148.彼では勝てない
ジョンが連れ去られていく様を、俺は呆然と眺めていた。
本気で勝つ気があるのなら、俺はこの時点で呆然としているわけにはいかなかったのに。王であり、よくも悪くも必ず総大将としての役割を求められる俺が、醜態をさらしてはならなかった。
「ペガシャール帝国の者どもよ。コリント伯爵家の一員にして『像』の一人は、『黄飢傭兵団』副団長“黒秤将”ズヤン=グラウディアスが捕縛した。返してほしければネツルの山まで参られよ、多くの者の屍と代償に、この男は生還するだろう。」
「ディア!!」
「はいな!」
ディアがペガサスの姿になる。俺を乗せて空を飛ぶ。
連れ去られるわけにはいかなかった。『像』という価値の為にも、士気の為にも。
「陛下!」
オベールが叫ぶ。行くなと言わんばかりに差し出された手を振りほどいて、敵の巨大絨毯に向けて駆けていく。
「王が部下を守ろうとしてどうする。」
風に乗って、そんな小さな声が聞こえた気がした。絨毯が動く。飛んでいく空飛ぶ布と、飛んでくる魔術の数々。それを悉く回避しながら……追いつけないことを、悟った。
鐘が鳴る。撤退を知らせる合図が響く。
うちの将の一人を失った。日が西に傾き、空が赤く焼ける中。敵の言う通り、ジョンが生還出来ること……生きていることを、俺は願った。
撤退の鐘が鳴った。ゲ、とエルヴィンは思う。
「キャハハハハ、撤退だってよ。俺に背中を向けられるか、貴族のガキよう?」
振り下ろされる斧を懸命に回避した。槍で放つ一閃は、実にあっさりと足蹴にされ、むしろ近づくための一歩にされる。
「てめぇはそこそこにつえぇな?」
「こんな、ところで、死ねるか!」
親殺しの汚名を背負った。ビリッティウス子爵家が生き残るには、父はどうしても古かった。そこに、後悔はない。だが。
「死ねば!背負わねばならぬ汚名と責任の、行き場がなくなるでしょう!」
「はん。責任。本気でそれを考えている人間が何人いると思ってんだ?」
降りぬかれる斧。必死で後退して、逃げる。
もしも自分が親殺しをしていなければ、多分この場で命を落としていただろうなと思う。この男は明らかに格上だった。
『像』候補として、一応は見られているらしい。それは素直にありがたい。結果、多くの『像』たちから、戦いの手ほどきを受けた。
格上ばかりだ。自分より明確に格下の相手だと思えるのは、ペガサスに乗っていないアメリア嬢くらいで、ほとんど同格か格上の相手ばかりと戦っている。
その経験が、生きた。格上の相手と戦って、一合でも長く生き延びる方法を必死に学んだ。その経験がなくては、この男とここまで長く戦えていない。
「どうでもよい!私が、私の責務を果たしていれば!今はそれでよいだろう!」
石突が跳ね上げられる。気にせず、後退する。兵士たちはまだ撤退していない。なぜだ、撤退の鐘は鳴った、もう下がればいいものを。
「お前はいい貴族だな。だから、お前を置いて部下は逃げられねぇらしい。」
ギョッとした。私が逃げられないから、兵士たちも逃げられない。いやな話だと、思った。
「逃げろ、俺と心中する気か!」
「そうなっても構いません!」
バカが、と思う。兵士たちが逃げなければ、私も無様になりふり構わず逃げることが出来ない。少なくとも、人前では恰好をつけるのが私の貴族の正道だ。逃げようがない。
「ハハハハ、いいね、お前みたいなやつがいっぱいいたら、俺は生まれなかったろうに。」
まるで嵐だ、と思う。はじく、避ける、逃げる、逸らす、受け止める。一つの行動を取れば次の行動が飛んでくる。
「だが、てめぇは貴族だ。生かしはしねぇ。」
跳躍から、回転。正真正銘の大技だが……躱せる気が、しない。
やはり、荷が重かったか、と思う。戦った感触では、彼は過去四番目に、強い。
それはつまり、ペガサスに乗ったアメリア様、『護国の槍』を使うコーネリウス様、馬に乗ったときのクリス様、『超重装』を使っている時のミルノー様……彼らより、頭二つ分くらい強いという意味だ。いや、ミルノー様に限れば、そこまで大きな差はない気もするが。
どちらにせよ、彼ら相手に勝負にならない私で、勝てる相手ではない。
「死ねやぁぁ!」
「“投擲縮罠”!」
振り下ろされる寸前、幼い声が響いた。
網が広がる。瞬間、そちらをちらりと見た敵将が何もない空を蹴った。
「メリナ殿!」
「離れてください、エルヴィン様!」
ネストワ家の令嬢が私に様付けとはいかがなものか。そんな思考が頭によぎるが、そんな些末なことを気にするべき時でもない。
