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150.『ペガサスの賢者像』任命

 ジョンが連れ去られ、撤退する最中。レオナはまるで人が変わったような気配を見せていた。

 恐怖ではない。後悔でもない。憔悴などもってのほか。彼女にあったのは、ただただ純粋すぎるほどに純粋な怒り。

「……怖い。」

言葉が漏れ出た。怖い以上に何と言えばいいか、俺は知らない。だが、同時に思った。ここまで怒り狂っている彼女なら、今の俺たちの不利な状況を覆してくれるかもしれない、と。


「陛下、お話が、あります。」

案の定。レオナは一時的に腰を落ち着けると、すぐに俺に声をかけてきた。

「聞こう。」

俺の左後ろにはディールが、左前方にはオベールが控えている。今からレオナが暴走したとしても正面から受け止められる態勢なのを確認して、俺は許可した。

「ジョン君を、今すぐ、助けに行かせて、ください。」

「マリア?」

「不可能です。」

即答に、俺はそうだろうなと頷きを返した。出来るはずがない。


 人的被害だけを見れば俺たちの圧勝だ。この戦、拮抗しているように見えていたが、実際かなり押していた。

 だが、総合的に見れば俺たちの惨敗だ。ジョンが捕らえられたことによってこちらが先に撤退した。それは、戦う兵士たちにしてみれば逃亡と大差がない。……いいや、逃亡したのだと俺は思う。少なくとも俺の戦意は喪失していた。


 他者は知らない。だが、『王』の戦意が失せていれば、そりゃ逃亡にもなるだろう。

「エルフィに怒られるな。」

空を見てわずかにぼやく。左後ろから苦笑する気配を感じた。それを聞かなかったことにして、マリアが続ける。

「今すぐは……はい。再度戦うには、兵士の士気を取り戻さなければなりません。」

そうだろう。俺は落ち着けば戦意を取り戻した。だが、有象無象はそうもいかない。一度敗北を認識し、心が折れてしまえば、立ち直るにも相応の理由がいる。すぐに立ち直れる人間の方が少ないのだ。

「だったら、私一人で、行く。」

「余に止める資格はないが、やめておけ。」

「なぜ?」

「お前じゃあの敵将には勝てないからだ。」

絶句。瞬間、そこにいた将校が、一人残らず絶句した。マリアメリナも含めて、だ。


 レオナの名声は高い。その研究成果、その魔力節約の技術、魔術陣の知識。それら全てにおいて、レオナは最高級の名声を獲得している。

「そんなことは!」

「敵は、『黄飢傭兵団』を雇っているそうだ。つまり、ジョンを攫った敵将校は“黒秤将”ズヤン=グラウディアスということになる。」

この会議の直前にムルクスから伝えられた。エンフィーロの全霊をもってすれば敵地の情報を得るのは容易い、などと言っていたが……本当にやるとは。

「……勝ちます。」

「不可能だな。どうやって勝つ?」

「大火力で一掃します。“流星一撃”を落とせば、」

「ジョンも死ぬ。却下に決まっているだろう。」

随分物騒なことを言う。こいつは、被害を考えていない。


「ジョン君が瞬時に自分を守れるように警告すれば……。」

「敵は魔術師だぞ。そんなことをすればあっちだって防ぐに決まっている。……それに、“流星一撃”から完全に自分を守り切れる魔術をジョンが扱えるのか?」

「……。」

沈黙は最大の肯定だった。相手に抵抗を許さず圧勝するような魔術では、捕虜になっているジョンの身が危うい。かといってジョンを確実に助けるだけの力量は、レオナにはないと思う。


「それでも、私はジョン君を、助けたい、です。」

いうだけなら誰でも出来る。そう言い切るのは容易い話だった。

「ジョンが、魔術戦で負けた。お前は、ジョンより魔術戦で強いのか?」

「……いいえ。私は、戦闘では、ジョン君に、勝てません。」

「なのに、ズヤンに勝てると?」

黙りこくる。二の句が継げないでいるようだった。そうだろう、そこまで感情で反論できるほどに、「魔術研究者」レオナ=コルキスは愚者でない。


 本気で追い詰めていた。今は、レオナを完膚なきまで叩きのめすしかない。

 彼女から重要な一言を導き出すまで、俺は手を抜くことが出来なかった。

「論外だ。『黄飢傭兵団』の団長、“黄餓鬼”ギャオランは貴族嫌いで有名だし、コリント伯爵家のジョンは死ぬかもしれないが……だが、ジョンの死は無駄にはしない。次は全霊の兵士と指揮官を用いて……。」

