16.ソウカク山の貴族
どうせ形ばかりの軍議だろう。やる意味などあるまい。
ソウカク山まであと一歩というところで開かれた軍議に参加したオベールは、部下に一度だけそう愚痴った。
それが、的はずれた予測ではなかったことは、ベルツの第一声で判明している。
「安心しろ!あれらはただの盗賊だ!我ら貴族の姿を見れば、恐れをなして逃げていくに違いない!」
ベルツ=アルス=ペガサス公爵公子は、そんな根拠のない主張を堂々と語った。軍議?これではただの決起集会だ。愚直に突っこんでいくことの利を、本気で考えているのだろうか。
どうせ聞き分けのない子供だろうが。それでも言わねばならないと判断する。徒に己や部下の命を死地に放り込みたくなどない。
「そんなわけがありません!それで撤退する敵ならば、そもそも盗賊団になど」
「なるさ。か弱き愚民どもはすぐに群れるからな。群れるために盗賊になったに違いない!」
全くふざけた主張を。そうオベールは思う。そんなことで勝てるなら、この国はとっくに平和になっているはずだ。
いったい彼は、何を見ているのか。……それとも、何も見ていないのか。見ていないのだろうなと確信する。そんな確信、決してしたいものではないが。
「負けますぞ、よろしいのですか?」
「貴様は現実も見れぬのか、オベール=ミノス?」
現実を見れていないのは貴様だ、総指揮官。喉元まで出かかったそのセリフをグッと堪える。
しかし、それでもオベールは貴族だった。ミノス子爵家の一員だった。部下たちや戦慣れしていない貴族たちを死地に赴かせるわけにもいかなかった。このまま進軍すれば、必ず負ける。
「ええ、見れませぬ。私には、このまま行けば我々が壊滅するという現実以外、全く見えませぬ。」
これほどの会話は、基本的に避けてきた。上司、この公爵公子には質問以外には答えようとしてこなかった。
彼が望むのは己の言葉を持ち上げる者。真っ向から否定したり、ましてや望まぬ結末を当然のこととして語る者など、必要ないのだから。
「もういい!お前と問答していても時間の無駄だ!ありえないことをわめくな!」
緩い、大して威力もない拳で額を殴り飛ばされる。人の殴り方も知らないのか。そう口に出しそうになって、慌てて口をつぐんだ。
「ああ、もう!第六隊の隊長と言い貴様と言い、どうして私に盲目的な信頼をおかない!人間とはそうあるべきだろう!」
どこの神様だ。そう言いだしそうになった口をまた噤む。そして、お前が無能だからだ、というセリフもまた言わない。
「貴様は一兵卒に降格とする!武芸者として優秀だというから採用したが、貴族としての生き方もしっかり学ぶべきだったな!」
ベルツはそう叫びながら、足早に天幕を出ていく。主が死地に赴くなら、それを阻むのが忠臣だろう。それが貴族ではあるまいか。
しかし……俺は、あいつに忠誠を誓っていない。ここまでは家の義理としてやってきたが、もう面倒は見きれなかった。
「行くぞ、進軍だ!」
耳に聞こえたその言葉は、どう聞いてもやけくそ的なものであり、無茶が過ぎるものだ。追随する貴族たちも自信満々。どこからそんなものが湧いてくるのか、ぜひともご教授願いたい。
「アシャトとやらに、いや……。」
部下を、貴族を一人でも多く救い出さなければならない。そう決意すると、放置された天幕を片付けることも諦め、オベールは自分の愛馬に跨ると出発した軍の後を追った。
まず行われたのは、降伏勧告。
『我はペガシャール王国祖アルス=ペガサスが弟の血を引く大公爵である。貴様らを討伐しにやってきた。今降伏すれば、全員で米二万俵の罰金だけで許してやる。降伏しろ。』
要約するとこのような降伏勧告が下された。ソウカク山の盗賊は全員で二千人。一人頭十俵程度の米で許してやる。そう言う勧告である。
百年前であれば寛大と言えたこの勧告も、この時代では意味がない。今ではもう整備された空き地などそうはなく、ソウカク山の盗賊の糧食は豪商、豪農から略奪したものばかりだからだ。
それがゆえに、払えぬものを受け入れるわけにはいかないと突っぱねられた。当然だ、と庶民の現実を知っている俺は思う。むしろ、重税はかけるが土地をやるから降伏しろ、の方がまだ聞き届ける可能性はあった。もう、手遅れであろうが。
「義務から逃避した軟弱どもらめ。貴族様に逆らうのか。」
震えた声をあげながらも、ベルツは勇ましそうなことを言った。最後まで演技してください。遠目に移る総大将の、あまりに情けない姿に眩暈がする。
それでも、彼らは自信と特権意識の塊である。攻め込むのも時間の問題だ。明日、遅くとも明後日。彼らはソウカク山に攻め込むだろう。
「あ、隊長。」
真っ先に俺がしたのは、元部下たちへの顔出しだ。ベルツ自身からは指揮権を取り上げられたものの、部下たちの信頼までは取り上げられはしない。権力で物理的な距離や身分的な距離はいくらでも引き離せるだろうが、心情まではあっさり変えられたりしない。
