
ディア、そんなこと、言われずともわかっている。兵士全体の五割も減ったら壊滅と言える被害だ。兵士たちの士気的にも、これ以上の被害を許すわけにはいかない。
エルフィールの姿を探す。だが、ようやく視界に映った彼女は前線で進路を切り開くべく奮闘中だった。
「きさまぁぁぁ!!」
聞こえてきたレッドの声に冷汗をかく。近い、もうすぐ追いつかれる。
一騎討ちの指名を受けたが、素直に聞いてやる義理はなかった。俺は王だ。戦士でも将軍でもない。生き残るのが、最優先事項である。
何より、武術においては五段階格の実力しか持たない俺が、恨みに衝かれ俺を殺さんとしてくるレッドとやらと戦う。考えただけでも背筋が震える。正気の沙汰とは言えない。ゆえにそれほど無謀な選択肢は取れず。
「俺は生きねばならんのだ!」
死んでいったもののためにも、決死の想いで叫ぶ。彼らの遺志を無駄にしないためにも、この場を何としてでも切り抜けなければならない。
並々ならぬ覚悟で、俺は戦渦の中に身を躍らせる。しかし、レッドの抱く王の資格がなくなったという恨みは、俺が思っているより強いらしかった。
そういえば、敵はレッドやアダットが『王像』に選ばれなかったことは、どれだけの人が知っているのだろうか。ふと思い浮かんだ疑問に、俺はハッとして立ち止まる。
「アテリオ。」
隣で俺の方へ近づこうとする敵を投げナイフで刺し殺していた、アメリアの執事たる彼に声をかける。
「紙と魔術インク、あるか?」
「あります。こちらでよろしいでしょうか。」
懐からすぐさま出されてきた厚紙とインクに、俺はほくそ笑みながら受け取って、即席の魔法陣を描く。
魔術とは、魔術陣に魔力を通すことで発動させる超常現象のことだ。
魔力を陣に通すために特別な素材が必要ではあるが、それさえ準備できれば、あとは魔術陣の文法通りに陣を描けば魔法は発動できる。
アシャトは拡声魔術の魔法陣を完成させると、それに魔力を通して叫んだ。
「そこをどけ!余は『ペガサスの王像』に選ばれし王である!!」
その声が響き渡った瞬間、敵兵たちの動きが鈍った。
どういうわけか、唐突に現れた砦を見ても敵が『ペガサスの王』だとは思っていなかったようだ。いや、信じないようにしていた、が正解かもしれないが。
「いやぁ、王家はよっぽどアシャトが王に選ばれたって隠蔽したかったんだねぇ。」
「多分、彼らに対する支持が揺らぐからだろうな。王家じゃなく国に忠誠を誓う貴族がどれだけいるか。」
それだけではない。国王個人の都合もあったし、何よりアシャトが無名に過ぎたからである。仮にアダットでもレッドでもないと気づいたものがいたとして、その中の何人が、後ろ盾も名声もない男が『王像』に選ばれたと気づくというのか。
しかし、それは俺側が突ける最大級の好機であった。彼らが持ちえる絶対の隙だった。神に逆らっているという恐怖、己らの正当性の喪失。一瞬で走った動揺が兵たちの動きを鈍らせる。
その隙を見逃すほど、俺たちに余裕はない。そこを逃せば詰みだとばかりに、鈍りに鈍った敵軍の中に特攻をかける。
「アダット様が次代の王ぞ!奴らの戯言に惑わされるな!」
「俺が次の王を担う!貴様ら、あの嘘つきを討て!」
前後別方向から別々の主張が聞こえ、内心笑う。
俺を討ちに来たのに、ちょっとつつけば同士討ちを始めるとは。いやはや、彼らには脱帽する。
「これなら、敵を崩すのは簡単そうだね。」
「まだ早いけどな。俺たちという共通の敵がいる。」
だから、血統主義のアダットと才能主義のレッドは手を組んだのだろう。互いが自分の正当性を主張しつつも、互いが互いより憎む敵がいるから。
だが、水と油が交わらないように。幾ら同じ敵相手に共闘しても、必ずぼろが出る。
