149.魔術戦闘家と魔術研究者
空が白み始めるころに、それは来た。
ズヤンが使うような、配下を乗せて飛ぶ巨大な絨毯ではない。
ただ一人。ただ一人だけを乗せた、小さな絨毯。だが、それを目にした瞬間、サッとズヤンが顔色を変えたのを、俺は見逃しはしなかった。
「“魔服羊災”レオナ=コルキス!」
誰だ、と訊ねることすら出来なかった。ズヤンの焦りは、尋常ではなかった。逃げ出したそうな顔色、忘れていた己の不甲斐なさを責めるような自己嫌悪。
昨日の、己より強い敵がいると断言したギャオランを彷彿とさせる、恐怖が顔から窺えた。
「こう、かな?うん。こうだね。すぅ。」
小さな声。少女のような声だった。人見知り全開と言うような、話しなれていない女の子の声だった。平静な時に聞けば、何が怖いのかわからなかっただろう。
だが、ズヤンが焦っていた。恐れていた。だから、その恐れが俺にも伝播されてしまった。
感じてしまったのだ。無垢な人見知りの、“拡声魔術”を使っているはずなのに辛うじて聞こえる程度の少女の声が、怖い、と。
「敵、ネツルの賊に、告げる。あなた達は、ジョンを、攫った。あなたたちに、同情の、余地はない。」
怒りが込められているのを感じた。体が無意識に震え始めるのを感じた。それほど圧倒的な恐怖を、身近に感じた。
「……“鋼鉄要塞”!」
ズヤンが魔術を発動する。それも、徹底的に防御に寄った魔術。
彼がこれを使う時、大抵は敵を隔離するという場合に使うことを、俺は知っている。だから、元来の『要塞』という意味合いでこの魔術を使う可能性を、俺は微塵も考えていなかった。
「しかも半円状かよ……。」
ぼやく。天上に至るまで鋼鉄で覆いきり、アリ一匹通さないような構えとなった鋼鉄の砦。
「それだけじゃない。鋼の厚さも硬度も、折り紙付きの一品だ。九段階格の魔術でも、おそらく一度は……。」
「“流星十閃”。」
「は?」
超轟音が鳴り響く。一瞬で“鋼鉄要塞”に穴が空き、そこから落ちてきた流星が何千の盗賊の肉体を押し潰した。
「嘘だ!九段階魔術を十連だと!魔力が持つはずがない!」
ズヤンの、信じられない、認めたくないような恐怖の叫びが響き渡った。
九段階魔術“流星一閃”。火力一点集中型の魔術であり、魔術の中でも高難度に属する……九段階魔術は基本的に全て高難度ではあるが、その中では中から高難度に位置する魔術である。
特徴は、中範囲、超超高火力、高密度の魔力。そして、高すぎる消費魔力と高難度過ぎる魔力操作である。
範囲は直径10メートル大の円状。ただし、魔術陣に記載する魔字によって大きさは可変。座標指定は自在。魔字と魔術陣の構造を理解している前提ではあるが、多少の自由が利く魔術である。
超短距離拳大の高火力攻撃である“聖剣”系列魔術、中近距離拳大の高火力貫通攻撃である“輝ける槍”他“槍”系列魔術と比較しても遜色ない、むしろそれより高い火力を有する。とはいえ、ここまでの高火力魔術が必要になることは滅多にない。
ちなみに。面白いことに“流星一閃”は流星、いや隕石の再現には失敗した魔術である。隕石の落下という自然現象は、落下による衝撃から、周囲への爆風・衝撃波まで含めて災害として取り扱われる。というよりそっちが主題である。が、“流星一閃”の魔術陣の記載はあくまで、『高質量・高密度の巨大物質が遥か上空から大地へ着弾したエネルギーを再現』するところまでしかない。
元来通りの隕石の落下現象を再現するには、そこに『爆風の発生』『衝撃波の範囲』『衝撃波の高さ』『衝撃波の風速』『衝撃波の温度』『衝撃波の持続時間』を明記しなければならず、かつ描きあげた魔術陣が綺麗な円形を描かなければならない。
そして、綺麗な円形を描いたその魔術陣を正しい文法で読み解いた時、綺麗に一文として成立していなければならない。それが、魔術陣として最低限必要な要素である。
