230.義弟とするために
ティラム=シラー侯爵家に属する次期侯爵は、頭を抱えていた。
己の知らぬ間に机の上に置かれた宛名のない手紙、その内容ゆえにである。
差出人は己の義弟になるだろう男、パーシウス。可愛い可愛い妹アルフェラッツと婚約したくせに、その婚約者を人質に囚われて動けなくなった、惨めな男である。
だが、その男が妹を救い出し、ついでに父に叛逆を企てているらしい。いや、義弟の性分を知っている彼としては、今日までおとなしくしていた方が驚きではあったのだが。
それでも、アダット陣営につき、クシュルの下についた時は心底驚いたものだ。彼が、『王像の王』以外に頭を垂れるとは想像できなかったがゆえに。
ちなみに、レッド派とアダット派の争いの最中、彼はパーシウスに手紙を書いてその真意を問いただしている。返事には「『護国の槍』の用兵技術を学ぶため」とあったが……あいつには誇りも何もないのだろうか。いや、あいつが誇り高いのは、ティラム=シラー侯爵家の長男たる彼はよく知っていることであったが。
「恨むぞ、義弟殿。」
仮にも公爵家と侯爵家。立場としてはパーシウスの方が偉い。義弟に殿をつける気分はあまりよくないな、と男は思う。
男の名はアルフィルク。若いころには端正だったろう顔にも苦難の彩が浮き、眉にも皺が出来始めた、今年28歳にならんとするそれなりの歳の男である。
「……そろそろ動かないと、不味いんだろうな。」
腰丈まで伸ばした髪を揺らしながら零す。わかっていた、そろそろ時間切れが来ることは。
ティラム=シラー侯爵家はまだ、旗幟を鮮明にしていない。正確には、潜在的な『王像の王』派閥でありながら、アルス=ペガサス公爵家が隣接しているゆえに動けなくなっている家だった。
それでも、家の実力を鑑みれば、実のところ今すぐに『王像の王』派であることを宣伝してもいいだけのものを持っている。もちろん、アルス=ペガサス公爵家と比較すれば力は弱いが、瞬殺されるほどには弱くない。その分、彼らを弱らせることくらいは出来るし、それを嫌うモーリッツは積極的にティラム=シラー侯爵家に軍勢を派遣することはないだろうと誰もが踏んでいた。
それでも、この家が旗幟を鮮明に出来ない理由が、二つあった。
一つは、長女アルフェラッツ。彼女がモーリッツに囚われていることである。
彼女の命と貞操の保証は、何もパーシウスの人質という理由だけでなされているわけではない。その世間体を守るためだけというわけでもない。
なにせ、パーシウスかアルフェラッツが婚約を自発的に解消すれば、双方は自由の身となりアルフェラッツをピーネウスに嫁がせることが出来る。それをやるために一番手っ取り早いのが、アルフェラッツの貞操を奪い、パーシウスに守り切れなかった無力感と喪失感、また己の愛が穢されたかのような気分の悪さを味合わせることであるのは、割と一般的な手段である。
だが……それが為されていないのは、まず間違いなく公爵家の、ティラム=シラー侯爵家に対する顔立てであろうとアルフィルクは踏んでいた。ピーネウスが家を継いだ後、敵を減らさない……ティラム=シラー侯爵家を味方として置き続けるためには、少なくとも両家にとっての汚点を残すわけにはいかないからだ。
だから、アルフェラッツは監禁されるのみに留まっている、が。だからこそ、ティラム=シラー侯爵家は動けなくなっている。
もう一つは、『皇帝宣言』にある。
ティラム=シラー侯爵家はペガシャール王国に属する貴族は『ペガサスの王像』が降りた者に付き従うべきだという一般的な貴族の主観を持っている。だが、同時に、貴族特有の特権意識……特に『像』に選ばれた者の血を引いているという誇りを捨てたくない。
『神定遊戯』喪失の可能性。それは即ち、『像』に選ばれる可能性と過去の栄光の……少なくとも、それを誇っている事実の否定を行うことに等しいとわかっている。
だから、ティラム=シラー侯爵家は率先してアシャト派に合流できない。『皇帝』になる、帝国化するという目標を捨ててくれなければ、ティラム=シラー侯爵家はすすんでアシャトの下へと馳せ参じられない。
無論、アシャトから「陣門に降れ」という指示でもあれば侯爵は受け入れただろう。アシャトから侯爵の力を頼みにしたという事実を掲げて、その札でアシャトから帝国化への希望を取り下げさせようと足掻いたのは想像に難くない。
この二つが理由で、ティラム=シラー侯爵家は未だアダット派、レッド派、帝国派のいずれにも属していない。そして今、王国派、帝国派のどちらにも属せていなかった。
「理念としては王国派に付きたいが、敗ける戦いに臨む気はない。父の強い力を頼みにしたどっちつかずのやり方が功を奏している。」
どちらかにつかなければならないのだろう。どちらとも、ティラム=シラー侯爵家の力を借りられるならそれに越したことはないとすら思っている。
その上で、ティラム=シラー侯爵家と戦うと浅くない疵を負うから、命令によって侯爵家の機嫌を損ねないように放置している。
「……と、父は思っているのだろうな。」
実際のところ、そんな話ではないのだ。王国側はさておき、帝国側はそうではない。
