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234.アルス=ペガサスの来歴(1)

 歩いて二人での旅路は、あまりにも過酷だった。

 足は重いし寝る場所は固いし、眠っても疲れはあまり取れないし。

 川沿いを進んでいたおかげで、汚れは多少なりともマシだったし、火を起こす魔術を覚えていたから夜もそれなりに暖かく出来たが、それだけだった。

 どうしてこんなに考えなしで動いてしまったのかと僕自身思っていたし、フェティウスに至っては恨むような瞳を向けてきていた。そんな顔をされても困るよ、と思いながらひたすらに歩き続ける日々だった。


 最初の一週間は、誰とも会うことがなかったんだ。

 そこらの村人どころか、野盗の一人にすらも。

 当たり前といえば当たり前、アルス=ペガサス公爵領は盗賊を出したことのない領地で有名だ。領地から出ていなければ、彼らと出会うこともない。

 だが、自分たちがどちらに進んでいるかもわからないのには困った。


 太陽を見ながら突き進む方法はあまり芳しくなく、そもそもにして体力が落ちて意識が朦朧とし始めていた。

「パーシウス様。村を、発見しました。行きましょう?」

せめて太陽を逃れるように入った森の中、傾斜が激しくなってきて、「これは森ではなく山だったのではないか?」と言いたくなってきた矢先のことである。ありがたい、とつい思った。駆け込みたい、と考えてしまった。


 それまでは、なるべく村の影が見えたら離れるように動いていたのに。その姿が見られて、父上に報告されるのを恐れていたのに。

 一歩、つい踏み込んでしまってから……ハッとして踏みとどまる。

「パーシウス様!」

フェティウスが自分の首根っこを掴んで引き下げる。瞬間、その足元に矢が突き刺さった。

 ゾッと、した。自分が思い返して踏みとどまらなければ、フェティウスの動きが間に合わなければ……自分か彼か、どちらかが死んでいた。

「何者だ、我ら竜人の谷に無断侵入しようとする輩は?」

低い、かすれた声が誰何する。それが言語であると理解するのに、わずかなりとも時間がかかった。


 その声が脳に浸透し、意味を理解するまでにかかった時間はおおよそ1分。その間、ひりつくような圧迫感と殺気が向けられ続けていた。

「ヒ。」

フェティウスが腰を抜かし、しりもちをついたままズルズルと後退する。走って逃げたい衝動に駆られているのだろうが、出来ないのだろう。

「パーシウス=アルス=ペガサス。我が父モーリッツから逃れ己が職分を果たすべく、フェムへ勉学に向かおうとするものだ!」

ギリギリと弦を引く音が聞こえた瞬間、慌てて僕はそう叫んでいた。こちらに殺意を向ける「竜人」がどこにいるのか目にすることは出来ないが、それでも弦の音が聞こえるほどだ、それほど遠い距離ではないだろう。


 あちらの気分を害せば、死にかねない。弓ではなく彼らの持つ爪で切り裂かれて死ぬ……そんな未来さえあり得るものだ。

 だからきっと……自分の言葉は正解を引いていて。

「アルス=ペガサスの者か。フェムに行くという割には、随分と旅装も何もかも足りていないようだが?」

「旅がこれほど大変だったとは知らなかったんだ!」

フェティウスは泡を吹いて倒れたようだ。死んではいないだろうが、気配は落ちた。こんな時こそ守るのが侍従じゃないのか。

「け、ボンボンめ。」

吐き捨てられるような言葉に籠められた侮蔑の念に身が震えそうになる。同時に、殺意もまた霧散した。


 重すぎる空気から解き放たれて腰が抜ける。肉体がいうことを聞かずにへたり込む。

「……モーリッツの奴から逃れ、っつうたな、お前。あいつが何をしようとしてるのか、知ってんのか?」

真上から、声が聞こえた。首を上げると、いつの間にやら目の前に2メートルを優に超えるような巨体が立っていた。

 いつの間に、と言いかけてやめた。黄色く細く僕を見つめる目を見つめ返す。

 黒い肌だった。人のものとは違い、全身が鱗に覆われていた。細長く、しかし堅そうな顔だった。翼は折りたたまれてその姿の全容は見えないが、天を衝くV字の形が、少なくとも翼をもつことをとその頑丈さを示している。

 そして、まるで獣のように口端から覗く牙が、人の肉体をたやすく貫けると告げていた。


 とうに弓は下ろされていた。しかし、同時に手と、そこから生えた長い爪が構えられていた。……僕を殺さなければならない懸念が、そこにはありありと浮かんでいた。

「はい。アルス=ペガサスとしてするべき義を、責務を放棄しようとしている。僕は、父上を排して正しきアルス=ペガサスを取り戻そうとするものです。」

彼はきっと、僕を殺したくはない。だが、その覚悟は大いにある。そう象徴するような姿に、僕は笑ってしまう。まだ人の子供を殺したことがないのだろう姿に、心から安堵する。きっと、本心で語れば僕らは死なない。

「……そうか。では、そのアルス=ペガサスの持つ責務はなんだ?」

「『神定遊戯』を正しき形で終わらせること。六国を統一し、帝国を生み出すこと。……王がその責務を放棄せんとした時、その命を奪うこと。」

断言する言葉に、目の前の竜人は目を見開く。本気か、という問いがその瞳に映っているように見えて。

「それが初代国王アルス=ペガサスと初代アルス=ペガサス公爵家……弟ディノスの間にある契約だと知りました。王家に成り代わろうとする父を、僕は軽蔑しています。」

力を籠めて断言した。抜けていた腰に力が戻る。ゆっくりと膝に力を籠めて、立ち上がる。


「あなたが僕らの領地にいる竜人であるならば、アルス=ペガサスに有事の際は力を貸すと盟約した一族ですね?僕が力を得るまで、父を打ち倒すだけの時期が来るまで、僕を助力していただきたい。」