「難しいね、人間って。」
ディアが理解できないというようにつぶやく。同感だ、と呟いた。
「しかし、今の両者の号令である程度態勢が整いなおされたな。」
「兵士たち自体はだいぶ混乱しているけれど。とりあえずは目の前の敵、という事かな?」
ならば、と次の手を討とうとして
「貴様さえいなければ!!」
「しつこいな。」
レッドが完全に追いついて、再び剣を向けてくる。こいつ、兵たちの統率を完全に無視して俺に突っ込んできたぞ。総大将としての義務感とか、ないのか?……いや、だが。勝負勘だけは優れているのか。
正直、レッドとは彼が狂戦士のようになっていなくとも勝ち目はない。彼の剣術の段階は7と聞いている。俺は6。それなのに、俺憎しで底力まで開放して能力すら上げてきているのだ。勝ち目がない。
「陛下!!」
いったん距離をとって次の手を、と考えた瞬間に、少し聞き覚えのある声が乱入してくる。ソウカク山義勇軍の斬りこみ隊長だった貴族、オベールだ。
彼は俺の前に滑り込み、馬を蹴り飛ばして跳躍すると、俺を守るようにレッドの正面に突っ込んでいく。
「死ぬ気か!!」
気付けば俺は叫んでいた。それくらい無謀な特攻に見えたからだ。
だが、レッドと空中で打ち合ったオベールは、そのままレッドを力で押し込み、落馬させてしまう。
「なんていう剛力だい?」
ディアが呆れたようにつぶやいた。同感だ、と頷くと同時に、ディアの鬣を軽くたたく。
「“強制転移”を使う。ディールを呼び出せ。」
「え?ああ。そうか。いいや、わかった。
俺の要請を聞いて、ディアが羽の一枚を口で引き抜く。
そこから、魔術陣のような謎の文様が宙に浮かび上がって、光った。
「うお?なんだ、こりゃ。」
「ディール。『ペガサスの衛像』に込められた“強制転移”を使った。エルフィと共に正面の敵を切り崩せ。」
「あ、ああ。兄貴の護りは?」
どうも一瞬で視界が変わったことに慣れないらしい。問いかけつつキョロキョロと辺りを見回している。
正直、ここまでの偉丈夫が子供みたいな姿を晒しているのは滑稽で仕方ないんだが……なんだろう、こいつがやると、妙に愛嬌があるな。
と、すぐに彼の目が一点を捉えた。少し先でレッドと武器を交えるオベールを見る。
「ああ。大丈夫か。兄貴、あいつは何の力を与えるんだ?」
『像』にするのは確定として考えているらしい。俺もその予定ではあったので、少し考えてから「衛像かな」と答える。
仲間が出来ると知って嬉しいのだろう。ディールは口角を少し吊り上げると、「そうだ」と呟いた。
「なんかさ、二つ名とかつけてやればどうだ、兄貴。王様からもらった名前だぜ、いい勲章になるだろうよ。」
こいつ、馬鹿じゃなかったのか?と言いたくなった。思った以上に、誇りや名誉という配下の忠誠を買うために必要なものを心得ている。
「……そうだな。とりあえず、生き延びてからな。」
そういうと、ディールに敵になかに突っ込むように促す。すると、ディールは雄叫びをあげながら、喜び勇んで突撃していった。戦闘狂か、それともただの子供か。
「で、二つ名だって。センスが問われるよ、アシャト。」
「ネーミングセンスなんて知るかよ。後世の人が判断するもんだろ、それ。」
近づいてきた兵を再び斬り落とし、返り血を浴びながら二人は軽口を叩き合う。
「ま、決めてるよ。うちの軍にはすでに二つ名持ちがいるからな。」
「ペディアかい?確か、“赤甲将”だよね。」
「ああ。似たような感じを踏襲するさ。オベールは“豪斧牛”だな。」
「せめて人にしてやりなよ。」
二人して、オベールを見る。その剛力は技量で勝るはずのレッドに実力を出させず、レッドは焦りから俺への憎悪を一旦脇に置いたらしい。……あれ?オベール、なんかレッドより強い気がするな?
