213.竜国の戦車
戦争開始後約25分で、エルフィールは断崖の回収をメリナに命じた。
彼女が落とし穴2つを作り上げて15分後に敵の妨害がやむと、横幅わずか5人しか通れない領域に味方が殺到し、押し押されで被害が出始めたためだ。
これ以上の被害は看過できなかった。それに、混乱の最中とはいえ撤退開始から実質30分近くもあれば、多少敵も離れているだろうという願望を持っていた。
埋め戻すのか、と聞かれれば答えは否である。落とし穴を掘った場所ははるか後方である。こんなところまで土を運んで埋め戻す時間があれば、貴族たちはその分突き進むことを選ぶだろう。
ならどうするか。簡単な話だ。
落とし穴は、たとえすでに効果が発動していたとしても、落とし穴である。『工作兵像』が“持ち運ぶ罠”にて回収し、持ち歩くには十分である。
300を優に超える巨大穴が消失する。人が渡るに十分な足場が確保される。エルフィールの手によって強制的に作られた、自軍のための足枷を、早々に解除する。
突撃の勢いは増し、今まさに敵を襲撃せんと唸りを上げて。
「グラントン=ニネート子爵家軍、あとアメリアの部隊を呼べ、早急にだ!」
これほど猛烈な勢いであれば、帝国派貴族軍がアダット派を喰らうことも可能かもしれない。将来の『帝国民』が減ることがクシュルの望みであるとも知っている。
彼が無防備にこれを受ける可能性を一考して……一蹴。
ただ蹂躙を座して待つのは、『護国の槍』という一族の名に泥がつく。戦略的に正であるから何もしない、は、彼らが500年以上にわたって積み上げた信頼を崩す真似だ。
「だが、何が出来る?何なら出来る……?」
まず間違いなく手痛い反撃をもらうだろうが、その正体がわからない。
「ただまあ……ペガサス部隊は、出てくるだろうな。」
攻撃に、進撃に熱中する軍隊の上から一方的に攻撃できるなら、それに越したことはない。そして、この国はペガサスの国である。必ず、その部隊があるだろう。
「……なぜ、これほど嫌な予感が。」
何を見落としているのか、何を忘れているのか。
いいや、知っていて、忘れていない、出てこないだろうと断言している部隊はないか。
そこまで考えて彼女はその答えに行きつき……咆哮が、聞こえた。
ベネットを早々に下げたのは、これは好機であると判断したためだ。
クシュルの戦略目標は、自軍敵軍関係ない兵士の一人でも多い死亡……『帝国』になるための未来の芽を、根すら残さず抜き出してしまうことである。
クシュルの軍の人数は20万。圧倒的に優位な数があるからこそ、自軍の被害を増やすことを優先的に考えていた。
だが。敵を殺せるならば、それに越したことはない。逃げる自軍を追う帝国派の貴族たちを見れば、彼らが絶好の鴨に見えて仕方がない。
クシュルの決断は早かった。ついでに、未来のペガシャールにも一石を投じることができる妙手である。
「クリュール殿を。」
「は?」
「ドラゴーニャ王国の客人を、この場へ招待せよ、と告げる也。これは『神定遊戯』。神の使徒を擁する敵なれば。我等も亦、神の軍勢に手助けいただくのが道理。」
他国の軍を引き入れる売国奴になるつもりは微塵もないが、すでに来ているものを否定する道理もまた、ない。
ドラゴーニャも、ペガシャールの帝国化には反対の立場なのだから、使ってもいいだろう。そう呟きながら、実のところ、彼らを危険地帯に放り込むのは予定通りだった。
重要なのは、ペガシャール帝国の軍隊の手で、ドラゴーニャ王国の援軍に、致命的な痛手を与えさせること。それさえさせてしまえば、ドラゴーニャ王国とペガシャールの関係性は、将来的に必ずぶつかることになる。
自国含めて三国を制圧しなければならない『帝国化』という事業にとって、ドラゴーニャからの積極的な妨害は足を引っ張ること間違いなしである。
「竜国の『像』に帝国派の貴族を蹂躙させるべし。その最中、クリュール殿がお亡くなりになれば、なお良し。」
パーシウスがわずかに苦い感情を滲ませてクシュルを見る。悪あがきとは言わない。彼の立場からすれば、戦略目標も、それを踏まえた戦術も、正しいことを理解している。
ゆえに、パーシウスはただ、エルフィールの手腕と、アシャトの人集め、人選びの才覚に期待するしかなく。
「クリュール殿が戦っている間我等も戦わないのは恥だ、ペガサス部隊を出せ!指揮官はベレロポーン子爵家の者に任せる!」
天幕に駆け込んで状況を理解したベネットが叫ぶ。クシュルは熱弁な性質ではない。『護国の槍』であるという存在そのものと、ベネットという副官がいてようやく意思伝達が成立する。