「ジョンが死ぬんじゃ意味がない!」

レオナが叫ぶ。わかっている。俺だって本気でジョンを殺す気なんてあるものか。

「だが、それしかないのが事実だ。覚えておけ、レオナ=コルキス。時に将校を、友を見捨てる。それが出来ない王に、王たる資格はない。」

「私は、王じゃ、ない。」

一人で行くと、だから許可しろと言い張るレオナに、俺は一つ溜息をつく。どうして無駄死にするとわかっている相手を向わせると思っているのか。


「お前が行けば必ず死ぬ。ズヤン相手に、今のお前では魔術戦は荷が勝ちすぎる。それは、ジョンの本意ではないだろう。」

あるいはレオナが魔術戦闘の訓練を積んでいたら。あと5年ほど前に真剣に始めていたら話が変わったかもしれない。

 レオナは魔術に関しては類まれなる才能を持つ。それは研究だけではない。戦闘にも、才能自体は持っていただろう。


 だが、彼女はもう24歳。真価である研究家としての才能が開花してもはや長い。……これから魔術戦闘の訓練をしたとして、一流にはなれるだろう。秀才の次元には、元ある才能が高いゆえに手が届く。

 だが、天才にはなり得ない。才能があったところで、タイミングを逃せばその種が十分に伸びることはない。

「レオナ=コルキス。今のお前には、行かせられない。」

「……あぁ、そういう、こと。」

レオナが何かを悟ったように、俺の目を見た。彼女と目があったのは初めてかもしれない、などと思う。

「陛下。私は、陛下に、忠誠を誓い、ます。」

そう。その一言が欲しかった。

「お前は、『ペガサスの賢者像』……三超像と呼ばれるものの一つだ。それに、任命する。」

レオナが頷いた。ようやくかと思う。同時に、早かった、とも思う。


「いつからですか?」

この問答を飾るように、その言葉は呟かれた。




 いつから、と言われれば、それは出会った頃からだ。

 俺は『ペガサスの王』、即ち『適材適所の王』だ。人を見る目はあるつもりで、なにより神がそれを選んだからこそ俺はこうして王をやれている。


 だから……どちらかと言えば、彼女はいつよりなぜを尋ねるべきだった。

「なぜ、ならば。答えよう。いつは言うまでもない。お前が俺たちと出会った時点で、『像』に任命する日を心待ちにしていたからだ。」

レオナはその答えには満足しなかったようだ。続きを話せ、という想いが、目を通して伝わってくる。

「お前が忠誠を誓う気がないのはわかっていた。……レオナ=コルキスという名の魔術師は芯の髄から研究者で、将校でも戦士でも、ましてや英雄などでもないことはよくわかっていた。」

戦場に立つ時間があるのなら、一分でも長く研究を。レオナという人間を分析したとき、彼女はそういう人物であった。

「おそらく、ジョンと出会うことがなければ、お前は今日この日までずっとそうだったのだろう。誰とも会話せず、研究だけを望み、背後から急襲されようと気に留めない人物になっただろう。」

それは、想像でしかない。だが、ジョンと楽し気に話す彼女を見た。魔術の研究に打ち込む彼女を見た。

 

 それ以外の事象に……自分が今いる陣営や国情にすら関心がない事実を、ジョン以外と話す人間がおらず、どころか話す気すら微塵もないこと。その彼女の行動から予測できた。

 忠誠を求めることは出来ない。だが、彼女が国外に出ていく事態になられても困る。何より、俺の覇道に、彼女の魔術の才能は必要だった。レオナが、俺を、『像』の力を必要としていなくとも。

「だが、ジョンが、いた。」

ジョンがいる限り、レオナは国外に出ることはないと悟った。あの顔を見ればレオナがジョンに抱いている感情の名はわかろうというものだ。

 

 その感情の強さも、今の一幕で十分わかった。どれだけジョンを助け出すのが不可能だという話を擦れども変わらず、彼を助けに行くと言い張る彼女。

 会話が成立しない。元々会話が成立しにくい人格を有する彼女だが……その頑固さが、ジョンを身一つでも助けに行くと言い張って変えない強情が、レオナがジョンを好く気持ちの大きさだ。


