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206.ペガシャールの妃

 クシュル=バイク=ミデウスは前『護国の槍』であり、代々において『元帥』職を輩出し続けた名門の代表である。

 『元帥』という職業は軍事のトップに当たる職でありながら、国内海外ともに政治情勢とも切って切れない関係である。それは、シャルロット=バイク=ミデウスという政治家を産んでいる時点でわかるだろう。

「そう来るしかないだろう、と思っていた。」

エルフィールの状況を、クシュルは知悉ちしつしきっている。それはそうだ、彼は『元帥』、ペガシャールで最も多くの情報が集まる。或いは、ながの歴史が産んだ情報収集、取捨選択のノウハウの集成ゆえか。


 そして。国王陛下の直臣がいた。

 アルディエト、自称「影の軍」。彼らの全霊の情報収集によって、クシュルは帝国派の内情のかなりの部分を得ていた。今、敵に誰がいて、どの程度の実力か。その手腕すらをも知っている……マリアとメリナの存在さえも。その才覚の多寡は把握していないまでも、その評価の高さは聞き及んでいる。

 ゆえに、政治的に考えればエルフィールがほぼ単騎のような状況で突っ込んでくることは察していたのだ。ゆえに、調練が行き届いていないとはいえ純粋に数の多い貴族軍を先鋒に配備した。


 単純に圧倒的な個の暴力に対処するもっとも簡単な方法は、単純に圧倒的な数の暴力である。

 ゆえに、彼の選択に間違いはない。ただ、最適解では足りない化物を、現象として見たことがなかっただけである。

「ひっどいなぁ、アレ。」

パーシウスがボヤく。否定は出来なかった。20万もの大軍がたった五百に気圧され、浮き足立つ姿は、いっそ清々しくすらあった。


 槍が一つ振られるたびに、最低一つは命が消える。エルフィール=エドラ=ケンタウロス=ペガサシアという黒と紅の戦乙女が、大地に鮮血を振りまいている。

「……エルフィールを無視。やつをこのまま、我が軍の奥へと誘い込め。同時に右左翼に伝令。敵軍に突撃せよ。」

どれほど暴れまわろうが、こちらの兵たちを浮足立たせようが、これは戦争である。エルフィール以外の敵を殲滅しつくしてしまえば、クシュルの勝ちは揺るがない。

 戦争である。個人の驍勇ぎょうゆうが勝敗を決めることなど、出来ない。

 そう言わんばかりに左右に伝令が走り始め……ギョッとしたように、『護国の槍』は目を見開いた。


 死んでいた。左右の将校が、馬から落ちるのが遠目に見えた。

 左翼、右翼、共にそれなりに使える指揮官である。ヒリャン相手に温存していた戦力である。エルフィールが殺したのか、と思ったが……どう考えても違うだろう、という結論に至る。

 彼女の武術は極まっている。それは矢も同様である。が……戦争の最中、槍を振るいながら指揮官を狙撃できるほどの人外ではないだろう。それが出来るなら、エルフィールはもはや人間ではない。神か魔ものかのどちらかである。

「どうやら、次代のニネート子爵は随分と人外じみた腕をお持ちのようですね。」

隣でパーシウスが言う。その言葉にようやく、強面の武将は何があったかを理解した。


 両軍の距離は500を超えない程度。八段階格の弓術師でもなければ、届きえない、当てえない距離である。そして、その将校ともなれば自軍の中央にいるため、その距離は500どころか550に届こうという距離になるはずなのである。

