155.黄餓鬼の怒り
役人の前で、役人を守って、人を殺した。
ギャオランにとっては己の身を守っただけである。が、命の危機に瀕した男が見た光景は、己が守られたに等しいだろう。
そもそも、役人で多少の教育を受けているとはいえ、せいぜい役人階級のレベルである。人の気持ちを慮るほどの思慮深さがあるはずもなく……そもそも役人以下の平民である。自分を守るのが当然と考えている節すらあったのだから、勘違いしても当然だろう。
「よくやった、よくやったぞ少年!礼を言おう!」
そしてもう一つ。役人が連れていた護衛を殺した盗賊たちを、あっさりと斬り殺せた目の前の少年。その技の巧みさ、また力強さは他より抜きんでていることくらい、役人にもわかった。
少年が弱ければ、あるいは苦戦の後に盗賊を撃退する程度であれば、役人は全裸の少年を憐れんで服を与え、その後税を取り立てていただろう。だが、少年の強さは役人の目を引いた。己の命を鮮やかに救ったというひいき目は当然ある。
だが、素人目に見てもギャオランの殺しは鮮やかの一言に尽きた。敵を人として見ず、あくまで敵という名のモノとして見た結果でしかないのだが……役人にそんなことがわかるはずもなく。
「お前を我が護衛に任じてやる!」
感謝しろと言わんばかりに、言い放った。
それは傲慢ではない。役人階級と平民階級の間にあっては、少々行き過ぎではあるが当然の流れだ。
そんなことは知らず、しかし己の行く末にあまりに無頓着だった青年は、一つ大きく頷いた。
ギャオラン、世に出る。武を志したわけでもなく才能を持つ青年は、そうして世に立った。
とはいえ、12歳である。役人の護衛に12歳の少年を連れ歩くのは、役人の矜持が許さない。当然だ、少年を引っ張り出すほど人がいないのかと言われかねないし、少年でなければ雇えないのかとその財政感覚をあざ笑われかねない。
それは貴族であろうと役人であろうと同様だ。アシャトがマリア、メリナを軍に連れて行っているのですら、ともすれば恥知らずの愚か者であるのに、役人ならいわんや、である。
そんなこんなもあって、少年は役人の護衛の先達たちのしごきを受けながら日々を過ごしていた。
食事には困らない。日々兵士たちの訓練に参加するから、退屈することもない。身体を動かすのは好きだった。人の技術を吸収するのは楽しかった。
とはいえ、ギャオランは意識して人の技術を吸収していたわけでもない。ほとんど無意識に出来ていたので、どこまでも彼は天才だっただろう。
その中でも特に彼は、斧を好いた。槍斧という武器に触れ、それを心から愛用した。
ある意味当たり前だろう。戦斧は斧と比較すれば、刃の部分は小さい。だが、その分軽い。
穂先に槍。それがなければただの刃が小さい斧である。が、それは斧の重量を削り、長さを足しただけ。戦に使える代物ではない。
槍斧の主体、それは槍であり、斧ではないが……ギャオランは斧を主体、槍を付録とする使い方を好んだ。それは騎馬を扱うものではなく、歩兵が槍斧を使うときの使い方だった。
「下郎が扱う戦い方が好みなのだな、お前は……。」
ギャオランを拾った役人は呆れたが、とやかくは言わなかった。そこらで全裸で開墾していた男に品性を求める方が間違っている。それくらいは役人とて理解出来ていた。
三年。三年間、ギャオランは役人の家で武学に励んだ。天賦の才アリ、まともに武学に励む期間あり。これで強くならない方がおかしい。
彼はわずか三年の間で、七段階格まで駆け上がった。これが出来る人間など、普通はいない。何十万人に一人、あるいは何百万人に一人という規模の天才である。
「15になった。威圧感ある体格にもなった。連れ歩いても恥にはなるまい。」
ギャオランを拾った役人は、ある時からギャオランを連れて税の徴収に出るようになった。
最初の方は、ギャオランも何も思わず付き従った。襲ってくる盗賊を撃退し、役人の命を守る。それくらいなら、今日まで生かしてくれた恩があるから、別にいいだろうと思っていた。
まぁ、そこまで高尚なことを考えていたわけではない。言うことを聞いていた理由をあえて言語化するのであればそうである、というだけの話だ。
だが、ある日違和感を覚えた。
税を取り立てられている人たちの顔が、皆やつれていたのである。国に税金を納めるというシステムの意味は、ギャオランにはわからない。だが、ないものをねだっているようにギャオランには見えたのだ。実際、その主感に大きな間違いはない。
