163.それは猛吹雪の中で
雪が降る。寒さで指がかじかんでいる。こんな日に魔術書など、一ページ一ページめくってはいられない。
魔術陣が無ければ魔術は使えず、複数の魔術陣を携行するためには魔術書を持ち歩くのが一番楽であり、しかしかじかんだ指で紙をめくる作業は難しい。
雪の日の魔術の扱いというのは、常に魔術師の命題となる。雪だけではない、雨もである。魔術書は紙にインクを用いて魔術陣を記載する。である以上、インクのにじみが発生すれば魔術陣は正確に機能せず、雨もまた魔術師の天敵である。
とはいえ、雨の日には必ず魔術が使えない、などと言うのであれば、彼らは兵種として存在できない。僅かな天変地異で無力化されるような兵士なら、最初から兵士としての役割は果たせない。
だからこそ、魔術師は何としてでも多くの魔術を携行する手段を持つ。
例えば、衣服に編み込まれた魔術陣。例えば、常に持ち歩かれる魔術インクと先のとがった木の棒。
そして、衣服に糸をもって繋ぎ止められた、魔術陣の掘り込まれた木札。
「目標は上空。距離は2500。放て、“水昇”!」
「「「“水昇”!!!」」」
雪が降り続けるその空めがけて、水の塊が飛び上がる。さながら竜が天へと上るかのような水の流れが、世界を、空を埋め尽くす。
それを細目で確認し、間髪入れずにトージは指示した。
「目標は上空!距離は3000!“冷風襲来”!!!」
「「「“冷風襲来”!!!」」」
昇った水が雲へと変わる。雲へと変わったという感触なしに、一気に雪が霰に変わる。鉄に氷が当たる音と、身を凍らせるような急速な冷感を“断熱魔術”を用いて相殺しつつ……さらにトージは指示を重ねた。
「起点は上空2500から3500。風向きは北西!時間は60分、風速は分当たりにして80!我らコリントの力を見せてみろ、“突風襲来”!!!」
「“突風襲来”!」
大量の霰を含んだ雪雲が、アダット派の方向に進み始めた。
直接見えるわけではない。雲の動きも、これほど強い霰の中では見えないほどだ。だが、コリント伯爵は己らが行った魔術の効果については自信がある。
「出陣だ!敵が霰に晒されているうちが好機!わずかでもいい、敵を討つぞ!」
絨毯に乗る。三人一組で宙へ浮き、敵地に向けて飛び始める。
コリント伯爵家の魔術戦争。雪地で敵に己の位置を探らせないために行う、攪乱の定石。冬の激突は、まずそこから始まった。
魔剣と策謀のテッド子爵家。その本領が発揮されたことは、ここ200年の間でほとんどない。
「明確な内乱が久しぶりのテッドの戦とは、なかなかに戸惑うな。」
息子は『智将』になれただろうか。きちんとテッドの誇りを忘れていないだろうか……そう微かに頭によぎるものの、熟考はしない。
敵になった者の今を考えていて切り抜けられるほど、クシュルという男の指揮力は甘くない。
「弾を込めろ!」
投石機を引っ張る部隊に指示を出す。たっぷり30台並べられた巨大投石器、その上に乗る弾は、水がたっぷりと入った巨大な樽。
「放て!!」
30台の投石器が、ヒュンという音を鳴らしながら稼働して、ゴトンという音で止まる。そうしながら飛び去った巨大樽は、150メートルほどの距離を飛んで敵陣の中に着弾する。
樽が、破裂する音が聞こえた気がした。音が聞こえるほど近くはない。それは、樽の素材から想像できる、起きているはずの現象で、つまりは幻聴だ。
だが、樽が破裂し、中の水が飛び散っていることだけは確信していた。この行為はそのために行われているのだから。
兵士たちが投石器の縄からゆっくり力を抜く。次の樽を装填するために、二分ほどかけて投石器の皿を地面に降ろし、続くように別の兵士たちが樽を乗せた。
四分の間。全ての投石器の用意が終えたのを確認して、再び放たせた。樽が地面に落ちる音はしない。だが、もう十分だとカンキは思った。
「全軍!投石器に『衝撃』を与えよ!」
「はっ!」
兵士たちが投石器を引いていた縄から手を放す。地面に倒れこんだそれらに、一台四人くらいが定位置で剣先を向ける。
「魔剣発動!」
「「「魔剣発動‼‼」」」
それは、テッド子爵家が秘蔵する量産型の魔剣。時間にして5秒間、剣そのものを振動させる魔術が込められた魔剣。
