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217.王太子アダット

 ルウリャに入って真っ先に、会議室の主席まで行ってふんぞり返った。

「で?貴様はこんなところに籠ってなぜ戦わない、クシュル。『護国の槍』の一族というのは名ばかりだったか。」

やれやれ呆れた。そう言わんばかりに嘆息して見せる。

「ふざけるな!クシュル様がどれだけ!」

「貴族とはいえ私属ごときが俺に口を挟むな、烏滸がましい。俺はペガシャール王国の王太子だぞ、同じ空気を吸えるだけでも平伏し歓喜しろ。失神するほどの名誉だ、口を挟むなど立場をわきまえろよ、愚図。」

息をするように罵倒の言葉が口から漏れ出る。まあ当然だろう。おかしなことは何もない。俺にとって、これくらい、毎日言い続けてきた言葉でしかない。


「……。」

言われたとおりに黙りこくったクシュルの副官だが、その目から反抗的な態度は消えていない。なら、「王太子アダット」がやるべきことは一つだ。剣に手をかけて立ち上がる。抜きはしないが、鞘でぶんなぐって吹き飛ばした。

「身の程を弁えぬ態度を貫くというのであれば今すぐこの場から出ていくといい。あ?まだその目をやめないのか?」

殴る、突く、抉る。この場にいる将校の五割ほどが、憐憫の瞳で殴られている男を見た。なるほど。彼らは私属だな。理解した。


 二割ほどはニヤニヤと愉快そうに頬を緩めている。こいつらは公属貴族だ。こいつらは、俺と一緒についてくるのではないだろうか。

「はあ。いい。愚物に道理を説く無駄はやめだ。で?クシュル、この状況を脱する方法はあるんだろ?」

「否。我等に敵を抜くだけの槍は無し。ただ締め付けられるのみ。」

死にたくなければルウリャから出なければならない。しかし、ルウリャを包囲する軍勢の火力は豊潤で、士気も高い。

 食料がじわじわ削られていくだけだ、とクシュルは語る。アダットの軍には、往復分程度の食料しかない。復路分があるのは、レッドに対する温情か、それとも心を折らないための手配か。


 そう考えると。もう負け戦だろう。

 誰がどう見たところで、クシュルにこれを打倒するすべはない。あるとすれば、ディアエドラからの援軍を待つ程度で、その援軍は俺だった。

 どこまでお膳立てされればいいのだろうか。自分の役割を悟っている俺は、この状況で己がこなすべき役割を承知する。

 ……私属を殴ったときに笑んでいた公属どもを連れていくべきかが悩ましい。いや、これでも一応貴族の主だ。内政とは行かずとも、事務には使えるかもしれない。

「もういい、うだうだうだうだと出来ない理由を聞きに来たのではない!結局なんだ。貴様は勝つためにどうするというのだ!」

「勝てませぬ。殿下に勝利を捧げることが、この『護国の槍』では出来ませぬ。」

「なんだ、結局名ばかりの『護国の槍』ではないか!」

叫びながら、わかっていた。


 相手はあのエルフィールだ。しかも『神定遊戯』を得て『像』の力を獲得し、しかも優秀な部下まで抱えたエルフィールだ。

 虎に翼を与える程度の話ではない。飛竜に鎧、弩砲に車輪がごとき強さになるのは想像がつく。当代『護国の槍』が名ばかり?そんなわけがない、むしろここまでエルフィールを相手ににらみ合い、読みあいが成立している時点で話がおかしい。

 現実を受け止める覚悟がようやく出来てしまった俺は、こいつを責める資格などない。それでも、責める。それが俺の生き方だから。

「お前の腰抜け具合はよくわかった!俺が出る、兵を半分寄越せ!」

瞬間。クシュルのそばに控える、見覚えのある青年がヒュッと息を飲んだのがわかった。


 パーシウス。……なぜ、貴様は、ここにいる。

「半分、ですか?」

「報告では敵は10万とあった!俺が連れてきた精鋭2万と、貴様の軍20万のうちの半分。敵より2万も多い兵数であれば、勝つことくらいは容易だろうよ!」

「しかし」

「黙れ、ミデウス侯爵。まさか貴様、俺に楯突いていいとでも勘違いしていないか?」

息を呑んで黙り込んだように見える。俯いたように、見える。

「承知、いたしました。」

震えた声でクシュルが言った。苦々しい声。怒りや悔しさを押し殺したような声。


 だが。その下に、信じられないほどの歓喜が込められていることに、眉を顰める。

 俺が死ぬのは既定路線だろう。クシュルが実は俺の意志ではなく父の意思で動いていたことも、今となっては自明の理である。

 が。それを差し引いてなお、なぜ歓喜するのかわからない。俺が死ぬことで戦争が終わるから?違うだろう、父上のあの動きと、王都にいたペレティの存在が、父の次の手の存在を示しているように思える。

