147.魔法における一騎打ち
ズヤンが初手に選んだ魔術は、突風に相手の肉体を襲わせる五段階魔術“突風襲来”。攻撃性は微塵もないこの魔術には、対魔術師における魔術としては非常に大きな役割を持つ。
魔術を放つには、必ずその場で魔術陣を記述するか魔術陣を備えておく必要がある。そして、長期保存を度外視するなら、紙という媒体は魔術陣を大量に携行する上で非常に有用だ。
突風は、その紙の所在を明確にする。野外に紙を晒して、風に襲われてはためかない紙はそうそうない。いくら本状にしていたり、重石を乗せていても、パタパタという音ひとつで紙の場が明らかになるのだ。
突風というのは、敵の魔術師がどこに武器を持っているのか、そしてその武器の数がどれほどあるのかを明確にする時、最もよく使われる基本魔術である。
「必ず最初はそうするだろうね。」
だが、相手はジョン=ラムポーン=コリント伯爵令息。魔術戦の基礎は、彼も十分わかっている。相手が基本に則った動きをする、“突風襲来”で手が取られた一瞬の間を逃すことはない。
四段階魔術“火球魔術”。一直線にズヤンへと狙いの定められた魔術が、狙い通りの軌道でズヤンを狙い……ズヤンはそれを、空中で身を捻ることで回避した。
「今なら!」
それは、ジョンも織り込み済みだった。四段階魔術“土槍育生”。大地から真っすぐに、ズヤンを狙った魔術の一撃が伸び生える。
空中で身を捻った、ということがどういうことかわかるだろうか?ズヤンは、姿勢が整っていないのは当然であるが、それ以上に二度目の身体の移動、空中での姿勢の変更には、異常なまでの体力を使う。ましてや体勢を移動する前提で跳躍したのではない。未だ魔法絨毯から飛び降りて、着地するまでの最中である。
「甘い。」
だが、ズヤンは傭兵だった。魔術師である前に傭兵。護身の技の一つや二つ、身に着けていて当然である。
腰から抜いたのは一つの短剣。その柄から下げられた鉄板に描かれた魔術は“魔纏”。魔術陣を起点とした相対距離にある金属に魔力を纏わせるだけの四段階魔術陣だが……それさえあれば、敵の魔術を迎撃することは可能だ。
ちなみに、纏う魔力量は魔術陣の記述に依存する。ズヤンの短剣に施された魔術陣が記述する魔力量は、六段階の魔術を迎撃するのに必要な量である。
地面から向かってくる土の槍に向けて、振りぬいた。迎撃によって体が強引に向きを変え、槍の端に添うように体が斜に落ちる。
一連の動きに添って、ズヤンは己の衣の裡にある魔術陣へと魔力を伸ばし……。
「“獄炎火球”!」
炎の強度、炎の威力、持続時間の全てにおいて“火球魔術”を凌駕するように記述された、複雑な魔術陣が起動する。放ったのはジョンの方。六段階の中でも高威力のうちに入るこの魔術は、ズヤンの持つ短剣で相殺できないわけではないが……少しばかりの火傷を負うことを、ズヤンは直感した。
ジョンは、かのレオナ=コルキスとの付き合いが長い魔術師である。魔術の研究家として高名すぎる彼女は、魔術の効率的な運用と、魔術陣の効率的な記述についての研究も怠ってはいない。
世界きっての天才研究家の隣で学んだ魔術の名家の令息が放つ魔術だ。世の一般の魔術師が使う魔術陣と比較して、威力も速度も消費魔力量も、高度でないはずがない。
「“竜巻魔術”」
単純な魔術比べを、ズヤンは避けた。単純な魔術戦闘になれば……魔力操作と魔力量で勝負が決まるような真正面からの戦闘は、今は避けるべき場だった。最初からズヤンの目的は戦闘ではない。
着地と同時、背後にいる兵士の持つ木版を奪い取って魔術を発動。その場で大量の土を巻きあげながら発生した竜巻が、強力な炎の直撃を受けて爆散する。
土が、舞った。炎は消え、上に吹きあげられた風は周囲に拡散された。拡散された風の中に入った土が、周囲一帯に降ってくる。
「視界を奪えば、十分。」
腰に結わえた金属の板を、一定のリズムで鳴らす。それを聞いて、後方から一人の傭兵が板をもって駆けつけてくる。
50人の、ズヤンの側近の傭兵。そう言えば、いかにも強い兵士を思い浮かべる民衆が多い。場合によっては、傭兵界でもそう勘違いしている者たちがいる。
“黒秤将”と言えば、強い。強い傭兵の部下は強い。そう思われても当然だ、とズヤンは思う。だが、実態はそうではない。