四方から『衝撃』といっても過言ではない高速の振動を与えられた投石器は、その威力に耐え切れず自壊する。
「よし!全軍、移動を開始する!」
雪は、そろそろ吹雪と呼んで支障がないほどに強くなっている。残った樽の水を蒔き、それが凍っていく様を脳裏に焼き付けながら、カンキは山に向かって立ち去った。彼らが通ったし後は吹雪がすぐさま消していく。
その場に残された投石器の残骸だけが、彼らの足跡を残していた。
雪の中で矢を使うのは難しくない。だが、吹雪ともなれば話は別だ。そもそも風が吹き荒れる中で矢を使おうとする方がおかしい。
ということで、ニネート子爵軍は動けないか、というと……そんなわけがなかった。
「弓しか使えない軍なわけがなかろうが。」
雪の上を走りながらヒャンゾンは言い切る。その腰には剣、その手には槍。指揮官らしくなく徒で駆けるのは、吹雪の中の馬というのが、少なくとも行軍においては役に立たないからだった。
「あれだな。」
手の中で槍を弄ぶ。敵の見張りがいるのは見える。こちらに気づく様子はない。
「後列に伝えよ。槍を刺せ。」
先頭でヒャンゾンが地面に槍を突き立てる。指示を受けた兵士が槍を地面に突きたて、後ろを向いて命令を伝えた。
しばらく、ザクザクという、槍が地面に突き立てられる音が伝わり続ける。この後の命令は、なかった。しかし、やるべきことは皆がわかっていた。
「構え。」
静かに命令し、ヒャンゾンが弓を虚空へ向ける。後ろの兵士たちもそれに続いて、次々と空へ弓を向けた。
ギリギリ、という弦の張る音。しかし、弦は引かれても矢は番えられていない。空矢ならぬ空弓が、ただただ硬質な音を立てている。
「スゥゥ。ってぇ!」
一呼吸の後に、吹雪の風切り音以上の大音量でヒャンゾンは叫ぶ。瞬間、ネニート子爵の一族が誇る矢の嵐が、吹雪の中へと埋め込まれていく。
三段階魔術“既定の矢”。その魔術陣に、魔力操作はほぼ必要ない。魔剣と策謀のテッド子爵家が、その魔剣作成の過程で偶発的に得た魔術陣だ。
『弾性』を力に、『弧を描き』『物理衝撃を与える』魔術陣。ただそれだけの魔術陣であるがゆえに使い勝手は悪い。というより、ほとんどない。
ただし、弓使いが弦を引くとき、矢を番えずにはなった場合にのみ、話が変わる。
矢を、強く引き絞り、放つという行為により発生する、弦が戻る『弾性』という現象。そこから伸びる『弧』が、着弾と同時に『衝撃』を与える。
例えば。その飛距離が50メートルを超えるほどの遣い手が矢を放ったのなら?彼らが、その飛距離を全て威力に注ぎ込んだなら?
吹雪の視界は悪い。弓使いが自然に持つ高視力、そしてニネートの軍が全員に強要している“視力強化”の魔術がなければ、2メートル先ですら視難いほどの視界の悪さだ。
見張りが機能できているとは到底言い難い。そんななか放たれる、重量質の空気の圧は、30メートルほど先の敵陣の中に着弾する。
人死にが出ることは少ないだろう。当たり所が悪ければ死ぬだろうが、その圧はただの圧でしかない。
だが、奇襲においては優秀だ。ただの圧とはいえ、人を傷つけるには十分だ。
「かかれ!」
風の大音。それに紛れるように。
兵士たちが駆け始めた。
吹雪の戦場は恐ろしいと思う。
自分の戦術が上手く嵌っているか、わからない。視界が悪い、伝令兵の動きも悪い。それだけならまだしも、寒さがそのまま奪われる体力に、士気に関わってくる以上、戦の趨勢そのものを左右する。
「投石器、放て!!」
山の腹からヒリャンは叫んだ。テッド子爵家が放った投石器より一回り大きな投石器の飛距離は300をわずかに超える。それが、山の腹から放たれるのだ。高さの分、わずかに飛距離は長い。
「巻き込まれるなよ……!」
着弾の音はない。聞こえるはずがない。それくらいは遠くにいる。
「次弾、装填。」
コリント伯がいてよかった、と思う。兄相手に、武術を基礎とした指揮力のみで勝てるとは、ヒリャンは微塵も思っていなかった。
「頼むぞ、コリント伯……。」
この策も、吹雪をさらに荒れさせることが可能な魔術が用いられたからこその戦術だった。ゆえに、この戦術の成功後も失敗後も、締めは全て、天候を操る者の手に委ねられている。
「放て!」
投石機が空を裂く音を聞きながら、ヒリャンはトージに勝利を祈った。




