228.セリポスへの潜入
これに潜入しろと?と全員で顔を見合わせあった。あまりにもパーシウスの屋敷の監視網が厳しすぎる。
エルフィールから可能性としては聞いていたが、聞いていた以上に警備が厳重だった。屋敷の中から出ることを防ぐ監視だけではない。入っていくにも、相当な警備を潜り抜けなければならない。
パーシウスを閉じ込めるだけでなく、パーシウスに誰も近づけないための監視。
ニーナですら、なんとなくわかる。パーシウス=アルス=ペガサスという男……彼はまず間違いなく、そこにくるものがニーナだと思っていない。もっと別の者が来ると考えているのだ。
ニーナは『エンフィーロ』のことは知らない。アシャトやエルフィールは、かなり自分たちに役職的に近い者以外は、その存在を徹底的に伏せている。
だが、ニーナの矜持としては、おそらく同じ役職の者に「これ」を抜けられる者がいるということに苛立ちを感じずにはいられなかった。何せ自分は……難しい気がしていたからだ。
「陛下に助力を願う必要があるのではないか。」
隣で熊のような男が言う。わかっているさ。わかっている。あたしは、あの警備を一人で抜けるのは無理だ。
でも、嫌だ。もう一人の『跳躍兵』がどんな技能を持つ者か、薄々察しているが……なんというか、負けた気がする。
「感情で動くな、ニーナ!」
熊が叱咤した。煩いな、わかっている。しかし、感情のままに一度侵入を試したいという気持ちが拭えない。ついでに自制も難しい……というかしたくない。
睨み据えるような熊……もといオベールの視線に、わかったわかったと態度で示しつつ、しかし頭の中では必死に抜ける道を考える。
そもそもおかしいじゃないか。国に暗部があるのはまあ当然だと受け止めよう。それが暗殺系の者たちだというのも、当たり前だろうさ。
だが、なんでそれが、出来てまだ二年ちょいの新興勢力にあるんだ。いや答えはわかっている。ここがペガシャール帝国で、結論として『ペガシャール王国』と地続きで、遡れば1500年を超える歴史を持っているからだ。わかっている、わかっているさ。
だが、納得いかない。すごく納得いかないのだ。
それに、隠密行動ならそれなりに自信もある。あたしはこれでも、それなりに高名な傭兵だった。盗賊の討伐から商人・貴族の護衛に護送、ありとあらゆる分野の仕事をこなして今日まで生きてきたわけで。
ここで、あたしには出来ないと陛下に言い、別の人を呼んでくるのが正解だということはわかっている。それでも、出来る限りは足掻かせてほしい。
とはいえ、あの厳重な警備の中にどうやって忍び込む?
空でも飛べれば話は別だが……いや、夜闇に紛れても多分バレる。あの警備は空に対しても有効だ。昔、アルス=ペガサスには空を翔ける術があると聞いたことがある。それが事実なら、確かに警戒くらいしているだろう。
警備の者を倒しながら侵入するのは……屋敷近隣の地図を見る。入るだけなら、遠目にも警備の穴が見える。出来なくはない。
だが、目的の場所までたどり着けるかと言われれば話は別だ。一度きりの侵入でいいならまだしも、あたしの受けた命令は「パーシウスの指示に従い、アルス=ペガサス公爵家を乗っ取る」こと。
あたしがパーシウスという男にあった後、彼がある程度屋敷に留まるつもりだった場合、その選択肢を取れなくするのは悪手である。
屋敷を襲撃する盗賊にはなれない。アルス=ペガサス公爵家の治安は相当いい。盗賊は湧かないし、腕のいい盗賊はこの厳重な警備の屋敷から物を盗もうとはしないはずだ。
どういった嘘ならあの屋敷に侵入できるか、考えて、考えて……。無理かな、と本当に諦めかける。
あの屋敷に直接『跳ぶ』ことでも出来なければ侵入なんて……あ。
「直接、跳べばいいのか。」
「は?」
ペガシャール最強の男が呆けた声を出した。それが出来ない、少なくともあの屋敷に入ったことがないからこうして侵入経路を遠巻きに洗いだそうとしているのではないか、という無言の問いかけ。
それに、その通りだと頷きつつ、二人に移動すると合図する。
なんとなく閃いたことを悟ったのか、二人が静かに移動を開始した。
恐ろしい話だ。熊のようだという言葉が何ら形容ではない巨体を持つオベール=ミノスと、遠目から見ても存在感が著しいディール。この二人が、普通にしていれば威圧感を撒き散らすような二人が、警備に引っ掛からないよう気配を殺す。しかも、実際に気づかれていない。
もちろん、長く続くものではないが……大通りに出てしまえばこちらのものだ。堂々と道を歩く大男と女でも、武器さえ持っていなければ怪しまれることもない。……異様には見えようが。
宿の方まで移動して、部屋に三人で入った。宿主が胡乱な目でこちらを見てきたが、手を振って黙らせる。
「何を考えた?」
「移動方法。『跳躍兵像』の“認識転移”の力で『跳躍』する。」
「それは、出来ないんじゃなかったのか?」
オベールが詳しく説明しろとせっつく。ディールは「やれるならいいじゃねぇか」というように大あくびを一つ。なるほど、近衛兵団の指揮官になぜオベールをつけているのかと思っていたが、理由がよくわかる光景だ。