生きて帰ってきたことに心底安堵しつつ、クシュルは続けて言う。
「撤退先は、ルウリャ也。」
「ドラゴーニャ王国軍とベレロポーン子爵軍に撤退先を伝えておけ、現在撤退中の全軍にもだ!急げ!」
天幕に集まった伝令兵たちに伝える。彼らが八方に散ったのを見届けた後、崩して燃やされる天幕を視界の端に納めながら、彼は言った。
「よく戻った、ベネット。」
「主命とあれば、必ずや。」
馬を引いてきて、跨る。撤退命令を出し、後方を任せた以上、クシュルも……バイク=ミデウス侯爵軍もまた、撤退を始めなければならなかった。
さて。進軍命令を受けた竜国の将である。クリュール=ニーニア=エル=ワイパーは、「よりにもよってこの死地かよ」とツッコんだ。
「死に目に向かいそうな男の目をしているじゃない。私を置いていかないでよ?」
「置いて行かれるか、俺の戦車の中で最前線に立つか、どっちがいい、ヒフ?」
「いやな二択。……でもまあ、行くわ。」
ぶっちゃけ飽きたからその辺に放り出したい気もするのだが。まあ、せめて国元までは返してやるのが筋かもしれない。守るにはまあ、一緒に来てもらうほうがいい。
「竜を起こせ!一年ぶりの仕事だ!」
戦車に飛び乗る。ペガシャールのそれと比べてはるかに巨大な戦車は、最初から竜に牽かせることを前提としたものだ。
大きく、重く、広く。竜戦車には弩砲のみが積まれている。武器はこれだけで十分だと言わんばかりであるが、積まれた矢もまた大きい。
弩砲の矢といえば聞こえがいい。だが、これは矢ではなく槍である。
何事も大きければいいというのは大間違いであるが、竜自身の巨体に巨大な戦車、見合う大きさの巨大弩砲とその矢など、見ているだけで委縮してしまうほどの異様であり。
「突撃ぃぃぃ!」
鞭を打つ手は瞬時。蟻がごとき人、甲虫がごとき馬など、竜にとっては敵ではなく。
単純な軍事力という点において、『神定遊戯』最強とすら称されるドラゴーニャ王国の兵隊が、ペガシャールに対して牙を剥く。
咆哮。突貫。ペガシャール帝国貴族軍は、一分と持たずに恐慌した。
人が無視と同等以下の扱いを受けて死んでいく。今こそ敵を殺しつくすべしと威勢のいいことを吐いていた
「やってくれる……やってくれる!」
メリナはしばらく動けない。『像』は一度発動を切れば、次の発動まで時間を開ける必要がある。『工作兵』はそこまで長くはない。半日といったところだが……
「アメリアの部隊を敵天馬部隊の迎撃に充てろ!そして……ああ、もう仕方がない!そっちがその気なら、こっちも鬼札を切ってやる!レオナを呼べ!」
判断は早い。本当に、本当に心底切りたくなかった最後の一片を、竜相手のために彼女は切る。
二択だった。レオナを呼ぶか、バゼルを呼ぶか。
バゼルでも、竜戦車を阻むことができる。いくら竜とはいえ、戦車である。『砦将』が呼び起こす砦に対する瞬時の有効手段などないに等しい。
だが、貴族を収納しきるだけの余裕があるかといえば、ない気がした。敵に侵入されないように砦の門を開放したまま戦うのは、かなり難しい。混戦であればなおさらであり、また敵はドラゴーニャ王国の正規軍である。エルフィールは自軍を守らなければならない。彼女は総大将である。彼女は、味方を守る義務を持つ。
「全軍北方向へ疾走!竜戦車はその巨体の都合上、我らペガシャールの戦車以上に曲がるに難い!方向転換を誘う間に逃亡しろ!」
逃亡という言葉を隠さずに言う。まだ竜戦車が本調子じゃないうちが、彼らの軍が軽傷で済むための機会であった。勢いが上がれば、実にあっさりと帝国軍が呑まれる未来が見えている。
フレイが空に向けて魔術を込めた矢を放つ。撤退方向を示す光につられて、兵士たちが駆け始める。
「エルフィール、様。」
「レオナ、あのドラゴーニャの戦車、崩せるか?」
「あれを、全部壊せば、いいの?」
子供みたいな問い。頭が痛くなる思いをエルフィールは感じている。
どこが『賢者』だと思う。だが、彼女の力に嘘も誇張もないことも、エルフィールは十分理解している。
「全部壊せばいい?」とは、「それくらいなら簡単だ」と言っているに等しい。頭痛を抑え込んで、エルフィールは頷く。
「やってくれ。ただし、敵指揮官は残してほしい。」
「どれ?」
「一番派手なやつだ。」
「わかった。」
脇に抱えた絨毯を広げてそれに乗る。浮世離れした少女は、音もたてずに浮き上がると。
「“竜巻乱舞”。」
災害を、呼び出した。