仮にそれが達成できたとして。その分増えた魔字の数だけ消費魔力量は増大する。綺麗に一文で読み上げることが出来るほどの魔字、かつ綺麗な円形になるように増やされた魔字ともなれば……増える消費魔力量は膨大だ。
同時に、魔字が増えたということは魔術陣を構成する魔円の数が増えた、という意味である。魔円の数は、増えれば増えるほど……要求される魔力操作の精度が跳ね上がる。
九段階魔術の中で最高難易度と呼ばれる四つの大魔術のうち一つ、“流星一撃”。それこそが完全な隕石の再現をしてのけた魔術である。人間業とは到底言えないこの魔術を使うことが出来る人間は、ペガシャールに一人だけ。世界全てを見ても四人しかおらず、また『像』の力を加えても七人が最大数である。
話が大きくそれた。“流星一閃”はそれほど威力が高く、また消費魔力も大きい魔術である。
その圧倒的な高火力は、ズヤンの展開する八段階魔術“鋼鉄要塞”くらいであれば実にあっさりと突破する。一説によると。“流星一閃”は『砦将像』の顕現した砦の門を大きく凹ませることすら出来たという。……並の石造りの砦であれば、門どころか壁すら粉砕し、更地に変えうるが、それはそれである。
ズヤンが呻く。世界最高の魔術。使い手を選ぶ魔術。……多量の魔力量と、完璧に操作してのける魔力操作能力を持たなければ扱えない九段階の魔術。それが、十度。
「レオナ=コルキスの魔力量は、九段階魔術五発分だったはずだ!どうしてそれだけ、」
「うるさい。」
レオナが空虚な瞳をズヤンに向けた。心底どうでもいいものを見る目。同時に、彼女の手のひらから発生した火球魔術がズヤンに迫った。
だが、いかに驚愕に身を固められたとは言え、ズヤンは凄腕の傭兵だった。飛翔してくる火球魔術をあっさりと短剣で流して、頭上の異次元の化け物を見上げる。
「簡単な話だろう。レオナの魔術陣は、九段階魔術の消費魔力を、四段階魔術レベルまで落としている。」
後ろで声がした。振り返ると、目を覚ましたらしいコリント伯爵が笑っている。
「そ……んな、バカな。どうやって。」
「魔字一つに魔円を四つ使っている。うち三つは『消費魔力軽減』を示す魔字だ。」
ズヤンが愕然とする様が、俺の目からでもわかった。それがどれくらい異常な光景か、俺にはわからない。
あのギャオランが、武術において傭兵界二位を誇る化け物が『勝てない』と言った時の絶望的な表情、あれと比しても勝るほど、ズヤンの顔は真っ青だった。
「どれだけの魔力操作技術が必要だと、」
「知りません。……ただ、同じことが出来るのは、少なくとも当代には、……向こう数百年ではレオナだけになるでしょう。」
あきれ果てた目をズヤンが向けた。どういう意味か、俺は微塵も理解できない。
「説明、してもらえないか?」
「説明出来るわけがないだろう。」
余りの即答に頬が引き攣る。異次元という言葉では収まらないのだという事実だけは痛いほどに伝わった。
「元来城を腕力で壊す所業。それが九段階魔術だが、その腕力を全て技術で代用する所業、それが、アレだ。」
わけがわからないと思う。いや本当にわけがわからない。
城を腕力で壊す、まぁこれは理解しよう。要は殴って城を破壊すればいいんだ。無理に決まっているだろう。……が、まあ。俺はギャオランを見ているわけで。罅でも入っていれば、三日くらいあればやってのけそうな気がする。
それを、力ではなく、技で。殴るのではなく、道具を使うでもなく。きっと、それは石を一つ一つ、弱いところから崩していくような緻密な作業になるのだろうが……それを、力技でぶん殴るのと同じ速度でやるというのなら、どれだけ頭を使うのだろうか。
「だが、わからない。アレは消費魔力量は著しく減少させるが、同時に発動速度を犠牲にする技だったはずだ。」
「そうです。レオナは最初、“流星一閃”を発動させるのに30分かかりました。」
「……なら。」
「だけど、今は15秒まで短縮しましたよ。永遠とも呼べる反復練習の果てに、とつきますけどね。」
ジョンが笑う。あり得ないことだと言わんばかりに。
