222.ディアエドラ侵略軍の撤退
俺の指示に従う貴族たちの顔は、不満が零れ落ちているかのようなものだった。
これを見ていると、陛下の『帝国化』という思想がいかに正しいものか、見えてくる。
「全軍、とにかくディマルスに向かって直進せよ。決して足を止めるな、速度を落とすな。落とした部隊の指揮官は、のちに必ず首を落とす。」
“拡声魔術”を使って脅しつける。一族郎党みな殺しくらいは言うべきだったように思う。俺はまだ、自分の自覚以上に甘すぎるらしい。
「頼むぞ、『跳躍兵』。」
「承知いたしました、テッド子爵様。」
こんな少年、見たことがあっただろうか。ディールを連れてきた『跳躍兵』は見るからに幼い少年である。
だが、重要なのは、彼が何者なのか、いつ『像』になったかなどではない。彼が『跳躍兵像』であるという一事である。
「だから、『神定遊戯』は。」
ヒュッと、体が何かに持っていかれる感覚。“短距離転移”にて100メートルほど移動する。
なるほど、これが『跳ぶ』という感覚か。頭がクラクラする。これを繰り返さなければならないのか。
考える間もなく、少年はもう一度『跳ん』だ。地面に両足をつける間もなく、もう一度。
自分たちの軍から離れていく。身を守るすべなど持たず、護衛の兵もなく、ただただ『跳び』続けるのは狂気に近い。
気持ち悪い。人の手に余る力を強引に利用している気がしてならない。気持ち悪くて仕方がない。吐き気がする。
「お、い。『跳、躍兵』。」
「なんですか。」
「止まって、くれ。気持ち、悪い。」
「うわ、ほんとだ、顔色が悪い。申し訳ありません、気づかなくて。」
いい。跳んで運べと命じたのは俺だ。が、やはり、気持ち悪い。
「うえ。」
「酔ったみたいですね。どうぞ、薬です。」
「神の力など、人の手に余るのだ。うえ。」
「その主張の是非はさておき、テッド子爵様は酔っただけですよ。ほら、水要ります?」
「あるから、いい。」
地面に転がって、彼が差し出した薬を口に含んで飲み干した。うぷ、俺は酔ったことなどないはずだが。
ルウリャの方をみると、まだ土煙は立っていなかった。まだ時間はあるらしい。横になる。視界が暗転していて、光が見えない。
「どうするのですか、帰るとき。」
「任せる。」
「吐かないでくださいよ?」
「努力する。」
んな、から始まる罵詈雑言を聞き流す。どうしようもないことで文句を言われても、困る。俺は、転移で、酔うのだから。
頃合いだな、と天を見て思う。そろそろ、30分だ。
「『ペガサスの砦将像』よ。」
胸の奥から引き出した『像』を握りしめ、静かに言葉を紡ぐ。アグーリオはクシュルに、見える敵を殺せと言った。つまり……確実に逃げ切るためには、見える場所に囮を置かなければならない。
「あの時、敵を砦に閉じ込めて正解だった。」
「おかげで酔って吐くかもしれない男を抱えて跳ばなければならないのですが。」
「陛下の目的の為だ、嫌やはないだろう?」
「本気で言っています?」
言葉を強引に飲み込んだ。『像』たちだけで考えても、『帝国』化に反対する者が数人思い当たる。本気で『帝国』化を目指しているのは、自分で見る限り、陛下と妃殿下を除いて4人。己も含めて、妥協的な是としているのが、5人。
アシャト陛下の意向が帝国化だから諦めているだけで、否定派の立ち位置にいるのが……彼の反応を見る限り、彼も込みで、7人。そして、反乱こそ起こさないし表立って否定こそできないものの、根本的に否定派なのが、4人。
完全に無関心だったり、理解が出来ていない者が、5人。
これは非常にありがたい話な気もしてきた。聞けば、帝国を名乗ったまま帝国化を果たせないなら、次回の『神定遊戯』で我々は致命的なデメリットを負うらしい。
未来に天災が予報されるようなものだ。今、この瞬間を何としてでも乗り越えれば……未来の危機を回避するために、貴族たちも『像』たちも、皆一様に戦争に積極的にならざるを得ない。
同時に。帝国化を諦めることになった瞬間にも未来の天災を回避することになるので、反対派はそちらを選びたがるだろうが。
「“砦召喚”!」
叫んで、砦を呼び出す。そのまま彼に頼んで、己の呼び出した砦の外に出た。
「一キロ先までは徒歩で進む。その後、“短距離転移”で逃げる。敵をなるべくこちらに引き寄せるぞ。」
「承知。」
召喚した砦から離れられる距離の限界が確か一キロか二キロか。徒歩15分ならないくらい。
出来うる限りディマルスに帰る軍と離れた位置に砦を出したのだ。そっちに引っ張られていってもらわなければ、困る。
そうして。少しばかり自軍から離脱したバゼルが元の軍の総大将に戻ったのち。
ディアエドラ侵略軍は、撤退戦に限り、無傷で王都へ撤退した。
出陣してから、帰還まで、約9ヵ月。十万いた軍勢は七万二千ほどまで減少。許容圏ギリギリだな、とアシャトは軽く笑い。
『ペガシャール帝国』が行う最初の戦争は、これを以て一時終了となった。
クシュルが帰還した。報告を受けて、余は笑う。
