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231.私属貴族ミノス子爵家

 父ペイリュートとの再会は、まさかのパーシウスの使者という形であった。

 父は己が息子の生存に目を見開く。

「生きていたのか。」

「勝手に殺さないでいただきたい、父上。」

静かに苦言を呈する息子に、父はふんと鼻息で答えた。その返答にオベールは……眉のひとつすら顰めない。

「用向きはなんだ。」

「パーシウス殿からこちらの書状を預かっております。検めていただきたい。」

熊がごとき肉体の腰に提げられた箱から差し出された手紙。侍従が盆にのせ、表面に毒がないか検めた後にペイリュートが中に目を通す。


 ペイリュート自身は一切手紙に触れないという徹底ぶりだあった。そこまで徹底するのか、と驚くほどに実の息子を警戒している。

 息子によく似た、ごつい肉体だった。所作一つ一つに宿る洗練性が、その暑苦しい肉体ゆえに色あせて見える。あまりにも所作と雰囲気がそぐわない……衣装が既にその肉体を隠しきれていないのだ。ゆったりとした上衣の肩の厚みが、うっすらと形のわかる胸板が、所作の丁寧さを打ち消すほどの暑苦しさを見せている。

 そんな男の、隠そうともしない警戒心である。オベールが気づかないはずがなく。

 しかし、オベールの瞳は当然のものというようにその態度を受け入れていて……まあ、仕方がない話ではあった。


 オベールは、二年前にアファール=ユニク子爵家が募集していた義勇軍に参加したベルツの護衛として付き従い、そこから行方知れずとなった者である。アシャトの付き人となったことを、帝国に籍を置いたものでなければ知らない。

 そうでなくともオベールの名は知られるほどに広くはなく、せいぜいアルス=ペガサス公爵領で不敗の戦歴を叩きだしていた武人程度の知名度である。

 外に軍隊を派遣しないアルス=ペガサスの軍内で素晴らしい名声を得ていようと、所詮は井の中。彼の名が周知されていない以上、彼がアシャトの傍で近衛の一人になっていることを気にかける者も少ない。


 そうでなくとも、同じ近衛に桁外れの武勇を持つディール、武の名門であるフレイの二者がいるのだ。

 オベールのことなど影に隠れても仕方がない。

 その上、オベールの役職は近衛兵団団長であるが……この近衛兵団というのもまた厄介だった。


 誰も、知らないのである。その役職の存在を。

 あるいは、知るものがいたとしても。王に近衛という名の護り手がいるのは当然であると考えるし、建前としての団長が必要なのもわかっている。

 つまり、飾りの団長がオベールだと思われているのである。


 そりゃ、誰もオベールのことを知るはずがない。

 彼の能力の多寡など、実際見てわかるものは少数だろう。アシャト、エルフィール、デファール、マリアはその才覚を見抜いているし、コーネリウス、ペディア、グリッチはなんとなく察しているが……逆に言えばそこまでである。それ以上に彼らのことをよく知るものはいないという証左でもあるのだ。


 彼の能力も見抜かれていない。彼の才覚を察せるものもいない。彼が戦場に出ることもない。元よりの名声もない。

 これでは敵対派閥にいるアルス=ペガサス公爵家の私属貴族の元まで、オベールの生存の報が行き届くわけがない。そして、生存を報せもしなかった、唐突に現れた息子に警戒心丸出しにする父を、誰が責められるというのだろうか。