「了解!」
離れた瞬間、その場に別の男が飛び込んできた。
「撤退しないんじゃなくて出来ないんです、とマリアは言ってたが……本当だったか。まあ、たしかにお前にゃあいつの相手はキツイな。」
「ディール殿!」
救世主を見たような気分だった。彼が前に立ってくれるなら、安心してもいいだろう。
「早く下がれ。お前らが下がらねぇと、マリアの奴が下がらねぇんだよ。」
「承知した。全軍、撤退を開始しろ!急げ!」
俺の叫びに、兵士たちが呼応する。続々と兵士たちが下がり始める中……不思議なことに、敵将は攻撃しようとしなかった。
「俺一人しか、いねぇぜ?」
「……『黄飢傭兵団』。山に帰るぞ。」
丁度向こうも、撤退の合図が鳴り響いたところだった。これ幸いと言わんばかりに、敵将が言う。
「ギャオラン様?今なら追撃のチャンスです!」
「てめぇ、あそこにいるのがビリュードだったら、俺に同じことを言えんのか?」
一言。たった一言だった。傭兵たちが、口を噤んだ。
「……俺たちじゃ、ギャオラン様と戦うには力不足ですね。」
「だろ?下がるぞ。」
背を見せる。ディールが背後から襲ってこないことを確信しているかのような振舞だった。
マリア率いる最前線。ここは、傭兵の敗北に近い引き分けで勝負を終えた。
ネツルの山に戻って、俺は歓喜した。ジョン=ラムポーン=コリントと名乗る伯爵家の男の、生け捕り。これは思った以上の大物だと、ほくそ笑む。
おまけに、『像』に任命されているという事実。交渉材料という意味での価値も、ギャオランを殺すための策略としての価値も、高いと俺は内心嗤った。
「よし、殺せ。」
だが、ギャオランはジョンを一目見て言い切った。俺は呆れた目を向けていることだと思う。
「ギャオラン。こいつを生かせば、敵軍はこいつを助けるために、この山に向けて大挙する。お前の望む貴族の殺害が出来るんだぜ?」
「ズヤンから聞いた。わかっている、トリエイデス。その上で、俺は殺せっつうてるんだ。」
は?と思った。“黄餓鬼”ギャオランはこらえ性がなく、貴族を殺したがることで有名な男だ。狂気に歪んだような笑みを浮かべて貴族を、その軍を乱獲するギャオランの姿は、実際戦場に出ることはない俺ですら知っているものだった。
だが、釣れる貴族がいるなら、一時的に生かすくらいのことは許容する男でもあったはずだ。狂気的なのは信念だけ。狂気的が過ぎる信念に殉ずるかぎりは理性的な男でもあったはずなのだが。
「俺はさっさとこの戦から足抜けしてぇんだよ。だから、こいつを殺す。」
斧を握って俺の目を睨みつけながら、ギャオランが言った。ふざけるな、と思う。せっかくのズヤンの努力を全て無駄にする気か、と。
「トリエイデス。てめぇ、俺の隣で戦う気があるか?」
それがどうした、と思う。こいつの隣で戦う?それは、隙をついて殺していいという意味だろうか。
「ズヤンが切り札を発動した場所で、俺とてめぇがちゃんと協力して戦うんなら、この戦も勝ち目はあるだろうよ。だが、そうでないならごめんだな。俺は絶対に負けるとわかっている戦いはしたくねぇ。」
ギョッとした。……ギョッとするなという方が、土台無理な話だった。
「勝てない?」
「部下にも言ったけどよぉ。……敵方に九段階格が居やがる。」
「はぁ?」
なんだそれは、と思った。同時に、ギャオランが逃げ腰な理由も納得がいった。
勝てない、というのは虚言でも何でもない。本当に、ギャオランでは勝てないと思うような敵が向こうにいるのだろう。
「……。」
やられた、と思う。ギャオランの気質上、降伏はない。あり得ない。逃亡はあり得ても降伏だけはない。それくらいなら、ギャオランは自死するだろう。
(恨むぞ、ペガシャール帝国軍……!)
俺の前提は、俺が実力を発揮して見せた上で、ギャオランを捕縛しての降伏だ。だが、このままでは、俺の活躍を見せる前にギャオランが逃げ出しかねない。
だが、同時にこれは好機だとも思った。それほどの将が敵にいる。それなら、そいつと戦って生き残れば、俺の価値も上昇するのではなかろうか。
「……明日まで、考えさせてくれ。お前が勝てない相手なんだろう?」
「仕方ねぇ。明日の朝には決めろ。俺は寝る。」
ギャオランが背を向ける。本当に、こいつに勝てない相手がいるのかと疑ってしまう。
今背中を刺そうとしても、俺ではこいつを殺せないだろう。それくらい隙が無い相手に、「勝てない」と言わしめる男。
「うまくいかないな。」
苛立ちと不安を胸に、空を見上げる。黒天には星が、舞っていた。