「なるほど。不意打ちも食らわぬただの撤退戦であれば、あのテッドの息子も十万を率いることが出来るか。」
「是。然して神の加護あり、『皇帝』の命令在り。混乱を収め下がるのみ。戦争に非ず。」
戦争のままなら奴は10万を率いる器じゃない?いいや、テッドだぞ、そんなわけもあるまい。
「テッド子爵家軍10万、あるいはどこぞの領地軍10万。それなら率いられると思います。しかし、烏合の衆10万は流石に無理でしょう。」
「そうか。連隊は率いられても将軍は無理か。しかし、なぜ策謀の一族が『智将』ではなく『砦将』なのだ?」
「その辺りは、アシャト王に聞かねばわかりませぬ。」
そうか、と一言だけ。この件に関してはこれで終わり……いや、あと一つあったか。
「クシュル。一人で20万と相対した武術士の名は、なんと言った?」
「ディール=アファール=ユニク=ペガサシア。そう申す者也。」
アファール=ユニク子爵家の後継ぎか。アダットめ、きちんと殺しておけばよかったものを、半端な仕事を……いや、あの無能のことだ、仕方があるまい。
問題はそこではない。無比な武芸を発揮し、よりにもよって余の『槍』を阻んで見せた、少なくとも30分は手出しできないと足踏みさせた男だ。
「強いのか?」
「是。『像』ありきの能力である、と部下は申し候。」
そうか。噂では、エルフィールに近いと聞いたこともあるが……奴が基本的に貴族の社交の場に顔を出さず、傭兵紛いのことをしていたせいで、国の中での量りがない。
一度でも余の前に、あるいは余の傍で人の武を見極めていたギュシアールの前に出てきていれば、どの程度の使い手かは分かっただろうに。
「ゲリュン。お前の調べた情報からでよい。ビリュードとディール、どちらが強い?」
「ディール殿でしょう。彼は『近衛兵像』と聞きました。アシャト陛下の義弟であるというのが真実ならば、おそらく最も古い『像』の一人。……力に振り回される可能性は、ないかと。」
なるほど、なるほど。報告書を読む限り、ディールの武勇は『像』がなくても八段階格はあるとされている。……国二番三番くらいで、強いのだろうな。
「ペレティ。」
「は。」
「『審問像』の能力を知っておるか?」
「疑似的な『王像』であると。」
「そうだ。」
『審問像』は、王の覚悟を問うための『像』である。王の障害となるための『像』である。……なら、『王像』の軍勢に抗しうるだけの力が、なければならない。
「ペレティ。貴様を将軍にするつもりだったが、諦めよ。」
「承知いたしました。しかし、私の役目は変わりません。クシュル殿に合わせるだけでいい。実に、容易です。」
「貴様らの次元に至れば、そうだろうよ。まあ、そんなことはよい。……次の報告だ。クシュル、余の息子を討ったあの過去の柵はどこへ行った?」
「自領へ帰還なされました。」
早い。ここに出れば首を刎ねられかねないのを察知したな?だが、自領に戻っても同じだろうに。こちらに来てすぐに死ぬか、向こうに帰って飼い殺しという名の死に至るか。二つに一つだったろうに。
やつが、帝国派に迎合するには、帝国派が王国を打倒せねば不可能だというのに。
「……クシュル。」
「お家騒動に首を突っ込む気はありませぬ。」
まあ、アルス=ペガサスももう落陽の家だ。あのガキ一人粘ったところで、どうしようもあるまい。
「そのことではない。半年後、戦争が再び始まる。それまでに、兵士の調練と物資の調達を滞りなく進めるように。」
「委細、承知。」
「わかっていると思うが、アネストリ商団の連中や、それに繋がる奴らは詐欺にかけろ。帝国派にカネをやる必要はない。」
「奴ら、帝国派だったのですか!?」
何を今さら。いや、こいつの息子はあいつの商会から糧食を買っているのだったか。
自分で商会の所属くらい調べればよかったものを……いや、無理か。レッドはなんだかんだ言って、軍務も事務も雑務も政務も一人でこなしていた。手が回らないところの二ヵ所や三ヵ所、あってもおかしくはない。
「まあ、よい。次は半月後に呼ぶ。解散。」
次の問題はアルス=ペガサス公爵家。それが終われば、帝国との戦争だ。
「待って下さい!」
ゲリュンが声を上げた。彼と並んでいる貴族たち五人が見上げるように、こちらを見た。
「帝国派が王国と名乗りなおす可能性は?」
「ない。」
即答する。エルフィールに諭されたとはいえ、アシャト王は意見を決めたのだ。決めた以上、貫き通してくるだろう。
「貫くだけが統治者ではないでしょう?」
「ああ。実際、何度も状況が変わり、奴は行動を切り替え続けている。が、帝国を目指すという根本を変えたことは、未だない。」
断言。口元が憎しみで歪む感覚がしてくる。
「なぜです?」
「奴が、アシャトが、アンジャの……アンジャルード=エドラ=スレイプニル=ペガサシアの子だからだ。」
奴の子が、たかが神に行動を批判された程度で、止まるわけがない。止まれるわけがない。
そうでなくとも。皇帝を目指すという行為は……結局のところ、神からの脱却を目指すのと、変わらないのだから。




