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226.あの内戦の影で

 まさか『審判像』の出現があれほど早いとは、想定外もいいところだった。

 存在自体は当然のごとく知っていた。俺たちはアルス=ペガサスだ。『神定遊戯』にまつわる全ての情報は、ここに集うと言っても過言ではない。


 そして、アシャト帝が真剣に「皇帝を目指す」以上、その手段として「皇帝を名乗った」以上、『審判像』の出現も予想は出来ていたのだ。

 想定外だったのは。アダットが死んですぐに、『審判像』がこの地に降ったこと。そして、それをアグーリオがあまりに迅速に利用してきたこと。

 神が立ちふさがるのは知っていた。そうでなければ、『六国の統一』が目標とされる『神定遊戯』が、1000年以上も繰り返されるものか。だが……今上め、全てを予想した上で、己の存在意義を示すことが出来るタイミングを、虎視眈々と狙っていたのだ。あの天才めが。


 とはいえだ。立ちはだかる壁は高い方がいい。特に、ペガシャール帝国にとっては。他の四国に先んじて、『像』同士の争いを体験することが出来る。

「それより、俺の方を何とかしなければな。エイヴル、アルフェは無事か?」

「は。ふさぎ込んではいらっしゃるようですが、生きてはおられます。」

すまない。もう少し待ってほしい。口には出さないが、恋人に内心で囁きかける。……手出しされてはいないだろう。公属貴族の令嬢を手籠めにするのは、家の名に傷がつく。その手を取るのは、なりふり構う余裕がなくなったものだけだ。


 執務室に戻る。机の上には、茶器と、便箋が置かれていた。全く、エイヴルめ。俺の動きをここまで明確に読んでくるとは、素晴らしい従者だ。


 そっと鎌状の剣を机に置いた。やるべきことは決まっている、なるべく今すぐに動くべきだ。

 墨を擦る。筆をそっと手に持った。俺は、ペガシャール帝国派だ。少なくとも、そうあろうと思っている。

「父上も兄上も、アルフェを人質にとれば俺が黙っていると思っているのでしょうが。そうはいきません。」

そっと手を握り締めた。目を瞑った、剣を握った。

「頼むぞ、エンフィーロ……!」


 それは、ルウリャにて『エンフィーロ』が影の軍と戦いはじめ、ムルクスだけがアダットの首を取らんと動いていた時のことだった。




 刺客の位置は、予想出来ていた。

 アルス=ペガサスは、『エンフィーロ』を見出した一門だ。当然、『エンフィーロ』の用いる薬や技巧の種類・対策とて、二割ほどは知っている。

 足りないと言えば足りないが、それだけ知っていれば十分だった。少なくとも、ルウリャに限っては。

「動くな。」

天上の裏で隠れ潜む男の首に刃を添えた。……驚愕に目を瞠る。俺の刃より近くに、長剣が添えられていた。なぜ『エンフィーロ』が長剣を?


 反射的に飛び退る。……驚いた、持っているのは短剣だ。薬で剣身の長さを錯覚させられたらしい。

「なんでもありだな、『エンフィーロ』。」

「あなたの顔は知っている。……パーシウス=アルス=ペガサスだな。」

「お、俺有名人?やったぜ。」

「何の用だ?」

何の用、ね。わざわざお前の前に出張ってきた時点で、表向きの要件くらい……いや、『エンフィーロ』は諜報暗殺に特化した部隊だ。細かいことは考えないのかもしれない。


 互いに剣を向けあったまま。天井裏で話をしているが、このままここにいれば万が一アダットに聞こえたらまずい。

 とはいえ、剣を下げるわけにもいかなかった。今アダットに死んでもらっては困る。明日は戦争を起こしてもらわなければならない。

「アダットから手を引き、影の軍とだけ戦ってくれ。アダットは明日、俺が殺す。」

「……なぜだ?」

「『エンフィーロ』はたった200年で忘れたのか?アルス=ペガサスのあるべき姿を。」

なぜなど、問うまでもない。自分にとって、アルス=ペガサスの宿命は存在意義そのものだ。

 