「や、やめ、やめろ!!俺は王族だぞ、私属貴族!」
「しかし、今は敵です。申し訳ございません、レッド様。」
それを聞くとレッドは近くにいた兵士の首根っこを掴んでオベールの方へと投げ捨てる。
その兵を犠牲にして、彼は慌ただしく逃げ始める。ついに。ついに、彼は憎しみより生存本能が上回った。自分の兵たちは周囲にいない。逃げようとしているとはいえ、周りにいるのは俺たちの兵。
そして、エルフィール、ディール、オベールといった、勝てない、安易には抜けない傑物の山。
王たらんとするならば、野心を捨てきれないならば。もう、逃げるしか彼にはなくて。
「レッドが逃げたぞぉぉぉ!!」
俺は大声で叫んだ。魔術陣を介して拡声魔術を用いているため、その声は戦場全体に響き渡る。
総大将逃走の報に、配下たちは焦った。レッドの近くの兵士たちは彼を守るべくともに動き始め、それ以外の兵士たちも次々と戦意を失い敗走する。
その敗走の勢いはすごかった。自分たちより数で劣る敵に対して終始劣勢だったという恐怖。ディール、エルフィというとんでもない実力者が作り上げた死体の山。
そして、敵将が正当な神からの支持を得た次期国王であるという事それは、彼らの戦意を奪って余りある現実だった。
神という名の架空の恐怖と、累々と積まれる死体という現実の恐怖が、兵士たちの戦意を根こそぎ奪い去っていた。
自分たちはこうならないよう、しっかり兵士たちからの支持を受けておこう、と心に刻むほどには、撤退の仕方が非常に哀れだった。
「追撃かけなくていいのかい?」
ディアの声が頭に響く。一瞬その考えは確かに頭をよぎった、が。
「いらない。というか、その余裕はない。敵が立ち直る前に、稼げるだけ距離を稼ぐぞ。」
通り道にある陣に放置された武器食糧や主の死んだ馬を適度に奪いながら、俺達はアファール=ユニク子爵領へと急いだ。
「ペガシャール王国ではさ、ペガサスをはじめとして馬たちは非常に崇められているんだ。」
その光景を見つめながら、俺はディールに言い聞かせるべく呟く。
「そのあと、牛とか、羊とか、象とかさ、草食の動物はみんなある程度敬うべきだという風習が生まれているんだよ。」
だから、“豪斧牛”という綽名はむしろ勲章のはずさ。そう言葉なく呟くと、俺は去っていった王族を思った。
どちらも王たる資格を持ち、優れた才能を持つ者。
「俺と、最も立場が似通っていた王族か。」
早いうちに態勢を整えなければ負けるかもしれない。地盤の差が、そのままこれからの戦争の差になる気がした。
だから、俺は他にも地盤を整えようと、オベールに近づいて言った。
「助かった。感謝する。」
「いえ、陛下。務めであります。」
言葉少なに返してくる、超一流の戦士。俺は彼に力を与え、これから忠誠を誓ってもらおうと力を差し出した。
『ペガサスの近衛兵像』ディール=アファール=ユニク=ペガサシアとオベール=ミノス。『ペガサスの連隊長像』ペディア=ディーノス。『ペガサスの砦将像』エリアス=スレブ。のち『ペガサスの騎馬隊長像』に任命されるアメリア=アファール=ユニク=ペガサシアとクリス=ポタルゴス。
そして、エルフィール=エドラ=ケンタウロス=ペガサシア。初代ペガシャール帝国皇帝アシャトの、最初期の配下として、彼らの名前は伝わっている。
それは、公式文書の記録に残った、アシャト帝の最初の戦闘にいた、アシャト帝直属の配下であったからである。