ズヤンの最側近50人、というのはつまり、ズヤンが用意した100枚の魔術の板を、2枚ずつ管理して、ズヤンが呼んだ時にいつでも魔術陣を渡せるように訓練された50人である。武術士ではなく、魔術師ですらない。
もちろん、それぞれに見合った護身術の類は持っている。だが、本質は“黒秤将”のパシリ部隊のことである。
「“砂塵魔術”。」
竜巻は前座、本命はこれ。魔力によってつくり上げられた砂嵐が、“鋼鉄要塞”の中の空気を埋め尽くした。
元々舞った砂ぼこりの中に、魔術によって描き出された砂塵が混ざって視界を一気に悪くする。
魔術における一騎打ち。ズヤンが“白冠将”を確実に討つために作り上げた絶対の領域の中で、ズヤンは次の鐘で別の魔術陣を呼び出して、
「“突風襲来”」
敵将、ジョンの声が周囲に響いた。何を、とズヤンは不思議に思う。
“突風襲来”は直線距離に風を放つ魔術だ。その風の強さ、風の範囲にこそ扱う者の個性が現れるが、本質的には正面に、そして相手の魔術陣の所在を探るという目的でしか使われない魔術である。
ああ、ここが“鋼鉄要塞”の内でなければ、“突風魔術”に意味はあっただろう。砂塵は晴れたかもしれない。だが、真正面に突き進む風は、あくまで砂塵舞う建物内で、となれば砂塵を晴らす効果を望めない。
そう、一瞬の間で思考する。だが、その思考に反して、砂塵は晴れた。綺麗に消えた。
「上?」
風が吹いた方向が上向きだったことに、驚愕する。なぜそんな魔術を持ち歩いているのか疑問を抱く。
何度も繰り返すようだが。魔術は、魔術陣を描いたナニカを携行するのが基本だ。ズヤンは100に渡る木版を、人に持たせる形で携行する。大きな魔術陣を必要としない低位の魔術師たちは、腰に提げられるほど小さな木札、あるいは魔術陣を記述した紙束を用いる。
ズヤンは最初の突風魔術で、ジョンの手持ちに紙束がないことを把握した。見る限り、木札を携行している様子もない。“鋼鉄要塞”の外にいる兵士が、ジョンの武器を持っているのであれば、その無防備な姿も頷ける、とズヤンは感じていた。だからこそ、ジョンという敵将が持っている魔術陣は、せいぜい衣服や鎧に仕込んだいくつかの魔術陣だけだろうと思っていた。
“火球魔術”、“獄炎魔術”、“土槍育生”。そのどれもが、魔術師が護身用に、己の衣服に縫い付ける魔術陣として一般的なもの。魔術陣の大きさ、消費魔力量のどちらもが、護身用魔術として一級品の汎用性の高さを誇っている。
「なぜ?」
だからこそ。上に向けた“突風襲来”という無意味な魔術の携行の意味が、ズヤンには理解できず。
「“水球魔術・停滞”。」
丁度ジョンとの距離の差と同じ距離に発動できる魔術の種類は、53。そのうち、放射系と範囲系でなく、ピンポイントに発動できるものは4。
戸惑っていても、ズヤンは熟達した魔術師であり傭兵だった。ほとんど反射で最適な魔術をひったくり発動する。瞬間、ズヤンの胸から頭の上までをすっぽり覆うような水が発生、彼の呼吸の自由を奪い、
「な。」
今度は、ジョンの右から左に流れるような“突風魔術”。同じ魔術を、方向を変えて、服の中に仕込むなどありえないゆえに、ズヤンは完全に硬直し。
視界に映る敵将の姿。遠視の魔術で見たローブ姿と似て非なる姿を見て、ようやく得心がいったように叫んだ。
「『像』の力か!」
「その通り!私の名前はジョン!『ペガサスの魔術将像』ジョン=ラムポーン=コリント!名を名乗れ、強き魔術師よ!」
ふざけるな、と言いたかった。『像』となった魔術師のうちの幾人かは、魔術陣を携行せずとも魔術が好きに放てたという。きっとそれだろうと当たりをつけた。
「『黄飢傭兵団』所属、“黒秤将”ズヤン=グラウディアス。」
だから。これは、意地だった。
「絶対に捕縛してやる……。“黒き天秤”!」
理不尽な相手には、本気の理不尽をぶつけてやろう。ズヤンは決意した。
“黒秤将”の二つ名となった魔術、“黒き天秤”。これは、狭所で用いる限りにおいて絶対を誇る、八段階格魔術師ズヤン=グラウディアスが唯一使える九段階魔術である。
閉所内において、術者以外の身体能力をわずかに下げる、というものだ。
かつて『フェニクスの魔術将像』に任命された魔術師によって考案され、魔術陣として出回ることになったが、この魔術陣がどういう内容を記述しているのか知っている人間はほとんどいない。