「“認識転移”とはいっても、あたしが出来ないといったのは場所を思い浮かべてその地点に確実に『跳ぶ』“長距離転移”の方だ。視界に収まった場所へ転移する“短距離転移”の方で移動するとあたしは言っている。」
「屋敷の中、建物の壁をすり抜けて視認し『跳ぶ』、それをやれると?」
人間の視力には限界がある。幾ら障害物のない荒野であろうと、人の視認できる地平線の先は四キロ先のものだ。そこまでニーナは知らないものの……だが、警備に引っ掛からない距離から屋敷の塀の内まで入るだけでも至難の業だろうことは想像に難くない。
それを、警備に引っ掛からない遠間から、屋敷の外を「視て」『跳ぶ』と言っているのだ。オベールの「本気か?」という視線は、まず常識に則ったものである。
「エスキニアを使う。」
部屋に置いてあった弓を手にとる。ニーナの本職は槍術師であって弓術師ではない。が、それなりに使うことは出来る。
無論、ニーナのいう「それなり」が一般論でいう「それなり」のはずもなく。世の中一般で言えば、「厄介な遣い手」くらいには化ける
だが、今回の「使う」は武器としてではなく、そこに籠められた魔術陣のことだった。
「……なるほど。」
エスキニアに刻印された魔術の名は“障害透視”。壁や木々を透かして見せる能力。
世が世なら、というより人が人なら、普通に卑猥なことに使いそうな能力でありながら……これを弓術師が持つと、脅威は一気に血なまぐさくなる。
狙撃対象の居場所が、建物の外からわかるようになるのだ。もちろん、それだけなら壁に阻まれ矢が届かぬだけだが……これが、例えばニネート子爵家のフレイのような強弓の遣い手ともなれば屋敷の壁を貫いて対象を射殺すこともできるだろうし、彼ほどの曲射遣いなら壁越しでも人を殺せる。
ニーナはそこまで弓の腕はよくない。だが……この魔術、『跳躍兵』にとってはありがたい話である。
遠間から、屋敷の壁を透過して中を見ることが出来る。それさえ出来れば、“認識転移”にて家の中に侵入するのは難しい話ではない。
「なるほど。では、俺も連れて行けるか?」
「一人なら大丈夫だ。だが、一人だけだな。オベールかディール、どっちかしか連れて行けない。」
「んじゃ、オベールを連れて行きゃいい。俺は暴れるしか出来ねぇしよ。」
ディールがあっけからんと言った。そうするしかないと誰もが思っていたとはいえ、誇りなど何もないかのように言い切るディールに、ニーナは呆気にとられる。
これでは、『跳躍兵』として、仕事を任された身としての矜持を大事に手を探した己がバカみたいではないか。
とはいえまあ、方針は決まった。流石に昼間に侵入するのも、アルス=ペガサスの屋敷を透視するのも難しいから夜まで待つ、と言って仮眠を取る。
……それが実のところ、全て記録されていることに気づかないままに。
弓に刻まれた魔術陣に魔力を通す。
とはいえ、ニーナは魔術師ではない。魔力を上手く通して魔術を発動させるなんて、彼女には難しくて扱えない。
だが、魔術を発動させるための魔術陣……魔術陣に魔術を通す方法について記載された魔術を発動させることなら出来る。
そもそも、魔術の記載された魔剣魔槍の類を扱おうと思えば、普通は魔術への造詣が深くなければならない。魔術が刻印された武具のことを、魔剣やらというのだから。
だが、それでは世の中の八割を超える人間が、そういう武器を扱えないことになる。武芸に優れ、その研鑽に時をかけた者ほど、優れた武装を手にしても使えないということになる。
例えば、ペディアの持つ『堅実なる前進』。前に進む行動に応じた剣の威力向上という魔術陣だが、これは単純に見れば七段階格魔術の中でも上位に位置する、高難度魔術陣である。言うまでもなく、ペディアはそれに届くほどの魔術の才覚も努力もない。
ではなぜ、ペディアはそれを乱発できるほどに使えるのか。それこそ、“魔術発動補助魔術”の存在。言ってしまえば、どれくらいの魔力をどれくらいの速度で魔術陣に通すのか、ということが記載された魔術陣。
魔力の綿密な操作は出来ない。だから、魔力を与えて、操作は魔術陣にやってもらおう、というものだ。
これ一つに限っていいならば、使うのはそこまで難しくはない。ニーナでも、魔弓を扱える程度には。
とはいえ、彼女の魔力量はさほど多くない。『迷いなき誠』に籠められた“障害透視”、そして“魔術発動補助魔術”の双方を発動させるために、己の内の魔力ではわずかに足りない。
だから、彼女は『像』の基礎能力である、身体能力及び魔力量の増加を行って、それを使う。
視界の先に写るのは、わずかに霞んだ屋敷の塀。
それを超えて、壁、壁、人、壁、人。
「いた。」
パーシウスの姿は、かつて依頼で見たことがあった。あの時と比べて随分と大きく、あと大人らしくなったようだ。しかし、何か決意を秘めた瞳だけは変わらない。
視えたなら、跳べる。一度跳んでしまえば、あとは何度も往復が出来る。
「行くぞ、オベール。」
「ああ。」
その帯を掴んだ。弓からは手を離せない。魔術が切れたら『跳べ』なくなる。
「“認識転移”。」
次の瞬間、彼女の、いや、彼女らの姿は……宿の屋根から消えていた。




