212.恐怖を煽る
敵を殲滅せんと猛るペガシャール帝国軍と、何としても生き残ろうというアダット派の軍勢の衝突。ひどい有様だ、とアメリアは思う。
敵味方共になるべく兵士を減らさぬよう、未来の民を殺さぬように戦略を立て戦うエルフィールが率いる軍は敵を殺しつくそうと暴れまわる。対してペガシャール『帝国』の未来を阻むために一人でも多くの敵味方を殺そうと戦略を練っていたクシュル率いる軍は、何としてでも生きて帰ろうと、必死に団結して戦っている。
真逆の戦略である双方が、全く思惑の外にある戦いをしているのを、ひどい有様と言わずして何と言うのか。
「いい加減慣れたら、メリナ。」
「普通に飛んでいる分には怖くないです、アメリア様。」
アメリアの股の間で天馬の背に伏すように震えている少女が、ふざけるなと言わんばかりに反論する。なぜなのか、とは言わなかった。私も流石に、メリナに天馬騎兵団の才能がないのは理解した。
「まさか宙返りがそんなに怖いとは思わなかったわ。」
「手綱と魔術一つで身体を固定して空で宙返りする狂気を、身をもって体験するとは思いませんでした。」
どこが狂気だというのだろう。私にはわからない。部下に相談すると、呆れたように首を振られて、
「アメリア様は誠、天馬に愛されておられるのですね。」
などと言われたけれど……いやまあ、現実逃避はやめましょう。やりすぎました。
少しばかりの後悔を込めて、彼女の背を二度、三度撫でる。年は二つしか違わない。最近はお腹いっぱい食べているからか、女の子らしくなってきた。
正直、ペガサスに失礼かもしれないが、抱き枕を抱えて飛んでいるみたいで、少し楽しい。
「さて、メリナ。……仕事の時間よ。」
「……はい。」
天馬の背からわずかに身体を起こす。先ほどまで震えていたのがウソのように凛と張った背筋は、頼もしさを与えてくれる。
「やることは、わかっているわね。」
「敵に、『像』アリと教え込み、同時に味方の侵攻を物理的に減らす。」
「そうよ。あなたの持つ『像』の力が、あなたに芽生えた心の形が、エルフィール様、ひいては陛下の役に立つわ。」
「……陛下、ですか。」
眼下で蠢く兵隊たちを見る。醜い。戦争は、醜いと思う。
「なぜ?」
「……もっと醜いものを、あなたは知っているわ。」
戦争よりも醜いもの。陛下の望む、世界全土に戦争の火種を拡げ続ける一大事業よりも、遥かに醜いもの。そう言われれば、彼女は納得するだろう。
確かに、メリナ=ネストワはそれを知っている。異常に醜く、苦しく、直視したくもないそれを、彼女は確かに知っている。
「出来る?」
「やります。」
エルフの少女が目を瞑る。女の子らしく成長したとはいえ、そこは長命種の生き物である。まだ、身長は150を超えてはいない。……見た目だけは、少女だが。その裡が修羅に近いことを、よく知っている。
「『ペガサスの工作兵像』よ。」
呟くと同時、広がる淡い光。円匙を背に、弓を左手に備え、馬と共に歩く『像』が彼女の身体に変化を与える。
目を見開いた。姿形は変わらずとも、雰囲気は神々しいの一言である。その彼女が、懐から取り出したのは二つの小石。もちろん、『像』が事前に用意していた小石など、ただの小石なはずもなく。
「“投擲縮罠”。」
『工作兵像』の標準能力“持ち運ぶ罠”。これは、罠を特殊空間に保持し、発動させたい位置に設置しなおすというものだ。言うまでもなく、発動させるためには己の手で罠を作る事と、設置したい場所に罠を持ち運ぶ必要がある。
遠隔操作などはない。また、時間差での発動などもない。落とし穴を発動したいのであれば、落とし穴を掘って、保存して、発動したい場所まで足で向かって、その足元あるいは指先くらいの位置で発動するしかない。
だが、メリナ=ネストワは。神が与えたその制限を、己の視認でき、己の手で投げることが出来る場所という制限付きで、解除することが出来る。
それこそがメリナ=ネストワの固有能力、“投擲縮罠”。小石を振りかぶり、天馬の上から眼下に向けて叩き落とす。ただそれだけで、足元の大地に小石に擬態した罠が発動する。