反復練習。30分かかる魔術を、15秒にまで縮める。どれだけの数をこなしたのか、俺には想像がつかなかった。100や200じゃ済まないはずだ。1000や2000でもまだ足りないかもしれない。それを、やってのけた女が、空にいる。
「……例え15秒で発動出来たとして!」
ズヤンが空に警戒の色を示したまま叫ぶ。あり得ない事実がそこにある。それを全力で否定するかのように彼は泣くかのように叫びをあげた。
「なぜ!“鋼鉄要塞”を発動して10秒足らずで、15秒かかる魔術を十度も発動させられた!」
今のズヤンの驚愕の根源。あり得ない事実を単純に否定したい苦痛が、その場を満たし。
ズヤンは、息を一つ吐き出した。
「トリエイデス。」
切り替えたように、ズヤンが言葉を紡いだ。あれほど絶望の表情を覗かせておきながら、戦うという手段を取らんとするこいつの精神性が尋常ではない。
「なんだ?あれに攻撃すればいいのか?」
弓はあまり得意ではないんだが、あの頭上の女は放置できない。担当はアレか、と問いかける。
だが、ズヤンは大きく頭を振った。
「最前線でギャオラン様をサポートしろ。あの女は敵だ。つまり、ペガシャール帝国軍も仕掛けてくる。」
「……本気か?」
一人で残る気か、という意味の問いかけだった。それに、ズヤンははっきりと頷いた。
「当然。私の知る限り、レオナ=コルキスには二つの明確な弱点がある。」
「……そう言うなら、信じよう。」
弱点が機能していなかった場合負けるのではないかという言葉は、寸でのところで呑み込んだ。
「わかった。行って来よう。」
どちらにせよ、俺はまだ活躍していない。敵に……『ペガサスの王像』に俺の存在を、有能さをアピールするには、まだ負けるわけにはいかない。
だから、俺はズヤンに背を向けた。
レオナ=コルキスという天才が描きあげる、時間効率度外視の、極端なまでに魔力消費量を減らした大魔術陣には明確な欠点が二つ存在する。
一つは、異常にかかる『魔術発動時間』である。いくら九段階魔術を何十発と連打出来る性能があったとして、時間がかかるなら魔術戦闘においては致命的な欠点となる。
そう。ズヤンが言葉を失った理由はそこにあった。レオナが魔力を惜しみ、時間がかかる魔術陣を使用するなら、ズヤンは確実にレオナを殺せる自信があった。……一対一という状況に限るが。
理由は問うまでもない。レオナが九段階魔術を一つ発動するまでの間に、ズヤンは五から七段階程度の魔術を十数発放てる。それだけ放てば、相手を殺すには十分だし……殺せなかったにしても、十数発分の魔術の対処で、レオナは魔術を放つ余裕がなくなるだろう。
二つ目は、彼女特有の魔術陣の大きさである。
何度も言うようだが、魔術師は魔術陣を持ち歩く必要性を有している。即興で空中に魔術陣をつくり上げることは出来ない。それが許されているのは『神定遊戯』における『像』のみである。
「レオナ=コルキスの魔術陣は、魔力消費を減らすために魔術陣を異様に大きくしている。最初から、持ち歩ける数に限度がある。」
例えば。レオナが用いた“流星一閃”。元来の魔術陣の大きさは、人一人程度。直径にして1.5メートル弱の魔術陣である。……が、レオナの用いるそれは直径が倍になる。そんなもの、持ち歩くことが困難だ。
「“流星十閃”を放った。つまり、他の魔術陣の持ち合わせはほとんどない。」
“突風襲来”。それにはためく紙がないことに背筋が凍る想いをしながら、ズヤンが言い聞かせるように呟く。
それを聞いて、私は頬が吊り上がるのを隠せなかった。……ああ、そうだ。レオナ=コルキスは魔術研究家である。圧倒的に時間効率の悪い魔術陣は、魔力量消費を軽減し、魔術の研究を促進するためにレオナが考えた魔術陣だ。
魔力消費量が多すぎて、一日五度しか九段階魔術を撃てないなら、それは九段階魔術の研究に支障が出る。それゆえに、彼女は魔力消費量を減らした。実践で研究を続けるために、反復練習で魔術の発動時間を大きく減らした。