「なるほど、殿下はようやく動かれるか……。」

書簡のすべてに目を通し、ペイリュートが発した言葉は完全に仕事人のものである。そこに私情が入り込む余地がない。


 オベールはただただ父の言葉を待っていたわけではない。その間に、必死に執務室に目を走らせ、さっきまで辿ってきた道のりを思い出していた。

 万が一父がオベールの望まぬ返事をした場合、何としてでも切り抜ける。その算段をつけているのだ。

「どうだ、抜けることは出来そうか?」

「父上とランデウロが抜けられるかが最大の関門でしょう。武器があればさておいて、丸腰で切り抜けるには厳しい。」

父の問いに素直に答えてしまい、オベールは目を見開いた。ここは誤魔化さなければならない場面であった、なぜここまで考えなしな。

 反省をそこで打ち切って、左足を半歩後ろに下げて重心を落とす。一触即発の空気ではなくとも、まず間違いなく交渉決裂に一歩近づいたと判断する。


 そんな息子の姿を、ペイリュートは目じりを少しだけ下げて見た。

「よい。ミノス子爵家は確かにパーシウス殿と共に動く約束をしていないからその警戒は妥当であるが。しかし私個人としては、久しぶりに帰ってきた息子を、無抵抗のままに殺す趣味はない。話せ、ペガシャール帝国の皇帝陛下はどのようなお方だ?」

随分と落ち着いた声音に驚いたのは、オベールと侍従のランデウロだった。さきほどの警戒はどこへやら、随分と柔和な笑みを浮かべている。

「なぜ……?」

「アルス=ペガサス領内にある私属貴族の家を駆けまわるのがお前の仕事のはずだぞ、オベール。真っ先に味方になる目の少ないミノス子爵家に来るとは、仕事に私情を交えすぎである。少々怠慢が過ぎるのではないか?」

なるほど、と言葉に出来ずとも納得はした。そういう視点で見ると、確かに怠慢は過ぎるし私情は交えすぎである。父がわずかばかり「父」という側面を見せてくるのも、オベールとしては納得のいくものだった。


「おおよそ凡なる方でしょう。おそらく陛下御自身の能力は武技、指揮力、治世、謀略のいずれをもってもかのレッドに並び立つことなどございますまい。しかし、こと人の才を見抜く目と、他の追随を許さぬ絶対の権力を適切に運用する能力に関して言えば、他の追随を許しますまい。」

結局のところ、王になるためだけに生まれた男……というのが、オベールから見たアシャトという男の印象であった。その言葉に、ペイリュートは目を瞑る。『皇帝宣言』を聞いた。エルフィールが妃になると聞いた。

 彼の目から見れば、エルフィールによる傀儡政権が今のペガシャール帝国という国である。

 しかし、どうも息子の目から見たら違うような印象を抱いた。


 まるで、『帝国化』自体がアシャトの目標であるような、である。

「エルフィール様に操られる男ではないのか、アシャト様という方は。」

「その言葉、次に申されたら確実にその首獲らせていただきます。」

オベールが反射で、しかし反射とは思えないほどの怒りを声音に乗せて言った。普段から寡黙で、淡々と仕事をする男に感情が乗る。それほどに怒りを感じさせる、アシャトという男。

 何がそこまで息子を駆り立てるのかわからなかった。そこまで忠節を抱くに足る男なのか、ペイリュートには判断出来なかった。


 だから、端的に問う。

「なぜ?」

と。それに対してオベールはただ、胸元を掴む仕草をしただけ。ただ……それだけで、わかった。わかってしまった。

「何だ!」

「『近衛兵』。『近衛兵像』を持ち、『近衛兵団』の団長に任じられております。」

息子が、王に、直々に見初められた。しかし、六人もいる『近衛兵像』の一人。上澄みではある。もちろん、国で60人に満たぬ数しか選ばれぬ『像』の一人なのだから、もちろん上澄みである。

「私属貴族が公属貴族に至る筋道ですよ、父上。」

ペディア=ディーノスとかいう役人階級にも『連隊長像』が与えられたと聞いたが、なぜお前はそうも暢気なのだ……という言葉は必死に飲み込んだ。考えてみれば近衛兵とは、王に最も近い立場の者になるのだ。その立場を批判する必要もまた、ないだろう。


 わずかな逡巡ののち、ペイリュートは迷いを振り払うように首を振った。

「いいだろう。ミノス子爵家はモーリッツ様ではなく、パーシウス様を支持する。……お前の部下たちはそのまま残してある。必要なら持っていけ。」

「承知いたしました。他の家の軍隊は、ラーリッサへ運んでいただけますか?」

「運ぶというか進軍だろうに。承知した。頼むぞ、オベール。」

家をこれ以上に盛り立てていくのは、オベールの役目だ。私属貴族ミノス子爵家はここで消え、そのままオベール直下の公属貴族ミノス……爵位のほどはわからないが、そこの部下となっていく。


