227.父子の政戦
モーリッツは、アルス=ペガサスの一族をほぼ完全に掌握していた。
この家には呆れるほどに金がない。借金まみれである。モーリッツが個人で所有する別荘とその装飾品を売り払えば、それだけで公属の男爵家が3年ほどは生活できる程度の華美な生活をしているが、しかし公爵家の金庫は空である。
それでもモーリッツが一族や私属貴族を統制していられるのは、1500年以上もの歴史と、それ以上に「領地経営に関する」才覚があるからだ。
アルス=ペガサスは、抱える借金の額を考えれば思わず首をかしげるほどに土地の状態が……収入がいい。借金の総額こそ年々増えているが、それでも内政面だけを見れば収入は黒字も黒字、大黒字である。
それを差し引いても余りあるほど、アルス=ペガサスの権威を保つために金遣いが荒くなり、モーリッツの好みのために借金が膨れ上がっているのだが……
実のところを言えば。ペガシャールで最も民の税率が低いのもまた、アルス=ペガサスの一族である。
なぜか。一族の歴史が深いからである。
もっと詳しく言うならば、この一族は、かつて『神定遊戯』が降臨した時から存在する一族だからである。
今のように田畑が荒れていたわけではなかった。もとより田畑がなく、森を切って土地を開き、麦を植え育てながら生活せねばならない時代から、ペガシャールの傍にいた一族だからである。
開墾を『像』による身体能力に頼り、ごり押しで行うよりも以前の開墾作業を知っている。『子像』がほんのわずかしかなく、国や開墾地全体にいきわたる前の不作の対策を把握している。
神に依存しない領地経営を完全に文書として残している唯一の一族であるがゆえに(ほかの当時からの一族はほとんど没落した)それなりに収入が確保されている貴族だ。
ちなみに、『神定遊戯』が来なくなって40年ほど経ったころ、子の一族は文書を公開しようとしたことがあったが、貴族どもから鼻で笑われたことを受け彼らは対策を放棄した。
曰く、『神定遊戯』がやがて再び降るのに、なぜそんな文書が必要なのだ……と。ゆえに、彼らはそれを、己が領地内のみで運用した。
アルス=ペガサスは、ペガシャール王国内で唯一、自領から盗賊をほとんど出していない領地である。具体的には、盗賊の出没量を年間数十人程度に抑え込んでいる。
ちなみに。モーリッツは莫大な借金を抱えているが、返済のあてはある。わずか5年。5年、領民たちに重税を課せば、それだけですべてチャラに出来るだけの借金である。
徐々に徐々に金額自体は膨れ上がっているのだが……それでも、まだ、ある種「マシ」だと言えるだろう。そして、それがわかっているから、商人たちも金を貸すのである。
ほかの貴族と比べて、明確に返すあてがある一族として、未来の金づるとして利息をため込もうと躍起になっている。それすら、モーリッツの資産運用によってうまく利息が増えないように立ち回られているのだが。
ではなぜ、モーリッツは借金まみれなのか。
それこそ、モーリッツ=アルス=ペガサスという男がペガシャール『王国』側につく理由。アルス=ペガサス千五百年の歴史を変えようと奮闘する理由。
ペガシャール王国にあって、どれだけ威厳があり歴史があったところで、決して自力で王になる資格を得ない。そんな不甲斐ない己の家から王を輩出する。それこそが、モーリッツの悲願である。
アダット=エドラ=アゲーラ=ペガサシアの子のうち、片方をアルス=ペガサスの家長とする。代わりに、借金してまでアグーリオを支える。モーリッツの決めた家の方針である。
純粋なアグーリオへの敬意や好意もあるが……悲願と、ソレの達成のために注ぎ込んだ金銭事情を鑑みれば、もう引きかえせないというのが実情であった。
唯一、家の方針に全面的に反対し、今まで二十年近くに渡って注ぎ込んだ投資を海に流し捨て去ってでも『帝国』側に付くべしと訴えたアホが一名いたが、奴の恋人はモーリッツの手中にある。
パーシウスは動けない。アダットを殺した罪を問うかどうかこそ一瞬迷わされたが……あれはアグーリオの狙い通りに進んでいた。
敵に討たれたか、これ以上の被害を厭った味方によって止められたのか。どちらの方が美談に聞こえるか天秤にかけた上で、パーシウスは赦されている。
まぁ、そもそもアグーリオの狙いが敵味方の死傷者数を増やすことだった……など、知るものしか知らぬ事実な上内容が内容だけに喧伝できない。王の意に反したとして罰せないから、赦すしかない一面もあるわけだが。
どちらにせよ、パーシウスはモーリッツに反旗を翻すことが出来ないゆえにモーリッツの家内支配はほとんど完璧だった。
「とはいえ、だ。アルフェラッツをこのまま我が家に監禁するわけにもいくまい。パーシウスの身動きを抑え込むためには必要だが、あの女を政略に使えぬとなると些か困る。」