レオナは、徹頭徹尾、魔術研究者である。魔術戦闘家では、ない。
魔術戦闘という部門で、レオナはどう足掻いてもズヤンに勝てない。彼女の魔術は研究のために磨き上げたものであって、戦闘のイロハはない。
魔術の発動時間が長いこと。魔術陣が持ち歩きに不便なこと。それは、魔術戦闘においては致命的に過ぎる欠点であるが、研究するだけでいいならむしろ最高効率を誇る。
「あなたの思考は正しい。普通にやれば、レオナではあなたに勝てない。」
魔術戦闘において、“黒秤将”ズヤン=グラウディアスに勝る人間は、ペガシャールにはいない。あくまで魔術戦争屋でしかないコリント伯爵家に属する者もまた、戦闘より戦争を主題に置く一族である以上、戦闘では劣る。
神は欠点を埋めない。長所を伸ばすことこそあれ、明確な欠点があるのであれば放置する。
ペガサス以下飛翔兵部隊が、弓矢等遠距離武器に弱いという欠点を補うような優遇はしないように、神は欠点を狙って撃落とせるような祝福を贈らない。
だが。だがである。レオナ=コルキスという魔術師が持つ欠点は、元来魔術戦闘家や魔術戦争屋が持ちえない欠点である。それは、彼女個人しか持ちえない欠点である。
「“術陣不要”。そして、“魔力自動操作”。ただの天才魔術師なら、魔術の発動が楽になって、読みあいの妙が消えるという程度の効果しか生まない微妙な効果でしかない、が……。」
そこにいるのはレオナだ。正真正銘のバカだ。天才が必死で考える、魔術陣の縮小と魔力発動時間の軽減を完全に捨て去り、むしろ増やすことを代償に魔力消費量を著しく減らした常識外れの天才。
「彼女に対しては、最高の効果を生み落とす。」
ズヤンが氷の槍を投擲する。そのまま流れるように、レオナの上方に石の礫を呼び出して振り落とす。
それらが全て、レオナに当たる前に弾けて消えた。対抗魔術による完全相殺が、ほんのわずかな一瞬で生み出されたのだ。
「……“魔服”。」
“流星一撃”に匹敵する難易度を誇る、四つの高難度魔術が一つ。対個人における最高効率最堅を誇る防御魔術“魔服”。レオナの二つ名の原因にして十八番。
ズヤンは敗北の予感に、汗を一筋垂らした。それでも戦意を鈍らせないのは、彼を慕う傭兵たちの隊長であるという自負からだろう。
私なら、とうに逃げていたかもしれない。あるいは、最初から一対一の状況をつくらないように立ち回った。それほど、頭上のレオナは、少なくとも魔術師個人としては脅威が過ぎた。
そこにいたのは新たなる像。『三超像』と呼ばれる力の一角を担うことを自ら望んだ天才魔術研究者。
『ペガサスの賢者像』“魔服羊災”レオナ=コルキス。
まぁこの説明で理解してほしいな、という願望はあるけど無理な気もするので、補足です。
レオナのやっている所業って何?っていうのを、某RPGの流星の魔法をベースに説明しましょう。
レオナの研究成果を一言で言うなら、「MP消費は4。ただし発動時間は10分」です。そんなもの発動待っている間に他のメンバーで敵倒すよね、と。ただしここには追加説明があります。
「一度発動に成功するたびに、永続的に発動時間が0.1秒ずつ減っていく」です。「発動時間は最短5秒」も付け加えましょう。
要はやり込み要素なんですよ彼女。普通に魔術師としてRPGのメンバーにすると微塵も使い物にならない。普通にやるなら彼女以外の魔術師のMPを999にします。まあ、世界観的な問題であとからMPを拡張することは出来ないんですが。
……じゃあレオナに『像』与えて弱点消したら絶対勝てるじゃん、てなると思います?安心してください、そんなつまらない展開には私しないので。……まあ、彼女と(結果論的に)同じ実力を持つ魔術師、今のところ四人しかいないんですよね……ドラゴンの賢者を強くしすぎた弊害です。うん。
まあ『賢者像』に化け物がいない国はだいたい『武術将像』か『英雄像』はマジものの化け物になっているから……。