 ここぞという時に使われたのだ、相当な腕利きなのであろう声若き『エンフィーロ』は、伺うような瞳で俺を眺める。

「200年で、アルス=ペガサスはあるべき姿ではなくなったように思うが。」

「父も兄もアルス=ペガサスとしての務めは見失ったようであるが。このパーシウスは、己にアルス=ペガサスであることを任じている。」

 互いにじっと見つめあった。剣は向けあっているが、互いに剣先は互いの身から外れていたし、膨れ上がっていたさっきもまた霧消している。

「……承知した。陛下には報告しない。己の身で、その想いを証明して見せろ。」

「ありがとう、若き『エンフィーロ』。……顔は見えないから、本当に若いのかまではわからないけれど。」

返事はなかった。彼はそっと刃を懐に戻し、見えにくい場所で焚いていた香を消した。


 待て待て、まだ帰ってもらっては困る。アダットを殺されたら困るのは事実だが、本題ではない。

「『エンフィーロ』!」

「なんだ、神官。」

神官!素晴らしい呼びかけだ、俺をアルス=ペガサスと認めてくれたのだろうか。それなら嬉しくて号泣できるのだが。

「戦争が終わった一月と半分後、セリポスの俺の館へ来ていただいてよいだろうか。そこに書を置いておく、陛下にお渡ししていただきたい。」

帝国派に鞍替えするには、やるべきことがいくつかあった。そのために、帝国派の……そう、『像』の力が必要である。

「何のために。」

「神官見習いが神官になるために。」

若いエンフィーロは、黙る。今のアルス=ペガサスの状況を知っているのか知らないのか。だが、やらねばならないことがあるという事実だけは伝わったのではあるまいか。


 エンフィーロは、何も言わずに『跳ん』だ。やはり。エンフィーロは『跳躍兵』だったらしい。『像』を得たのがあいつ……ということは、あいつが次のエンフィーロの当主か。

 随分と若い。『王像の王』の見る目に違いはないだろうから腕の方は確かだろうが、今から一族の未来を背負うとは、随分と重荷だろうに。

「まあ、いい。後は俺が、勝つだけだ。」

剣を収めて独り言ちる。アルス=ペガサスの当主には俺がなる。


 そのためには、父と兄を殺さなければならなかった。




 パーシウス=アルス=ペガサスからの書状とやらをムルクスが運んできた。

 本人が言うには、ルウリャでの交渉の末らしい。お前が交渉なんて出来るはずがないだろう、と思う。腕はいいし俺の意図を汲んだ動きも出来る優秀な間諜ではあるが、致命的に人間関係が築けない欠点を持っている男だ。

 ムルクスの父ヌントは人間関係も円滑だし政治への理解も高いが……彼は彼で、間諜や指揮官としてならさておき、刺客としてや荒事に致命的に向いていない。そちらはムルクスの領域だ。


 『エンフィーロ』を纏め上げることさえ出来るのならどっちがトップでもいい。ただ、『跳躍兵像』だけはどうやってもムルクスに与えられただろうが。

「で、内容は?」

閨の上でぼうっと天井を眺めながら、エルフィが問うてくる。待て待て、今から読むから。


 今すぐその晒を解きたい衝動を堪えつつも手紙を開く。中身は……何?

「『像』を三人、貸してほしい。『跳躍兵』が絶対条件で、あとは個人の武に優れている者ほど良い。個人的には、ルウリャで戦況をひっくり返した怪物がよい、だそうだ。」

「なら一人はニーナで決まりだな。ディールは……アシャト的にはどうなんだ?」

『跳躍兵』、それも表に出してよい者となれば、ムルクスよりもニーナが適任だ。純粋に『エンフィーロ』の存在は公表する気にはならないし、個人の武に関してもムルクスよりニーナが強い。


 というか、パーシウスか。……あいつ次男じゃなかったか?

「父と兄を蹴落として、アルス=ペガサスの当主になる。言葉にすれば簡単だが……いや、パーシウスなら出来るか?」

「知り合いか、アシャト。」

一応。頷きを返す。一度だけあった。デファールがコーネリウスに、パーシウスのことを「昼寝中の猛虎」と称したらしいが……正しい認識だと思う。奴は天才だ。将器や才能はコーネリウスに劣るが、現時点での完成度だけで比較すればコーネリウスを凌ぐ将としての力量を持っている。

 奴はアルス=ペガサスだ。その持ち合わせる権限をめいいっぱい使った指揮能力や内政力は、うちにいる天才たちに劣ることはないだろう。


 アルス=ペガサス。ペガシャール公属貴族の中で、特別な価値を持つ一族である。

 その歴史は、ペガシャール王国初代国王、アルス=ペガサス王の代まで遡る。その弟が興し、そのまま脈々と1500年間紡ぎ続けられてきた、王家と同等の歴史を持つ血筋である。


 この家のもう一つの特別性。それは、過去1500年間において、一度も王になる資格を有したことがないということだ。


 ペガシャール王国貴族は、公属・私属、ともすれば役人の末端に至るまで、そのほとんどが王家の血を引いている。1500年もの歴史があれば、何代何十代か遡れば、大体はペガシャール王家に行きつくからだ。

 その中で、『王像の王』の子供、中でも男子は、長子を除いて全て5公5候10伯14子29男34騎のうちいずれかに成り代わる。その当時の当主の娘誰かを嫁にもらい、家の主を引き継ぐのだ。

 例えば、今回の『神定遊戯』。『王像の王』になる資格を持つのは、先代王像エドラ=オケニア=フェリス=ペガサシアの子供たちが乗っ取った貴族家の内、代々の長男が健やかに育ち続けた末裔だけである。