あまりに高度な魔術であるがため、魔術陣そのものを解釈できるような魔術師がいなかったのだ。魔術文字、魔円、それが作り出す文法を明確に現代語訳出来なければ、魔術の構造分解は出来ない。それが魔術陣というモノである。
現在の世界において、それが出来る人物はただ四人。そのうち一人に、《《ズヤン=グラウディアスは入っていない》》。
だが、魔術陣の意味が理解できなくとも、それがどんな効果を表すかは知っている。
魔術陣は極論。魔術陣に魔力を通し、完全に御しきる事さえできれば魔術の意味を完全理解しておらずとも使える。それが、魔術というモノの利点である。
魔力と、魔力操作。それが、魔術発動の為の全て。
言語に言い換えるのならば。文法や単語の意味を理解していなくとも、正しく発音すれば相手には何を言っているのか通じる、というだけの話である。……だけというには難易度が桁外れだが。
ちなみに、より効率のいい魔術を開発しよう、という試みを行うためには魔術文字や魔円の研究は必要不可欠である。レオナの専門はそっちだ。
“黒き天秤”が発動する。莫大な魔力を消費して、“鋼鉄要塞”内の肉体の法則が切り替わる。
ジョンは驚愕した。一気に身体が重くなった。『魔術将像』の力をもって上昇したはずの身体能力が、『像』発動前と同じ水準まで落ちた。いや、それ以下にまで下がった。そんなことができる魔術などほんの少数しかなく、敵が使った魔術は“黒き天秤”であると即座に検討をつける。
だが。対抗策は、ジョンにはなかった。“黒き天秤”に抗する魔術の名は“白き宴会”。黒き天秤が身体に強制的に『飢餓』を押し付けるものであり、ならば対抗は『満腹』を強制するものだ。
腹が減れば力が出ない。ゆえに身体能力は著しく落ち、思考速度も低下する。“黒き天秤”という魔術内においては、優れた英傑ですら多少の力は落ちるのだ。
例えば。“黒き天秤”の圏内にディールが入っていたら、彼の実力はコーネリウスやクリスと同程度まで落ちるだろう。彼ら程度であれば十合程度で倒せるディールですら、30分かけても倒せなくなるほどに実力が落ちる。
「……。“輝ける槍”!」
だが、とジョンは思う。これを発動した時点で、“黒秤将”の魔力はほとんど残っていないだろう、と。
当然だ。現状ペガシャールの内にあって、九段階魔術師を正式に名乗れる……即ち、九段階魔術を3発前後撃つだけの魔力量を持ち、確実に扱える九段階魔術陣が5種類を超えている人間など、一人しかいない。
“魔服羊災”レオナ=コルキス以外に、そんな正真正銘の人外はいない。“黒秤将”は凡庸だ。ただの、一般的な天才程度だ。
だから、とジョンは勝負をかけた。彼の用いる中で最も強い魔術。九段階魔術“輝ける槍”。一直線に、光の槍が直進するという魔術。その威力は強大で、本当に放てば“鋼鉄要塞”の壁を貫通することも叶うだろう。
それを、放とうとして。
「前提が、違う。」
“黒き天秤”は閉所でしか効果を成さない。壁さえ穿てばそこは閉所ではなくなる。
九段階魔術はジョンにとっても負担が大きい。“鋼鉄要塞”を穿つにはそれくらいの魔力が必要とはいえ、『像』の助け……魔力量1.6倍化と“魔力自動操作”がなければ、おいそれと放てる代物ではない。
『像』を使う今だからこそ容赦なく使える、と思ったその肉体に、巨大な蔦が絡みついた。
「俺の目的は、お前への勝利でも殺害でもなく、生け捕りだ。“蔓草拘束”を肉体的に回避させなければ、勝ちだ。」
対“白冠将”用の戦術。“鋼鉄要塞”という閉所内に敵大将をおびき寄せ、内部にて“黒き天秤”を用いて相手の逃走力を削ぎ、広範囲一掃系の魔術で味方もろとも敵を殺しつくす。最後が、拘束系魔術に変わっただけで、ズヤンの望む形で収束し。
空に光の柱が立つ。ジョンの肉体が地面に縫い付けられた。そのまままるで捧げられるようにジョンの肉体は宙を浮き。
首に手刀を叩き込まれて気絶したジョンは、ネツルの山へと運び込まれた。
まあ予想はつくと思いますが、レオナ=コルキスは“黒き天秤”も“白き宴会”も使えます。そしてこれの意味を正しく理解している、解釈できる四人のうちの一人です。
ジョンがあっさり負けたなぁ、と思う人もいるとは思いますが……ましてや『像』というチートを使ってまで、とも感じるでしょうが……これは実のところ明確に理由があります。対“白冠将”向けであるというのは大きな理由の一つですが、それ以外にも。
いずれ書きますがまぁ……多分書かなくてもわかると思いますよ?