「そんなことまで知っているのか。とうにあの一族はその書物を焼き捨てたと思っていたが。」

「隠してはいたようですが、まだ残っていました。だから、僕がこうして旅に出るに至ったのです。」

不思議そうに首を傾げる竜人に、何ら疑問を抱かずに僕は告げた。彼は釈然としないような表情を崩さないながらも僕をじっと見下ろして……

「お前が、アルス=ペガサスだという証明を見せてもらおう。我が村の住人全ての前で、だ。……ついてこい。」

竜人は後ろで気を失っているフェティウスを肩に抱き上げると、僕についてこいと顎で示した。フェティウスが呻く声がする。……きっと鱗が痛いのだろう。


 従者としての役目を果たさなかった罰としては十分だろうさと思うことにして、彼の後を追いかけた。




 かつて、アルス=ペガサスは『神の力』を手に入れた。

 曰く、この力は自分に、『神の力』の一部を授けてくれるらしい。

 また、己の部下に『神の力』の一部を分け与えることも出来るらしかった。

 その力を得る代償は何か、とアルスは力を与えし使徒に問うた。

「君を、君の子孫を、神の望みが叶うまで永劫役目に縛られる呪いだよ。君の子孫たちは、永劫『王像の王』に選ばれ続ける。『神の使徒』が隣に立ち続ける。神の呪いが解けるまで、君たちは永劫『王』であり続けるんだ。」

『王像の王』に選ばれてしまえば、決して『王』以外の何者にもなれなくなる。だから、そのために必死に戦い続けるんだと、永遠に自己研鑽を行い、死ぬまで『王』として全霊で君臨し続けなければならないのだと『神の使徒』は言った。

「その、神の望みは?」

「言えない。まだ言えないんだ、アルス。僕は君にそれを教えたいけれど、君には、君の国には、まだそれを教えられるほどの力がない。」

そういう『神の使徒』は、とても寂しそうな声音で言ったという。その役割が何か、どうやっても口を割らなかったアルスは、だがその本質をおおよそ理解した。


 『王』以外の何物にもなれなくなる。それはきっと、『神の使徒』の与える大きな障害になるのだろう、と。

 ただでこれほど強大な力を得られると思えないのがアルスという王だった。大きな代償を得るのは当然だと弁えている男だった。

 だからこそ、彼が『王』に選ばれたのだろうと、ディノスは手記に書いている。己ではなく兄が選ばれたのは、偶然ではなかったと。ただで神の力を振るえると、神から与えられた『王像の王』の役割を正しく『呪い』と認識できるゆえなのだと。

「ディノス。どうやらこの呪いは、私だけで抱えきれるものではないらしい。」

アルスはある日、弟だけを呼び出して言った。少しずつ周りの村々を吸収し、大きくなっていく中で。その責任と、人々から望まれる『神の力』を振るう者としての尊敬から零した言葉だった。

「我ら『王像の王』は、いずれ神と人との間で板挟みになる日が訪れる。その形がどういうものになるかはわからない。だが、人々の上に立つ、神の力を振るう王という立場は……いずれは、人の望みと神の望みの対立から動けなくなる日がくるだろう。」

人が、強くないことを知っている『王』の言葉だった。強さを人に強要できない『王』の想いだった。そして……その立場に、『神の力』を振るって立った者の懊悩だった。


 それほど苦しいことになると、弟には予想出来ておらず……しかし、それは未来が語ってくれるだろうと彼は思った。

 だからこそ、ただただ弟は問う。

「兄上は、俺に何を望む?」

「未来永劫、私の呪いに付き合って欲しい。私の子孫たちが呪いに蝕まれ続けても、それをよく知るものとして傍で付き添ってほしい。決して、当事者にならないで欲しい。」

究極の傍観者。徹底した他人。どんなことがあろうと、「兄弟」であってくれとアルスは望み……ディノスもまた、それに対する嫌やはなく。

「具体的に、どうすれば?」

「私は『王』となる。人々の上に立ち、人の国を治める頂になる。ペガシャール王国の今の人口は1万人。いずれはもっと増えるだろう。憶を超えるかもしれない。そうなったとき、王は必ず人に負ける。人の意思に負け、いつか神を蔑ろにする日が来るだろう。」

それは、預言ではなく確信だと。わずか1万の人を束ね、小さな小さな国の王となった男の、人のささやかな望みにかける執念の力を知る彼の確信だと。ディノスは手記に残している。

「だから。お前は『神官』になってくれ。『王』が人に完敗し、『神』の力を利用し、そこに寄生するだけならずその意思を一蹴し、その在り方を捻じ曲げぬように。私たち『王像の王』が、神に与えられた力を正しく神の御名の許に振るえるように。常に『王像の王』の隣で、人々の前で、神の望みを問いかけ続けてほしい。」

それは、呪いだった。アルス=ペガサスという国王にとって、弟ディノスにしか頼めない呪いだった。


 弟はただ、「考えさせてください」とだけ告げて、その場を離れるしか出来なかった。

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