「行くぞ。功を望むものは俺に続け!」

「王太子殿下とともに行く貴族の名を告げる。まずは、」

「クシュル。貴様は来るなよ、留守だ。」

皆まで言わせなかった。愚鈍蒙昧な俺なら、そうする。クシュルに戦功を取られることを恐れて、俺は彼とともには戦場に出ない。


 それを聞いて、クシュルの目が細まるのを感じた。驚いたのか、既定路線だったのか。……それとも、困るのか。

「殿下。我は『護国の槍』なり。護国のためには王があり、次の王は殿下であらせられる。殿下、我を、連れられよ。」

「断る。俺は王太子ゆえに、次期国王たるための功績が必要だ!貴様がいれば功はすべて貴様のものだろう。認めてなるものか!」

その言葉に、今度はパーシウスの瞳が見開かれる。「まさか。……そう来たか」などと口が動いたのも見えた。

「しかし、殿下の命が……。」

続けるクシュルのほうを見下ろす。馬鹿馬鹿しい、俺が死ぬことが既定路線の戦争で、俺の命を守ろうなどと、ひどい寝言をほざいている。


 はっきりと否定しよう。クシュルはいらない。俺が死ぬのがわずかばかり遅くなろうが、意味がない。

 死に際して無様に喚きながら命は消えるだろう。今更否定する手は何もなく、俺は。

「お前は、要らぬ、クシュル=バイク=ミデウス。お前はここで、一人、戦勝報告を待っていろ。」

「マジかよ。」

パーシウスがぼやく声が聞こえた。クシュルは何も言わず、ただただ首を垂れた。ただただ黙って見過ごすしかないように。もうその唇が、俺に対して言葉を紡ぐことはなく。

「俺についてきたいものだけついてこい。ここに腰抜けはおらぬと信じている。……出陣は明朝だ。」

どけ、道を開けろと怒号を開けて、兵どもに扉を開けさせた。なるべく大きな足音を鳴らしながら扉の前を去る。俺の苛立ちを示すように。その怒りの矛先が、悟られぬように。

 今まで通りの王太子として、振舞う。


 後を付いてくる男が、一人。

「役者になれるぜ、アダット。」

「貴様は俺たちに反抗しているのではなかったのか、パーシウス。」

「知っていたのか?」

「無駄なことをと思っていたが、話だけはな。なぜ、ここにいる?」

「デファール殿にコーネリウスが学ぶ。エルフィール殿は天才過ぎて真似できない。俺が戦略と戦術を学ぶなら、消去法でクシュル殿だった。」

そうか。結局お前も、帝国派か。

 きっとだが。クシュルもそれを知っている。知ったうえで、黙認している。


 ああ。なるほど。出来レースだとは思っていたが。そこから、出来レースだったのか。

「悪かったな、アダット。」

「何がだ。」

「俺はお前を、本当に愚鈍蒙昧だと思っていた。救いようのない馬鹿だと思っていた。だから、謝罪する。……お前は、凡庸だっただけだ。愚かではなかった。」

「愚者だとも。少なくとも王家をやるには、愚者だった。」

それに対する返答はない。否定の余地がないことを、この男は認めている。

「正直、俺はお前がクシュルを連れて行ったらどうしようかと思っていたが。」

「……奴の存在の有無がそれほど大きいのか?」

「いや?お前の生存時間の長さが大きい。」

喉が鳴った。こいつ、本人の目の前で、今からお前は死にに行くと言い放ちやがった。


 まあだが。構うまい。確かに俺は死にに行くのだ。

「そうか。まあ、俺は「王太子」らしく生きるさ。」

「……ありがとう、アダット。」

いやな会話だった。ひどい会話だった。

 だが、文句も言えなかった。きっと、『神定遊戯』が起きた時点で、俺の死は決まっていた。泣きそうな頭を強引に引き留める。まだだ、今は、まだ。


 パーシウスに背を向ける。惜別の言葉はない。離別の言葉もない。俺とこいつは親しい間柄では決してない。だから、最後の言葉は、ただの煽りあいだった。

「お前が人に礼を言うのか、パーシウス。明日は矢でも降るかな。」

「降るぜ。」

やめろ、冗談で言ったのに本気で返すな。逃げたくなる。

 一歩踏み出す。部屋に入るまで怒りの形相を崩すな心を折るな。パーシウスが最後に言葉を紡ぐのが、ギリギリ聞こえた。