「聞きましたよ。進軍に反対したのですよね?」
「負けるからな。」
その一言で、部下たちは非常に暗い顔をした。俺が意味もなくそのようなことを言う人間ではないということは、部下たちはよく理解してくれている。ほぼ確実である未来予測と知って、無為な死を嘆いているのだろう。
彼らは死を恐れるほど軟弱ではないが、無為に死ぬことを是とするほど蛮勇でもない。
「斬りこみ隊であることにかわりはないか?」
だからこそ、彼らには生き残ってほしい。俺が問うと、何か希望でもあるのかと、全員が明るい顔をこちらに向けた。
「はい、ありません!」
その返事を聞いて、少しだけ悩んだ。ここにいる元部下たちは、選りすぐりのエリート、実力主義を掲げる優秀な部下たちである。
「逃走先は、ある。実力主義の者たちだけを、連れて行きたい。」
無能貴族を斬り捨てるいい機会である。俺は総指揮官ベルツの顔を思い出しながら、実に貴族的な思考でそう決めた。足枷は、いらない。
「声をかけておけばいいので?」
「……負けると理解しているものに、打ち捨てた陣へ。」
それだけで、部下たちには十分に伝わる。オベールは信じて疑わず、また部下たちもその期待を裏切らない。この部隊はオベールにとって理想的な上司と部下の関係を築けていた。
言いたいことを言い終えると、オベールは遠回りでソウカク山へと向かう。戦いを知らない貴族たちでは負ける。それを確信したうえで、一人でも多くの精鋭を作り上げるために。
戦端は、その二日後に開かれた。斬りこみ隊のものたちが、あの手この手で開戦を遅らせたらしい。聞けば懲戒ものの問題もいくつかあるようだが……きっと二千人の中から見込みのありそうなものを選ぶために、時間が多く必要だったのだろう。
盗賊軍は馬もなく、武器も陣形もばらばらで、それでも戦い抜く覚悟を持って戦場に臨んだ。対して貴族軍は違う。彼らに見られたのは絶対的余裕と慢心。
立派すぎるほど絢爛な武器防具。それを扱うには足りない、太ましい肉体。そして、見てくれだけの整った実戦向きでない陣形。軍略家でなくとも見ればこう言うだろう。「これで、戦場に立つ気なのか」と。
「さあ、ソウカク山の汚らわしい盗賊どもよ!年貢の納め時がやってきた!降伏するか?」
ベルツが堂々と聞く。しかし、近くで見た者にはその虚勢はバレバレである。
可哀そうになるくらい顔は青ざめ、身体はガクガク震えていて、声だけ勇ましいのが不思議なくらいだ。よくもまあ、あんな状態で虚勢が張れる。その無駄に肥大した見栄だけは評価してもいいだろう。
「ふざけるな!貴様ら貴族の暴虐を棚に上げて、汚らわしいだと?はん、貴族とやらは屑しかいないのか?」
明確な挑発。しかし、ベルツはそれには応じなかった。
「我ら貴族は生まれながらにして崇高である。貴様ら農民ごときに屑と言われる謂れはない!」
しかし、その発言は、紛れもなく最悪の貴族のそれ。民のことを何一つ考えず、自分の待遇を当然のものとして受け止めた者たちの在り方。
思えば、よくこれで国が保たれている。
「心の底から腐っているな、貴族ども!俺たちに勝てると思うなよ!行くぞ、野郎ども!!」
同意する。確かに腐り果てている。だが……あの男を見て学んだ。根の大半は腐り落ちても、まだ腐っていない部分はある。それに支柱を添えて、いずれあらたな幹を育てればいい。
盗賊たちが貴族軍に突撃する。どんなに立派な装備をしていて、どんなに威厳があろうとも、見掛け倒しのそれを恐れるものはまるでいない。
「いいか!殺して血なんかつけるなよ!あの武器鎧は金になるぞ!」
彼らは、ただ貴族軍を金づるとしか見ていない。そんな彼らが、勢いを落とさず、戦わなくても勝手に逃げるなどと考えていた貴族に攻め入るのだから、戦場の惨状など見るまでもなくわかるというものだ。
貴族軍は混乱した。敵が攻めて来るとも、そもそも戦争になるとも思っていなかった者たちの末路など、知れている。
なぜ、こうなったのか。戦う意志もないまま戦場に出た貴族たちは、混乱しながら撤退を始めた。いや、それは撤退とは口が裂けても言えないような、そんな醜態であった。
味方同士が互いに体をぶつけあう。重い鎧に体を支えられず、すっころんで、自らの重みで死亡する。
自業自得によって作られた無様な戦場が、そこかしこで繰り広げられた。
「ハハハ!絶好のカモだな、おい!」
盗賊の首領は笑いならが棍棒を振り回し、的確に頭を叩いて貴族たちを打ち潰していく。
「弱い、弱すぎるぞ!もっと強い奴はいないのか!!」
「「ブディス。もうやめろ。」」
首領の横でじっと見ていた男と女が、同時に言った。
苛立つように、ブディスが手を止める。逆らわないのは、逆らえないだけの何かがあの二人にあるのか。……ソウカクの首領を止めるだけの権限や暴力を持つ二人組がいるなど、事前情報にはない。どういうことだ?