 なら。レオナが、ジョンがいる限りペガシャールに残るというのなら。あとは、彼女が力を求めるのを待てばいいだけの話だった。


「予定では。レオナ=コルキスはジョンが己の父と相対したとき、敗色濃厚の戦の中で力を求めるものだと踏んでいた。」

いくらジョンが魔術戦争の天才だとしても、海千山千の父相手に優勢に立つのは難しいだろう。ペガシャール帝国派閥が持つ絶対的な利点は『像』の存在であるが、絶対的に不利な点は、若造ばかりで構成された派閥だということなのだから。

「ジョンが不利になれば。戦死とは言わずとも敗走まで近づけば、お前は間違いなくジョンの死を連想する。そうなれば、必ずお前は力を求めると踏んでいた。」

醜い話だ。レオナを『像』にしたければ、ジョンの命の危機が必要だ、などと。


「最初から?」

「うむ。最初から、だ。」

だから、言っていた。レオナが『像』になるか否かは、ジョン次第だ、と。

「……。わかった。『像』に、なる。」

勝った。確信する。いくら“黒秤将”ズヤンと言えど、『像』を獲得したレオナに勝ち目はほぼない。


「ディア。『ペガサスの賢者像』について、説明を。」

「はいはい。」

仕切り直そうかと思ったが。考えを改められても困ると思った。だから、勢いで流してしまおう。


「『ペガサスの賢者像』は、魔術師あるいは大臣に与えられる『像』だよ。身体能力強化はない。等倍だ。だけど、魔力量は2.5倍に膨れ上がる。」

ディアが話す。まるで何度も話したことを諳んじるかのように淀みなく、この場の空気など微塵も気にせず。

「『像』に付与されている能力は“思考加速”“術陣不要”“魔力自動操作”“並列思考”。君個人に与えられる能力は知らない。」

能力強化率が高すぎる、と呆れる。一番身体能力の強化倍率が高いディールですら1.8倍なのに、魔力量でそれ以上とは。

 何より。何よりだ。

「固有能力が豊富に過ぎる。」

「『三超像』は、伊達じゃないんだよ。」

『三超像』を与えられる人材は、多くの場合魔術において最強を冠することが多いという。その意味が納得できる効果だった。


「じゃ、行こうか。」

ディアが羽ばたく。俺の意を汲んで、勢いで『像』の任命を終わらせてしまおうという動き。

「レオナ=コルキス。汝、『ペガサスの王』アシャト=エドラ=スレイプニル=ペガサシアの下で忠誠を誓い、天下泰平の援けを成すか?」

「……。は、い。」

不本意だというような表情で。しかし、同時に決意は変わらぬと言わんばかりに力強い声で。

「レオナ=コルキス。お前はその人生を賭け、己が頭脳を国に用いると誓うか?」

「誓い、ます。私の、研究は。国の未来の、発展に。」

面白い話だ。魔術を使って戦う『賢者像』という役職への任命、その誓いの言葉。そこに、レオナは魔術師ではなく研究家として臨んでいる。


「いいのですか?」

シャルロットが問いかけてくる。俺はそれに、頷いた。

「魔術研究も、国の発展のためには必要だろうさ。それに……。」

魔術研究の成果の果てに得た、彼女固有の魔力消費軽減技巧。それさえあれば、そして魔術発動時間がかかる、魔術陣の持ち歩きが厳しいという不利益さえ消え去れば。


「レオナは、最強の魔術師とも渡り合える。」

それは、俺にとってはほとんど確信ともいえる話だった。


 ディアが、俺を見る。最後の一言は俺が決めなければならないゆえに。

「『ペガサスの王』アシャト=エドラ=スレイプニル=ペガサシアが、汝を『ペガサスの賢像』に任ず。我が国の未来に、そなたの成果があらんことを。」

 後世において、最強の魔術師と正面切って渡り合えた6人の魔術師。そのうちの一人はペガシャール帝国に存在する女傑だった。


 魔力総量を増やすではなく、消費魔力量を減らした技巧の天才。『ペガサスの賢者像』“魔服羊災”レオナ=コルキスは、こうして世に生まれた。


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