今回選ばれた罠は、『落とし穴』だ。エルフィールの命令で、後方待機しているグリッチの部隊が作りあげていたその二つの落とし穴は……半径にして300メートル、深さにして30メートルを誇る、巨大穴、むしろ崖である。たった二ヵ月で作りあげられたものであるとは誰も思うまい。
その裏で、何度も『像』の使用を余儀なくされたグリッチと、『像』による強引な身体強化を酷使した影響で耐えがたい筋肉痛と疲労感に襲われた元『青速傭兵団』の、筆舌に尽くしがたい不満と苦痛があったのは言うまでもない。
彼らはここ三日くらい、食事の時以外は天幕から出てこない。……その食事の消費量も異常である。どれほど疲れたのだろうか。
眼下にはそれが二つ。並ぶように産み落とされた。間には、さながら橋の様に綺麗に残る大地が一筋。
横幅は、人が五人ほど、辛うじて通れる程度。わずか300しかない石橋が、帝国派とアダット派の道を阻む。
やられた、と帝国派の貴族たちは呻いた。これでは、貴族軍の総力をもって蹂躙しつくしてしまいたい貴族たちの行動は制限される。敵を殺しつくすには至らない。
同時に、ただただ自軍の動きを阻害しただけではない。唐突に表れた断崖に、アダット派の貴族たちは呆然とする。
もしも、あと20も落下地点がズレていたら、自分たちは生み出された落とし穴に叩き落されていた……。あまりに急に訪れた状態変化に、その原因を探ろうとして……馬の嘶きが一つ。
空を見上げる。青い空に浮かぶ白が一つ。そこに乗る、二人の人。
国の象徴たるペガサスに乗り、産み落とされた断崖の上を飛ぶ……その姿は確かに、それをなしたのが彼女らだと主張している。
「『像』だ……!」
「『像』の神威が、そこに……!」
貴族、平民を問わずアダット派が動揺する。思えば、エルフィールの突撃から始まり、グリッチの暴力、じりじりとした停滞と接戦。そのすべてにおいて、『像』の力が使われたことは一度もなく。
「う、わぁぁぁ!」
士気が崩れる。皆がわかっていたことだった。敵に『像』があることも、こちらが神の意を受けていないことも、いずれ、必ず、神の力が自分たちに牙を剝くことも。
だが。すでに相当量の後退をし、まだ戦えると意気込む中で身内の裏切りの疑惑が芽生え。
生き続けるための、生存戦術の一環として用意された弩砲の担い手とその矢が燃えて。
彼らの士気が燃え尽きたのは当然だろう。追い打ちが、神の力だというのであれば。彼らに耐えきるだけの余裕がないのは当然だろう。
アダットが王であることを心から願う貴族が、強引に奮い立たせた心で空舞う馬に弓を向ける。それが神に逆らうことだと、神に弓引く行為だと重々理解していながらも矢を放ち、実にあっさり回避される。
「メリナ。」
「はい。」
「準備はいいわね。」
返事を待つことなど、アメリアはしなかった。最初から彼女らは、そうなると予想していたから。
ゆえにただ。彼女は矢を、高速で回避し続ける。あまりに無茶な動きである。そのことごとくを、地上からなるべく離れず避け続けるのは、無茶と呼んで差し支えない。
だが。アメリアという異質な天馬騎手は、その無茶を無茶とも思わずやってのける。
「投げなさい!」
「はい!」
ただ、神威を見せるだけでは足りない。敵の士気を挫くことは出来たが、それだけでしかない。
ゆえに、彼らに、神の力を、己が敵対しているものの姿を、見せなければならない。
アメリアは時々飛んでくる矢を回避しながら、空を駆けた。
罠といえば、何を思い浮かべるだろうか。
だが、わかりやすいのは落とし穴をはじめとした、大地に撒かれているものだろう。これは誰もが作ることができながら、複雑なものは特別技量を必要とする。
その中でも、メリナが撒かなければならないものは、主に敵に負傷させることを狙いとしたものである。
地面から針が飛び出す罠を投擲する。届いた小石は地面に染み付き、罠の上を踏んだ兵の足に細く短いとげが突き刺さる。
地面に染みない油が罠として発動する。ペガシャールで普及する兵士用の沓底が、油を踏んでその場で滑る。
大量の凹凸で構成された大地が芽生える。よほど慎重に進まなければ躓くように掘りこまれた大地が、兵士たちの足を止める。
主に足止めと負傷を目的とした罠が、しめて30。広範囲にわたって生み出され続けている。