 一族のますますの発展を託す、そう告げる父に、息子は似合わぬはにかんだ顔を見せて言う。

「交渉が決裂したら、父上の首は戦乱の中ではなくここで、私の手で獲ろうと決めておりました。ここで従属の道を選んで下さり、感謝します。」

出来るつもりだったのか、とペイリュートの目が見開く。だが、オベールの目は何より雄弁にその決意の様を示していて……そもそも、もとより寡黙な男の言葉である。信じぬ理由も特にはない。

「陛下に逆らう反逆者を、一私属の貴族家から出すわけにはいきません。コーネリウス殿やジョン殿等余力ある方々と違い、私は吹けば飛びかねない、陛下しか後ろ盾のない身ですから。」

寡黙ゆえに、過激な発言には力がこもる。ペガシャール帝国という国がいかな魔境なのか、オベールの成長具合からみてペイリュートも察した。


 これは、白旗をあげて正解である。

「お前はお前の仕事をしろ、オベール。軍は、私が率いよう。」

「任せた、父上。」

机の中から印璽を差し出す。家督はもうお前のものだという意思表明に、感謝するように息子はそれを受け取った。


 そういえば、と父は思う。

「オベール。」

「なんでしょう?」

「キムナン=フラングロス=ビリョーディア嬢だが。まだ彼女はお前を待っている。次は、フラングロス=ビリョーディア子爵家に向かうといい。」

そう言われて、オベールは父に背を向ける。なんとも言えない雰囲気が醸し出される中……歩き出す息子の背に、父は最後の言葉を告げた。

「お前が生きていてよかったよ、オベール。」

「……心配をおかけし、申し訳ありませんでした。」

形式的な言葉、形だけの挨拶。

 息子の仕事人な部分がよく表れている言葉だと、湿っぽい声音を無視して、父はそう思った。




 そして、オベールは。フラングロス=ビリョーディア子爵とも同様に話をつけたあと、婚約者と会う。

 彼女は腰まで伸びる長い髪をしていた。決して美人とは言えない、どこにでもいる女性の顔だった。

 しかし、瞳に籠められた彩は、どこまでもオベールの帰還を喜ぶように潤んでいて。

「待っていてくれて、ありがとう、キムナン。」

「いいえ、いいえ。私こそ、帰ってきてくれてありがとう、だわ。……待っていたの。待っていたのよ。」

オベールが死んだと思われていた。だから、他に新たな婚約者を宛がうことも考えられていたらしい。


 キムナンは今年20歳になる。オベールとは二つ違い。

 オベールが順当に帰っていれば、キムナンは18の頃に結婚していたはずで。行き遅れになる半歩手前で、正式な結婚が為されるはずだった。

 2年。2年の間に彼女は20歳にまでなってしまった。女性としては苦しいことに、年齢的に彼女はもう結婚適齢期を逸しかけている。それでも、彼女は待った。待ったのだ。もう待たないような年齢であっても、待ったのだ。そこに愛情の深さを想い、彼はただ妻になる彼女を抱きしめる。


 オベールはそれでも、言わなければならないことがあった。はっきりと……そう、はっきりと彼女に言わなければならない、苦いことが。

(今は、いいか。)

キムナンの瞳から流れ続ける水がオベールの服を濡らす。その感覚を強く強く感じるからこそ、オベールは彼女にそれを言うのを躊躇った。


 オベールは次期公属貴族であり、『近衛兵像』である。公的に『近衛兵団団長』の役職を得た、成功している類の貴族である。

 だからこそ、彼は、妻をより高位の貴族から選ばねばならない。せめて、公属貴族の娘を正妻にせねばならない。

 オベールはそれを、言いだせなかった。


 久しぶりの恋人との逢瀬に、待ち続けた旦那との再会に喜びと怒りの涙を見せる彼女には、君はもう正妻にはなれない、妾にしかなれないんだという残酷な事実は。

 またいずれ言う機会がある。そう、この時に日和ってしまったことで……オベールは今後、幾度とない女性問題に直面していくこととなる。

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