アルス=ペガサスに属さぬ女とはいえだ。公属貴族ティラム=シラー侯爵家の娘などという強力な政治材料を、モーリッツの意に反する次男坊ごときに嫁がせるのは納得いかないのである。
それに、己が果たそうとしている悲願を鑑みれば、長男ピーネウスの息子は私属貴族に落ちる。その時に、一族として力を保持できる……少しでもアルス=ペガサスの一族としての血筋と力を残すためにも、『公属貴族の侯爵家』の血は欲しかった。侯爵家の娘が側室になる例はほとんどないが、しかしピーネウスの正室はアグーリオの娘である。侯爵家なら、まだ黙らせることも出来た。
「アルフェラッツはピーネウスに嫁がせる。……が、それをするためにはパーシウスが邪魔だ。一応公的に婚約している以上、少なくともパーシウスの同意がない婚約解消は一族の恥になりかねん。」
モーリッツは、とにかく見栄を重んじる男だった。そりゃそうだ、王が決して排出されることのない一族という響きに怒りを覚える男である。見栄を重んじないはずもない。
それだけに、パーシウスとアルフェラッツの婚約は邪魔だった。幼少期、モーリッツが当主ではない時であったとはいえ正式に婚約し、社交界にまでその熱愛の噂が流れるパーシウスとアルフェラッツの恋愛模様である。それを、父の命とはいえ長男が横取りしたとなれば……流石に、白い目で見られることは避けられない。
なんとしても、パーシウスを殺さねばならなかった。同時に、名目なくパーシウスを殺すこともまた、名を穢すことを厭うならば出来ないことでもあった。たとえ今さらなことであれど、体面だけは綺麗でなければならない。
「仕方がないか。おい、」
パーシウスが動けばいい。いや、パーシウスが叛逆を起こしたという大義名分があればいい。
「アルゴスに入る物資、出て行く物資を全て制限しろ。あの土地は農耕は盛んだが、狩猟を行う土地はないはずだ。海洋もすべて封鎖。アルゴスの生命線を絶て。」
「かしこまりました。」
「あと、セリポスに監視の兵をつけろ。パーシウスが動き出した時、後手に回らぬようにするのだ。」
侍従が動く。彼らの背を見送りつつ、モーリッツはアルゴス近隣の都市に己が配下の貴族を数名ほど送り出す。
すぐに動くとは思っていない。しかし、パーシウスも、彼保有の私兵たちも、おそらく半年と経たぬうちに動き出すだろう。
パーシウスのもつ誇りのほどは、モーリッツに理解できるものではないが。帝国と王国が激突する前に、アルス=ペガサスの内乱は終わらせなければならないと、パーシウスは思っているだろうから。
モーリッツが行うべきは、パーシウスが兵を挙げた時に、ついてくる仲間たちが万全の状態にならないよう手配することだった。
パーシウスにとって、父の動きは予想の範疇だった。
パーシウスの屋敷には数名の監視が入った。下働きという名目で二人、堂々と侍従として一人。隠す気はないようで、ずっと執務室にいる間ずっと見ている。
屋敷の外にも常時三人ついている、とエイヴルから合図があった。私兵の中に、『エンフィーロ』のまねごとが出来る者を何人か作っておいたのだが、彼らの報告である。
隠す気のない監視、一応隠された監視。理由は明白だった。
この期に及んでなお、モーリッツは今上陛下アグーリオの派閥についている。ゆえに、『アルス=ペガサス』の信念を継ぐ俺が動くことを予期している。
「おそらくは……。」
口を噤んだ。自室の外に、監視が付いている。厄介極まりないことだ。
彼らをまだ追い出すわけにはいかなかった。アシャト陛下からの使者がまだ来ていない以上、父上と戦うのは少々早い。
現時点で負けるとは思わないが、余計な消耗を被るのもまた避けたかった。
今、父から送られた監視を外に放り出すのは……不味い。宣戦布告と取られても仕方がない。
流石にそれだけで父に大義名分を与えるわけではないが、しかしモーリッツに本格的に内乱の準備を始めさせるのも事実だ。
自身に監視をつけているうちは、父はことを大ごとにしたくない……なるべく己に内乱を起こさせず自身だけを殺したいのだという証である。
見栄を張りたがる父親のことを、息子はよくよく理解している。アルス=ペガサス公爵家の家が二つに割れるなどという醜聞を、父親は決して望まない。ましてや、その戦の中で家の力が落ちたなどと、口が裂けても言えないだろう。
見栄で直下の軍隊ですら精強に育て上げている父である。可能なら、息子が育て上げた私兵も長男に譲り渡せる状況を作りたい、それくらい考えているだろうことは、想像に難くないのだ。
手紙は検閲されるだろうと思う。ゆえに出せない。
伝聞系の魔術は盗聴されるだろうと思う。ゆえに使えない。
必要なかった。アシャトが送り込んでくる者の力量を、パーシウスは信じている。アルス=ペガサスの監視をすり抜けて手紙を届けるくらい朝飯前でやってのけることを、彼は信じて疑わない。
なにせ、彼らは。『エンフィーロ』なのだから。