兵士たちは恐慌状態に陥った。当たり前だ、神威を使って行われる、足を重点的に狙われる妨害の数々。
転倒した兵士の数は100や200で効かず、作り上げられた裂傷と打撲が撤退速度を遅らせる。
背後で燃やし尽くされたスキン子爵家の陣もまた拙かった。後方に敵がいるのではないかという不安が、彼らの不安を大きく煽る。
戸惑う彼らが逃亡できたのは、偏にクシュルの指示の成果である。クシュルが命じ、撤退を行い始めたアダット派は、辛うじて罠のない方向へ向けて撤退を始めた。
「帰るわよ、メリナ。……メリナ?」
「降ろしてください、アメリア様ぁ……。」
それほどの恐慌を作り上げた少女のボヤキはあまりにも弱弱しい。罠を投げ、敵の足止めを繰り返し続けておきながら、彼女は酔っていた。
メリナが小石を投擲できる距離は非常に短い。空の上から落とすだけで効果があるとはいえ、罠の被りを減らし、確実に敵を混乱させるためには、それなりに計算して罠をばらまく必要があった。
無限に罠を持ち合わせているなら話は違ったかもしれないが。“持ち運ぶ罠”は、有限である。
「吐きそうです、アメリア様……。」
呻く彼女の顔からは、すでに血の気が引いている。うまいコントロールで敵地に罠をまくということは、それなりに敵の弓兵に狙われるということで……結果、アメリア謹製の「無茶な動き」に晒され続けることになる。
「わかったわ。帰りましょう。」
少女の背中を二度ほど撫でて、アメリアは笑う。
とにかく、敵の士気を挫くことには成功した。ここからは再び、エルフィールの仕事である。
メリナが作り出した断崖と狭い岩橋は、守るに難く、攻めるのにもまた難い。
ベネットは己らの目の前に敷かれた攻め手と守り手を見て、苦しい戦になるなと感じる。
敵は意気軒昂である。橋の中腹で待機などすれば、勢いで押し流される可能性もある。ベネットが『護国の槍』の部隊を率いて立ち塞がったのは、橋を渡り終えた先であった。
「弓隊は橋の上を狙え。歩兵は橋の終わりだけを見据えよ!数の利を得続けるためには、何が何でも敵を橋から出してはならん!」
敵の士気は高い。地の利を得、かつ、アダット派を撃滅せんと襲い掛かってくる敵を相手に、ベネットは相対しなければならない。
「槍隊!突き出せ!」
号令に合わせて、迫ってくる敵兵の先頭に槍を突き出した。あとからあとから湧いてくる彼らを相手にすれば、どれだけ地の利があったところでたかが知れている。
しかし、足を止めれば十分だった。後続五列ほどは、今の足止めを受けて制動をかけられず崖から転げ落ちている。
「繰り返せ!」
「足を止めるな、目の前の友の死を無駄にするな!川が如く押し流せ!」
効果的な指示を出すベネットに対して敵が送るのは、死ねというもの。だが、間違いではない。崖の上、岩の橋の上にいる時点で、戻りようがなく……進むしかない。
「……耐えるしかない!敵を削ることに専念しろ、通り過ぎる奴は放置してかまわん!」
ベネットが叫ぶ。自分たちの目的は時間稼ぎであると同時に、敵がアダット派の将兵を蹂躙できないようにすることだ。
対して帝国派貴族たちの目的は、アダット派の殲滅だ。今この場で、ベネットたちを殺しつくすまで戦うより、逃亡を始めている敵を狩るほうがはるかに多くの敵を殺せるだろう。
そういう理由も相まって、ベネット隊は邪魔な障害ではあるが乗り越えれば放置するべきものとして扱われる。ゆえに、彼らは障害として立ち続け……。
「う、わぁぁぁ!」
ベネットが狂気じみた声をあげながら槍をふるう。被害が出ても止まらぬ戦士たち相手に、正気で戦ってなどいられない。
実に、15分。数百ほどの敵を後ろに逃がしてしまいながらも、千以上もの被害を打ち出してベネットは戦い続けた。
それは、一隊のみで出した被害としてはアダット派過去一番の成果であり……
「合図だ!撤退する!」
対アダット派との戦争で、帝国派が負った最も大きな被害である。
その日。エルフィールが撤退命令を出すまで。
帝国派は止まることなくアダット派へ追撃をしかけ……しかし、その総被害が、万を超えることはなかった。
クシュルが、ついに。手札を切った。