「その距離を当てるとは。恐ろしき哉。しかして、将は彼らのみに非ず。」

言い切る。まだ大丈夫だと言い聞かせるような声音に対し、ベネットが残念ながらと首を振る。

「今ので、左右の兵士たちが完全に心を折られております。」

あまりにも無情だった。おおよそぼんなるものの心の動きとしては当然ではある。しかし、それを差し引いてもあまりにむごい結果だった。


 クシュルの軍の中央では、相変わらず黒髪紅眼の怪物公女が赤と金のあしらわれた黒槍を諸手に暴れまわり、左右の兵士たちは曲芸じみた矢の技量に腰を抜かす。

 クシュル=バイク=ミデウスは政治闘争の時代の『元帥』である。個人の勇が戦況に影響を与えたのは建国時代の話、実感としてその肌で感じることはあまりなかった。

「恐ろしき哉、時代の変遷。」

チラリと横にいるパーシウスを見る。彼もあれらの様に怪物なのだろうか。コーネリウスがその怪物にほとんどなっていることは父として知ってはいるが。

「閣下、どうなさるのです?」

「被害が少ないうちに撤退する以外無き也。故、全軍に撤退を通達。我が軍はここに留まり、殿しんがりを務めるものとす。」

告げる言葉は端的。その言葉にベネットがギョッとする。

 あのエルフィールの暴風圏を待ち受けるというのは、死を目の前に受け止めることと同義であるゆえに。

「閣下!……閣下?」

慌てて止めようとした彼の言葉が、急に疑念へと変わる。己が主の顔が死地に向かう者の顔ではないことに、訝し気な声をあげる。


 その疑念は、三分ほど後に消えた。

 撤退を命じられたはずの貴族軍、その全てがその場にとどまっていた。一切が逃げる様子を見せず、むしろやる気に満ちている。

 兵士に気力が戻ったかといえばそうではない。しかし、指揮官が、貴族たちが、逃げてなるかと気炎を吐いていた。

「げ、元帥閣下……?」

「パーシウス。これの理由は、わかるか?」

「いえ。しかし、貴族たちがいきなり責務に目覚めるということもないでしょう。つまり……政治の話ですね?」

「是也。『護国の槍』が死地に赴くにも拘わらず、全軍撤退、生存。かつ『元帥』の死。アダット様、そして陛下がいかに思われるであろう?」

もう全面戦争になっているのだ。もはや、クシュルの軍内の貴族たちは、帝国派につくことが出来ない。……ついたところで、同じ貴族からは裏切りの誹りと信頼の失墜が起き、『王像の王』から冷遇されることがわかりきっている。

 ここまで来て裏切りは、ない。


 貴族としての誇りも、勝敗の末の未来も、何もかもを棒に振る。

 事前に裏切りを教唆されているわけでもなければ、それは出来ない話であり……アルディエトが、その全てを洗いきっている。

 ゆえに、彼らは。この戦争が完全に終結するまでは裏切れず、アダットと陛下の顔色を窺わねばならず、クシュルを見殺しにすることなど出来ない。


 手打ちにされたくなければ、死地に赴く以外の選択肢が与えられていないのだ。

 ゆえに、貴族軍は。エルフィールの暴風圏に、全力で突っ込んでいく。




 マリアはその姿を見ていた。クシュル=バイク=ミデウスの殿軍に残らんとする動きも、慌てたように彼らの前に出る貴族たちも。

 浮足立っていたような兵卒たちでさえ、同じように足並みを揃えた。あれほどの醜態を晒しておきながらどういう絡繰りか、マリアは唖然として敵を見る。


 切り替えは、早かった。敵が一致団結して向かってくるというのなら、こちらも対抗せねばならないだろう。そう思い、エルフィに代わって指揮を執ろうとして、

「え?」

もう一つの異常に気が付いたのは、必然だった。己が助けようとしているエルフィールの部隊。指揮を執る前に確認するのは当然のことで、怠らなかったゆえに気が付いただけ。

「嘘……ですよね?」

「嘘じゃないわ、マリア。あれが、“最優の王族”。私たちの妃殿下よ。」

エルフィールの部隊、500騎。全員が綺麗に回れ右を終えていた。


 ありえない。愕然と目を見開く。指揮を執ろうとした己の覚悟が何の意味を持たなかったことを、悟る余力すらない。

「どういうことですか……?」

「簡単よ。最前線で戦いながら、全体を把握していた。あんな芸当が出来るのは、ペガシャール広しといえど、おそらくエルフィール様だけでしょう。」

断言する。コーネリウスならいずれは出来るようになるかもしれない。アシャトやエルフィールが、コーネリウスに期待していることを、彼女は知っている。

 だが、今ではない。それもまた、彼女は知っていた。

「下がって来るわね。綺麗に敵を断っているわ。」

真っすぐに敵陣に突っ込んで蹂躙し、しかし敵の渦中に入ったがために包囲され……今、見事に敵を割ってきた。


 強い。あまりにも、強い。

 しかし、エルフィールが敵を割って帰ってくるということは、彼女らを討とうとしていた部隊がそろい踏みで帝国派に突っ込んでくるという意味で。

 全軍に攻撃指示を出そう。それが、副将として任じられた己の務めだとマリアは決めた。どれくらい聞いてくれるかはわからない。でも、エルフィール様を殺すことは拒絶しなければならない。

「待ちなさい、マリア。」

「しかし、アメリア様!」

声を張ろうと息を吸った少女を、天馬に跨る少女が止めた。止めて、前を見るように促した。


 指揮官たる者の務めは、狼狽えないことだ。そう言わんばかりに、前を。

 そうして、前を向いて、マリアははっきりと狼狽した。それは、あまりに壮観な姿だった。


 全軍の目を惹く少女が、500騎の先頭を駆けていた。

 わずかに黄色がかった白服の、肘まで染まった赤だった。

 槍の先から、右腕の肘まで。彼女の腕は返り血に染まっていた。


 そしてそれ以上に、神々しいまでの彼女の顔だった。

 美麗という言葉があまりに相応しい。しかし、野性味を感じさせる。

 紅に光る瞳が、あまりに猛々しく燃えていた。汗で張り付いた黒長髪が顔の輪郭を浮き立たせていた。戦で紅潮した頬が、美しい顔に色気を添えた。

 鎧が引き締まった身体を、しかし女性らしさをわずかにも損なわせていない天性の肢体を際立たせていた。ほんのわずかにも戦う女性だと思わせないほど美しい肉体は、しかしその燃える瞳と、返り血に染まった槍が否定する。