「死ぬ前の開き直りだとしてもだ、アダット。今のお前は、今までで一番、王太子らしいぜ。」

そうか。アルス=ペガサスであるパーシウスから見ても、「王太子らしい」か。

 それは、最高の誉め言葉だ。




 朝方に、アダットが10万以上の軍を率いてルウリャから出る。

 ほとんど確定事項だった。そして、エルフィールのよく知るアダットの才と性分を考えれば、勝つまで戦い続けるだろう。いや、負け戦を負け戦と感じることは出来るだろうが、認めることは決してないだろう。

 つまり。アダットはきっと、自らが死ぬまで突っ込んでくる。

「バゼル。お前の間諜はアダットの傍に行くのだろうな?」

「こうなった時の対処は教え込んであります。必ずや。」

つまり、何としても果たさなければならないこと。アダットをいかに早く殺せるかが、エルフィールにとっての勝敗を分ける。


 兵士を殺さない。敵味方一人として殺さないのは不可能としても、なるべく死者が減るようにしなければならない。

 であれば。テッド子爵家の間諜に頼って殺害を試みる。この時のためにわざわざ何度も小競り合いを繰り返し、テッドの兵士を紛れ込ませ続けたのだ。

「フレイ。弓術部隊はそろっているな?」

「頑張るけど、500以上も矢を出せる将兵は少ないわよ?まして、ニーナ=ティピニトみたいな曲芸は出来ないと思ってほしいわね。」

「そこまで期待していない、というよりあれは『迷いなきエスケニア』と『跳躍兵像』の能力あってのものだ。あれを人に求めるのは間違っている。」

「まあ、そうよねぇ。あたしは『像』の使用が許可されるのかしら?」

「構わない。『近衛』はほかの『像』と比べれば、純粋な個人の戦闘力強化に留まるからな。好きに暴れてくれ。」


 アダットは遮二無二突撃してくるだろうか。してくるか。

 エルフィールにとって、これは作業だ。時間制限がかけられた。

「落とせるなら接敵する前に落とす。できないなら乱戦になる前に決着をつける。いいな?」

「「承知しました。」」

二人が息を合わせて言う。問題は。あのクシュルが、『影の軍』を抱えておきながら、テッド子爵家の間諜を洗い出していないはずがないこと……泳がされているだけで、その気になればすぐに殺せることだろう。


 テッド子爵の諜報能力の高さは買っていた。敵に紛れ込む能力も買っていた。いつの間にか人間がすり替わっているなど恐怖でしかない。

 とはいえ、彼らがやるのはそんな魔法じみたまねではない。隊の人員が減り、再編するタイミングであたかもその軍の一員かのように成り済ます。

 誰かに成り代わるのではなく、誰かの穴埋めになるのが彼らの仕事だ。

 多くの場合。テッド子爵の兵士が紛れ込むのは、先日のアダットのような補充兵団か、食料武具を供給する部隊だ。今回は乱戦の最中に入り込んだが……この場合、バレやすい。


 ヌントは、今、暗殺に手を出すべきか迷っていた。

 テッドの兵を信じて静観を決め込むか、何人かを暗殺に出して殺すか。

 下手に動けば『エンフィーロ』が察知されかねない。それは進んで出来なかった。

「父上?」

「ムルクス。テッド子爵の兵がわかるか?」

「わかりません。」

だろうな、と頷いた。こちらは敵本陣に対して積極的な攻勢には出ていない。入り込むようなことすらも一瞬しかしていない。わかるわけもない。

 だが。きっと、クシュルはその存在を話していないのではないか。間諜がいることを、おそらく最側近くらいにしか。


「ムルクス。『影の軍』と戦う。ルウリャに入れ。」

「どういうことですか?」

「アダット暗殺を、ムルクス、お前が試みろ。達成する必要はない。『影の軍』を引っ張り出す。」

「はい?」

ルウリャの見張りの穴の場所は、もう見つけていた。そのそば一帯に視界を狭める種類の香を焚き、砦の中に侵入する。


「間諜を殺すために動くなら、『影の軍』だ。奴らを炙り出し、連れ出し、余裕をなくす。」

影の戦いは、再び。


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