「そろそろアレに攻め込め。アレに逃げられると面倒くさい。」
それは、斬りこみ隊を中心とした見込みのある貴族の集まりだった。ヤバイ。あいつらを優先で、あの首領が数に任せて攻撃すれば、奴らだけでは捌ききれない……!
慌てて彼らの前に飛び出て、“隠蔽魔術”を解除する。斧を振りかぶり敵との間に威圧をかける。
「……誰かが見ているのは知っていたが、ほう?」
斧術七段階の力量を持つ俺は、見るものが見れば油断できない大敵に映るだろう。わかっていて、今姿を見せた。
ゆえに二人組は怯んだが……他は、そうでもない。
「邪魔だ、どけえ!」
ブディスと呼ばれた盗賊の首領が、その棍棒を叩きつけようと迫ってくる。得体のしれない謎の男たちは、黙ってこちらを見たままだ。
(そっちがその気なら、俺はこいつを殺す。)
まずは首領から。そう思い定めると、その掌の斧を振りぬく。
大槌と大斧の間で火花が散り、轟音が鳴り響いた。ブディスの大槌は弾き飛ばされ、オベールの斧は軽く弾かれただけだ。
二合目は打ち合われなかった。軽く弾かれただけの俺の身体は、すぐさま次撃に繋げられたが、ブディスはそんな余裕はない。次の俺の振りぬきに、ブディスは合わせることが出来なかった。
ブディスの首が宙を舞う。その瞬間に、オベールは叫んだ。
「下がれ!!先だって伝えた通りに!!」
あの陣まで下がれば、わずかながらも抵抗が出来る。そう知っているオベールは、わずかな逡巡もなく撤退を命じた。
生き残ったのは、二千名の貴族の中でたったの二百名。しかし、その二百名は将来有望な二百名であるはずで、だからこそ撤退して逃げ切ろうと
「ソウカク山の盗賊ども!死んだ貴様らの首領に変わって、今から俺が指揮を執る!」
いきなり、軍指揮を執ったことがあるかのような声が響いた。さきの盗賊の首領など目ではない。正規に人を使うものの自信。それに、盗賊どもも渋々ではあるものの、付き従う素振りを見せる。
「斬りこみ隊!俺のもとに集まれ!それ以外は撤退しろ!早く!」
嫌な予感がした、どころの話ではなかった。危険の匂いしかしない。早く撤退させる必要がどうしてもある。そう感じられる、重圧。
「名を聞こう、見込みのあるペガシャール王国の貴族。」
……なる、ほど。他国の、貴族。それも軍属。
ペガシャールが不甲斐なくて出てきたか。もう、侵攻されるに至ったのか。
早い、とは思わない。この国の状況を鑑みれば、遅いくらいである。
「オベール=ミノスだ、貴様の名も教えてもらおうか。」
「ソリュン=ベネット=ラゴンだ。ドラゴーニャ王国の将軍である。」
とんでもない大物が出てきた。オベールが感じたのは、まずはそれ。続いて、ヤバイ、という焦り。
ここにいるのは、あくまで盗賊。身なり、武芸共に修練を積んだ兵士のものとは比べ物にはならない。斬りこみ隊が全力で戦えば、ここにいる全員が撤退するだけの時間を得ることが出来るだろう。
しかし、現在の情勢でそれをひっくり返せる方法が一つ。
「お前たち!俺の命令には従えよ!“我は『ドラゴンの将像』に選ばれし者なり”!」
盗賊団の、空気が変わった。『ドラゴンの将像』に選ばれし者。その言葉を聞いて、オベールの脳裏に戦死の二文字がチラつく。
しかし、逃がしたい貴族たちを全滅させるわけにもいかない。彼らに対して行った行動は、オベールの責任として彼が背負わなければならないもの。だからこそ、オベールは生きて撤退しなければならず。
「総員、構え!第二、第六軍が戦闘を終えればここに来るはずだ!それまで、必死に生き延びろ!」
普段は言わない激励をする。普段は行わない行動、そして覚悟。他者に縋らなければならない弱さを、それでも今は受け入れなければならない。
「幸い、アレに技術はない!力は技でねじ伏せろ!」
「さあ、盗賊たちよ!あそこにあるは貴族であるぞ!今まで溜めに溜めた鬱憤、晴らすといい!」
「「かかれぇ!」」
その日。アファール=ユニク義勇軍第一、第四、第五隊、壊滅。死者は千八百人を数え、生存者はたったの百五十人を超えるほどしかいなかった。