「なぜ、貧しい者からも税を取るのですか?」
ギャオランが問う。規定以上にとっている税金のことを指して、ギャオランは聞いた。どうしても、役人たちが、そしてそれを自由にさせている貴族が、ギャオランには理解できなかった。
「決まっている。私たちに富が入ってくるからだ。いいものを食い、人が諾々と従い、いい女を抱ける。その生活は、金さえあれば手に入る。」
要は不正をして、そのカネを懐に入れているというのと同じだった。ギャオランは生きる糧を、独力で、誰の手にも頼らずにつくり上げてきた記憶がある。生きるための武を、人に学びながら得てきた経験もある。
だから、その問いは彼にとって当然の問いだった。彼が一番理解きなかったのは、問いかけたいのは次の質問にあった。
「なぜ、自分の手で糧を得ないのですか?」
無言、沈黙。役人を取り巻く全ての護衛が無言になった。馬車を引く御者ですら黙り込んだ。雰囲気に充てられてか、馬ですら身動きを止めた。
その雰囲気を察知できない、哀れな道化がそこに一人。彼は、笑って言った。
「なぜ?そりゃ、自分で動かず生きられる方が楽だからに決まっているだろう。」
欲にぎらついた瞳だった。実のところ、この役人はマシな方の役人だった。盗賊に襲われることがあってもなお、己の手で税を得に足を運ぶ。
無茶無謀な税を取り立てる役人だった。暴力を振るい、私利私欲に興じる役人だった。権力を笠に着る役人だった、だが、まだまともな役人だった。
そんなもの、ギャオランは知らない。知るはずもない。だが、そいつが客観的に屑であることは疑いようがなかった。
「なぜ、お前たちは抵抗せず受け入れるのだ?」
ギャオランはわからずに農夫に聞いた。ギャオランの心は子供のままだった。大人になることなく15歳まで育ったギャオランに、自分の命が脅かされていてもなおきちんと税を納めようとする村人たちの気持ちはわからない。
「なぜ抵抗するのです?」
抵抗してどうするのか、というより、お上の意向だから何も考えずに従う、という奴隷根性を見てとったギャオランは眉を顰める。
わかるはずがない。人は簡単に諦める生き物だと、諦めることが、何も考えず楽に生きる道だと悟っている人たちの気持ちだと、ギャオランはわかりようがない。
それが大人だということを、子供のギャオランは知らず。
だが、人のモノを平然と巻きあげる役人や貴族の在り方と、それを諾々と受け入れる平民の生き方は、反吐が出るほど気持ち悪かった。
「……決めた。」
槍斧を振りかぶる。向かう先は役人へ。護衛が阻むが、纏めて叩き切った。
「な、何を……。」
「醜い。あまりに気持ち悪い。」
生きるということを、知っていた。己が一人で生きるということを、ギャオランは知っていた。
だから、他者から巻きあげる気持ちも、巻きあげられて声を上げない気持ちもわからない。ただただ不快感だけがあるのみだった。問題は、そう思える人間がそうそういないということ。
他者を見下さず、自分の境遇に満足し、潔癖に人を慮りながら生きる。それを実行できるのは、ほんのわずかな精神的強者のみであることを、彼は知らなかった。
自分の生き方を自分で決める。そう思えるのは、一握りの精神的強者だけであることを、彼は知らなかった。
だから、殺した。人から搾取して当然と思っている役人を呆気なく殺した。
彼はこの時の時点で諦めを持っていた。抵抗することを『なぜ』と聞き返す村人に、立ち上がって反乱するよう促したところで、成功しないと思っていた。そういう意味では、彼はこの瞬間一歩大人に近づいたと言える。
「人から奪って生きるのは、犬畜生だけでいいだろうが。自分で田畑を耕して、自分の手で食い物くらい得てみろよ。」
殺す、殺す。役人を守る護衛を殺す。馬車を引く馭者を殺す。いつか来るだろう罪を問う使者を恐れて止めに入る村人を殺す。
気持ち悪かった。心底不快だった。だから、殺した。
「貴族を全部ぶっ殺せば、人間は自分の足で歩くようになるだろう?」
無理に決まっていた。絶対に不可能なことだった。アシャトが聞けば腹を抱えて笑っただろう、ディアが聞けば「人間を舐めるな」と怒っただろう。
ギャオランはその日、貴族殺しの為に生きる修羅となった。