最初から、『帝国化』は既定路線なのだ。その上で、付き従うもの。あるいは渋々ついてくるでも反論するでもいいが反抗しない者だけを登用するつもりで、少なくとも『王像の王』はいるのだと、アルフィルクは思っていた。
そうでなければ、『皇帝宣言』の時期がおかしいのだ。
国を統一してから『皇帝宣言』をしていれば、帝国派はもっと早くに内戦を終わらせていた。
より多くの貴族たちが、私属貴族や役人階級の者たちまで含めると国の六割以上の者たちが最初からアシャトに協力していただろう。レッド派やアダット派の抵抗自体はあったかもしれないが、今ほど過激では決してなかったはずである。
最初から、『帝国化』に反対する者を滅するための戦争。そう考えれば、アシャトの行動に納得がいくのだ。
「それに、私としても、嫌やはない。」
大戦争になるだろう。何十年と続く侵略戦争を行わなければならないだろう。だが……ペガシャール王国に、あるいは六国全てに蔓延している『神への盲目的な依存』という病魔を取り払うには、『帝国化』という劇薬が必要なのも否めないのだ。
そこまで長々と言い訳を考えた上で、アルフィルクは呟く。
「パーシウス以外を義弟と呼ぶ気もない。」
結局のところ、妹の夫を救いたいがゆえに。アルフィルクは言うのだ。
「バルグリンド。お前はここに残れ。私は旧ディエ=ゼティレーリ騎士爵に行ってくる。」
「承知しました。」
「私のいない間の屋敷はクルハに任せる。」
外套を手にとり肩にかける。魔術書を腰帯に二つかけた。
長年、パーシウスとこうなったときの為の動きは決めてきた。その時が来ただけだ。
「いってらっしゃいませ。屋敷一同、おぼっちゃまとお嬢様のお帰りを待っております。」
「お前もな。ちゃんと戦功を挙げてこい。」
後世、“魔軍羊”と呼ばれる男の、『帝国派』としての初陣だった。
なるほど、これだけの人数がいればだいたいは何とかなるか。
パーシウスはラーリッサの屋敷に集った人数を見て、満足に首を振った。
“放蕩疾鹿”ニーナ、“個連隊”ディールと言う突き抜けた一個人の武。それほどではないが、他の三人も大したものだった。
ティラム=シラー侯爵家からは、バルグリンド。魔術六段階格の、引き絞られたような痩身の男。
スルティリア=バーン子爵家からは、ホーラン。槍術六段階格の、槍斧使いの男。
フラウディット=フグラウティル男爵家からは、マーシェラン。短剣六段階格の二刀流男。
これだけいれば、アルフェラッツを助け出すことも出来るし、父に反旗を翻すことも容易だろうと確信できるメンバーだった。
「思ったんだけどよ、パーシウス。ニーナが救出してここに跳んでくるっつうんじゃ駄目なのか?」
ディールの問いに、パーシウスは苦笑いする。
「出来るならそうするけどな。ニーナ、どうだ?」
見てみろよと言う意味だと捉えて、ニーナはエスキニアに籠められた魔術陣を発動させる。
相当な距離がある分、ニーナは『跳躍兵像』の力を使った上で魔術を発動させる必要がある。今日侵入できないことを納得した上で、彼女は“視力強化”を発動させる。
「……武装した男が扉の外に20人。五段階格程度の武術を収めた女性給仕が部屋の中に3人。天井裏に刺客が3人。これを突破するのは……。」
出来ないわけではない。そこにいる人員を全て組み伏せるだけなら、わけはない。ただし、アルフェラッツという女を守り抜く必要がないのなら、という条件が付く。
その上、彼らを無力化しているうちに増援が来れば、いくら自分でも厳しいだろうなとニーナは思う。不可能なわけではないが……確率は五分五分……いや、四分六分で不利くらいだろうか。
「それに、対『跳躍兵』用の魔術具がある。5メートル四方程度の広さを、空間干渉禁止にする魔術陣だ。各国それほど数がないが……アルス=ペガサスの本邸には、それが備えられている。モーリッツに連絡が行けば、お前は行動を阻害されかねない。」
「なるほど。……で、そんな場所相手に、お前はどうするんだ?」
こっそり連れ出すことが出来ないのは嫌と言うほどよくわかった。いや、実のところニーナであれば弓矢込みで戦えば出来なくはなかったが、危険な賭けにもなると考え言うのをやめた。
彼女のそんな思いなど重々承知で、しかしパーシウスに出来る事はただ一つ。
「正面から乗り込む。お前は後から、ディールと共にアルフェの部屋に乗り込め。」
驚愕にニーナが目を見開く。一番危険な正面突破に、ディールを連れて行かずにパーシウスが乗り込むという。貴族の当主らしからぬ物言いに、呆れかえる思いだった、が。
「一番危険な場所だぜ、パーシウス。わかってんのか。」
ディールが睨み据えるように言うセリフに、パーシウスは頷きを返した。
「気にしなくていい。婚約者を自分で取り戻す、というのはそれなりに燃えるだろう?」
少年のように声を弾ませる王器の影に隠れる震えを、ディールは見逃さず……見逃す。恐怖の震えなら置いていくつもりだった、無謀の果てにある自身なら捨て去る予定だった。
ディールは、義兄の無茶以外に付き合うつもりはさらさらなくて。
「勝てる戦への歓喜なら、まあ。」
付き合ってやるか。同僚も、それなりに戦うことだろうし。
ディールは槍を、固く握った。