 彼女がこちらに向けて駆けてくる。敵の渦中に僅か500騎で駆け込み、敵軍を大きく混乱させ、遠目でもわかるほど盛大に暴れ散らした、人とは思えない所業を為した英傑が。

 格好良かった。強かった。恐ろしかった。美しかった。強かった。勇気に溢れていた、ああ、どれもこれも、何と陳腐な言葉だろうか。

「あれが……。」

「あれが、エルフィール=エドラ=ケンタウロス=ペガサシア。最優の王族、武の極致。……あれが、私たちの王妃殿下よ。」

全ての兵士の目に、彼女の雄姿が写っている。もはや、脳に焼き付くのではないか。あの光景は、あまりにも強烈で、鮮烈で。人の心を、実にあっさりと掴んできて。

「ペガシャール帝国軍に告ぐ!」

そんな英雄の唇から、極上の調べが奏でられる。たった一人で戦場を支配してのけたような化け物から、思わず耳を傾けるほど凛とした声が発される。

「全軍!」

怪物公女が馬首を翻し、敵に向き、槍を高く高く掲げた。


 全兵士たちが掲げられた槍に目が向く。距離は遠い。槍に注視していても、まっすぐピンと伸び、肩から尻にかけて美しい曲線を描く、完成された背中が目に入る。

「突撃!!」

言葉と共に振り下ろされた槍。それを合図に、兵士たちが走り出す。あるじたる貴族の制止する声は耳にも入らない。異常に高められた歓心が、彼らの心をつかんで離さない。

 兵士たちの熱狂が、進軍の為の力となる。誰もかれもが思い思いに、隊列を大きく乱してもあの少女の指示に従うべきだと先走る。


 その様子を背で受けて、怪物公女は再び、躍進。

 クシュル=バイク=ミデウス率いるアダット派に対して、一切の躊躇なく、疲れなど微塵も見せず。

「俺の名はエルフィール!『ペガサスの王像』に選ばれしアシャト=エドラ=スレイプニル=ペガサシアが妻、エルフィール=エドラ=ケンタウロス=ペガサシア!」

馬腹を蹴ったのが、マリアの目には辛うじて見えた。それを合図に、馬が大きく跳躍したのも見て取れた。


「『ペガサスの妃像』こそが俺だ!死にたい奴から、前に出ろ!」

敵が怯む。一致団結し、今こそエルフィールを討とうとしていたアダット派が、一気に、そして怯えたように後退る。

 心が下がれば、あとは本当に救いがなかった。

 エルフィールに続いて、帝国派兵士たちが、氾濫する川がごとくなだれ込んだ。




 エルフィール様の声が聞こえて、マリアは周囲を見回した。

 兵士たちに押され、流され、幼く小さな少女では堪えようもなく、彼女は敵軍に突っ込んでいた。

(心で話せ、マリア。)

(な、なんですかこれは!)

(『将軍像』の能力の一つ、“軍像感応”だ。こうして心の中で指示が出せる。)

そういえば『妃像』の能力は、全『像』の能力の劣化コピーだった、と思いだした。また随分使い勝手のいい能力だ、とも。

 いや、劣化コピーなら何かしらの欠落か制約があるはずだが、とは思いつつも……その辺りは聞かなかった。

(お前のそばにバゼルがいる。仕込みの時間だ、と伝えろ、それで伝わる。あとアメリアもお前のそばにいるだろ?お前を連れて上空で待機、と伝えてくれ。ペガサス部隊の出番は今じゃない。)

承知しました、と念じた。直後、声が聞こえなくなった。


 彼女に指示されたことを全て伝え、アメリアに乗せてもらって空の人になりながら、地上で戦う様子を眺める。

 エルフィールは、味方に周囲を守らせて、地面に腰を下ろしていた。戦闘終了の指示も出したのだろう、兵士たちもうずうずしているものの、突出して追撃をかける者はいない。

 戦場の興奮は当然あるだろう。あまりに美しすぎたエルフィールに対する賛辞や、ゆえにこそ戦いたい気持ちがあるだろう。

 しかし、それ以上に、エルフィールの指示に従うことが優先されている。あまりに異常な光景だと、マリアは見ていて思う。


 兵士たちの心を掴んだ。エルフィールという名の強烈な武と、優れた美貌と、少数での突撃、被害が少ない状況での帰還という目に見える成果。

 たったそれだけ、とは言えない。今のペガシャール帝国に、同じことをやってのけてここまで心を掴める人間は一人たりともいない。

 あまりにも兵士たちの心を掴みすぎた。今後、貴族たちは、決してエルフィールの命令を無視できず、違反できない。すれば、兵士たちから叛逆されるというのがわかりきっている。


 総大将になるための通過儀礼?どこがですか?

 完全に、狙ってやっていたでしょう……己が出来ると確信して。


 マリアは思う。私は、エルフィール様から学ぶために彼女の隣にいるのだと。成長を期待されて、副官に抜擢されているのだと。

 でも。でもだ。

「何の参考にも、ならないじゃないですか!!」

だから、コーネリウスをつけられなかったのだ。そうぼやく己が主(アシャト)の姿が、彼女には容易に想像がついた。


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