 即ち、家を乗っ取り、その家名に『エドラ』を冠する資格を持つ一族のみである。

 エドラ=スレイプニル、エドラ=アゲーラ、エドラ=ラビット、エドラ=ケンタウロス。かつてはそこに含まれた、エドラ=ゼブラ等々。ペガシャール王国の一族は、『王像の王』の子を家に迎えるにあたり、家名に『王像の王』の名を戴くことになる。

 アルス=ペガサスだけは、例外だ。

 彼らは過去一度も、『王像の王』の男子を一族に迎え入れたことがない。


 王家の娘を降嫁されたことは何度もある。だが、『王像の王』の息子に家を乗っ取られたことはない。王家がそれを望んだこともまたない。

 アルス=ペガサス家は『神定遊戯』における初代『ペガサスの王像の王』アルス=ペガサスの弟が立てた家。決して己から王になることはないと、家に、名に。兄弟の絆にかけて誓っている。

 『王像の王』という仕組みによる男系継承とは別の意味で、限りなく王家に近い立ち位置の『特別』である。兄と弟の関係性を、千五百年、脈々と続けた一門なのだ。


 ちなみに。『王像の王』とは関係なく。王家の娘を一族当主の嫁に迎え入れた家は、その代から曾孫の代まで『ペガサシア』の名を末尾に冠する。アシャト、ディール、エルフィ、レッド……彼らは父か祖父、あるいは曾祖父の正妻が、エドラ=アゲーラ王朝の娘である。

 ただし、アルス=ペガサスだけは過去一度もアルス=ペガサス=ペガサシアと名乗ったことはない。彼らだけは例外として許されている。

 

 ゆえにこそ。こと、国内に対する、己の正当性を主張するにあたって。

 『王像の王』に選ばれたことの次に正当性を主張するに足る根拠として、アルス=ペガサスに味方されたという事実が如何に大きくなるか。

 アダットに味方した貴族たちも、ただ現王朝だから、『王国』を望むからという理由だけで味方したわけではない。エドラ=アゲーラ王朝をアルス=ペガサス家が支持していたからこその、同勢力でもあった。


 欲しい。パーシウス個人も味方に欲しいが、アルス=ペガサスの支持もまた欲しい。それがあるのとないのでは、対アグーリオ戦にて大きな力の差になってくる。

「アルス=ペガサスの長男はどういう男だ、エルフィ。名は確か……ケートスだったか?」

「ああ、あいつな。あいつはコーネリウスの思想と似ている。コーネリウスは、『それでも王が望むのなら仕事はする』性格だが、ケートスは違う。アルス=ペガサスは相当の我儘が赦されるのもわかっている。」

成程。王が望んでも己が望まぬのなら仕事はしない、と。あまり好ましい性質ではないな。


 ならば、パーシウスには是非ともアルス=ペガサスを掌握し、継いでもらわねばならないだろう。

「個人の武が欲しいとパーシウスが言ったなら、おそらくそれ以外の準備は整えているはずだ。ディールとオベールを送る。」

「『近衛兵』を二人もか?なぜ、オベールを?」

ディールを出すのは、惜しい。だが、パーシウスは何としてもこちらに付かせたい。


 大丈夫だ、オベールが作りあげた近衛兵たちはそれなりに出来るようになっている。『像』なくとも、彼らならそれなりに俺の護衛をやれる。

「アルス=ペガサス出身だからだ。奴らの私属貴族だからだ。もう俺の配下になってもらうこと自体は決定だが……だからこそ、果たすべき義理もあるはずだ。」

それに、ディールを出すのは心もとないのだ。彼は正真正銘の天才だが、武に限る。政治が、交渉事が出来るかと言われれば、まあ無理である。

「オベールならそのあたりはそつなくこなす。うちで天才といえば山ほどいるが、満遍なく何でもこなすと言えば奴しかいない。」

「……そうだな。そうだ。納得した。いい采配だと思うぞ、アシャト。」

エルフィに言ってもらえるならありがたい。さて、と手紙を机に置いた。ムルクスはいつの間にか消えている。


 蝋燭の火を一つ消した。帯を解きつつ閨に上がる。

 なるべく早く、エルフィを妊娠させなければならない。

お久しぶりです。半年……を超えてしまったぶりですかね。随分お待たせしてしまい、申し訳ありません。

ペガシャール帝国興隆記第一章第七編『王帝併合編』、ようやくの再開です。


昨日、外伝小説『帝妃将軍、武を志す』が完結いたしました。この物語のメインヒロインになります、エルフィールの過去編です。……あまりに救いのない話だと、自負しております。

下記がURLになります。


https://book1.adouzi.eu.org/n6416jx/


是非とも読みに来ていただけると、彼女への理解度が跳ね上がると思います。

これからもよろしくお願いします。



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